【エピローグ 莉乃のための『願命』】
君の笑顔のために......
「凪良さん!」
入り口で待っていた水南枝は凪良さんに飛び付いた。
「凪良さん、よかったよお、凪良さあ〜ん!」
水南枝は凪良さんに抱き付いたまま泣き始めた。そこに遠塚さんまで加わる。地方裁判所の傍聴席にいた俺たちと、被告人だった凪良さんは別々に裁判所から出てきたばかりだ。
教団本部ビルでの闘いの後、俺と優弧は意識を取り戻した凪良さんと別れたけど、凪良さんは一旦帰宅した後、すぐに警察に出頭した。
詐欺の主犯として。
俺と凪良さんが闘った夜から翌日にかけて、三本のビッグニュースが日本中を駆け巡った。
一つ目は地震だ。
あの夜は大阪、奈良、和歌山、兵庫を地震が襲った。震源地では震度五。震源地は大阪市西部、もちろん俺だ、不本意だけど。水に囲まれた街『アイランド』は海抜ゼロメートル以下の地域も多く、街の周りのいくつかの水門が閉じられ、洪水警報が発令された。
これだけなら地震大国の日本では珍しくもなかったんだけど『震央距離ゼロ』というのが話題になった。震央距離とは震源地の深さだけど、恐らくほとんどの人にとって、この日のニュースで初めて知った単語だろう、俺もそうだけど。通常、震央距離は浅くても数十キロ、地球で最も深い海底よりも更に深い。「非常に珍しい現象」として、地震学者が興味を持ったらしい。
二つ目は、もちろんカルト教団『
これは事件の規模でなく、その特異性が注目された。宗教団体の事件では、詐欺や暴行などで被害に対して裁判になることはあっても、存在そのものが法的なレベルで否定されることはない。
否定が不可能だからだ。
例えば、俺が思い付きで「私は神だ」なんて大ボラを吹いたとしても、それが嘘であることを示す証拠はない。逆に正しい証拠もないだろう、と言うかも知れないけど、俺が自分を神だと主張しようが宗教団体を立ち上げようが、自分の正しさについての証明義務はない。訴えるためには証拠が必要、そして嘘であることは誰にも証明できないんだ。自分以外は。
だけどこの事件は教祖自ら暴露した。
宗教団体で教祖自身が「私は神でない」と教団の根幹を否定したり、その背景として教祖を演じることを借金のために未成年が強要されていたことなどが前代未聞だったんだ。
でも地震と宗教団体、これら二つのニュースは、翌日の教室でもほとんど話題にならなかった。三つ目のニュースが人々の関心を一気に
三つ目のニュース。それは総理大臣、下崎 大輔の殺害だ。これは警備員が全員死亡で目撃情報なし。犯人の人物像は一切が不明、動機も不明、犯行声明なし。総理の事務所内がテレビで映されていたけど、爆発と火災で酷い有様だった。ただ、死因は爆死や焼死じゃなくて刺殺だとか。
しかも同時にタレコミでもあったようで、総理の様々なスキャンダル、七年前の秘書の自殺に見せかけた殺害疑惑や政治献金問題、暴力団との癒着などが一気に表面化した。更に悪いことは重なるものなのか、息子の若手政治家、下崎 太一が冬山登山で消息不明になったそうだ。下崎 太一って大阪の政治家で、確か去年の大阪府知事選で落選した人だ。しかもこっちも秘書の殺害疑惑があるとか。とんでもない親子だな。これらの内容をまとめて特番が組まれた。このニュースは一日に何度もテレビの各チャンネルで放送されていた。ちなみに、ちょっと調べれば『政治家の秘書の自殺』(本当に自殺?)は日本では時々あるらしい。
あの夜は都内で大規模な捜査線が敷かれ、東京中に多数の検問所が設置されて交通渋滞が相当酷かったらしい。総理って警備がかなり厳重だと思うけど、それを突破できる実力の持ち主、しかもこの時期に裳着をしている人間に俺は心当たりがあるんだけど……まさかな。
