第40話 母の叫び

 フィトは力の限り翼を打ち振り、空を舞う。相対するはオストコリナの兄弟。

「勝つのは、僕だ!」

 叫んだのはフィトだったか、兄弟だったか。

 兄弟が手をかざし、そこから無数の光の矢がフィトへ襲いかかった。フィトはぐんと上昇して避ける。そのまま剣を構えて兄弟目がけ急降下したが、氷の盾に阻まれた。


聖女マトゥナと邂逅するのは、僕だ!」

 二つの口から同じ声。同質の存在である兄弟たちが互いに争う。

 いや、二人はすでに異なる存在だった。

 地面から激しい勢いで水が噴き出した。フィトの身を捕らえようとするのを、彼は翼と体のバネを酷使してくぐり抜けていく。その間、兄弟は空中の位置を変えない。

 動のフィト。静の兄弟。剣術のフィト。呪術の兄弟。

 それは彼らを庇護した采女ウージナの違い。

 そして何よりも。


「君に、名前はあるか!?」

 フィトは叫んで問うた。兄弟が怪訝けげんな顔をして、一瞬翼の動きを止める。

「……僕も君も先駆けの子カイルド、同じその名だろう!」

 返ってきた答えに、デイアコリナの先駆けの子は大きく息を吸い、高らかに言った。

「僕の名は、フィトだ!」

 ロイファが付けてくれた、彼だけの名前だった。


 たじろいだように後退する兄弟を、フィトは猛追する。瞬時に距離が縮まり、フィトが振り下ろした剣を硬化した兄弟の腕が受け止めた。

 兄弟の赤い瞳はどこか不安定に揺れていた。

「それが……何だって言うんだ!」

 フィトの剣が強く掴まれる。赤い瞳同士、見つめ合う。

「僕たちは先駆けの子、生まれ、旅をし、聖女に邂逅して消滅する! それだけの存在じゃないか!」

「違う!」

 それだけなんかじゃない。

「僕たちは――」

 フィトは腕に強く力をこめる。剣を掴む兄弟の手に、ヒビが入っていく。

「愛し、愛されるために生まれたんだ!」


 愛している、フィトはロイファを、自分とは異なる存在である人間たちを、そして世界を愛していた。愛することを教えてくれたのは、彼の采女と随伴者アレシオたちだった。


「何を……世迷よまごとを!」

 兄弟がフィトを振り切って一気に上昇した。彼の手に見る見る雷光が集う。フィトはその兄弟めがけて一直線に飛んだ。

 雷の槍と煌めく剣が、上から落ちてくる兄弟と下から昇っていくフィトが、激突した。


 一瞬の交錯、紙一重の差。

 槍がフィトの左肩を抉ると同時に、剣が兄弟の胸を貫いていた。


「な――っ……」

 彼らの瞳のように赤い血が、空に散る。

 そしてフィトが剣から手を離すと、貫かれたまま兄弟は地へと落ちていった。

「先駆けの子様!」

 幼い声の悲鳴をフィトは聞いた。

 右手で肩を押さえる。左腕はもう動かないだろう。けれどもう動かす必要もないのだ。

「さよなら……僕の兄弟」

 呟いて、フィトは再び翼を強く打ち振る。


   ◇


 オストの采女は悲鳴を上げ、ロイファに背を向けた。すべてを捨てて彼女の先駆けの子へと走っていく。

 ロイファはそれを追うことはしない。ただ見送った。

 落下してくる白い影。受け止めようとした采女に激突し、二人はもろともに倒れた。

「先駆けの子様! 先駆けの子様!」

 抱いた相手へ、采女はすがるように叫び続けていた。


 そしてロイファは天を仰いだ。

 フィトが飛んでいる。血が見える左肩を押さえていたが、翼の動きは力強い。あの子が勝ったのだ。

 フィトの方へと、ロイファは歩き出す。一歩、二歩、さらにもっと。

 だが翼を持たない彼女は、フィトの隣に寄り添うことはできない。光り輝くようなその姿を振り仰ぐことしかできない。


 白く大きく広がる翼。同じく白く雷光を反射して煌めく髪。四肢と体はたくましく、背丈は既にロイファよりも高い。そして遠目でも分かる、宝玉のような赤い瞳。

 本当に、いい男になった。素晴らしい剣士になった。


 ロイファは胸一杯に息を吸い込んだ。

「フィト!」

 声を限りに叫ぶ。

「行っけえええぇぇぇ――――っ!」


 勝手に涙がこぼれ出す。彼女はそれを拭いもせずに、天を仰ぎ続ける。

 にじんだ視界の中でも、あの子が弾けるように笑ったのがはっきりと見えた。

「ありがとう! ロイファ!」

 返ってきた声。そしてあの子は彼女に背を向けた。


 飛んでいく、彼女から離れて、ただ一心にあの子の願いを叶えるべく。

 腕を垂らしたまま、彼女は拳を固く握りしめていた。涙は次から次へと目からこぼれ落ちる。

 ロイファは彼女が愛した「子供」の最期を、ひたすらに見つめ続けた。

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