第5話

 午前三時半くらい。


 わたしは朝霞くんのときと同様に、ひなちゃんにわたしの体験したことを全て話した。朝霞くんには二度目で申し訳なかったけれど、彼は黙って聞いてくれた。一方のひなちゃんは朝霞くんとは正反対にところどころでリアクションをとっていた。ときに頷き、ときに驚き、ときに沈黙した。


「――というわけなんだけど」


「なるほどー。大変なことがあったんだね」


 でも全面的に小谷ちゃんが悪い、とひなちゃんはぴしゃりと言った。


 うう……。そう言われると、なにも言えない。


 ひなちゃんは、見た目は人であるが、中身はそうでないらしい。ある程度力のあるアヤカシは、人に化けることができる。それは本来人を騙し、喰うためだとひなちゃんは言った。しかしそれはそういったアヤカシもいるというだけで、ひなちゃんは人を食べたりはしないそうだ。理由を訊いたら、


「人は汚れてるからね」


 と笑顔で答えてくれた。


 ひなちゃんがそうであるように、『コックリさん』もわたしを追っていたモノもアヤカシである。一般的に妖怪と呼ばれているモノや幽霊、神様などがアヤカシに含まれる。神様がアヤカシに含まれているのは少し意外だったけれど、『人には見えない』という点では同じだったから、わたしはなんとなく納得した。そして神様がそこに含まれているということは、アヤカシは人間より位の高いモノなのだろう。だから人には見えない。向こうから歩み寄らなければ、決して見えない。


「まず、『コックリさん』とかそういうものに面白半分で手を出しちゃいけないよ。あれは降霊術でもあるけど、極稀にとんでもないモノまで呼んじゃうんだよ」


「とんでもないモノ?」


 そう訊いたのはわたしではなく、朝霞くんだった。


「うん。『コックリさん』。漢字で書くと狐、狗、狸で『狐狗狸さん』なんだよ。そして多くの場合この術で呼び寄せられるのは狐のアヤカシだね。狐のアヤカシで有名なのは九尾だよね。それくらいなら知ってるでしょ?」


「うん、まあ」


 朝霞くんはそう言ったけれど、わたしは知らなかった。きゅうび? 九つの尾で九尾? いい線いっていると思った。その辺の疑問はあとで訊くことにしよう。話の腰を折ってしまうのも悪い。


 なによりこれはわたしの問題なのだから。


「力のある者が集まって『コックリさん』をやれば、そういった凶暴で強力なアヤカシがくることだってあるんだ。小谷ちゃんはそういうのを注意しなくちゃいけないのに」


「ちょっと待って」


 話の腰を折らないと決心した矢先に、腰を折ってしまった。


 けれど気にせずわたしは続けた。


「わたしに力なんてないよ。霊感……だっけ? わたしそういうモノを見たことなんてないよ。生まれてからこの方」


「そんなことないよ。だって言ってたじゃん。異様な手を見たって。あれがもう揺るぎなくその証拠になるよ」


「でも一瞬だったよ? そのあとは見えない《なにか》に追われていて――」


「見ようとしてなかったじゃない?」


 ひなちゃんの言葉に、わたしの言葉が詰まってしまった。それはたぶんひなちゃんの言ったことが正しいからなのかもしれない。


「ヒナ、俺はこの人を助けたいんだ。あまり責めないでやってくれ」


「わかってるよ。そのつもりは微塵もないんだけど、どうしてもこうなっちゃうんだよ。それは小谷ちゃんのせいだよ。ヒナのせいじゃないよ」


 わたしのせい?


 それもそうか。わたしが面白半分で手を出したのが原因なんだから、そう言われて当然だ。


「小谷ちゃん。小谷ちゃんは、もしかしたら面白半分で手を出したことを後悔しているかもしれないけど、それは違うよ」


「え? 違うの?」


 ひなちゃんの言葉に面喰らってしまった。普通ならば、遊び半分のほうを咎められると思っていたけれど、この件に関しては違うらしい。


「違くはないけど、筋違いだよ。後悔すべきはもう半分のほう――つまり気分転換のほうだね」


「どういうことなんだ、ヒナ」


 朝霞くんがわたしの言葉を代弁するように言った。


 ひなちゃんは頷き、説明する。


「重要なのは小谷ちゃんの力が二つあること。一つはアヤカシを見る力。これは異様な手を見たことでわかる。もう一つは特別。特殊なのかな。小谷ちゃんは目を瞑ることのできる人なんだよ」


「目を瞑るくらいなら、誰にでも――」


「できないよ。人は普通そういう風にはできてないからね。目を瞑るというのはいい表現だと思ったんだけどなぁ……、通じなかったか。じゃあもっと簡単に言うと、小谷ちゃんは見ないということができる人なんだ」


