第21話 聖泉の攻防

 丸七日近く、グアラコリナの再襲撃を警戒しながら進んだ。

 ロイファから見れば最も警戒すべきは宿屋で休んでいる時だったが、王子たちによれば「先駆けの子カイルドが他国の一般の民を攻撃するのも、規定デオネに違反することになる」ので、村に入っている間が最も安全らしかった。

 しかし村に籠城していては聖樹カルフを目指す旅に勝つことはできない。彼女たちはフィトの体力の許す限り旅路を急いだ。


 平野を渡るように続いていた道が、次第に山へと近づいていた。ロイファが王都へ行くまでに二度ほど越えたのと同じ程度、急峻というほどでもない高さ。けれど子供のことを思って、つい疑問の声が出た。

「もしかして、あの山を越えるのか?」

 フィトの足は強くなってきていて彼女が背負う時間も減ってはいた。しかし山を登る道はどうしても子供にはつらいだろう。

 先頭のキアネスは低い声で答えた。

聖泉リーナはあの山の頂上近くにある。迂回することはできない」

 ロイファの眉がぎゅっと寄った。すぐ隣を歩いている子供を見下ろす。

「フィト……頑張れるか?」

「うん!」

 彼女の心配と裏腹に、元気一杯の返事が返ってきた。


「きつくなったら、いつでも俺が背負ってやるから」

 後ろからザントスが言ってきたが、フィトは首を横に振った。

「ううん、ロイファがいい」

 彼女は思わず唇をほころばせた。

「そうか。つらくなる前に言うんだぞ」

「うん」

 気配に背後をちらりと見やると、ザントスはすっかり肩を落とした風だった。


 昼過ぎから踏み込んだ山道は、ロイファの予想よりさらに険しかった。ほとんど獣道に近い、下草に覆われかけた細い道。足元にも大きな石や倒木がいたる所に転がっている。

「ちっ……」

 道を塞ぐように張り出した枝を、キアネスが無理に押しやりながら進んでいた。

「俺が先頭、替わろうか?」

 ザントスが言い出したのももっともだった。しかしなぜかキアネスはためらう様子を見せた。ややあってから、やっとうなずく。


「いよっしゃー、いっくぜー!」

 少年は剣を抜く。それで邪魔な枝を切り払おうというのだろう。

「……待て、ザントス」

 急に呪士の男は呪札を取り出して、詠唱した。

「剣の強度を、増した」

「おっ、ありがとう兄上!」

 弟の屈託のない笑顔に、だが兄のほうは顔を背ける仕草をした。

 この兄弟はあまり仲が良くないらしいと、ロイファにも既に分かっていた。性格が違いすぎるせいだろう、よくあることだ。この旅に差し支えが出なければそれでいいと、彼女は思った。


 そして旅の中心であるフィトを見れば、彼は頬を真っ赤にして必死に山道を歩いている状態だった。

「大丈夫か、背負ってやろうか?」

「ううん……もう少し、頑張る」

 本当にこの子は強くなった。だが殿しんがりに下がったキアネスが、少し上がり始めた息で言った。

「いや、そろそろ背負え。あまりぐずぐずしては、いられない」

 ロイファが振り返ると、キアネスは「グアラコリナの襲撃がいつまたあるか分からない」と続ける。


 子供は不服そうな顔で彼女を見上げてくる。仕方ないとロイファも判断し、白い髪をなでてなだめた。

「お前がまだ歩けるのは分かっているよ。……あたしが背負いたいんだ」

「そうなの?」

 首を傾げる子供の表情がかわいらしくて、ロイファは身を屈めてまた頬ずりをした。

「そうさ」

「じゃあ、いいよ」

 ふと視線を感じて彼女は目を上げた。

「なんだ? ザントス」

「い、いや、何でもねーよ」

 ザントス少年は慌てたようにそっぽを向く。フィトがどんどん愛嬌のある子供になってきたことに、彼も驚いているのだろう。

 ロイファは満足感にうなずきながら、彼女の先駆けの子を背負う。


 しばらくはザッザッという彼女たちの土や草を踏む音だけが続いた。山のふもとでは左右の森から聞こえていた鳥の声も、気づけば消えていた。日没まではまだ時間があるのに周囲の気温も下がってきていた。

 そしてひときわ険しい急斜面を、息を弾ませながら登る。

「ここを越えれば……おそらく……」

 キアネスの掠れた呟き。さすがのロイファも疲労が溜まっていたが、フィトの前では弱音は吐けない。

 やっと斜面が終わり、目の前に小さな平地が広がった。ほっと一同は一息つき――


 その隙を狙って、礫が彼らに降り注いだ。

「あっ……!」

 押し殺した悲鳴がロイファの背で上がる。とっさにロイファはフィトを背から下ろし、上から被さった。

「くそっ!」

 抜刀したザントスが彼女を襲う石をはじき返す。

 風が巻き上がり、グアラコリナの一行が木々の陰から姿を現した。浮かんでいる無数の石。


「やっと追いついたわよ! デイアコリナ!」

 高らかな声。

「ロイファ、走れ! 聖泉に先駆けの子様を浸すんだ!」

 ザントスが叫んだ。ロイファが目を走らせると、平地の中央に小さな泉があった。風に吹き乱されている水面。

 ロイファは子供の体を抱えて走り出した。


 背後から礫が襲ってくる。頬を切り、背に突き立つ。

「くっ!」

 それでも走る彼女に、

「させない! 大いなる地! 土鳴!」

 甲高い少女の声が上がっていきなり地面が激しく波打った。

「なっ……!?」

 たまらず転倒する。かろうじて腕の中の子供を庇い、したたかに身を打ち付けた。足の骨から嫌な音がした。

「ロイファ!」

「行け、フィト!」

 子供の体を前に押し出した。瞬間立ち尽くした子供は、それでも泉に向かって走り出す。

「この子は……あたしが護るんだ!」

 激痛が走る体を無理に起こし、立ち上がる。両手足を広げ、踏ん張った。

「来るなら、来いっ!」


   ◇


 聖化ドシウ、聖化を、早く。

 フィトは駆けた。石が体をかすめる。

 ロイファを護らなきゃ。僕が、僕が、ロイファを護るんだ――!

 地面がまた波打ち、足を取られて転ぶ。突いた手を鋭い礫が貫いた。

「……!」

 歯を食いしばり悲鳴を殺す。無理に石を引き抜いて立ち、進もうとしたところで背を衝撃が襲う。全身を駆け巡る灼熱の痛み。

「フィト!」

 ロイファが叫んでいる。フィトはうつぶせに倒れた。

「とどめよ!」

 高い声が詠唱をつむぐ。それを聞きながらフィトは倒れたまま必死に這った。聖泉へ、聖なる水へ。


「焼き尽くす火、暴炎!」

 詠唱の完成と、フィトの指先が水に触れるのが、同時だった。

 温かい。

 瞬時にフィトの指、手、腕、体全体が水に包まれた。

「しまっ……!」

 何かが爆発する音がほんのかすかにだけ聞こえた。そしてフィトの体の中に水が染み込んでくる。


 すぐに水はフィトを満たし、内側からフィトの身を押し始めた。気持ちいい。少しくすぐったい。

 指が水の中の何かに触れた。その温かさに引かれて手を伸ばし、掴む。

 いつの間にか上下が回転し、フィトは地面に立っていた。光にあふれた世界が彼の前に広がっていた。ああ、気持ちいい。

 聖化を受けた先駆けの子は、手にした剣を正眼に構えた。

「勝負だ! グアラの兄弟!」

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