第14話 それぞれの夜

 先駆けの子カイルドにも着替えをさせてから、キアネスたちは一階の酒場に下りてまだ顔の赤いザントスと合流した。

 夕食の内容は「干し肉と堅いパンよりはマシ」といったものだった。キアネスたちの食事だけがそうだったのではない、村人が口にしている物もすべて似たり寄ったりだった。


 早々に部屋に戻り、あとは睡眠を取るだけという段になって、

「やっぱり俺が床だな」

 ザントスが軽い調子で言ったのにキアネスは驚いた。思わず弟の方を見る。異母弟はキアネスに背を向けてさっさとマントを床に敷いている。その背中にも金茶の髪の揺れ方にも気負う様子はない。

 そんな弟に娘も当然の顔をしていて、

「あたしのマントも敷くといい」

 と丸めた布を投げる。

「おっ、悪いな。ロイファは先駆けの子様と一緒に寝てくれよな」

「分かってるよ」

 するとキアネスはただ一人、ベッドを丸々占領できることになる。弟が床で寝る代わりに。


「いや、私が床で寝ても構わないぞ」

 気がついたら彼はそう言い出していた。

 だがザントスは明るく笑う。

「兄上より俺のほうが体力あるってー」

 つまり、自分のほうが弟より劣っているということか? 暗い感情がキアネスの中に沸き起こる。だが、一人だけ悠々と広く寝られる「特権」も、魅力的だった。


「なら……毛布はお前にやろう」

 落としどころを見つけ、彼はボロボロの毛布をザントスへ放った。そう、これは「特権」を持つ者の、持たざる者への温情だ。

「いいのか?」

 異母弟は屈託なく、毛布を受け止めた。そして笑顔で言った。

「ありがとう、兄上」

 はっとキアネスは胸を突かれる。慌てて弟から顔を背け、ベッドに横になった。

「じゃ、ランプ消すぞ」

 娘が言って、ふっと部屋が闇に包まれた。キアネスはきつく、きつくまぶたを閉じた。


   ◇


 ザントスは堅い床の上で寝返りを打った。明日に備え早く寝なければと思うのだが、なかなか眠りに落ちることができない。

 兄キアネスも体を動かしている気配があり、まだ眠っていないようだった。それに対してロイファと先駆けの子が休んでいるベッドからは、健康的な寝息が二つ重なり合って聞こえてくる。


 実のところ、ザントスは王都から出たことがこれまでなかった。王城以外で眠りに就くのだって初めてだ。

 様々な経験を積んできたのだろうロイファと比較して、自分の軟弱さがザントスは嫌になってくる。甘やかされてきた、いいところのお坊ちゃん。馬鹿にされても仕方がなかった。

 もっと、砦の巡察や地方への訪問に、彼も加わるべきだったのかもしれない。けれどそれをしなかったのは彼自身の選択であり――生母の遺言に従ったためでもあった。

 母はなぜ、あんな遺言をしたのだろう。眠れぬままザントスは考える。


『高い地位を望んではならない。国王の地位なんて望む素振りすら決して見せてはならない』

 これは幼かった彼にも理由がすぐ分かった。低い身分出身だった母。国王のもっとも新しい妾妃であるがために妬まれ、誰かの手が注いだ毒に倒れた母。だからザントスが身を守るためには、野心を完全に捨てなければならなかった。その通りにザントスは成長した。


 けれど、なぜなのかずっと分からなかったのが、

『王都を自分から出てはならない。できるだけ王都に留まらなければならない』

 との遺言だった。これにはどうも納得がいかず、いつも不満を感じてさえいた。色々な物を見てみたい、色々な相手とこの剣で戦ってみたい、そんな欲求はずっとあったのだ。

 それだけに結局この先駆けの子との旅に加わってしまった。遺言の一部に逆らってしまった今、毛布の中で身を丸め、彼は母の意図が何だったのか改めて考えてみる。


 母自身は地方の出だったはずだ。各地を旅して薬を売り歩く商人の娘だったと聞いた。王都の外をよく知っていた母が、ザントスには王都を出るなと言い遺したのはなぜか。

 王都と地方の違い――日の暮れる前に見た光景が、ザントスの脳裏をよぎった。作物もろくに生えていない畑。かまどの煙も絶えて崩れかけた家々。痩せて生気のない瞳をした村人たち。

 衝撃的だった。王都にいた時には想像もできていなかった。そしてこんな光景を、母はよく知っていたはずだ。


 貧困と苦悩に沈む地方の現状を、ザントスに見せたくなかったのか? たぶんそれは違うと彼は思った。不幸から目を背けろとは、母から教えられていない。

 再び寝返りをする。すえた臭いの毛布を肩まで引き上げ直す。

 ……母は、窮状にある地方を知った後にザントスがどうするかを、懸念したのではないか。


 彼は自分が村へ入る前に言ったことを思い出す。 

『この土地を全部、作物とかまどの煙でいっぱいにしてやる!』

 たしかにそう言った。そう思った。だが、それを実現するためにはどうすればいい?

 どうしたって――権力が必要だとザントスにも分かった。人を、金を、物資を動かせるだけの力が必要で、それを求めることはすなわち、高い地位を求めることになる。

 もう一度彼は寝返りを打つ。眠れず、煩悶する。


 やはり母の遺言に従い、高い地位を求めず安穏と小さくまとまった人生を送るべきなのか。でもザントスはもう知ってしまった。助けを必要としている人々がいると。その助けを、王子である彼は提供できるのかもしれない。

 国王になろうとまでは思わないし、思えない。どうしても抵抗があった。あまりにも母の遺言に背きすぎていて、これまでのザントスの生き方とかけ離れすぎていた。だいたい国王なんて重い責務、馬鹿な自分には無理だ。

 でも、国王を補佐し共にまつりごとを考える立場なら? 宰相は駄目だ、それもきっと母の遺言を無視してしまうことになる。だからたとえば、地方領主なら? それくらいなら、そんなに高い地位じゃないんじゃないか?


 母に相談したかった。けれど母はもう亡い。そして他に相談できる相手が、ザントスにはいない。

 彼は闇の中、室内の気配を探った。相変わらずロイファと先駆けの子はぐっすりと眠っている。兄キアネスは、おそらくまだ起きている。

 一番年の近い兄弟であるキアネス。一緒に育ったと言っていい仲であるキアネス。

 けれどザントスは、兄の燃えるような黒い瞳を思い出す。兄はたぶん、ザントスのことを憎んでいる。


 ザントスは毛布にくるまり直し、身を丸める。もっと強くなりたかった。あのロイファのように、たくましく何にも動じない強さを身につけたかった。

 夜は音もなく冷たく深まっていく。彼は眠るため、ぎゅっと目をつぶった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る