 余計わからなくなった。目を瞑ることができる。見ないということができる。どちらも目に関することだったが、わたしにわかるのはそこまでだった。


 わたしは黙ることしかできなかった。


 本当に情けない。


「小谷ちゃんが『コックリさん』をやろうと思ったのは進路のことについて悩んでいたからでしょ? 悩んでいたというよりは、そのことについて訊かれるのが嫌だった。目の前にある進路という現実を見るのが嫌だった。だから目を瞑った。現実逃避をしようとした。それゆえの気分転換――でしょ?」


 記憶が蘇って、そして整頓されていく。


 そうだ。『コックリさん』を友達から誘われたとき、わたしの頭の中には進路という言葉だけが巡り巡っていた。払拭しきれないほど、こびり付いていた。学校に行けば、必ず聞く言葉だったから。嫌でも訊かされる言葉だったから。


 わたしだけ明確な進路が決まっていなかったから。


 だから、わたしは職員室に行ったんだ。


 呼び出されたから。


 そんなことも――忘れていた。


「『コックリさん』が成功したのは小谷ちゃんがいたからだね。小谷ちゃんの友達が言っていたように本来なら成功することが稀なんだよ。小谷ちゃんがいて『場』が完成した」


 ひなちゃんはわたしの体験談に説明を入れていくように話した。下線を引かれ、吹き出しの書かれたわたしの体験談の書かれた教科書は赤く染まっているだろう。それはきっとひなちゃんのような赤色をしている。


「この『コックリさん』でアヤカシを呼び出したのは小谷ちゃんなんだよ。他の三人よりも力のある小谷ちゃんだから成功して、契約を結んだ」


 説明を訊きながら、わたしはちらりと朝霞くんを見た。朝霞くんは最初、驚いたようだったけれど、笑顔で声に出さないで大丈夫と言ってくれた。


「ところが小谷ちゃんにはここで朗報なんだけれど」


「なに?」


「小谷ちゃんが契約した『コックリさん』は『コックリさん』だけど『コックリさん』じゃないんだよ」


 なにを言われたのかわからなかった。


 ここに来てから――いや、ひなちゃんと話してから、わからないことが多過ぎる。まるでわたしの置かれている状況がたいしたことのないみたいな気分を味せられる。


 けしてそんなはずはないのに。


「ど……、どういうこと? わたしはたしかに『コックリさん』をやった。それで『コックリさん』が来て、質問にも答えてもらった」


「小谷ちゃん。小谷ちゃんは『コックリさん』を初めてやったんだよ? 会ったことも、見たこともないんだよ? なのに、どうしてそれが『コックリさん』だと言えるのかな。そもそも『コックリさん』ってなんなのかな。『コックリさん』で呼んだモノは全部、例外なく『コックリさん』なのかな?」


「で、でも……」


「でも、じゃないんだよ。小谷ちゃんが呼び出したアヤカシは『コックリさん』の真似をしていただけなんだよ。現実を見せないようにね」


「現実を見せない……」


 それはわたしの願っていない願いなのだろう。


 想っていた願いだけれど、声に出したりはしなかった願い。


 それを叶えてくれたのか。


「将来のこと、と訊かれて『死ぬ』と答えたのは、人は誰しもがいつかは必ず死ぬから。そんなわかりきったことなら、小谷ちゃんも気にしないと思った。ところが一番気にしている進路について訊かれた。他の三人に対しては、すんなり答えるよ。どうでもいいからね。でも小谷ちゃんは違う。現実を見ないために、進路から逃げるために『コックリさん』を始めた小谷ちゃんに進路のことは言えない」


「それじゃあ、硬貨から指が離れなかったのは?」


「帰さない、と言ったあたりのことだね。それは小谷ちゃんの願いだからだよ。小谷ちゃんがあの『場』に居心地の良さを感じていたからなんだよ。あそこなら現実を見なくて済むからね。次の日の朝、教室で寝ていました、なんてオチじゃなく、どこかに連れて行かれてしまうとか考えてたんじゃないの? ヒナにはわからないけど。硬貨から離れなかったのもたぶんそう言った気持ちのせい。他の三人は小谷ちゃんが暗示をかけちゃったんだね」


 よく思い出してみれば、わたしが振り返って、現実に戻ったとき、硬貨に指を添えていたのはわたしだけだった。他の三人の指は添えられていなかった。あれは気絶して、暗示が解けていたからなのか。


「わたしが振り返って現実に戻れたのはどうして? あれは『コックリさん』の注意事項で怒らせるためにやったんだけど」


「振り返って現実に戻れたわけではないんだけどね。注意事項は小谷ちゃんが思い返したんじゃない? 硬貨が離れなかったときとかにさ。だから『コックリさん』じゃなくても注意事項のことを知っていた。現実に戻れたのは、小谷ちゃん自身が現実を見ようとしたからだよ。進路のこと訊いたんでしょ? 自分の口から」