総理殺害のニュースに世間の話題を持っていかれたけど、俺の家族、それから水南枝の家族は当然ながら教団のニュースに注目した。
報道は事件を正確に、中立公正に伝えるよりも売上や視聴率アップのため、視聴者が興味を引くように脚色される。つまり対象者を憎むべきか同情すべきか選択し、その方針に沿った、視聴者が共感を覚え感動するようなドラマに仕立て上げる。凪良さんは同情を集めるように報道された。
実際、凪良さんの立場、行動は視聴者に共感や擁護をしたくなるような要素が多かった。
借金のために暴力団に強要されたこと、しかも本人が未成年であることも同情を誘うけど、例えば
騙されたと分かった元信者たちは ―― もちろん恨む人間もいただろうけど ―― 概ね凪良さんに好意的だったらしく、無罪を求める署名が元信者たちから裁判所に送られたりした。『信仰』という魔法が解けてなお『女神様』には人望があったんだ。
驚いたことに、教団の打ち合わせ内容などの証拠を凪良さんは録音していた。つまり彼女は、始めから教団の行為を告発するつもりだったんだ。教団幹部の連中(ヤクザと詐欺師ばかりだったらしい)が「いかに騙すか」「どう搾取するか」を話し合っていた様子が音声データに録音されていた。それを凪良さんは法廷に提出したのだった。
更に、誰かから警察に送られてきた音声ファイル。マイクが九階の礼拝堂の
録音機に記録された「あたしは神じゃない」「助けて、ください」という凪良さんの涙声が、未成年のためボイスチェンジャーで変換されてテレビで報道された。
裁判ではこれらが情状酌量の根拠となった。また、詐欺について最後まで隠し通すことも可能だったのに、敢えて出頭、自白したことも、やはり裁判で有利になった。弁護士との話し合いで「きちんと罰を受けたい」と言った凪良さんは「無罪になって欲しい、と願う元信者たちの想いに応えてあげましょう」と弁護士に説得されたそうだ。
結果として凪良さんは無罪。この手の裁判としては判決までの時間はかなり早かったらしい。ただし、他の被告人の裁判はまだ終わっていない。と言っても被告人のほとんどが死亡。父さんの話では警察は暴力団同士の抗争だと考えているようだ。実際に
裁判所の出口で待ち構えていた記者たちもやってきた。ゴシップ誌などでは『薄幸の美少女女神様!』などと書かれていたな。
今日は快晴。空はどこまでも青く、明るい。
それは俺と凪良さんが闘った、あの雨の夜とは対照的だった。
「おめでとうございます!」
「やりましたね!」
記者たちが凪良さんを取り囲む。
「水南枝、こっち」
俺は水南枝の手を引いて一緒に下がった。俺たちは記者に囲まれた凪良さんを見守る。
「今の心境をお聞かせください!」
「えっと……」
記者たちに請われた凪良さんは何かを言おうとして詰まり、両手で顔を覆って、泣いた。
♦ ♦ ♦
夕暮れの街並み、西島通り。六車線の車道を家路へと急ぐ車が行き交う。その歩道に鈴ちゃんの兄の俊くんとおれは二人で立っていた。俺たちは小学生時代に会ったことを確認し合い、下の名前で呼び合うようになったんだ。鈴ちゃんが記者たちから解放されて、俺たちはファミレスに来た。参加者はいつもの四人組に凪良さん一家と俺の家族。ただ俺は、俊くんに「二人きりで話がしたい」と言われてファミレスの前にいる。
「茅汎は、鈴と殺し合いをしたんだな」
その件か。どうしよう? 俺は自分の選択と行為が間違いだとは思わない。でも妹を殺されかけた兄の気持ちは、俺も優弧がいるから分かる。謝った方がいいのかな?
