第17話 必死の捜索

 ロイファたちが茫然自失から立ち返った時には、橋はノロンコリナの兵士たちごと消滅していた。それ以外の周囲は元通り、太陽の光に明るく照らされていた。

「これが……規定デオネに違反した者に下される、断罪か……。伝承が本当だったとは……」

 キアネスが押し殺したように低い声で呟いた。ザントスの応える声も聞こえた。

「じゃあ、ノロンの先駆けの子カイルドは、もう?」

「ああ、おそらく同じように雷を受けて……聖樹カルフを目指す資格を、失っているだろう」

 王子たちの会話を無視してロイファは立ち上がった。崖へ向かって駆け出す。


「ちょっ、ロイファ!?」

 崖にたどり着く前に、追いかけてきたザントスに彼女は捕まってしまった。

「離せっ! あの子を、あの子を助けに行くんだっ!」

「だからって、谷へ飛び降りる気かよっ!」

「下へ行かないといけないんだ!」

 力ずくで進もうとする彼女を、少年ががっしり羽交い締めにする。彼女は押さえ込まれてしまった。


「落ち着けって! 兄上、下へ降りる道ってないのか?」

 キアネスの淡々とした返事が返ってきた。

「これだけの高さだ。生きてはいないだろう」

「何言ってるんだ!」

 ロイファは激高した。

「生きてるに決まってる! でもきっと怪我してる、早く助けないと!」

 子供の白くか細い姿が、目の前をちらついていた。


「離せザントス! あたしは行く!」

 無理に体をひねって少年をにらみつけた。間近な、呼気のかかる距離に互いの顔がある。

「それともお前まで、あの子が死んだって言うのか!?」

 少年が目を見開き、息を飲んだ気配がした。

「……言わねーよ!」

 顔を背けるように、ザントスは兄の方を向く。

「お、降りる道を探してくれよ、兄上!」

 ロイファの剣幕に動揺したのか声が震えていた。


 キアネスは肩をすくめ、荷袋から緩慢な動作で地図を取り出した。広げて目を走らせている。

「……こちら側からなら、谷へ下る道があるな」

「どこだよ!?」

 彼女が怒鳴ったのに少し眉根を寄せながら、黒髪の男は片手を上げて右手方向を指した。

「少し行った先だ」

 とうとう少年の腕を振り解き、ロイファは全力で駆け出した。

「待てったら! 俺も行く!」

 後ろからもついてくる足音。


 道はすぐに見つかった。急な傾斜で細いそれを転げるようにロイファは走り降りる。自分の危険などどうでも良かった。

 谷底には背の高い木が生い茂っていた。地表は薄暗く、見通しがひどく悪い。

先駆けの子カイルド!」

 彼女は叫んだ。応える声は聞こえない。


   ◇


 体が痛かった。何かが体の中からこぼれていく感覚もあった。

 子供は動物のように身を丸めて、痛みに耐えていた。動けない。意識がもうろうとする。

 采女ウージナの目がまぶたに浮かんだ。茶色い目。

 彼は彼女を呼ぼうとした。だが声が出せない。息が苦しい。


   ◇


 狂ったように叫びながらロイファは走り、周囲を探した。

 なぜ自分はあの子を疲れさせてしまったのか。あの子がしっかり立つことが出来ていれば。

 なぜ自分からあの子を離してしまったのか。自分がついていれば。自分が護っていれば。

先駆けの子カイルド!」

 ああ、立場の名前じゃない、あの子の名前を呼ぶこともできない。あの子には自分の名がない。

先駆けの子カイルド様! どこだ!」

 少年の大声も聞こえる。だが、あの子の声は聞こえない。

「どこにいるんだ! 先駆けの子カイルド!」

 喉も裂けよとロイファは叫んだ。


   ◇


 白い子供はただ体を丸めていた。感覚がだんだんと薄れていっていた。何も見えない、何も聞こえない。

 采女の目だけが頭をよぎる。

 彼は、ただ彼女だけを求めていた。


   ◇


 枝が肌を傷つけるのも構わず、ロイファは手荒に灌木の茂みをかき分ける。いない、見つからない。ああ、あの子の体は本当に小さいから。

「くそっ……どこにいるんだ」

 ザントスが焦ったように口走っている。消滅した橋があった真下辺りに、彼女たちはいるはずだった。

先駆けの子カイルド! 一言でいい、呼んでくれ!」

 ロイファは叫ぶ。しかし応える声はない。


 彼女はとうとう足を止め、立ち尽くした。

 あの子が弱いからじゃない、自分が、間違ったせいで、こんな。――自分が、あの子を殺したのか――?

