後日

よろず屋ゾロイ


 カーチムに、暑い夏がやってきた。

 リヒサコニでの一件から、数ヶ月が経過した。

 ゾロイは相変わらず早朝から、馴染み客の愚痴聞きに精を出していた。九人目の客が満足げに去っていく。見送りついでに外に出てみれば、もう陽が高く昇っている。

 軽く伸びをして、凝り固まった身体をほぐす。

 昼休憩と書いた手書きの看板を戸の前に立てかけ、ゾロイは行き交う人を見るともなしに見ていた。

 と、一頭の馬がゾロイの元に近づいてきた。

「なんだ、そのだらしのない顔は。せっかくおいらが尋ねてきてやっているってのにさ」

 白い毛並みのその馬は、顔を見せるなり、ゾロイに悪態をついてきた。

「バナム、もう来たのか。ちょっと早過ぎやしないか」

「夜だろ? わかってるさ。でも、だからって昼間に来て悪いことはないだろ」

「まあ、そうだが……ここに来てもやることはないぞ。特にその姿のままじゃ、愚痴聞きだってできないしな。ところで、もうアジネには打ち明けたのか」

 バナムがゲーブ、つまりアジネの父親だというのは、あの日リヒサコニの森にいた者ならば誰でも知る、周知の事実となっていた。

「いずれ時期を見て、だな……」

 言葉を濁すバナム。

「そうは言っても、アジネは勘の鋭い方だ。いつ気がついてもおかしくない。向こうからじゃなく、おまえから切り出したいって言うから、俺は律儀に黙っているんじゃないか」

 本当は、もう気がついているのかもしれない。

 バナムから、父親から事実を切り出されるのを、アジネは待っているとも思える。

 リヒサコニでの一件以来、アジネに取り立てて変化があったわけではない。しかし、クートとの融合を経ていることから、アジネが自身の出生に関する記憶を手に入れたとしても不思議はないのだ。

 アジネはあれからも、変わらずによろず屋で生活している。

 両親の居場所がはっきりした以上、ゾロイがアジネの身を預かる必要はなかった。

 ウリアツラとバナムは、急激な変化を望まないと言った。アジネに何もかも打ち明けるには、時期を見て、と提案してきた。大人は良くても子供には重荷に感じられると考えたらしい。逃げ腰の姿勢のようで、ゾロイは納得したわけではなかったが、二人に頭を下げられて、断りきれなくなったのだった。

 それに、彼女、アジネ本人の気持ちもある。

 尋ねてみると、アジネ自身もよろず屋で暮らすことを望んだため、以前と変わらない生活が舞い戻ったのである。

「そろそろアジネが買い物から帰ってくる頃だ。なんなら、今日話すってのはどうだ」

「ゾロイ、それは勘弁してーー」

「あ、おっちゃん! 随分、早いね」

 折りよくアジネが帰ってきたことで、バナムの言葉は暑い夏の日差しに溶けていった。

 屈託のないアジネの笑顔を見ている限り、真実に気がついているかどうかの判断は難しい。

「アジネ、飯を頼む」

「はいはい、ちょっと待ってて。おっちゃんも食べる? お芋の煮っ転がしだけど」

 ひひん、とバナムは嬉しそうに鳴いた。

 アジネが店の奥に引っ込むのを見届けてから、ゾロイは再び口を開く。

「それにしても、良かったよ。実体化が完全かどうかはわからんが、こうしてアジネが買い物に出かけられるのは、見ていて嬉しいもんだ」

 クートとの融合の影響なのか、アジネは周囲に認識される存在になっていた。

 半幽体であった頃には、一人で出かけることはほとんどなかった。地理を把握する目的以外、皆無だったとゾロイは記憶している。

「ウリアツラの新たな研究が、ようやく開始されるんだって。昨日会ってきたんだけど、それについての愚痴をたくさん聞かされたよ」

「おまえもよろず屋で働くか? 愚痴をご所望なら、ここで毎日聞けるぞ」

 軽口を叩き、ゾロイは笑った。

 あの一件の後、ウリアツラは首都オウイコットの学術研究施設に戻った。

 クートがしでかした後始末もあるらしいが、主な目的は、これまで彼女の行ってきた幽体化実験の見直しだった。

 幽体化を研究していたのは、半幽体であるアジネを実体化させるためだ。最初は、実体から幽体を抜き出して、虚ろな段階に入った者を器に、中身を入れ替えるという道筋を立てていた。しかし、それが非人道的な行為であるだけでなく、成功率も低い現段階では、その方法は危険度が高過ぎて断念せざるを得ないと判断し、研究員たちには中止の命令を出したらしい。

