第4章
第26話 聖殿での出会い
先にはもう補給や宿泊のできる村はない。それだけに聖村からはふんだんな量の保存食を無償で持たされていた。
村を離れてすぐに、それまで比較的整っていた道が荒く、でこぼこしたものに変わっていった。
「この先に進むのは、
キアネスは慎重に歩を進めている。自然とロイファたちの進む速度は遅くなった。
「次の目的地はどこだい?」
ロイファは上機嫌で訊いた。
「それは……」
「
ザントスが答えかけたのにフィトの声が被さる。
「そこでもう一度、
「じゃあ、またフィトが大きくなるんだな」
「うん!」
先駆けの子は言葉だけでなく歩みまで弾んでいた。さらに大きくなれば、もうロイファと並ぶか、もしかすると超える背の高さになるだろう。彼女の胸も期待で膨らむ。
頭上の秋空は気持ちよく晴れ渡っていた。だが鳥の一羽も飛んでおらず、獣の声もしない。奇妙な静寂だけがそこにあった。
やがて道の周囲から木々が無くなり、草さえ見えなくなっていく。気づけば、岩山のような風景になっていた。
「なんか、嫌な感じだな……」
最後尾のザントスが呟いた。
「そうか?」
一向に気になっていないロイファは軽い調子で応じる。隣を進むフィトを見ると、彼は少し首を傾げるようにした。
「人間の世界から、離れていってるから」
不思議なことを言った。
「え、それって……」
会話に気を取られた彼女の足が大きな石を踏んだ。あっと思う間もなく前のめりになる。
転ぶと思った瞬間、けれどロイファはしっかりとした腕に支えられていた。
「大丈夫?」
心配そうに彼女をのぞきこむ、赤い宝玉の瞳。
「あ、ああ……ありがとう」
「うん」
彼はにっこり笑って、彼女が身を起こすのに手を添えてくれた。以前と立場が逆になっていた。
再び歩き出しながら、ロイファはまたフィトの方を見てしまう。彼は荒い岩と石ばかりの道を軽々と進んでいた。以前の弱々しかった歩みが嘘のような、確かな自信に満ちた足取り。彼女の「子供」は事実、目覚ましいまでの成長を遂げていた。
視線に気づいたのか、子供は彼女へと振り向く。
「お前が一人前になるのが、本当に楽しみだ」
二人は一緒に破顔した。
ロイファたちは険しい道を一日進み、日暮れの気配が漂ってきた頃に聖殿へとたどり着いた。
荒野の只中に、崩れかけた巨大な石柱が立ち並んでいた。昔は屋根だったのだろう瓦礫が石の床に積み重なっている。床にも縦横に亀裂が走り、人が落ちそうな裂け目も見られた。正しく、廃墟と言うべき場所だった。
「こ、こんなとこが聖殿なのかよ?」
戸惑ったようにザントスが周囲を見回した。
「そうだよ」
フィトが平然と答え、石段を数段登って聖殿に足を踏み入れていく。ロイファはすぐ後ろに続いた。
「
「まずは夜を待たないといけないんだ」
子供は空を見上げている。空も周囲も、徐々に暮れていって赤く暗くなりつつあった。
「じゃ、その間に腹ごしらえしよう。食料はたっぶりあるんだし!」
彼女はふくらんだ荷袋をぽんと叩いた。
ザントスは「灯りにする薪が周りにない」と騒いでいたが、夕日の最後の残照が消えると同時に石柱に青い光がともった。それぞれの柱に縦に四つずつ、聖殿全体が明るくなるほどの強い光だった。
「これは……呪術とも、また違うのか……?」
キアネスが調べ出すのを放っておいて、ロイファはフィトと座り込んで食事を始めた。
堅い干し肉ではなく、今日の
「帰りにまたあの村に寄るのが、あたし楽しみで仕方ないよ」
日中ずっと思っていたことを、彼女は口に出して言った。
「次もまた祭りをやってくれないかなぁ、昨日はほんとに楽しかった」
「黄金期も来るし、やるかもしれないね」
