『地下室』2
第8話 『地下室』の日常
そこは地方都市にある中規模の風俗街であった。
夜には下品なネオンが光輝き、人々を照らす。
と、同時に、
それらは街で一番暗い場所を隠すための光となっていた。
『地下室』
潰れた風俗店と、誰も入らない潰れた食堂。
その隙間に、不潔で狭くて暗くて何も見えない小道がある。
まともな精神の人間ならば入る事はない道。
その先には、1つの狭い階段がある。
臭くて汚い階段を下っていくと、唐突に頑丈なドアが現れる。
ここまで来ると、不思議なほど丁寧に掃除がされている。
僅かに錆びた鉄のようなにおいがしているが、多くの人間はそれに気が付かない。
頑丈なドアを7回独特のリズムでノックすると、それは暗号となっており、
静かに開いてもらえる。
そうして目的の『地下室』へと入る事が出来るのだ。
「ここが例の場所か……」
覚悟を決めた男が一人、『地下室』へと入っていく。
(どんな男なんだろう?興味深い)
『地下室』は真黒な装飾がなされた部屋で、意外なほど広い。
そこには所々証明が落としてあり、その暗い部分には極めて強力な神器所有者が居座っている。
一番奥の空間には崩れた壁があり、
その奥に『地下室』と言う組織全体を統括する一人の中年男性がいる。
(顔が見えないな……)
『あの男』の顔は崩れた壁が邪魔して見えない。高そうな黒のスーツが証明にあたって僅かに見えるばかりだ。
この中年男性を、多くの人は『あの男』と呼ぶ。誰も名前がわからないから。
『あの男』はいくつかの『神話』を持つ。
とにかく彼は一般的な認識において敵と呼べるものは、例外なく打ち倒してきた。
それも、ただ単に倒すだけではない。
『あの男』に殺される人間は、その人間の魂や高潔な意思や大切な夢までも侮辱されて殺される。
『楽園』を完全に破壊した事はこの界隈では伝説だし、
最近では『世界宗教同盟』の人海戦術を嘲笑う様に打ち破り、
100年かかる問題であると認定されていた。
無敵の男だ。
『あの男』の傍には、いつも黒い服を着た女がいる。
その女の顔は作り物のように美しいが、
常に無表情で愛想がなく、口数が少ない。
両目の色は青と赤のオッドアイになっていて、髪の毛はオレンジ色をしている。
この違和感だらけの造形をした女が、『あの男』へと取り次ぎをしてくれるのだ。
「……何をしに来た?」
女は質問してきた。
あの男に会う動機は3つある。
一つは『依頼』だ。
金だけはたんまりある人間が、
最低な依頼をもってやって来る。
暴力的破壊的な内容であれば大抵受けてくれるが、報酬金額は高額で、しかもあの男が勝手に決めてしまう。
払えなければ依頼人は解体され、部分ごとに売られる。
それでも足りない場合は家族など近しい人間から順番に取り立てられる。
なので、誰からも相手にされない人間か、とんでもない願いを持った依頼人しかやって来ない。
もう一つは『神器』だ。
あの男は沢山の『神器』を所有しており、気前よくそれを配ってくれる。
そもそも所有欲がないのかもしれない。
最初から二個渡されることもあれば、
かつての『神話』の中で、敵から奪い取った強力無比な『神器』も渡される事がある。
うまく接続できる確率も一番高いと言われている。
デメリットと言えば、たかが『神器』を貰うと言うだけの事なのに、
『あの男』と関わってしまう事だろう。
――そして、俺は2番目が目的でやって来た。
「俺はもっと世の中がシンプルにあるべきだと思うんだ。
