第3話 闘技会の異変
「始め!」
審判を務める近衛団長の声が響いた。観衆の見つめる中、二人の娘が向かい合う。普段なら着飾った貴族たちがそぞろ歩く、丁寧に刈り込まれた芝生の上で試合が行われるのに、ザントスは違和感を覚えた。
黄色い服の娘と緑の服の娘、どちらも長い髪の呪士だった。同時に呪札を掲げ詠唱しだす。
「貫く流れ、穿つ槍、伸びる――」
「揺れる大気、渡る波、風刃!」
先に緑の娘の札が光の粒になり、風切り音が黄色の娘へ飛んだ。
「きゃっ! 守る風、風盾!」
動転した声で黄色の娘は詠唱を変えた。札が風の渦となってカマイタチを打ち消す。それでもばっさりと深く黄色い服が裂けた。
緑の娘はじれた表情で今度は複数枚の札をを掲げる。
「盛る炎、立つ獣、伸ばす腕、火竜!」
太い火の柱が一気に立ち上がり、蛇の鎌首のように黄色い娘を襲う。娘は必死の形相で詠唱だけを叫んだ。
「猛る水、湧く牙、水殴!」
ザッと黄色い娘の髪が扇の形に広がった――と見る間もなく、髪のかなりの長さが光の粒となって消える。直後、地面からいきなり大量の水が噴出した。逆巻く滝は火柱を飲み込み、そのまま緑の娘に襲いかかり体を押し流す。
数瞬の後に水が消えた時、緑の服の娘はぐったりと横たわったままだった。
「勝負あった! 勝者、メエランのトリア・シルフォード!」
近衛団長が大声で言った。思わずザントスは首をひねった。
「すごい、すごいですわ!」
一方、武闘の試合をほとんど見たことのないメルローダははしゃいでいた。
「いや、なんか……変にあっけなさすぎないか?」
不思議そうに首を傾げるだけの幼なじみに、彼は言いつのる。
「だってさ、髪なんか使っちまってたし。あれって本当は最後の手段だろ?」
剣士のザントスでさえ知っている。呪術には、呪士自身の体の一部を犠牲に支払わなければならない。ほとんどの場合は事前に血液で書いた札、できるだけ少量の血で済むよう呪文字や呪陣などの技術を使った物が用いられる。しかし札が切れた場合やとっさの命の危険には、本当に体の一部を使わざるをえない。そのために呪士は髪を長く伸ばすのだ。
しかし人が保持しておける髪の量には限度がある。あの黄色い服の娘はこの試合には勝てても、次の試合で呪札か髪が足りなくなり負けるだろう。
どうもこの闘技会は大したものではないらしいと、ザントスは悟り始めた。近衛団員や騎士が使う訓練場でなく、芝生の中庭で行われる試合。ザントスやメルローダ以外にも王族や貴族たちがごく優雅に気楽に行っている観戦。そもそも闘技会に出場しているのは、各地方の名だたる家柄の娘たちだ。
やれやれと彼は肩を落とした。猛烈に、いつものように城下に行きたくなった。街の警備兵と一緒に泥棒を追いかけたり、酒場で無法を働くならず者を叩きのめしたり、自分の剣の腕だけを頼りに暴れ回りたかった。
だが次に中庭に出てきた娘の一人が目に入り、ザントスはおやっと注意を引かれた。
背の高い、とても短い赤毛の娘。呪士ではありえず、腰から剣を下げていた。
「あの方、剣士ですのね」
メルローダも好奇の混じった口調だった。体格的に男性より劣る女性は、剣士よりも呪士に向いているとされる。呪士に必要な札や詠唱の技術を習わせるだけの財力を持つ家の出なら、なおさら。
ザントスはよくよく娘を眺めた。日に焼けた肌、年季の入った革鎧。
「はじめ!」
赤毛の娘は抜刀した。ギラリと片刃の剣が光を反射する。相手の呪士が札を持った手を伸ばすより先に、赤毛はつぶてのように駆けていた。
周囲の者が息を飲んだ時にはもう、剣が呪士の脳天めがけ振り下ろされていた。
響いた悲鳴は誰のものだったのか。とっさに張られた氷の障壁が、呪士の頭の代わりに真っ二つに断ち割られていた。氷はたちまち光となって霧散する。
その隙に呪士は赤毛から距離を取ろうとした。が、赤毛の動きのほうが速い。踏み込みとともに剣が今度は呪士の左肩を襲う。また悲鳴、氷の盾。次は右腕が狙われ、呪士はどんどん後退していく。赤毛は一方的に押していた。まるで本気で、呪士を殺そうとしているかのような。
「すげえ……」
自分が呟いたことにザントスは気づいていなかった。無意識のうちに、半ば立ち上がるぐらい身を乗り出す。頬と頭、さらに体全体に強い熱を感じだす。これは、熱狂。
「嫌ぁっ!」
一際甲高い悲鳴。呪士の娘が試合場の縁で尻餅をついていた。両腕を上げて頭を庇い、離れたバルコニーからでも分かるくらいガクガクと震えている。
「そっ……そこまで!」
我に返ったような近衛団長の声が聞こえた。一拍あってから、赤毛の娘は剣を下ろした。安堵の吐息が観衆の間にさざ波のように広がっていく。
「勝者、フロランのロイファ!」
勝者と呼ばれた娘が引っ込んでいくまでずっと見つめてから、ザントスは勢いよく隣の幼なじみへ振り向いた。
「なあ! あいつすごかったな!」
「そ……そうでしょうか……」
メルローダの顔は少し青ざめていた。
「私は、恐ろしかったです……あんな……真剣を振り回して……」
彼女は細かく体を震わせている。だが彼は笑顔で彼女の肩を叩いた。
「そんだけすごかったんだよ! あそこまで圧倒的なの、近衛団の試合でもない!」
いや、これまでのどんな試合でも見たことがない。あの赤毛の娘の、こちらが飲まれるような気迫。明らかに実戦で鍛えられた剣技。メルローダとはまったく違った理由で、ザントスの体も震えだしそうだった。
自分もこの剣で、戦ってみたい。強くそう思った。
あの娘、ロイファと言ったか。どこの家の出だろう――そこでザントスは急に気づいた。彼女には、姓がなかった。
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