きいてほしい、ないてしまうから

飛竜

悲しみの歌をあなたに捧げよう

彼は歌が大好きだった。自分でも作曲することがあり、名曲が出来たと喜んでは私の前でピアノをポロンと弾いた。

悲しい曲想が多かった。前に一度、なぜそんなに悲しい曲ばかり作るのか、聞いたことがある。

「悲しい時にしか作らないからに決まっているじゃないか。」

彼はそう言って笑った。自分の悲しい感情を全て曲に込めて、それを音にして空気に溶かしてしまうらしい。私は、明るく優しい彼の奥深いところを見た気がした。同時に、その曲を私にだけ聞かせてくれている、ということに気分を良くした。私も、彼が悲しい曲を作らなくなるよう、直接弱音をはいてくれるように、彼を真っ直ぐ愛そうと思った。

彼は、作曲は出来るが作詞は出来ない。素直過ぎる人だから、隠喩とか韻とか、技巧を凝らした詩を作れないのだ。そういうわかりやすい所も大好きだった。歌詞を作れないのに、彼は自分の曲を歌いたがった。小さい頃から弾き語りに憧れていて、せっかくピアノも作曲も出来るようになったのだから、歌いたかったのだという。私は彼の代わりに歌詞を書いた。彼の曲想に合わせて、静かな、内に秘める負の感情をなるべく美しく描いた。主人公も場面も毎回違って、一曲の中で一つの物語が始まり、終わっていった。彼は私の詩を歌うのが好きだと言ってくれた。

「おまえの詩は、曲に合わせてあるから歌いやすくていい。」

言った後で、目をこすって照れ隠しをする彼が愛しくてたまらなかった。

2人で初めて作った歌は、強がりたい少年が、つぶやくように弱みを吐く歌だった。歌詞は忘れたけれど、彼のことを想像して何度も曲を聞きながら詩を書いたから、内容と曲だけはよく覚えている。きれいな曲だった。彼が3ヶ月以上悩み抜いて作ったものだったから、出来はとても良かった。私は素人だけれど、玄人である彼自身も、とても満足していた。上がり下がりの少ない流れるような旋律に、そのまま心を持っていかれそうだった。うっとりしている私を見て、彼はさらに満足そうに微笑んでいた。


そんな彼が亡くなった。事故だった。仕事から私たちの家へ帰る途中だった。急に降ってきた雪が風で攪拌かくはんされ、地面は凍りついていた。彼の車は急なカーブで曲がりきれず、タイヤを滑らせ、ガードレールを突き破っていった。その道路は、前に2人で「海が綺麗だね」とはしゃいでいた所だった。ガードレールの下はすぐに海で、まるで海の上を走っているようだったのを覚えている。

彼は3日後に、道路から何キロも離れた岸辺で見つかった。手にはUSBの蓋だけが握られていた。そのUSBには、2人の思い出がそのまま詰まっていた。写真だけではない。2人で作った曲も入っていた。事故後に咄嗟にUSBを取ったが、海で流されているうちに本体だけが抜けてしまったのだろう。蓋はしっかり握られていた。それなのに本体がないなんて、彼が知ったら悲しむだろうと思った。

彼の遺骨は海へ流れていった。遺族が水葬という形を取ったのだ。遺族は、彼はUSBのある海の方が後悔がないだろうからだと言った。私たちはまだ結婚していなかったのに、遺族らはみんな、私に優しくしてくれた。お通夜やお葬式にも参加させてくれた。

海に流されていく彼の遺骨を見た時、大量の涙が、思い出したように流れた。式の時は自分でも不思議な程、何も流れなかったのに。彼は堅苦しい式が苦手だったなとか、海で子どもみたいにはしゃいでいたこともあったなとか、そういう記憶も涙と一緒に流れていった。