ごちゃごちゃと要らないものが多すぎる。組織とかモラルとか法律とか。
国家なんかも不要なものの代表だ。
人間はシンプルな力で生きていくべきなんだ。
だから、そのシンプルな世の中を作るために強力な『神器』が欲しい」
「――あなたは警官だね?」
「なぜわかったんだ?」
オッドアイの女は質問には答えなかった。
「……どうしますか?」
オッドアイの女は『あの男』の方を向いて聞いた。
しかし、『あの男』は何も答えない。
それどころか、女の問いかけに対して、何の反応もない。
体のどこも動かした気配はなかった。
「……。はい。わかりました」
オッドアイの女は『あの男』から何かを察したのか、頷いて肯定した。
次の瞬間、オッドアイの女が襲い掛かって来た。
「な、何をするんだ!」
腕をねじりあげられ、手錠をかけられる。
流れるような動作で足にも手錠がかけられたあげく、
床に押し倒される。
オッドアイの女の手には錆び付いた大きなナイフが握られていた。
「こ、殺す気か!?俺をッ!?」
女は無表情のまま呟いた。
「神器を貰いたいんだろう?」
「そ、そのために来たんだ!」
「なら、暴れない方がいい――」
オッドアイの女警官の体に何回もナイフを突き立て、引き裂いた。
「ぐあああああああああああああッ!」
血がどくどくと流れる。
しかし死なないし、意識も失わない。急所は外れているようだ。
「……ここか」
オッドアイの女が手に持っている『神器』を男の肋骨の隙間の傷穴に差し込む。
するとぬるりと体の中に入っていき、自然と接続した。
その後、警官は意識を失う。
意識が戻った時には、警官の全身に包帯を巻かれており、切り傷は縫合され消毒されていた。
応急処置を受け、出血は収まっていた。しかし、傷が痛む。
「『機能』を使ってみろ」
「成功しているのか?俺は……どんな神器を貰ったんだ?」
警官が眉間にしわを寄せながら、なんとか機能を使う。
すると、地面にぽっかりと『穴』ができた。
「何だこの穴は?」
「……さあ?」
警官はオッドアイの女の気の入ってない返事を聞いて激昂する。
「なんだこの機能は!?こんなちっぽけな力では何も変えられない!私が望んだものではないぞッ!?」
「あなたに、世界を変革するような『神器』は……」
オッドアイの女は警官に背を向けた。
「――身に余る」
『あの男』に関わる者は全員不幸になる。
殺されるか、破壊されるか、変なものにされるか。
そうでなければ身の程を知らされるからだ。
ここで、忘れてはいけない事が1つ。
3つあると宣言したならば、2つで終わってはならない。
プログラムならエラーを起こすし、
人ならばもやもやとした気分になってしまう。
あの男に会う動機は3つある。
今日も、地下室には訪問者が居た。
一人の長い髪の女で、20代くらいの年齢。寝不足からか、目の下にはくまを作っている。
ブツブツと独り言を言っており、何か思いつめた様子だ。
「……何をしに来た?」
オッドアイの女が問いかけるが、返答はない。
言葉の代わりに、居合抜きでの一撃を浴びせられた。
オッドアイの女はそれを1ミリの距離で避ける。
長い髪の女が持つその刀は普通の刀ではない。透明で青い色をしている。
明らかに鋼で出来たものではない。これは武器の形態を持つ『神器』なのだ。
あの男に会う動機は3つある。
最後は『挑戦』だ。
長い髪の女はオッドアイの女に刀の切っ先を向けて、ありったけの声で叫ぶ。
「私はお前らに復讐しに来たんだ!私の家族を返せッ!!
