第3章

第19話 小さな剣士

 気持ちの良い朝だった。地平線から現れたばかりの太陽が輝いている。夜明けと同時に目が覚めてしまったロイファは、宿の裏手で剣の素振りをしていた。剣が空気を切る音が、静寂の中に響く。

 あの子を、名付けたばかりのフィトを、自分が護らなければならない。そのためには強くあらねばならない。想いの分、素振りに熱がこもる。


 そこへ澄んだ声が聞こえた。

「ロイファ!」

 振り返ると、小さな白い子供が駆けてきた。

「おはよう、フィト」

「おはよう! 剣の稽古?」

「そうさ」

 赤い瞳が朝の日差しを受けて輝いているのを見て、ロイファは目を細めた。

 ところが子供は意外なことを言い出した。

「ねえ、僕もやりたい」

 彼女は驚き、そして戸惑った。

「でもお前、疲れて熱まで出しちゃったじゃないか」

「もう大丈夫。できるよ!」

 しかし。どうしたものか。


 ロイファが迷っているうちに、また声がした。

「おっす、ロイファ!」

 ザントスまで宿の裏手にやってきた。今日は一体どうしたことだろう。

「なんだ、お前にしちゃずいぶん早起きだな?」

「う、うっせー! 俺だってやればできるんだ、お前には負けねえ!」

 ザントスは顔を真っ赤にして大声を出した。何やら張り合われているらしかった。前日襲撃を受けたことで、彼も何か思うところがあったのだろうか。

 しかし金茶の髪が微妙に乱れたままで、ちょっと間が抜けている。無理して飛び起き飛び出してきたのがありありと分かった。


「おはよう、ザントス」

 子供が自分から挨拶をする。それで初めて、ザントスも子供を見下ろした。

「あ、ああ、先駆けの子カイルド様もいたのか。おはよう」

「先駆けの子じゃもうないぞ、フィトだ」

 ロイファはここぞとばかり口を出す。

「あ……うん、フィト」

 彼は口ごもるように言い直して、ロイファと子供を交互に見た。

「何してたんだ、二人で?」

「何って……」

 思い出してまた彼女は困る。


「ねえロイファ、いいでしょう?」

 ねだるように、甘えるように子供が彼女の手を握ってきた。それでついつい彼女も、子供の言うことを聞いてやりたくなる。考えを巡らし、ふと気づいた。

「なあザントス、剣を訓練するいい方法、知らないか? この子、やりたいって言うんだよ」

「えっ?」

 少年は一瞬瞬いたが、すぐに顔を輝かせた。

「任せろ! 近衛団直伝のがあるぞ!」

「体力ない子でもできるやつだぞ?」

「ふっふっふ、いいとこの虚弱ボンボンが最初にやらされる訓練だ!」

 いいとこのボンボンはお前だろうとロイファは言いかけたが、前日のことを思い出して口を閉じた。彼の取った行動は。彼が少なくとも虚弱には当たらないとはっきり示していた。


 そのザントスはやたら張り切った様子で、立木まで走っていって枝を折って戻ってくる。

「ほら、これを持て」

 フィトは素直に受け取り、ロイファの方をうかがってくる。

「ザントスの言うこと聞いて、やってみな」

 彼女は子供の頭をなでる。


「見てろよー、まず……」

 ザントスは自分の剣を抜いて構えた。右手に持った剣を顔の高さに掲げて切っ先を前へ向け、左手は腰の後ろに付ける。フィトも同じ格好をした。

 ザントスが右足を踏み出し、同時に剣を振り下ろす。フィトが同じ動作をする。

 次は柄を上に、切っ先を下にしながら剣を頭の左に引きつけた。左足を右足の横に動かし、そしてまた右足を踏み出しながら剣を振り下ろす。えいっと声を出しながらフィトも剣を振った。


「おおフィト、様になってるじゃないか」

 ロイファが感心して声をかけると、子供は頬を少し紅潮させてうなずいた。

「よし、繰り返しやってみな」

 それでザントスも脇に下がり、あとは細かく子供の動作に指示を出し始める。

 フィトは前を見つめながら、えい、えいと剣を振る。白い頬にどんどん血の気が差し、健康的な色になっていった。


 子供は筋が良いように見えた。腕の動きのキレ、胴の安定感、歩の幅や勢い。数日前にロイファが剣を貸して素振りさせた時と比べて、雲泥の差だった。教え方の違いか、それとも。

「なあ、ザントス」

「何だ?」

 少年は勢いよく振り向いた。

「この子はどうして、時々光るんだろう? 何が起きてるんだ?」

「んーと、伝承によれば……」

 彼は首をひねりながら、思い出すように目をさまよわせる。

「光るのは成長の証しで、先駆けの子に成長をもたらすのは采女ウージナ……って聞いた」

「あたしが、フィトを成長させる?」

 彼女はびっくりした。再び子供を見る。そう言われてみれば、フィトが光を放つのはいつも、ロイファと何かあった時のような気がした。

「それだけお前は重要ってことさ!」

 うんうんとザントスは隣で一人うなずいている。


「……不思議な子だ、フィトは」

 彼女が呟くと、子供は動きを止めて振り返った。

「ね、これでいいの?」

 上気した頬。

「ああ、上出来だ」

 ザントスが言うと、フィトは笑顔になって剣の代わりの棒を掲げた。

「僕、ロイファみたいに強くなる!」

 はっと彼女は息を飲んだ。胸を突かれたように感じた。


 ロイファはなりたくて剣士になったわけではない。子供の頃にいた孤児院に、戦士団の者が見込みのありそうな孤児を金で買うためやってきた。体格の良かった彼女は、采女候補の見込みがあるからと選ばれてしまい、有無を言わさず戦士団へ連れて行かれた。

 逆らえば殴られた。剣の訓練を嫌がっても殴られた。戦士団の中で生きていくためには、剣を持つしかなかった、本当にただそれだけ。

 だが、このフィトは。


「ここは、教えてやってる俺みたいにって言ってほしいなぁ」

 少年のぼやきは耳を素通りしていた。フィトもザントスではなく彼女の方へ向かって戻ってくる。

「お腹すいた」

「あ……ああ」

 この子に、応えなければ。そんな強い想いが胸の内に生まれる。

「……よし、宿屋の主人を叩き起こして、朝食にするか!」

「うん!」

 フィトの手を取ると、ぎゅっと握り返された。並んで歩き出しながら、ロイファは自然と微笑んでいた。

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