第20話 他国の子供
相変わらず旅路の天気は良かった。フィトも当初とは打って変わったしっかりとした足取りになり、自分で歩く距離がぐんと長くなった。一行の進み方も速くなる。
「辛くなったらすぐに言うんだぞ、背負ってやるからな」
「うん」
そんな会話をしながらも、子供はロイファの歩く速さにきちんとついてきた。
旅に出てから十一日目、木や丈の高い草が疎に密に生えた林に差しかかっていた。きらきらと水面が輝く小川のほとりで小休止する。フィトは自分で水を汲んだ。
「お前は水が好きだなぁ」
そよ風に乱された白い髪を直してやりながら、ロイファは話しかける。
「うん。食べ物や飲み物の中で、水が一番好き」
子供は明らかに、口数も増えていた。
「そういや、今まで辿ってきた道でも飲めるような水場が多かったな。そういう道を選んだのか?」
ロイファはキアネスへ向かって訊いたのだが、ザントスが横から口を出した。
「進む道は決まってるんだ。細かく言い伝えられてる」
「
「いや、寄らないといけ――」
少年の言葉の途中、殺気を感じて彼女は跳ね立った。直後に
「焼き尽くす炎、吹きすさぶ風……!」
キアネスが早口で詠唱し、呪札をつぶての源へ放った。木立が一気に炎上し、そこからばらばらと人影が走り出る。
そのうちの一人の姿にロイファは目をみはった。白い髪、赤い瞳。
「デイアコリナの一行! 覚悟しなさい!」
甲高い声を上げた長い金髪の少女、その後ろに隠れるように子供がいた。フィトとそっくりな容姿、だが少し年上の十二、三才に見えた。
「グアラコリナの兄弟……!」
ロイファの
「ちっ、グアラの先駆けの子一行か!」
ザントスが怒鳴り、抜刀する。
先駆けの子を兵が襲うのは
敵は四人、先駆けの子と
「ふんっ、返り討ちにしてやるっ!」
ロイファの挑発に応えて少女がまた叫ぶ。
「お前たち、早く殺しておしまいなさい!」
命令を受けた男たちが地を蹴った。
向かってきた男の突きをロイファは剣を思いきりぶつけてそらす。途端に相手はよろめいた。即座に剣を跳ね上げ首を狙うと、男はもつれた足で大きく退く。こいつ、弱い。
一気に攻めようとした彼女はしかしとっさに後ろへ跳んだ。鼻先を拳大の石がかすめた。視線を飛ばすとグアラの采女と先駆けの子の周囲に、数え切れないほどの石が浮いていた。
「生み出す大地、包み込む大気……」
甲高い声とそれを追いかける弱い声が詠唱していた。石の群が生き物のようにうごめく。
ハッとロイファは下がり、背後にフィトを庇った。同時に礫が矢のように彼女たちを襲った。
「くそっ……!」
剣を懸命に振るい石を
「ロイファ!」
フィトの悲鳴。
「あたしの後ろにいろ、フィト!」
礫の雨は明らかに子供を狙っていた。
「もらった!」
隙を突くように男の剣が彼女の胴を狙う。ぎりぎり柄で受けたが、同時に礫が太股をえぐった。
「てめえ!」
少年の怒声が聞こえ、男を猛烈な水平斬りが見舞う。回避できなかった男の腕に剣が食い込んだ。
「ぎゃあああっ!」
その間にも礫の雨はロイファとフィトを襲っていた。剣で弾くのが追いつかない。彼女の体を次々と石の刃が裂いていく。
ロイファたちは徐々に押され、川間近まで追いつめられていた。ザントスが男二人を同時に相手している。ロイファの後ろにフィトと、キアネス。
キアネスは何してやがる!? 声を上げかけた彼女の耳に、低い歌うような声が聞こえてきた。
「波打つ水、閉ざす氷、沸き立つ泡……」
ごく小さな声で詠唱している。
一方、グアラの采女と先駆けの子は互いに手をつないで、声をそろえて詠唱していた。周囲に浮く石は無尽蔵に生み出されているかのようで、限りが見えない。
ふくらはぎを抉られ、とうとうロイファは膝を突いた。また悲鳴を上げる子供に彼女は覆い被さる。背中に突き立っていく石の刃。
「兄上!」
ザントスが怒鳴るのとほぼ同時だった。
「……延びる牙、氷蛇!」
バリバリバリという轟音が川から起きた。
顔を上げたロイファの目前で小川が一面凍りついていき、中央から太い氷柱が立ち上がる。瞬くより速く氷柱は伸びて、槍のような先端がグアラの采女を襲った。