 そこでウリアツラは新たな研究に着手した。

 幽体の本質を徹底的に調査し、今後の医療等に活用可能な知識を纏め上げる。必要とあらば方々に出向き、幽体使いが見つかれば、実験に協力を願う。

 集められた統計から、また新しい発見もあるだろう。

 ウリアツラはまた、こうも言った。

「今はまだ私の知識も浅い。しかし準備が整い次第、いずれアジネの身体を研究させてもらう。あの子は特殊……特別な存在だからな」

 朱い髪の魔術師は、未だ自身の作り出した闇の中でもがいている。

 研究など、共に暮らしてでも行えるものだろうにとゾロイは思ったが、ウリアツラの険の取れた表情を見て、何も言わないことにした。

 母の顔。ゾロイは、かつて姉と呼んだウリアツラに、それを感じ取った。

 それが正しいかどうかはわからない。しかし、彼女が懸命に、我が子のことを思っての行動だろう。ならば、見守ってやることしか、ゾロイにできることはない。

「なあゾロイ、ここは暑いから中へ入ろうよ」

 バナムはそう言うなり、ゾロイの返事も待たずに店内へと移動をし始めた。

「図々しい馬がいたもんだ。ここは俺の店だぞ。そういうのは家主である俺から言い出すものだろうが」

 ゾロイはバナムを制して、自分から先に店に入った。

 外の熱気が室内にはまだ届いていないのか、幾分涼しい。

 これからますます暑くなるだろうことを考え、ゾロイは戸を閉めた。

「なにその態度、感じ悪いなあ。お嬢さんが今外で聞いていたら怒られるよ、きっと」

「なあに、到着するのは夕方のはずだ。まだまだ時間はある」

 今日は、久方ぶりにオリズスがよろず屋に帰ってくる。皆、それに合わせて都合をつけて集まってきている。

 オリズスは、リヒサコニの一件の後、ウリアツラと共にオウイコットに向かった。

 ウリアツラの話では、オリズスの実体がそこに保管されているとのことだった。

 実体の、本来の宿主であるオリズスならば、拒否反応も少なくて済むだろう。ウリアツラの見立てもあり、元の身体に戻るために、オリズスは学術研究施設へと足を延ばした。

 ひと月後に送られてきた手紙には、オリズスの丸い文字で、施術の成功の旨が記されていた。そのまましばらく入所することも、そこに書かれていた。

 術後の経過も順調であったらしい。あとふた月もすれば、完全に元通りになるとの診断を受けたオリズスは、律儀にもゾロイへの依頼に対する報酬の未払いを気にしていたようで、退所後にカーチムに向かうと手紙で伝えてきた。

 そして今日が、その日である。

 回復祝いを兼ねて、ゾロイはオリズスを知る友人たちに声をかけたというわけだった。

「おいらは早く、お嬢さんの元気な顔を見たいけどね」

「あいつは元気だろう。そのおかげで行きすぎて、勇み足になることもしばしばあったがな。もしかしたら今日も、到着の時間を見誤っているかもーー」

 と、この店の外で立ち止まる気配がした。

 ゾロイは思い出す。

 オリズスが、初めてよろず屋にやってきた日のことを。

(噂をすれば、なんとやら、だな)

 とんとん、と柔らかく戸を叩く音がする。

 家族の足音が、誰のものであるかがわかるように、ゾロイはこの音源の主が誰であるか、すでにわかっていた。

 戸を叩いた主は、ゾロイの返事を待たずに戸を開けた。

 逆光のせいで、顔はわからない。

 しかし、それでも誰かがはっきりわかるほど、ゾロイの心の中に彼女はいた。

「あのっ、助けてくださいっ! すぐそこで喧嘩が始まってますっ!」

 オリズスは開口一番、数ヶ月ぶりの再会にも関わらず、そう言った。

 ただいま。その一言を期待していたわけではないが、ゾロイは、変わらぬオリズスの前のめりな行動に苦笑せざるを得なかった。

(ったく、やれやれだ)

 眉根をもみながら、ゾロイは、今日の夜は騒がしそうだと、一人感じていた。

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よろず屋ゾロイ 何処之どなた @donata-dokono

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