第15話 異質なもの
翌朝、目を覚ましたロイファは寝床の中で大きく伸びをした。
「うーん……」
と、何かがすぐ脇でもぞもぞと動いた。彼女はぎょっとして毛布をめくる。
そこには白い髪の子供が横たわり、小さな手で目をこすっていた。ああとやっと彼女は思い出す。
「おはよう」
声をかけたが、子供は返事をしない。ただ赤い瞳を見開いて、彼女を見るだけだった。
とりあえず彼女は身を起こす。隣のベッドの兄王子も、床の弟王子もまだ寝入っているようだった。雨戸の隙間から長く部屋の奥まで差し込む日の光は、まだ夜明け直後であることを示していた。
すっかり目が覚めきってしまったロイファは、剣の鍛錬でもしようと思ってベッドから下りた。慣れ親しんだ古い革鎧を身につけていく。すると、いつの間にか子供が彼女の横に立っていた。
「なんだ、お前はまだ寝てろ」
だが子供はロイファのそばから離れようとしない。やれやれと、彼女は子供にマントを着せてフードを被らせた。
ぎしぎしと音の鳴る階段を下り、酒場の入り口を勝手に開け放って外に出た。秋の朝のひんやりした空気が彼女を包む。胸一杯にそれを吸い込み、もう一度大きく伸びをした。
クシュンと、下の方からくしゃみが聞こえた。
「ほら、お前は部屋に戻れって」
だが子供は首を横に振る。少し震えているようだった。それを見て、ロイファは一つ思いついた。
「じゃあ、走ろう!」
ぱちりと子供は瞬きをする。
「走れば体が温かくなるって。行くぞ!」
彼女は子供の後ろに回り、背中を強く押した。よろけるように子供は一歩前に出る。
「それ、走れ!」
かけ声に、子供はやっと走り出した。ロイファは後ろからついていく。
この子のひ弱すぎる体。きっとこれまで大事にされすぎて、ほとんど運動をしてこなかったのだ。昨日も水を飲むばかりでほとんど食べ物を口にしなかった。体を鍛えて、腹をすかせてたくさん食べれば、きっと少しは亜丈夫になる。
走ると言っても小さな子供の足だ、ロイファにとっては大股で歩く程度の速さ。それでも何度も声をかけられ、子供は必死に走っているようだった。
小さな宿屋の周囲を十周ほどしたところで、子供はもうふらふらになっていた。そして石につまずいて転んだ。
「おっと」
ロイファは横にしゃがみ、助け起こしてやる。子供に怪我はなく、泣きもしなかったが、息がひどく荒くなっていた。
「今日はここまでかな?」
ならば宿の中へ戻ろうと背を押した、だが子供はぺたんとまた座り込んでしまう。
「おい、どうした」
顔をのぞき込む。子供は掠れた小さな声で言った。
「歩けない……」
「おっとっと」
たったこれだけだというのに、この子供には負担が大きかったのだろうか。
「しょうがない、おぶさりな」
背中を向けると乗ってくる。彼女の耳元で聞こえる子供の呼気は、まだ大きく乱れていた。
「ほんとにお前は弱っちいなぁ。それじゃ他の先駆けの子に勝てやしないぞ」
ロイファはごく軽い調子で明るく言った。しかしその途端、彼女の首に回った子供の腕が強く緊張した。
「それは、やだ……!」
この子供にしては強い言い方だった。少し驚いて、背の子供を見る。彼女を見返す顔は相変わらず無表情に近かったが、赤い瞳は不安定に揺れていた。
ふむとうなずき、ロイファは言葉を続けた。
「嫌なら、もっと鍛えないとだな!」
「鍛え……る……」
ぎゅっと、子供の腕に力がこもった。
「そう。よし、これから毎朝、特訓だ!」
「うん」
話は決まった。ロイファは意気揚々と歩きだした。戦士団の中でも下っ端平剣士だった彼女は、誰かを指導するなんてそれまでなかった。「後輩」ができたことは、彼女の気持ちを弾ませた。
◇
王都を発って五日。木陰で休憩して食事を取りながら、とうとうザントスはここ数日ずっと抱いていた懸念を口にした。
「おい、なんか先駆けの子様、疲れきって……ないか?」
木の根本に座り込んでいる子供は、先ほどから水を飲むことしかしていない。
「ほとんどロイファが背負ってて自分で歩いてないのに、この疲れ方はおかしい」
「うーん」
赤毛の娘は目をそらして頬をかいていた。怪しい。
「お前、朝いつも何かしてないか?」
「あれっ、気づいてたのか? 毎日朝食ぎりぎりまで熟睡してるのに」
「そっ、それは……」
ザントスがなかなか寝付けないのは続いていた。が、一度眠ったら最後、今度は泥のように眠り込んでしまってロイファに蹴られるまで起きられないでいた。ひどく口惜しいが事実だ。
「ともかく、何やってんだよ!」
「あー……大したことじゃないよ。ちょっとこいつの体力、鍛えてやろうと思って。走らせたり、素振りやらせたり」
えへんと少女は薄い胸を張った。
「いや、鍛えるどころか疲労困憊させてるじゃねーか!」
「……うん。おっかしーなぁ……」
ロイファは首をひねり始めた。
「あたしはちゃんと、この子が音を上げたら止めてるんだけど」
「……具体的には? どうなったら止めてる?」
「座り込んで動けなくなったら?」
「それはやらせ過ぎだろ!」
ああもう、とザントスは子供の方へ向き直る。
「先駆けの子様も! つらくなったらもう無理って言えよ!」
剣士として小さな頃から訓練してきたザントスでさえ、王城でのんきに暮らしていた以前とほぼ歩き通しで旅をする今の違いに苦労しているのだ。こんなにか弱い先駆けの子は、もっときつい思いをしているはずなのに。
しかし変わらぬ無表情のまま、子供は口を開いた。
「でも、鍛えないと、兄弟たちに勝てない」
不意を突かれた気がして、ザントスは目を見開いた。先駆けの子はまだ水を飲んでいる。
「……いや、自分の体に正直になっていいんだぞ!?」
「僕の体なんかより」
子供は抑揚の乏しい声で言った。
「兄弟たちに勝つことが、大事」
ザントスは絶句した。一拍あってから、ロイファもどこか茫然とした様子でつぶやいた。
「こいつ……そんなに勝つことしか考えてないのか……?」
そこへ、冷静な低い声が聞こえた。
「この子は、先駆けの子だ。
兄が、吹く風に長い黒髪を遊ばせながら言う。
「人の常識はこの子の考え方には通用しない」
ザントスはまじまじと子供を見つめた。白い髪と赤い瞳、顔を覆う無表情、それでも他の子供と同じようなものだと思って接してきた。けれどにわかに、自分と大きく違う、異質なものに――見え始めた。
「そ、それでもだな!」
何とかザントスは声を張り上げた。急に子供への態度を変えるなんて冷酷なことはしたくなかった。
「これ以上無理はさせるな! ロイファ!」
「……分かったよ、これからは気を付ける」
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