「きゃああーっ!」
鮮血が飛んだ。少女の肩が貫かれていた。
「采女!」
先駆けの子の絶叫。彼の詠唱で瞬時に氷柱は消し飛んだが、采女の体はその場に崩れ落ちる。
「逃っ……退くわよっ……!」
先駆けの子に抱きかかえられた采女の叫びに、男二人もロイファたちに背を向けた。
ロイファたちにも追撃する余裕はなかった。
「ロイファ、ロイファ、大丈夫?」
涙混じりのフィトの声。彼女は無理に微笑んでみせた。
「平気さ、これくらい」
立ち上がろうとするが、また膝が折れる。
「兄上! 治癒術を!」
ザントスが胸ぐらを掴みかねない勢いでキアネスに迫っている。淡々とした顔のままロイファを見た黒髪の男は、呪札を一枚取り出して彼女にかざした。
「巡る水、潤す水……」
札が光の粒子になって消えると同時に、ふっとロイファの体が軽くなる。何かが体内を駆け巡る感覚があって、見れば傷はふさがっていた。
「へえ、すごいな……」
キアネスが眉を上げた。
「治癒術を受けたことがないのか?」
「ああ。戦士団には呪士なんて選良はいなかったからな」
自然と、キアネスを見上げる彼女の目に尊敬の念がこもった。
「ありがとう」
「……あ、ああ……」
黒髪の男は戸惑ったように視線をそらした。それを気にせず、ロイファは今度こそ立ち上がる。
「フィトは? 石が当たってないか?」
「大丈夫、ロイファが守ってくれたから!」
子供は彼女の腰にしがみついた。
「僕も戦えたら良かったのに……治癒術が使えたら良かったのに……」
笑って彼女は子供の頭をぐしゃぐしゃに撫でてやる。
「いいんだよ。お前を護るのが、あたしの仕事だ」
フィトが見上げてくる。赤い、宝玉のように輝く瞳。
「ロイファは強い。僕、ロイファのことが好き」
彼女は目を丸くして、それから破顔した。
「あたしもフィトのことが大好きだよ」
子供の体を抱え上げ、その頬に自分の頬をこすりつけた。互いの笑い声が弾ける。
そこへ、
「……そろそろ移動しようぜっ。あいつらがまた来るかもだしっ」
ザントスが余計な水を差してきた。
「ああ、この場に長居は無用だ」
兄王子も同意するので、仕方なくロイファは子供を下ろす。だが離れがたくて、手をつないだ。フィトもうれしそうに手に力をこめてくる。
再び一行は道をたどり出す。幸い、ロイファとフィトが手をつないだまま歩けるくらいに道幅は広かった。
「先駆けの子と采女の絆、か」
黒髪の呪士が呟いたのに、ロイファはグアラコリナの子供と少女の様子を思い出した。
「あいつら、二人で一つの呪術を使ってるように見えた。そんなこと出来るのか?」
「ああ。肉親や夫婦といったよほど近しい間柄の者でなければ、まともに呪式を構成できないが――」
ちらりと男は振り返った。
「先駆けの子と采女の関係は、さしずめ母子にも等しいということだろう」
フィトに目をやると、彼もロイファを見ていた。にこっと笑い合う。
「あ、もしかしてグアラの子供が呪士で、フィトが剣士になりたがってるのは……」
「先駆けの子は采女と同じ戦い方をするものだ。伝承でも」
彼女は誇らしい気持ちで胸がふくらんだ。フィトは自分を見て、剣士を目指しているのだ。
「グアラの子はフィトより年上に見えた。生まれたのが先なのか?」
「いや、生まれたのは全員同時のはずだぜ」
ザントスが口を挟んだのを引き取って、キアネスが続ける。
「あちらはおそらく、既に
「何だそれ?」
「聖樹に至るまでに立ち寄らなければならない二カ所、
ふーんとロイファは首をひねった。
「よく分かんないけど、そこへ行けばフィトも背が伸びるってことだな!」
「そういうことだ」
変わらず淡々とした男の声。対して、弾んだ声がロイファの横から上がった。
「聖化を受ければ、ロイファみたいに強くなれるかな」
彼女はにっこり笑って子供を見下ろした。
「もちろん、きっとそうさ!」
「聖泉はここから近いはずだ。急ぐぞ」
キアネスの言葉に、自然と一行の足は速まった。
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