第24話 国境の聖村
翌朝早くにロイファたちは山を下り、都合五日かけてまた平野を進んだ。
山から離れるにつれ、徐々に周囲の光景が変わり出していた。生えている草木が奇妙にねじれていく。地面にごつごつとした石や岩の姿が増えていく。何より動物の気配が顕著に薄くなっていく。
ロイファの知る土地と、どこか異質の雰囲気が漂うようになっていた。
「ここ、デイアコリナの中なんだよな?」
つい疑問を口に出すと、後ろからザントスが答えた。
「まだデイアの中だぜ。でももう国境が近いな」
「えっ、他の国に入っちまうのか?」
焦って彼女は周囲を見回したが、
「違う違う、どの国でもない地域に入るんだ。その中心に
少年が明るく軽い調子で言うので、ほっと力を抜く。
「じゃあ、もう目的地が近いんだな!」
傍らのフィトへ笑いかけた。
「この調子なら、競争はきっとお前の勝ちだなっ。ノロンもグアラも負かしたんだし!」
だが子供は少し首を傾げた。
「でもまだ、オストコリナの兄弟がいる。彼にも勝たないといけない」
傍目に見ても、既に立派な少年剣士の
そんな彼女の
「フィトなら絶対勝てるさ!」
子供もうれしそうに相好を崩した。
「次に目指すのはどこだい? もう
「うん、でも聖化を受ける場所より先に、最後の村があるよ。この国を出る直前に」
「……そこが、最後の補給地点だ」
先頭で振り返らないままキアネスが言った。
◇
その「最後の村」に着いたのは、旅に出てから二十と三日目だった。平原のただ中にぽつぽつと建物がいくつか建っていて、煙突から煙を出している。そして村から数人の人影がロイファたちの方へやってくるのが見えた。
一瞬彼女は剣に手をやったが、フィトに「大丈夫だよ」と声をかけられる。
人相が分かるぐらい互いに近づいたところで、彼女は驚きに目をみはった。村から来た男女は、中年の者も若い者も、皆真っ白な髪だった。
村人たちは深々とお辞儀をしてくる。
「先駆けの子様と
年老いた男が朗々と述べると、フィトが止める間もなく前へ出る。
「
「はい、先駆けの子様」
子供は笑顔で振り向いた。
「行こう、ここならゆっくり休めるよ!」
それを合図にしたように他の村人が「お荷物をお持ちします」「さあどうぞ」とロイファたちに群がる。
「え、ちょ、ちょっ……」
まごついたロイファだったが、若い娘が彼女に手を差し出してきた。
「どうぞ、采女様」
長い白い髪を綺麗に編んだ、服装も晴れ着のように華やかな娘だった。刺繍と飾りのふんだんに使われたスカートが目を引く。
「お荷物を持たせてくださいませ」
まだためらいながら荷袋を渡すと、娘は笑顔でよいしょと持ち上げた。
長に先導され、ロイファたちは村に入る。わっと子供たちが駆け寄ってきた。その子らも白い髪。
「先駆けの子様だ!」
「采女様だ!」
わあわあと騒ぎながら周囲を駆け回られるのに、ロイファはややたじろいでしまう。村の他の大人たちも何やら忙しそうに立ち働きながら、ロイファたちへ礼をしてきた。
こんな辺境にある村なのに、村人の血色といい建物の造りといい、豊かに富んでいるように見えた。不思議な場所だった。
ロイファたちは村の中で最も大きな建物に招じ入れられた。それぞれ個室に案内されたが、ロイファとフィトは同じ部屋だった。
そこは大きな窓から明るい光が入る、広くて気持ちのいい部屋だった。
「湯浴みのご用意ができております、先駆けの子様、采女様」
待っていた年輩の女が言う。部屋の一角に素朴な
「一緒に入ろう、ロイファ」
子供が彼女の腕を引っ張る。その無邪気さに、彼女は微笑んだ。
「じゃあ、もらおうか」
革鎧の留め金を外し脱いでいくと、女が手を差し出し受け取った。武器や防具の扱いも分かっているような手つきだったので、ロイファはやっと安心してくる。
衝立に入るとフィトはぽいぽいと服を脱ぎ始めた。
「こらこら、服を放るな」
笑って言いながら彼女も服を脱ぎ、荷物を運んでくれた娘の手にフィトの分と共に渡す。そしてロイファとフィトは一緒に、大きなたらいの湯に身を沈めた。
「背中流してあげる」
「おっ、ありがと」
子供に背を向けると、柔らかい布が肌をこする感触がした。やさしく丁寧で、一生懸命にこすってくれている。
湯には小さな花が浮いていて、いい匂いがした。ついロイファはバシャバシャと湯を揺らし、匂いをさらに立てる。
ふーっと、自然に息が漏れた。旅に疲れた体が、弛緩していった。
「じゃあフィト、次はあたしがやってやろう」
くるっと彼女は振り向き、子供から布を受け取った。その白い肌をこすってやる。くすぐったいのか、フィトは笑い声を上げた。
「お前も大きくなったなぁ。腕や足にも筋肉が付いてきた」
こすりながら確かめていくと、肉はしっかり硬い。鍛えられた剣士の体に、子供はなりつつあった。ぐんぐんと育っていく子供。
「僕、ロイファみたいに強くなれる?」
「あはは、このままいけば、お前はあたしより強くなるよ」
「やったぁ!」
互いの笑い声が弾けた。温かい湯。暖かい空気。思わず彼女は、フィトの体を抱きしめた。言葉が口をついて出てくる。
「お前をあたしが育ててやるよ、素晴らしい剣士に」
この子を、自分が育てよう、導こう。明るい未来へ向かって。
フィトも彼女へ振り向いて、輝くように笑っていた。
湯から上がると、白い清潔な布が衝立の陰から差し出された。二人はまたはしゃぎながら背中を拭き合う。
「お着替えをご用意させていただきました。もしよろしければ、こちらを……」
さらに差し出されるので、せっかくなので受け取って身につけていく。だが、
「あれっ……」
「あっ、お気に召しませんでしたでしょうか?」
娘の慌てた声が上がる。それにすぐに答えず、ロイファはしげしげと渡された服を見つめた。
華やかなスカートだった。娘が着ていたのと同じような、ひらひらとした装飾やきらきらした刺繍がされている物。赤や桃色、黄色の色彩が踊っている。
ロイファにとって、戦士団に入れられて以来ずっと、完全に縁遠かったような服だった。
「きれいな服だ。ロイファに似合うよ!」
「え……そうか?」
彼女は戸惑ったが、子供は大きく大きくうなずく。
「赤い髪によく合ってる。それに僕とお揃いだよ」
彼が既に身につけたズボンも赤や黄色で彩られていた。ロイファは自分の顔に段々と笑みが戻るのを自覚した。
「よし、お揃いになるか!」
彼女も手早く服を着る。衝立から出ると、ちょうど入ってきた女が微笑んだ。
「まあ、お似合いですよ」
「この村の晴れ着なのです。こんなに先駆けの子様と采女様に似合うなんて」
娘も頬を上気させて言ってくれた。
ロイファはスカートを軽くつまんで持ち上げる。少し奇妙な気分だった。まるで、剣士ではなく「女」になったような。
――いや違う。彼女は子供を見下ろした。彼も彼女を見てにっこり笑う。自分は、この子の、「母」だ。
そこに太鼓の音が聞こえた。
「何をしてる音?」
「今夜は祭りが開かれるのです。先駆けの子様と采女様のご到着と、
そう、黄金期が来る。この旅が終わり、フィトが
ロイファはゆっくりと笑みこぼれていった。
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