子供も笑顔でうなずいた。それを見ながら、ロイファは明るい未来に鼓動も気持ちも弾んでいた。
◇
無数の星が瞬き始め、夜空をすっかり覆ってから、フィトは立ち上がった。時間だと本能で分かった。
「何かするのかい?」
ロイファが訊いてきたのに、彼は少し困ってしまった。人間にどう説明すればいいのだろう。
「儀式……みたいな、こと」
「ふうん。よし、頑張れ!」
ロイファはたぶんよく分かっていない。それでも応援してくれるのがうれしかった。背中を押された気分で、フィトは聖殿の中央まで勢いよく走っていく。
石造りの床のちょうど中心だけは、ぽっかりと瓦礫がなかった。そこに彼は立った。
空を仰いで、時を確かめる。地へ俯いて、場を確かめる。それから彼は短刀を取り出し、まったく
「フィト!?」
ロイファの驚愕の声には応えず、彼は唱え始めた。
「我、デイアコリナの先駆けの子なり……」
太い流れのように落ちる彼の血が足下に溜まり、そして床に赤い線となって広がり始める。石に刻まれていた陣が、血によって浮かび上がりだす。
「
血の線は速やかに延び、複雑な文様を描く。枝分かれし、交わり、うねり、貫いていく。人の呪術ではない、これは、天の術。
「我求める、我を次へと進めることを」
彼は血を流す腕を、高く頭上へと差し伸べた。赤い滴が彼の頬にも散った。
「次の姿、次の心、次の魂、次の存在へと」
血液が失われるにつれ体が急速に冷えていく。襲ってくる
大量に流れた彼の血によってやがて陣が完成した、と同時に赤い強烈な光が足下から起こる。光の鋭さに閉じそうになるまぶたを、彼は必死にこじ開けた。
光は風圧を伴っていた。髪と服が、舞い上げられる。そして足の先から始まる、何かが組み変わっていく感覚。聖化。
彼は懸命に目を見開き、手を伸ばし立ち続ける。全身がきしみ、体内をさざ波のような刺激が走っていく。聖泉での聖化とは違った感覚。熱い。そして痛い。
そして突然、石柱の先端が閃光を放った。
青い光線が
現れたのは淡い薄桃色だった。春の花のようなやさしい色合い。それは渦を巻き、徐々に球状にまとまっていく。
完全な球が出来上がった時、その中に誰かの姿が浮かび上がった。
身を丸めた少女が膝を抱き寄せ、幼い子供が眠るように、目を閉じていた。長い髪が背後に広がり、漂っていた。儚く揺れる、今にもかき消えそうな、虚像。
彼は一目でそれが誰だか分かった。口から歓喜の声が勝手にあふれた。
「
彼の声が聞こえたかのように、少女のまつげが震えた。ゆっくりと、ゆっくりと、その瞳が開いていって。
花の色の瞳が、彼を見た。そして彼女の目元が口元が、ほほえんだ。
彼の身を何かが一気に貫いた。その正体の分からないものに突き動かされるまま、彼はさらに手を伸ばした。彼女に、触れたい――!
少女も腕を動かした。細く華奢な腕が緩やかに、彼のほうへ伸びてくる。
あとちょっと、もうほんのわずか手を伸ばせば、彼女と触れ合うことができる。
だがいきなり薄桃色の球が弾けた。ばしゃりと光の滴がフィトに降り注ぐ。
「待っ……!」
少女の姿はすでにない。
「待って、もう少し……!」
薄桃の滴を振り払って叫ぶ彼の耳に、本当にかすかな、幻のような声が聞こえた。
「……待ってる……」
立ち尽くした。青い閃光も赤い光も消滅し、急な暗がりの中で何も見えない。
「……待ってるから……」
少女の声の残響は、霞のように消えていった。
ふっとフィトの意識が突然遠くなる。膝をつき、その場に倒れた。
誰かが彼の名を呼んだのが聞こえたが、それよりも彼は少女の声をもう一度聞きたかった。
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