「いや、責めているわけじゃない。二人とも譲れなかったのだし、お互い様だ。第一ぼくは君を責める資格がない。あの闘いはお互い極限状態だったそうだな。一瞬でも気を抜けば当ててしまうような
「えっと、それは……」
「誤魔化さなくていいよ。鈴が拾おうとした
バレていたのか。まあ、俺の目的は鈴ちゃんを倒すことじゃなくて、止めることだったからな。
「心身ともに限界まで疲労して、それでいて大きく外すでもなく、かと言ってうっかり当てることもない。相当な精神力だ、最初から最後まで勝てなかった、って鈴が言っていたよ。
君には色々と酷いことをしてしまった。すまない」
「俊くん、謝るのはなしにしよう。それこそ、お互い様だよ」
「分かったよ。でもこれは言わせてもらおう。ありがとう」
「借金を解決したのは俺の母さんだよ。俺は……無駄に暴れただけ。何も解決していない」
「そんなことない! 茅汎は鈴を止めてくれた。ぼくたちは、誰かに止めて欲しかったんだよ。
ちょっと茅汎? なんで君が泣くんだよ?」
「……ああごめんごめん。何もできなかった、って想いがあるから、そう言われて俺こそ救われたよ」
ただ、やっぱり母さんがいなければ根本的には解決しなかったし、これじゃ駄目だ。
「俺はもっと……みんなを護れるようになりたい」
〈茅汎様、「護りたい」という魂の渇望こそ『
〈そうなのか? それにしても、俺が『護る力最強』の
〈運ではありません。
〈そうなんだ。でも俺の能力って自分だけを護る力に思えるけど。第一、能力って打撃への耐性ぐらいだよな?〉
〈まさか? 『
〈俺次第なのか……〉
♦ ♦ ♦
「ということで、法定金利を大幅に超えた返済を続けたあなたたちは、完済したことになるの」
俺の母さんが鈴ちゃんの父親 凪良 健司さんに、もう返済する必要がないと説明していた。
「もっとも、債権者はいなくなったけどね」
そう言って、警察から受け取ったらしい借用書を健司さんに渡す。暴力団『大泊組』のメンバーは、事務所にいた組員が
「それで相談なんだけど凪良さん、これを五〇億で売ってくれないかしら?」
母さんが新たな書類を出して健司さんに渡す。
「それはもう、恩人の藤林さんのお願いですから五〇億でも、えっ五〇億ぅ〜⁉」
とんでもない金額が出たから俺も健司さんも書類を覗き込む。ビルの権利書?
「母さん、これって例の教団本部ビルの権利書?」
「そうよ。ヤクザって表に出れないから契約書なんかは別人の名義を使うでしょう? それで、逆らえない立場の凪良 健司さんの名義を勝手に使っちゃったのよ。馬鹿ねえ。それで、私たちには使い道が色々あるの。車庫に本棚にヘリポート、それからトレーニングジム。それより茅汎、あんた軟弱すぎ! 母さんがっかりよ。ジムを作るから鍛えなさい」
カルロスとかヤクザたちとあれだけの死闘を演じて軟弱なのか? ちなみに俺が闘ったことは我が家と凪良さん一家だけが知っていて、水南枝たちは知らない。後、『本棚』は我が家の隠語で銃火器などの武器庫を指す。
「お母さん。わたし、兄さんを甘やかしていたと思うの。これからもっと厳しくするわ」
「ありがとうね。優弧が頑張ってくれるから、母さん助かるわ」
今までの『地獄の日々』って甘かったの? まだ厳しくなるの?
「そうだ、ケーキを『北の人』に売ったお金で茅汎に
「……それはちょっと、遠慮する」
以前に
肘をつつかれたので振り返ると、俺の隣に座る水南枝が物欲しそうに言う。
「いいなあ。藤林くんRPG買ってもらったら? あたしとパーティー組もうよ!」
水南枝、
「ところで茅汎くん、あたしのことは『鈴ちゃん』って呼んでくれるよね。じゃあ、莉乃ちゃんとフミちゃんは?」
鈴ちゃんが妙なことを言ってきた。
「ふ〜ん、あたしたち、友達じゃないんだ」
水南枝がものすごく芝居がかった口調で、がっかりしたように言う。でも顔が笑っているぞ。鈴ちゃんがニヤニヤしている。遠塚さんまで顔が期待でいっぱいだ。もしかして、三人で示し合わせてしゃべっている?
