第9話 不遇の兄王子

 第七王子キアネス・ダグロ・デイアコルは強いてゆっくりと、王城内の御前会議場へ向かっていた。

 采女ウージナが選定され、いよいよ今日の会議でどの王子が随伴者アレシオとなるかが決定されるだろう。否が応でも気がはやる。

 しかし周囲に感情を悟られてはならなかった。彼は足を止めて深く息を吐き、わざと長い黒髪をかき上げる動作を挟んだ。


 会議場の前に彼が着けば、脇に控えていた召使いが慇懃に扉を開いた。既に会議場にいた貴族や王族たちが振り向く。だがちらりと一瞥してきただけで、皆すぐにまたそばの者との雑談に戻ってしまった。礼を取った者はわずかだった。

 平民出身の妾妃から生まれ、後ろ盾となる貴族もいない王子キアネスは、密かに唇を噛むしかなかった。


 部屋の奥を目で探す。はたして、薄桃色の華やかなドレスをまとった少女が席に座っていた。彼女は今日も美しい。キアネスの鼓動が踊りだし、真っ先に歩み寄った。

「ご機嫌よう、メルローダ」

 一拍あってから、彼の幼なじみは少し緩慢な動作で席から立ち上がった。

「キアネス王子殿下には、ご機嫌麗しく存じます……」

 慎ましく結い上げられた金色の髪が、蝋燭の光に輝いている。彼女の言動も、とても清楚で慎ましく――同時に、とてもよそよそしかった。

 いつものようにキアネスの胸に鋭い痛みが走る。太く長い針で刺されたような。


 それでも彼は何事もないかのように言葉を続ける。

先駆けの子カイルド様はまだ伏せっておられるのか?」

 最も上座、国王の席の隣に小さな椅子はあったが、先駆けの子が座るのならメルローダはすぐそばに付き添うはずだ。

「はい。昨日さくじつの外出で受けた傷はほとんど治られたのですが、やはり熱を出してしまわれました」

 その騒ぎはキアネスの耳にも入っていた。本来であれば、先駆けの子と采女の世話役責任者であるメルローダはきつく処罰されるところだ。しかし最有力貴族アデルフル公爵の愛娘でもある彼女を、表立って糾弾する勇気のある者は現れていなかった。そのことにキアネスは心から安堵していた。

 だが一方で、王城を抜け出した采女と先駆けの子を見つけたというのが――。


 急に会議場全体がざわつき、キアネスは振り返る。周囲の者たちの視線は一様に扉の方を向いていた。

「ザントス様!」

 メルローダが弾んだ声を上げた。そのままパッと彼女は駆けだす。キアネスを置き去りにして――キアネスの異母弟のもとへ。

 思わずキアネスは彼女へ手を伸ばしかけた。ぎりぎりで歯を食いしばり耐える。腕がぴくりとだけ震えた。


 他の貴族も王族もほとんどが立ち上がり、入室してきたザントスへうやうやしく礼をしていた。そして驚きと納得が半々に含まれた囁きが交わされ始める。

 今まで朝議への出席を拒否し続けてきたザントスの、いきなりの出現。キアネスも激しく動揺した。脳裏で不審と混乱が急速に渦を巻く。結局、異母弟は次期国王の座を受け入れる気になったのか?

 メルローダは頬を薔薇色に染め、夢中でザントスに話しかけている。ザントスの後ろには満足そうな表情のアデルフル公爵。当のザントス自身はどこか困惑した顔で頬を掻いているのが、よけいにキアネスの神経を逆撫でした。


 そこへ鈴の音と侍従の声が響き渡った。

「朝議の始まりでございます。始まりでございます」

 人々が一斉に席へ戻る。キアネスも指定の席に着いた。貴族たちよりは上座、けれど王族の中では末席に近い位置。向かいは、異母弟ザントスだった。しかしザントスはキアネスを見ず、国王席の方ばかりを見ていた。

 大臣でもあるアデルフル公爵が立ち上がる。

「国王陛下並びに先駆けの子様はご体調がすぐれず、ご臨席なさらないことになった。ゆえにこのまま朝議を始める」


 父上のやまいはやはり回復なさらないのか。キアネスは淡々とした気持ちで思った。

 四年前から王都でまで蔓延し始めた流行病はやりやまいは、まず第三王子を、次に第四王女を、さらに第一王子を死に至らしめた。そして今倒れているのが国王だ。父上ももう長くはないのだろうと、キアネスは感じている。

 だからこそ急がなければならない。自分こそが次の王位に即くために。

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