 わたしは愕然とした。あの出来事は全てわたしが引き起こしたことで、『コックリさん』でないアヤカシがわたしのことを想ってやってくれたことだった。進路という現実から目を瞑ってしまったから、こんなことに。


 わたしは被害者ではなく、あの三人が被害者で、


 アヤカシが加害者ではなく、わたしが加害者だった。


「小谷ちゃんが契約を結んだのは善孤(ぜんこ)っていう優しい狐のアヤカシだよ。辛そうな小谷ちゃんを見て、助けようとして『コックリさん』の真似事をしていたんだ。真似をして、真似をしきれず、悩んで、それでも助けようとした」


「なんで優しいアヤカシがわたしを追いかけるの? やっぱり怒ってるの?」


「怒ってないよ。善孤は優しいアヤカシだよ? 人みたいに上面だけじゃなく、その心までも優しい。小谷ちゃんを追いかけているのは、自分に不備があったんじゃないかと思っているからだよ。小谷ちゃんと善孤は契約を結んだんだ。まだ途切れていない契約がある。善孤からしてみれば、どうして小谷ちゃんに逃げられているのかわからないだろうね。本来ならそんなことあるはずないんだよ。善孤は誰が見ても優しいアヤカシだってわかる。けれど小谷ちゃんは目を瞑っているから、なにも見えない」


「わたしが目を瞑っていたから……」


 あるいは現実から逃げていたから、こんなことが起きた。本来起きるはずのないことが、こうして起きてしまった。


 進路という現実に直面して、『コックリさん』という現実に追われた。


 わたしは見ようともせず、全てに目を瞑った。


 それが一番楽だったから、自分が可哀想だと思えるから、逃げてしまった。


「わたしはどうしたらいいのかな……?」


「逆に訊くけど、どうしたい?」


 答えは――決まっていた。


 それ以外にないというほど、明確な答えがわたしの中にあった。


 謝りたい、とわたしは言った。


「善孤に謝りたい。わたしなんかに付き合わせてごめん、って。そしてわたしのわがままを聞いてくれてありがとう、って言いたい」


「そうだね。それがいいよ。そんでもって契約も解消したほうがいいね。朝霞はどう思う?」


「それでいいんじゃないか? それにこれは俺の問題でも、ヒナの問題でもないんだ。最後くらいは俺たちがどうこう言うべきじゃない」


 そうだ。朝霞くんの言う通りこれはわたしの問題で、朝霞くんとひなちゃんを巻き込んでしまったんだ。


 わたしの甘さが――引き起こしたこと。


 自分の責任に目を瞑り、見えない《なにか》に責任を押し付けた。その《なにか》もわたしが生み出してしまったもので、本当はこんなわたしのために力を使った優しいアヤカシ――善孤なのだ。


「契約ってどう解消すればいいの?」


「『コックリさん』をもう一度やる――ってのが一番なんだけど、それは無理かな。あれは四人でやるものだし。たとえ四人いたとしてもヒナができないからね」


「なら、簡単じゃないか」


 そう言ったのは朝霞くんだった。


「見たくないモノを見ないままでいた小谷さんには《現実》を見てもらう。幸いなことに善孤だっけ? あれはまだ扉の前にいるみたいだし。会って話をすればいい」


「外にいるの?」


「いますよ。ヒナが起きてきたのは善孤が外にいるせいですし、それに外が騒がしいのも善孤が鳴いているから――いや、泣いているのかな。そのためです」


 わたしは窓から外を見たが、それらしきモノは見えなかった。目を凝らして見ようとしても、善孤が目に映ることはない。そこには静かな夜が見えるだけだ。


「小谷ちゃん。小谷ちゃんはこの家に入って安息を得たんだよ。それは完全に現実から逃避したんだね。ヒナが話したことも現実だけど、小谷ちゃんはどこかでまだ現実ではないと思っているはずだよ」


「わたしはもう《現実》を見れないの?」


「そんなことないよ。この家の中が小谷ちゃんの非現実なら、この家から出れば《現実》へ帰れる。見ることができる。さ、小谷ちゃん。《現実》と向き合う準備はできたかな?」


 わたしは数回ほど深呼吸をした。建物から出る。それだけのことにこれほど緊張をしたことはない。そもそも緊張をしていると実感したのが初めてかもしれない。


 それはきっと苦しいことに目を瞑っていたからだろう。


 いつから。


 いつからわたしはこんな生き方をするようになったのだろうか。いつから現実から目を背けていたのだろう。たぶんそれもわかることはない。わたしはなにも見ずに生き過ぎた。生きていながら、生きていなかった。


 生きよう。


 わたしの見たこと、感じたこと、聞いたこと、全て受け入れよう。それがどんなに嫌なことでも、苦しいことでも、辛いことでも、それが人生というものだ。


 ようやくそこに辿り着いた。

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