 ロイファは天を仰いだ。規定を定めたとあの子が言った、天を。ノロンの兵たちを裁いた、天を。

 ああ、自分は誤っていました。改めます。今度こそあの子を護ります。大切にします。だから、あの子を、天よ――。


 ざっと一陣の風が吹いた。

 頭上を覆っていた樹冠が大きく揺れ、青空と太陽が覗く。光が彼女の瞳を強く射た。まぶしさに反射的にロイファは目線を落とし、明るくなった地面を見はるかして――気づいた。

 かなり離れた前方、茂みの葉が点々と赤くなっていた。紅葉ではない、あれは――血?

 あっという間に周囲は再び暗くなったが、ロイファは一度見えた血の跡へ向かって飛び出した。


 茂みに襲いかかり、力任せにかき分ける。だがいない。求める小さな姿がない。彼女は光を求めて再び天を仰ぐ。そして、見つけた。

 頭上、高木の太い枝。そこに子供の白い体が引っかかっていた。

 ぽたりと、彼女の頬に何かが落ちた。血。彼女は悲鳴を上げた。

先駆けの子カイルド! 先駆けの子カイルド!」

 腕を差し伸ばし、必死に跳ぶ。けれどもどうしても届かない。

先駆けの子カイルド!」

 呼んでも、子供はぴくりとも動かない。


「いたのか!」

 ザントスも駆けてきた。見上げ、手を伸ばすが彼も届かない。ロイファはもう狂ったように地面を蹴って跳ねた。

「落ち着け! 俺がこの木に登って上から降ろすから、お前は下で受け止めろ!」

 少年が木に取りついた。すがる気持ちで凝視する彼女の前で、彼はするすると登っていく。ほどなく子供の体を載せた枝に取り付き、枝の上を這うようにして移動していく。

「早く! 早く!」

あせらすなって!」


 じれったいほどゆっくりとザントスは子供のところへ向かった。そしてやっとたどり着き、子供の体をしっかり抱え上げた。

「いいか降ろすぞ!」

 子供の脇の下を持ち、そろそろと慎重な手つきで降ろしてくる。ロイファの方へ。

 彼女は腕を伸ばす。自分の背が高くて良かったと思った。初めて心底思った。子供の体に、手が届く。

 彼女が子供の足を抱え込んで、それからザントスは手を離した。一気に子供の体が落ちてくる。ロイファはしっかりと、受け止めた。


先駆けの子カイルド!」

 抱きしめて呼びかける。顔をのぞき込む。血の気のない真っ白な頬。そこに水滴が落ちた。

 ロイファは泣いていた。

先駆けの子カイルド! 目を開けろ!」

 泣きじゃくりながらその場に座り込む。

「頼む、目を開けてくれ! あたしを……見てくれ!」

 頬を手で包み、額に自分の額をすり付けた。冷たい。ロイファの目からあふれた涙が、子供のまぶたに降り注いでいく。


 かすかにそのまぶたが動いた。

 息を飲んだ彼女のまさに目の前で、やわらかそうなまぶたが、震えながらゆっくりと開いた。宝玉のような赤い瞳。

先駆けの子カイルド!」

采女ウージナ……」

 本当に小さな声が、彼女を呼んだ。ロイファは子供をかき抱く。

「悪かった、あたしが悪かった。許してくれ……!」

采女ウージナ……」

 吐息のような細い声。

「一緒に、いて……」

「ああ、ああ! 一緒にいる、もう離れない!」

 子供の口元が、ほんのりと微笑んだ。


 カッと周囲が白光に満たされた。いや、輝いているのは先駆けの子の体だ。

 光そのもののような小さな体を、ロイファは抱きしめる。

「一緒にいて」

「一緒にいるよ……!」

 輝きが収まった時、先駆けの子の体にあった傷はすべて消えていた。

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