第36話 逆襲と対決

「どうやってこの小屋から出るか、だ」

 ロイファは戸口を塞ぐ土壁を殴ったが、塗り固められたように堅い。

「ここからはやっぱり無理か……」

 ザントスと二人、小屋の中を見回す。窓もない石造りの小屋は、一見全く出口がないように見えた、しかし。

「だったら、あそこしかない」

 彼女は頭上を指さした。煙出しのために屋根に開いている、穴。


「大きさはギリギリ……行けるか?」

「行くしかない」

 ロイファはきっぱり断言する。ザントスもうなずいた。

 彼が真下へ行って手を伸ばしたが、

「ちっ、俺でもさすがに無理だ」

 ザントスの指と屋根まではかなりの距離があった。


 ロイファはあごに拳を当てた。

「だったらあたしがあんたを持ち上げる」

「お、おい?」

「心配するな、あたしは剣士だ」

 腕力はそこらの男よりはるかにあると自負していた。

「上に行ってから、あたしを引っ張り上げてくれ」

 ザントスはちょっとの間迷ったようだったが、

「……それしかねえか」

「決まりだな」


 ロイファは穴の下で片膝をつき、手を組んで前に出した。ザントスがその上に片足を乗せる。

 他人の靴に自分を踏まれる感覚。だが彼女が選んだことだ、全く気にならなかった。

「いくぞ、三、二、一っ!」

 ザントスが床を蹴って一気にロイファの手に体重を載せた。それを彼女は渾身の力で上へね上げる。

「はあっ!」

 骨がきしみ筋が切れるような音がしたが無視した。


 直後、頭上で鈍い物音が聞こえた。見上げるとザントスが穴に手をかけるのに成功し、自分の体を引き上げている。

 ひゅんと矢音が聞こえた。

「ロイファ!」

 屋根に上がりきった少年が、身を乗り出して手を伸ばしてきた。彼女に向かって、彼女のために。その手をロイファは取る。

「そらっ!」

 ぐんと宙に浮く。外へ、外へ、剣と矢の交わされる戦いの世界へ。

 彼女は屋根の上に転がり出た。


「狙え! 狙え!」

「くそっ、あんな所から!」

 下から聞こえる怒号。辺りは燃えるような夕焼けの光に包まれていた。

「行くぞっ!」

 彼女は立ち上がり、屋根の上を駆けた。思い切り跳ぶ。

「うわあ!」

 叫ぶ兵たちの頭を越え、背後に着地する。


「このあまっ……!」

 振り向こうとした兵をまず一人、袈裟掛けに斬って捨てる。流れるように剣を振り上げ、別の兵士の剣を叩き飛ばした。

 悲鳴をあげる相手にそのまま大上段から斬りかかる。相手は避けた弾みに転倒し、ロイファはその顔を思い切り踏みつぶした。ぐしゃりと鼻柱の折れる感触。

 違う兵が必死の形相で彼女の頭を狙って剣を振り回してくる。彼女は身を屈め、すかさずがら空きの腹へ突きを入れた。背まで貫かれた相手は絶叫する。

 その剣を引き抜き、彼女は動揺の色もあらわな周囲の兵たちを眺め渡した。

「次は、どいつだ!?」


   ◇


 ザントスは兵士たちに目もくれず、真っ先に兄の姿だけを探した。

 兵士の後方に兄はいた。闇色の暗い瞳がザントスを見ていた。

「キアネス!」

 ザントスは怒鳴った。

「ザントス……」

 兄もうなるように彼の名を呼んだ。

「なぜ、堕ちない……」

 そして絶叫。

「なぜお前は私の思う通りにならない!」


「冗談じゃねえ!」

 ザントスは駆けた、兄へ向かって。力一杯に剣を振りかぶり、振り下ろす。

「てめえの思い通りになんて、なってたまるか!」

 しかし予想通り土の盾に阻まれる。剣は勢いで盾を粉砕したが、その隙にキアネスは飛びのいていた。


「理解できない! なぜだ、なぜそんなにお前は……!」

 兄弟は、にらみ合う。先に動いたのは兄。

「灼きつく火、炎弾!」

 かざした呪札から火弾がザントスに向かって放たれる。

「ちっ……!」

 ザントスは横へ走る。火弾が追ってくる。

「てめえのほうが分かんねえよ!」

 ザントスは全力で弧を描くように駆け、火より速く兄に肉薄した。


「くっ、堅き鋼、鱗皮!」

 弟の剣を、硬化した兄の手が受け止める。そのまま掴まれ、間近な距離で二人は膠着こうちゃくする。

「なんで裏切った! なんであいつを……襲ったりした!」

「手に入れるためだ!」

 即座に兄は答えた。

「すべてを! 王位も何もかもを!」

「王位なんて元からてめえのモノだろうが!」

 息が飲まれた気配。そしてキアネスの顔が大きく歪んだ。ザントスが初めて見る表情。

「なんだ……と……」

「んなもん俺は欲しくねえ!」

 欲しいものがあるとすれば、あの赤毛の娘だけ。


「……お前には分かるまい!」

 歪んだ顔形のまま兄は絶叫した。

「すべてを持っているお前には!」

 ザントスは激しく突き飛ばされた。さすがに大きくよろけ、なんとか転倒だけは防ぐ。

 その間にキアネスは遠くへ下がっていた。

「私は……私は……」

 常に冷静だった兄が、激情を露わにしていた。

「お前のことが……ずっと……っ……!」

 言葉半ばで兄はザントスに背を向けた。「運ぶ風……!」呪術による高速移動を始める。見る見るうちに弟から、逃げていく。


「待ちやがれ!」

 ザントスは追おうとしたが、

「行くなザントス!」

 ロイファの声が聞こえた。振り返ると、一瞬彼女は首を横に振る。彼は舌打ちして兵士たちへ向き直った。

 まだ立っている兵は二人だけ、すでに逃げ腰。


 腹立ちのままザントスが振った剣を、兵の一人がかろうじて剣で防ぐ。しかしザントスは力ずくで押し、相手の肩から胸を斬り裂いた。絶叫は途中で途切れた。

 顔を上げると、ロイファももう一人を倒していた。

「ロイファ、怪我は?」

「あるわけないだろう」

 紅潮した頬で彼女はすばやく剣を鞘に収める。

「フィトに追いつくぞ、ザントス!」

「おう!」

 一気に駆け出したロイファの背を追って、彼も走った。

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