水面の向こう側 √β



 サンタクロースをいつまで信じていたかなんてことはたわいもない世間話にもならないくらいのどうでもいいような話だ。

 確信を持って言えるが、俺は最初から信じてなどいなかった。

 それでいて俺はどこかで宇宙人や未来人や超能力者や、謎の怪事件を起こす悪の組織やそれらと戦うヒーローたちがこの世に居るんじゃないかと信じたかった。


 ――何か面白いことが起きていた気がするんだ。

 ――ワクワクするような日常をどこかで体験していたような。


 しかし現実ってのは意外と厳しい。俺はそんな面白おかしい世界とはついぞ縁がなく、ただただ普通に毎日を過ごしていた。

 それは、幸せな事なんだろうかね。


 季節は冬。年をまたいだ最初の登校日。俺は学校へ向かう坂道を登りながら、どこか上の空で足を運んでいた。


 ――不思議な夢を見ていた気がする。まるでここではない他の世界に居たような。


 だから教室に入り、久々に見る顔ぶれに俺はどこかほっとする。席に座り、後ろの女に話しかけようとしたら、先に向うから挨拶があった。

「久しぶり、元気だった?」

「ああ、そっちは?」

「家族とスキー旅行に行ってきたの。三年ぶりにね。楽しかったわ」

「へえ、三年……」

 別に特に気にする単語でもないハズなのに、妙に耳に残った。

 朝倉涼子は俺の後ろの席に座るクラス委員長だ。成績優秀、運動神経も悪くない。欠点らしきところが見当たらないまさに絵に描いたような委員長だ。長所をどれか一個くらい分けて欲しいもんだ。

「よう、キョン。元気だったか?」

「冬休みはどうだった?」

 谷口と国木田である。

「ほとんど例年通りだったな。正月番組見て寝てすごしたり、親戚の家に行ったり」

 たわいない話をしているうちに、担任の岡部が入ってきてHRとなった。


 今日は始業式だからろくに授業もなく午前中で終わりだ。

 俺は隣の教室ヘ、長門を呼びに行った。いくつか約束がある。

「長門、いるか?」

 俺の声が聞こえたのかすぐさま鞄を持って俺の方に駆けよってくる。焦りすぎているのか、頬がわずかにピンク色に染まっている。

「元気か?」

「元気」

「よし行くか」

「うん」

 薄く笑う。これがこいつの喜び方であることを、俺はもう覚えていた、

 まあ一見するといい感じの高校生男女に見えることだろう。そうなるのもやぶさかではないが、別に付き合うとか、そういう関係をお互いが望んではいないだろうこともお互いがこれまたなんとなく分かっている。

 さてまだ行くところがある。

 俺は向かいの校舎へと長門とともに歩いていく。外は曇りで廊下は冷え込んで、俺は思わず肩を震わせる。

「寒くないか?」

「大丈夫」

 長門は薄いオレンジのマフラーをふわふわと揺らしながら、少し遅れてついてくる。

 ニ年生の校舎、教室の前で俺は立ち止まった。

「鶴屋さん」

「やあ、少年! 元気だったかい! みくるに用だね? ちょろんと待ってて!」

 鶴屋さんはすぐさま教室へと引っ込むと、数瞬の間に朝比奈さんの背中を押して戻ってきた。

「お待たせしました、キョンくん」

「いやあ、全然待ってませんよ」

「両手に花だね! よっ、隅に置けないなぁっ」

 鶴屋さんが軽快に言って、俺ら一堂は赤くなる。

上級生の教室の前で、これは恥ずかしい……。両手に花。まあ確かにそうではあるし、否定も出来ない。実際、一日でこの時間が一番心安らぐのであるが、約束はまだある。

「行きましょうか」

 はい、と元気よくうなずく朝比奈さんと静かに微笑む長門を連れて、校門へと向かった。

 俺たちは数時間前に上ったばかりの坂を、今度はのんびりと下っていく。

「わたし、昨日ドラマを観てたんです。面白くて、見入っちゃいました」

「ドラマですか? なんてドラマですか」

 朝比奈さんから出てきた言葉にはなじみがなく、俺の記憶には無いものだった。

「それなら毎週見ている。……その、深夜のコメディドラマ」

 長門がそうこたえる。二人ともそんな時間に起きていて同じドラマを見ているなんて、なんだかすごく不思議な感覚に包まれる。まるであってはならないような、そんな感覚が。

「あの主人公が面白くって」

「おもしろい。脇役もユニークで」

「わたしはあのハチャメチャなヒロインも好きですね。ああいう行動力に憧れちゃいます」

「……わたしも」

 俺は二人の話題に見事に乗り遅れて疎外感を覚える。でも不思議と退屈な話ではなかった。

 それにこうして嬉しそうに話している長門と朝比奈さんを見ていると、些細なことなんてどうでもよくなってくるな。

 そんな調子でふもとの高校の正門までやってきた俺たちは二人の待ち人に手を挙げた。

「わるい。待たせたな」

「遅い! もうちょっと早く来れないの? せめて走って来なさい!」

「俺だけならそうするが、世の中みんなお前みたいな女ばかりじゃないんだ」

「……まあいいわ。行きましょう」

 傲岸不遜なこの女こそ、涼宮ハルヒ。これで私立の進学校のお嬢さんだっていうんだから、ミスマッチだよな。そんな俺の視線を受けながらハルヒは先頭をズンズン進む。

「これでも機嫌がいいんですよ。ここ数日の彼女は本当に嬉しそうですから」

「まあ、見れば分かるさ」

 すこしばかり顔を近づけて俺に話しかけてきたこの男は古泉一樹。爽やかを絵に描いたような男とはまさにコイツのためにある言葉だろう。

 北高の制服三人と、光陽園の制服が二人。あまり見ないような組合せであるといえた。二校の男女連れともなればなおさらだろう。そういう意味で稀な行動をしている俺たちだったが、これが世間ではどのように見られているかはあまり考えない方がいい気がする。

