第22話 憎悪と混乱

 視界の端に見えた白光にキアネスは思わず振り向いた。光の球に包まれて子供が立っている。明らかに身長が伸びていて、輝く剣を握っていた。


「間に合ったのか……」

 呟いたキアネスに殺気が迫った。彼はすかさず呪札を投げる。

「切り裂く刃! 風渦!」

「ぐわっ……!」

 剣を持つ腕を裂かれたグアラの随伴者アレシオは数歩後退した。その隙に、キアネスは呪札を地に打ちつけて土の壁を作る。

 しかしキアネスの意図は読まれ、もう一人の随伴者が真横から斬り込んでくる。

「ちっ、穿つ先端、氷弾!」

 キアネスが放った攻撃は、相手の剣に切り払われた。やむを得ず呪札を立て続けに使って弾を連投する。


 剣戟の音が響いている。光をまとった二人の先駆けの子カイルドが激しい攻防を繰り広げていた。しかしグアラの子供は見るからに逃げ腰になっていた。

 そして先駆けの子と切り離されたグアラの采女ウージナを、苦しげな顔のロイファが猛然と押している。

 これなら、自分とザントスで男たちを倒せば。そうキアネスが思った時だった。


 二人の男が同時に彼に向かってきた。

「切り裂……風……!」

 焦った不完全な詠唱で起きた風は弱く、男たちを止められない。とっさに頭をかばった右の上腕と下腕を深く二本の剣が裂いた。走る激烈な痛み。

「ぐっ……!」

 後ろへ跳び、さらなる攻撃は避けた。だが右腕は激痛と流血で、もう使えない。キアネスは震える左手で札を握りながら、弟の姿を目で探す。

 ザントス、助け――。


 だが弟は彼に背を向けていた。

「ロイファ!」

 赤毛の娘に炎が降り注いでいた。弟は、その彼女を助けるために駆けていった。

 キアネスを見捨てて。


 彼の脳裏で何かが弾けた。

 視界が暗転する。世界が闇に包まれる。闇の中、ほんのわずかの間、キアネスは静止した。

 そしておもむろに口を開いた。

「処罰する火、抹消する火……」

 背で自分の髪が広がるのを感じた。襲いかかる剣は見えていなかった。

「燃え上がる鋼……業炎」

 瞬間、キアネスを中心に火炎の柱が立ち上がる。火柱は二人の男を飲み込んで太くなり、瞬く間に噴き伸びてザントスへロイファへ向かった。


 消えろ。


 驚きに目を見開いている弟と娘に巨大な火は迫って。

 そして、ほんのわずかだけれて。

 グアラコリナの采女を飲み込んだ。


「ぎゃあああああ――っ……!」

 采女の悲鳴は半ばで途切れた。

 それを聞いて、ふっと糸が切れたように、キアネスは意識を失った。


   ◇


 何かがはぜるような音が聞こえてくる。彼の意識はゆっくりと闇の中から浮上して、やがて覚醒した。

 キアネスはひどく重いまぶたを開ける。周囲は赤みを帯びた光で包まれた、小屋の中のようだった。

「気がついたか?」

 娘、ロイファの声がした。

 右手を動かそうとして激痛が走る。見れば、血のにじんだ布が巻かれていた。彼は左腕だけを使って起き上がった。


 石造りの床と壁だった。床に敷かれたマントの上に彼は寝かされていたようだった。中央でたき火が盛んに燃えていて、煙が屋根の穴へ上っていた。

 壁に窓はなかったが戸口が大きく開かれ、夕焼けの光が中まで差し込んでいる。戸口の向こうに見えるのは暗くなり始めた木々と、泉。

「ここは……聖泉リーナのほとりか」

「そう、こんなおあつらえ向きの小屋が立ってたんだよ」


 徐々に、キアネスは状況を思い出す。左手で額をこすり、そのまま顔を覆った。

「お前は……ザントスは、無事だったのか……?」

「あんたのおかげでな」

 ロイファは軽く答え、枝をたき火へほうった。また火のはぜる音。

「グアラの采女はまず助かってないな、あれじゃ。

 采女が欠けたらもう聖樹カルフへの競争には負けなんだろ? あんたのでっかい呪術のおかげで、あたしたちは勝てたんだな!」


 どうして。キアネスは信じがたい思いで自問した。なぜ、自分は弟とこの娘を助けたのか。なぜ、殺さなかったのか。

 良い機会だったはずだ。オストコリナとの契約通りに、裏切りをするための。憎いザントスを殺し、同時に采女であるロイファも殺す。あの場であれば、ロイファが死んだ時点でグアラの一行は満足して去っただろうし、デイアコリナ本国へはグアラに倒されたと説明してしまえば済む。

 どうして、自分はザントスを助けた。分からない、分からない……。混乱の中、キアネスは深くうつむいた。


「髪、ずいぶん短くなっちまったなぁ」

 突然ロイファが言った。彼は一瞬何を言われたのか分からなかったが、はっと気づいて自分の髪を見た。腰まであったはずのものが、背の半ば程度にまで短くなっていた。

「……呪札を使う余裕が、なかった」

「でも本当に助かったよ」

 ロイファは明るく言った。彼が激しい動揺の中にいることに、気づいた様子もない。


 そこへ戸口に先駆けの子が現れた。

「水、汲んできたよ」

「おー、ありがと」

 ロイファが立とうとしたが、

「てっ……!」

「大丈夫っ?」

 焦ったように子供が飛んでくる。一拍、二拍置いてから、キアネスは顔を上げて彼女を見た。

「……治癒術を、使うか?」

「あー、あはははは、頼む」

 再びロイファは座り込む。


 彼は懐の札を探ったが、残りはわずかだった。それで荷袋を左手だけで開け、白紙の札を取り出す。

 短刀を抜き、右の指先を切った。痛みを表情に出さないように気を張りながら、呪陣を描く。そして完成した二枚の札を持ち、ロイファの方ににじり寄った。

「輝く月光、あふれ満たす水……」

 詠唱と共に札が光の粒子となって消え、キアネスとロイファの体を包む。すっと彼の右腕から痛みが引いていった。


「いやあ、何度されても気持ちいいな、これ。ありがとう!」

 娘の笑顔が奇妙にまぶしく感じ、キアネスは視線をそらした。

 呪を使って感謝されることなど、彼はそれまでなかった。彼の呪は、彼のためのものだった。それなのにこの娘は。

 キアネスは彼女から遠ざかり、小屋の隅に座り込んだ。

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