……し、仕方がないな。
「り、莉乃」
途端に三人娘は互いに顔を見合わせた。嬉しそうだな君たち。
「すご〜い! 藤林くん、顔が真っ赤だあ!」
「うるさいなあ。水南、じゃなかった莉乃だって顔が赤いだろ」
「あたしは女の子だからいいの!」
「何でだよ? どんな理屈だよそれ? 納得できねえ」
「莉乃ちゃんも、ちゃんと呼ばなきゃ」
遠塚さんに言われた莉乃は一瞬
「……茅汎」
「……」
「藤林くん、言っても言われても顔が真っ赤だね」
「フミちゃんフミちゃん、あたしも言ったんだからフミちゃんも言わなきゃ!」
「あっ、そうか。えっとお、茅汎くん」
「俺もだな。文緒さん」
「何で『さん』付け?」
莉乃がそう言って鈴ちゃんと顔を見合わせる。
「えっと、何となく。文緒さんってお嬢様だし、そういう呼び方が似合うというか。別に遠慮しているとかじゃないんだ。文緒さんは不満だったりする?」
俺が訊ねると文緒さんは首を振り、
「こういうのって、何だか照れるよね」
そう言って柔らかく笑った。
さてと。
「ところで『俺には関係ないぜ』なオーラを全開で、思いっ切りそっぽを向いている橿 頼真! お前だよ。この状況から逃げ切れると思っているのか?」
スゲー嫌そうな顔で振り向く頼真。それを三人の少女が期待に満ちた眼差しで見つめる。頼真、タジタジになっているぞ。
「……鈴、莉乃、文緒くん」
早口言葉なノリで乗り切りやがった! また三人がお互いを見た。
「やっぱりフミちゃんだけ何か付くね」
「な、何となくだ」
だよな。そして鈴ちゃんが頼真に指摘する。
「うわあ、頼真くん、耳真っ赤だ!」
「面白〜い! じゃああたしたちの番だね。まずは鈴ちゃんから!」
「うん。頼真くん」
「ダメダメ! ハートマーク付けなきゃ。じゃあ、あたしが見本するね。ら・い・ま♥️」
……俺が頼真のことを羨ましいと思ったのは秘密だ。
「次はフミちゃん!」
「うん。えっと、頼真くん」
「ハートマークがないよ!」
「さすがにそれは、恥ずかしいよ」
「ふうっ、これで恥ずかしいゲームは終わりだな」
ぐったりと疲れた様子で頼真が訊ねた。それにしても、これだけ余裕のない頼真は珍しいな。
「何言ってるの頼真? これからもずっと続けるんだよ頼真。分かった頼真? ねえ聞いてる頼真?」
莉乃、どんだけノリノリなんだよ?
「あっ、そうだ茅汎!」
莉乃が俺に呼び掛ける。なんか怒ってる?
「鈴ちゃんを止めてくれたって聞いたけど」
「えっ、ああ」
話を聞いたのか?
「女の子相手に本気でケンカしちゃダメだよ!」
「えっ? ええっとお……すみません」
「そうじゃない! あたしじゃなくて、鈴ちゃんに謝るの!」
「分かった分かった……ごめんなさい」
仕方がないので鈴ちゃんの方を向いて謝る。鈴ちゃんは苦笑していた。あの日、俺たちは命のやり取りをした。莉乃の頭の中にあるだろう『本気のケンカ』とは世界が違う。
莉乃を見るとは無しに見る。裁判所では泣いていた莉乃も今は笑っている。美味しそうにプリンパフェを食べている。社会の闇とは無縁の、平穏な高校生活。
対する俺はヤクザと渡り合い、人を殺している。俺は……こんな汚れた俺は、まだ莉乃の傍にいることは許されるのだろうか? 考え込んでいると、莉乃と目が合った。莉乃がちょっとふくれた。
「うう〜、一口だけだよ」
渋々プリンパフェをこっちに寄せる。何で?
「どういうこと?」
「えっ? 茅汎、欲しそうにじっと見てなかった?」
「違う!」
俺たちのやり取りに、みんなが笑う。勘違いに気付いた莉乃は真っ赤になり、そして、やっぱり笑った。
しばらく食事とおしゃべりを楽しんで、俺たちはファミレスを後にした。問題をすべて片付けて、やっと肩の荷が降りたよ。
西島通りの歩道をみんなで歩く。俺の前で莉乃と鈴ちゃんが並んで歩いている。莉乃が鈴ちゃんの耳許で何かを囁いた。
鈴ちゃんは立ち止まった。
……泣いて、いる?
隣に立つ莉乃が鈴ちゃんの肩を抱き寄せる。
鈴ちゃん、君はもう苦しまなくていい。
文緒さんも頼真も、何かあれば俺が護る。
だけど莉乃、
俺は誰よりも、お前を護りたいんだよ。
もう恋人になることは望めないけど、また恋をするとか失恋とか、人間らしい人生を、青春を、堪能して欲しい。
命のやり取りなんて非人間的な世界を、決してお前に近付けさせない。
そのために決めたのが俺の『願命』だ。
頼真に
それでいい。
どうでもいいような些細なことで笑う。それでいい。そんな、平和な場所で笑ってほしい。平和ぼけとか、存分にやってくれ。その場所は俺が護る。
そのための覚悟はできている。
3×4‼ ―― 3 slots × 4 for wars ―― 音寝 あきら(おとねり あきら) @otoneriakira
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