蘇らせてみろ!できなきゃ全員殺してやるッ!!!」
『あの男』に恨みや憎しみがある人間が、『あの男』を殺しに来る。
それが『挑戦』。
――――これこそ『地下室』の人間が最も待ち望んでいるものである。
「はははははははははははははははははははははははははははは!」
「はははははははははははははははははははははははははははは!」
「あははははははははははははははははははははははははははは!」
「げらげらげらげらげらげらげらげらげらげら!」
「へらへらへらへらへらへらへらへら!」
「ぎゃっはっはっはっはっはっはぁーーーーーーーー!!!」
その発言を聞いただけで部屋の陰に潜んでいる一斉に笑い出す。
『挑戦』は彼らの数多い娯楽の中でも人気が高い。
あの男に出会う事ができる場所は『神話』の中か、
そうでなければ地下室に限られる。
『あの男』への復讐は認められており、全ての人間が生れながらにして持つ平等の権利であり、
推奨されている。
ただしルールがある。
『挑戦』を選んだ人間相手には、『地下室』の住民は一人しか戦ってはならない。
貴重な挑戦者を守るためのルールだ。
地下室の中の神器所有者を一人倒すだけで、『あの男』へ攻撃を仕掛ける権利が与えられる。
復讐を願う人間にとっては簡単な条件に見えるし、
『あの男』の機嫌が良ければ『地下室』の住民を倒さずとも最初から直接相手をしてくれるのだ。
サービス精神にあふれた優しい対応だが、成し遂げた者は誰一人いない。
オッドアイの女が言う。
「誰も動くな」
「ああああああああああああああああああああああああああ!!」
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
湧き上がる歓声。動くなという事は、
今日は『あの男』の機嫌がいい事を意味する。
久しぶりに『あの男』が戦う姿を見る事ができるのだ。
『あの男』が声もなく笑っていた。
声の無い『あの男』の代わりに、周囲の住民達が狂ったような声をあげ笑い続ける。
部屋の奥で『あの男』が手招きをしている。
長い髪の女は走ってあの男に切りかかる。
驚くべきスピードに加え、刀を振っている間は刀身が背景色になり見えなくなった。
『光』に関係する機能の様だ。
あの男はその高速の斬撃に対し、女の手を抑えて止めていた。
いかなる切れ味の刀であろうとも、振る腕を抑えられてはどうにもならない。
しかしその斬撃はフェイントで、本命は口の中に含んだ針。
致死性の猛毒が塗ってあるその針を『あの男』に向かって飛ばした。
『挑戦』する者は様々な可能性を考えてやって来る。
『地下室』の住人の誰と戦う事になるのか。『あの男』と戦う時はどうやって勝つのか。
勝った後、どうやって『地下室』から抜け出すか?
そしてそれら全てにおいて自分なりの回答を抱えてやって来る。
髪の長い女はシミュレーションの中で最もいい結果を得ていた。幸運だった。
最初からあの男と戦えたので自分の神器の機能はバレてない。
戦いも『神器』が通用しないのは予想通り。
『あの男』は常勝無敗。
自分の、ちょっとした機能を持つ程度の『神器』が通用しないのは解り切っている。
その上で、神器所有者にありがちな油断をついた。
盲点になりがちな、通常の武器による攻撃である。
完璧に仕込み針は飛ばせたし、針は順調にあの男の顔めがけて飛んでいる。
『あの男』の両手は自分の斬撃を防ぐために使われており、ガードはできない。
髪の長い女は確信した。
(勝ったッ!!)
次の瞬間、あの男は唐突に勝利する。
そして『その過程を誰も知る事はない』。
誰が見ても明らかな結果だけが観測される。
様々な人間の思惑を破壊し、どんな高潔な意思も正当な正義も無遠慮に侮辱する。
それが『あの男』の積み重ねられた勝利であり、
『地下室』の住民が『崇拝』し続ける唯一の対象なのだ。
次の日。
『地下室』の様子は何も変わっていないように見えた。
あれだけ興奮していた熱のかけらもない。
住民たちも皆無口で、まるで何事もなかったの様だ。
しかし……目を凝らしてよく見てみるとたった1つだけ違いがある。
それは人形だ。
『あの男』の横には昨日にはなかった人形があった。
『あの男』が戦った後は不思議とおもちゃが置いてある事が多い。
理由は明確で、『あの男』お手製の玩具なんだ。
玩具は最初こそ瑞々しく、綺麗な格好をしていて出来がいい。
だが時と共に徐々に劣化していく性質がある。
この人形も完全に腐り、悪臭を放つまでは捨てられる事はないだろう。
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