第16話 兵の襲撃

 ロイファの背で、子供は浅く速い呼吸をしていた。ぐったりと彼女の肩に乗せられた額が、熱い。

 旅を初めてから六日目。先駆けの子カイルドは熱を出していた。

「ここ数日の疲れのせいだろうな」

 というのが、もっとも医術に詳しいキアネスの見立てだった。


 ロイファとしては反省しかない。子供は無表情のままだったし、ザントス少年が再び責めてくることもなかったが、ロイファが無茶な特訓をさせたのが理由なのは明らかだった。

 後輩の指導に不慣れすぎたこと。そして先駆けの子が決して弱音を吐かない性質なのに、彼女が気づけなかったこと。反省ならいくらでもできたが、それで子供の熱が下がるわけでもない。

 ロイファは後ろに回した手でしっかりと子供を支え、唇を噛む。


 ずっと平地だった道は上り坂に変わり、徐々に険しくなった。やがて周囲は鬱蒼とした森となり、木々の影で暗い丘を彼女たちは登っていった。

「日差しがなくなって、楽になったか?」

 ロイファは子供に話しかけるが、

「うん……」

 弱々しい声しか返ってこなかった。

「見えたな、橋だ」

 不意にキアネスが呟き、彼女は慌てて前方を向いた。


 すでに丘の頂上だった。正面、まっすぐ下っていく道の先に吊り橋らしきものが見える。

「川――いや、峡谷か?」

「ああ、地割れと言ったほうが近いものだ」

 川はごく細いものしか流れていなかったはずだと続けながら、キアネスは足を速める。

 見下ろした吊り橋は頑丈そうではあったが、二人並べるか並べないかくらいの狭い幅だった。街に近い橋なら必ずたもとにある、見張り番の小屋もない。そして橋までは下っていく森。ロイファは嫌な予感がした。


 突然風を切る音がした。

 反射的に身を屈め矢を避ける。

「なんだ!?」

 ザントスが叫ぶのに怒鳴り返した。

「いいから走れ!」

 彼女たちは一気に駆け出した。そこへ左右の森から矢が続けざまに飛んでくる。

「待ち伏せかよ!」

 ザントスは走りながらさらに叫んでいる。キアネスが周囲に風の防護壁を張ったようだったが、それでもロイファの腕を矢がかすめ痛みが走る。このままではいい的でしかない。

「ともかく森を出るぞ!」


 走りに走って、彼女たちは坂を下りきって森から出た。橋までは小さな広場のように開けていた。

 橋ぎりぎりまで駆けてからロイファは子供を下ろす。「先に――」行けと言いかけながら森側へ振り向いて、

「なっ……」

 彼女たちを追って森から現れた襲撃者の姿格好に、目をむいた。


 鎧と兜で武装した兵士たち。十人、いや十五人以上がいた。

「その色、ノロンコリナの兵か……」

「兵を動かすなんて、規定デオネに違反してるじゃねーか!」

 王子たちの言葉にも反応せず、兵士たちの一部が剣を抜いた。統率の取れた動き。ロイファは舌打ちした。襲われはしないんじゃなかったのか。


「子供を先に行かせろ! ここはあたしがくい止める!」

「んな一人じゃ無理だって! 俺も加勢する!」

 ザントスも前に出る。

「兄上、先駆けの子様を頼む!」

「分かった」

 キアネスが橋へ走り、子供もその後を追うように駆け出した。おい子供を抱えろとロイファが声をかける暇もなく、兵士の剣が彼女に迫る。

「ちっ!」

 大上段から振り下ろされた剣を、ぎりぎり抜き放った剣で受け止めた。散る火花。

 圧倒的多数の兵士たちに対し、防ぐのはロイファとザントスの二人だけ。自然と彼女たちは橋の入り口に陣取る形になった。


 頭部を狙う斬撃に彼女は膝を落とす。次の突きを剣で受け流し、逆に思い切り突き返した。脇腹を深く貫かれた兵士は呻いて退いたが、ほっとする間もなく別の兵士が前に出る。

 彼女が立とうとしたのに被せて上から剣が降る。それを自分の剣を盾にしてしのいで、すかさず相手の股間を力一杯蹴りつけた。悲鳴と共に崩れる兵士、しかし次の兵士が彼を蹴りのけ出てくる。キリがない。


 さすがに保たない、とロイファも悟った。子供が渡りきってしまえば自分たちも駆けて、橋の出口で兵士の相手をすれば何とか――そう思って彼女が一瞬背後に目をやった、その時。

 再び矢の音が空気を貫いた。すばやく、多数。

 矢は橋に向かって飛び、その先には白い髪の子供。

「あっ――!」

 彼女が叫ぶ前に、小さな背に矢が立った。


 子供がのけぞった。そしてよろめく。たたらを踏んだ足が狭い橋から外れ、細い体が橋の支え綱の間をすり抜けて――小さな姿は谷へ落ちていった。

先駆けの子カイルド!」

 ロイファは走った。橋の中央、子供が落ちた場所まで行って、下へ向かって叫ぶ。

先駆けの子カイルド、返事しろっ!」

 彼女へも矢が飛んでくる。肩をかすめたが、気にも留めなかった。


「馬鹿、ロイファ!」

 ザントスも猛然と駆けてきた。

「走れ! 橋を渡り切るんだ!」

 ぐいっと彼女の片腕が抱えられ、引きずられる。強い力に彼女は抗えず、その場から引き離される。激しく揺れる吊り橋の上を、足をもつれさせて走った。

 橋の出口には渡り終えていたキアネスがいて、ロイファはそちらへ突き飛ばされる。ザントスは身を翻して、橋を渡ってこようとする兵士たちへ向かい合った。

「来やがれ、この野郎どもっ!!」

 彼女に背を見せ金茶の髪の少年が怒鳴った。


 しかし突然、辺りが暗くなった。

 日が陰ったどころではない、夜の中に急に落ち込んだような漆黒の闇に、その場のすべてが包まれる。


「なんだ……!?」

 誰かが口走った直後。

 強烈な光と音が遙か頭上から降り注いだ。


 橋に突き立ったのは巨大な稲妻に見えた。

 反射的に塞いだロイファの耳に、ほんのかすかにいくつもの絶叫が聞こえた。

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