泣きわめくことは無かった。静かに、尽きることのない涙を流した。けれども、心のうちは荒れに荒れていた。なぜ彼が死ななければならないのか。私はどうやって生きていけばいいのか。死ぬ時は彼と一緒が良かった。彼は苦しい思いをしただろう。私が代わってあげたかった。思いは螺旋らせんを描いて、頭から足の先までつたっていった。

「あなたのようなひとが傍にいてくれて、あの子も本当に幸せだったでしょう……。」

遺族はそう言ってくれた。私はそうだといいなと願った。同時に、これからも彼を幸せにしてあげたかったと思った。彼と私は、お互いがそばにいるだけで幸せだったのに。


気がついたら、彼の命日から1週間経っていた。私は毎日、彼の眠る海を眺めていた。涙は尽きないのに、心は空っぽだった。まるで血液に混じって循環しているかのように、悲しみが全身を満たしていて、何も考えられなかった。何も考えていなかった。

突然、ピアノの音が聞こえた気がした。私はそれに合わせて、無意識のうちに、歌っていた。彼が作曲するような悲しい歌だった。歌詞は私が今作っていて、曲は彼の作るもののようなのに、歌っているのは彼ではなかった。それがとても気持ち悪い感じがした。なぜ彼は歌っていないのだろう…。


「きえた声が聞こえた?

聞こえない

汽車の煙の君の歌」


喜びや楽しさをしばらく感じていなかったから、心は冷えきって、体の内側から凍えていた。固い体をよじって、精一杯歌った。


「いてつく心癒した?

癒さない

命の灯りは生きられない」


暖かい感情をくれるのは、いつも彼だった。彼がいないばかりに、私の体も心も冷えきっているのだ。


「てらす太陽手放す?

手放さない

手を取ったけど手遅れで」


優しい彼ならきっと、どんなわがままを言ってもいいから泣かないで、と言って慰めてくれるだろう。けれど、私が今一番欲しいものは彼であって、それはもう手に入らない。


「ほら 欲しいままに

星のようなほほの涙が

ほのかに光って放っておけないから


しらない 知りたくない

死後の世界の慕うあなたが

視界に映ってしばらく泣いていた


いってしまいたい 言わなくていいこと

言い訳していたい いない訳探して」


そのまま歌は2番に入った。歌っているうちに、自分は何がしたいのか整理されてきた。


「なんとかしたいと嘆いた?

嘆かない

何も無いのは涙の代償」


イメージしてもいる?いない?

いないいない

痛いだなんて言ってられない」


遺族に声をかけられた時、お互いがそばにいるだけで幸せだったと思ったことを思い出した。そう、そばにいるだけでいい。でも彼は帰ってこれない。それなら…。


「テンプレートだね、適当?

適当じゃない

適切な助言で手違い起きて」


俯いていた顔を上げた。雲一つない空が海とつながって、私は巨大な青に包まれていた。


「しぬ しかばねなら

辛辣すぎる真実いらない

使命など捨てしっかりできるから


まって 間違ってるよ

まだ行かないで

満足出来ない、幻のあなたじゃ

魔法にかからないかな」


一歩だけ前に出た。海の水が私の足を登ろうとしていた。私はその波に引きずり込まれるようにして、静かに歩みを進めた。


「うみの淵に立つ うねる波は激しい

浮かないで沈んで 生まれ変わる、あなたと」


彼と作った初めての歌の旋律も一緒に流れてくる。心を持っていかれそうな流れるメロディー…。


「かしは忘れたけど

悲しみの歌をあなたに捧げよう」


そう歌いあげて、私は初めて彼と作った、もう歌詞のない曲を歌った。


「ラララ…」


あなたは今、この歌を聞いているのでしょう?聞いてるって言ってくれないと、わたし、泣いてしまうわ。……やっぱりあなたがいないと、わたしは生きていられないのよ。つまらないの。全てが。いいでしょ、あなたの方へ行っても。ううん、今から行くから。


あなたのそばにずっといるわ…。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

きいてほしい、ないてしまうから 飛竜 @rinky

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