 歩くのは数分で、この高校生サークルの俺たちは馴染みの喫茶店へと入る。ここでニ週間ほど前に俺とハルヒと古泉は何やらトラブルがあって知り合い、こうしていつの間にか五人で集まるようになった。らしい。

 実を言うと、あまり覚えていない。二週間前のことをもう忘れてしまうというのもどうかと思うのだが、事実なのだから仕方がない。

 それにもうずっと前からこの五人で集まっていたような気もするしな。



 ――そんなはず無いのに。



 ズキリと頭が痛んだ。代わりに朝からなんとなく感じていたモヤモヤとしたモノがすうっと薄くなっていく。

「SOS団はどんな活動をするべきか、もっとじっくり考えましょう!」

 涼宮は長い髪を振って言った。目がキラキラと輝いている。

「活動、といいますと?」

 古泉が言った。どこか遠慮しているような、不安なような声色で。

「そうね……何か地域の行事に参加したり、季節ごとの文化に倣うのもいいわね」

「スポーツイベントとか七夕みたいなことか?」

「なかなかいいコト言うじゃないのよ、ジョン。そうね、お祭りなんかに出るのもいいわよね」

「長門は何かしたいことあるか?」

「え、と。勉強会」

 言ってすぐに赤くなるのは何とかならんのかね。

「月に一度くらいならいいかもね。あたしは間に合ってるけど。ジョンには特に必要かもね」

「うるせえ」

 ありがたいのやら迷惑なのやらだな。

「みくるちゃんは? 何かある?」

「わ、わたしは、えっとー、その」

 わたふたと慌てながら視線をあっちこっちにさ迷わせる朝比奈さんを見て、ハルヒは何を思ったのか突拍子も無いことを言い出した。

「みくるちゃん、あなた……コスプレをしてみない? すごく似合うと思うのよね」

「ふぇ? ……えー!」

 ほらみろ、当惑しきってしまってるじゃないか。

「メイドでもバニーガールでもいいけど、それを着てさ、映画を撮るのよ」

「映画ですかぁ?」

「そ。古泉くんと有希も出るのよ!」

「さすがにそれは……。第一どこで発表するのでしょう?」

「そんなの文化祭でいいじゃない。うちと北高、両方でやりましょ!」

「ちょっと待て、俺はどうなるんだ」

「ジョンは雑用とカメラをお願い。あたしは監督をやるから」

 こいつは言うことがなんでこう支離滅裂なんだろうね。もうちょっと実現しやすいコトを考えろよ。

「こういうのはね、考えることが楽しいんだから。野暮なツッコミは入れないの」

 そうしないとお前は本気でやりかねないだろ。

「さ、あとは今日も探索しましょ。くじを引いて頂戴!」


 意味の無いことに意味があるとするならば、それ自体が楽しいとか、まあそんな感じだろうな。

 涼宮はいつも元気で楽しそうだ。

 それは、そんな日常は、幸せなことだと思う。


 今日は俺と長門がペアだった。残る朝比奈さんと古泉と涼宮トリオは反対側へと向かっていった。

「図書館はちょっと遠いか。公園でのんびりでもするか?」

 長門はコクンとうなずく。吐息が一瞬白くなって冬の空気の中に消えていく。

 この寒さで公園でのんびりなんてバカの考えることだと即座に俺は後悔した。風が無いからいいものの、このままだと冷えるだけだ。

「ほら、長門」

 俺はホット缶コーヒーを長門に手渡した。

「ありがとう」

 こくこくとコーヒーを飲んでいる長門を眺めながら俺もブルタブを開ける。

 少しの間、何も話さずに二人でコーヒーをすすっていたが、この沈黙も悪くない。

「駅前のデパートにでも向かえばよかったか。ほら、本屋とか、服屋とか見て回るのもいいし」

 女の買い物に付き合う趣味は無いが、長門ならそれほど長い買い物にはなるまい。この手のに長門は無頓着であることだし。

「う、うん。その、また今度」

「そうか? じゃあ今度。約束な」

 長門には世話になっているし、たまには付き合ってやってもいいだろう。

「SOS団はどうだ? 嫌なこととかないか?」

「それはない。大丈夫」

「そうか。なら、よかった」

「むしろ……たのしい」

 長門は目を伏せて言った。今までこんな風に遊んだことはなかったのだろうか。友達が多い方ではないことは知っているが。

「涼宮が何を言い出すかさっぱり分からなくて、ハラハラドキドキすることは俺もあるけどな」

 長門は薄く笑った。


 少し悪いような気がした。

 誰にだろう。


 俺は自分なりに長門へ笑い返した。


 こんな日が続いていくのだろうか。


 淡く、平和で、穏やかな日常。


「少し散歩するか」

「うん」

 俺が歩き出すと、長門は少し遅れてついてくる。

 寒いな、と言いかけた俺の右手にほのかな熱を感じた。

「このほうが……寒くないから」

 俺は笑顔になっていたと思う。

 今度は、自然に。




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ダイバーダウン 猪座布団 @Ton-inosisi

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