第18話 変化する関係

 宿の部屋でザントスたちは夕食のテーブルを囲んでいた。ロイファが子供の負担を減らすために部屋で食事することを強硬に主張し、かなりの余分な金を支払ってその通りにしたのだった。

「ゆっくり食べろ。周囲に気兼ねはないんだし」

 赤毛の娘はまなじりを下げて、やさしく子供に話しかけていた。対する子供もうれしそうな笑顔で、茶色いシチューを口に運んでいた。


 そう、これまで全く表情がなかった先駆けの子カイルドの顔に、笑みが浮かんでいた。

 そして変化したと言えば。ザントスはロイファの方をちらちらと見る。やわらかく微笑んだ口元。細められた茶色い瞳。急に、表情が女らしくなっていた。

 ――いや違う。薄々ザントスは自分でも勘づいていた。変化したのはロイファじゃない、むしろ、自分が彼女を見る目だ。


 ロイファが瞳から涙をこばしていた姿。子供を抱きしめ泣いていた姿。あの時の光景がまた目の前に浮かんで、ザントスの心臓が大きく跳ねた。

 強い、ただひたすらに強いと思っていた相手が、急に見せた弱さ。もろささえ含んだ感情をさらけ出した彼女。

 護りたい。ザントスは体の奥底から沸き上がってくる衝動を感じていた。この娘を、自分が護りたい。


「ザントス」

 突然横から声をかけられ、彼は飛び上がりかけた。

「なっ、なななな、何だよ兄上っ!?」

「食べろ、冷めるぞ」

 兄は短くそれだけ言う。やっとザントスは、さっきから自分がまったく食事を進めていないのに気づいた。

「粗末な食べ物に慣れていないのは分かるが。今はこれしかない」

「いや別に、そういうわけじゃなくて……」

 ザントスは急いでパンを口の中に突っ込んだ。もそもそとしたそれを咀嚼そしゃくする。しかし味がよく分からなかった。そんなことより彼は、ロイファのことを見ていたかった。


「どうした、先駆けの子」

 赤毛の娘も自分の食事をおろそかにして、子供のことばかり気にしていた。

「もっと食べたい」

 あれっと驚き、ザントスも子供を見やった。食が細すぎるほど細かったその子の前に置かれた皿は、すでに空だった。

「無理しなくていいんだぞ?」

 ロイファも確認するが、やせた子供は小さく首を傾げてさらに言った。

「無理はしてない。食べたい」


「じゃあ、あたしの分、このシチューを食べな」

 彼女が言うと先駆けの子はにっこり笑ってうなずき、差し出された皿からまた食べ出した。自分の食事が減ってしまったロイファも、にこにこと笑っている。その笑顔にザントスは見とれた。

 と、彼女が彼の方を見た。

「なんだザントス、お前も欲しいって言ったって、やらないからな」

「ちっ……ちげーよ!」


 お前にはやらないと、ロイファに言われてしまった。内心完全にしょげ返ってザントスはうつむく。シチューを乱暴に口に運ぶと、こぼれた滴が四方に散った。

 そんな彼を気にした様子もなく、ロイファは話題を変えた。

「なあ、この子に名前ってないのか?」

「何を言っている、先駆けの子だろう」

 キアネスが答えたが、

「そうじゃなくて、この子の名前。だってノロンとか他の国でも、全員『先駆けの子』だろう?」


 ザントスは思わず目線を上げた。何度も瞬いて、大まじめなロイファの顔を見る。そして兄の方へ振り返ると、キアネスは淡々とした口調で言った。

「このデイアコリナの子だけを指す名なら、ないな」

「えー、そんなの……かわいそうだ」

 ロイファが顔をしかめる。

 かわいそうなのだろうか。そんな風に思ったことはなかったが、そうかもしれない、彼女が言うなら。ザントスはぐるぐる考える。


 一方、ロイファは大きくうなずいて言い出した。

「よし、あたしが名前を付けてやろう」

 子供がきょとんとロイファを見上げる。その子の頭をなでながら彼女は、

「そうだな……フィト……フィトはどうだろう」

「フィトって言えば、『白』の古語だよな」

 ついザントスは口を出す。

「ああ、学のないあたしが知ってる、数少ない昔の言葉だ」

 どうだい、と娘は子供の顔をのぞきこむ。子供は大きく目を見開いていて、そして満面の笑顔になった。

「うん! 僕、フィト!」

「気に入ったか」

 よしよしと、ロイファは子供の頭を胸に抱く。子供は無邪気にも、そこに顔を埋めた。


「ありがとう、采女ウージナ

「采女はやめてくれ、あたしのことも、ロイファって呼んでおくれ」

「ロイファ……?」

「そう」

「……ロイファ、ロイファ!」

「そうさ、フィト」

 パアッと、その場が光に包まれた。先駆けの子が白く輝いていた。


「……この娘のわがままを聞いて、正解だったな……」

 キアネスが低く呟いたが、ザントスは聞いてはいなかった。

 娘の胸に抱かれた子供。子供が顔を埋めている娘の胸。

 ごくりと、女を知らないザントスののどが鳴った。

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