第3話

 わたしの通っている高校は朝霞くんの住んでいる喫茶店からは、少し遠めの場所にある。周りには自然が広がり、校舎以外の建物はない。一番近いコンビニでも何キロか離れていた。通学路で蛇を見ることもあるし、わたしは見たことがないけれど校舎裏の山では熊が出るとか出ないとか、そんな自然に囲まれた高校だ。


 朝霞くんより一つ上――つまり高校三年生であるわたしは、夏であるにもかかわらず進路先が決まっていなかった。行きたいと思える大学がない。やりたいと思えることがない。なんの夢も持たないどこにでもいる高校三年生だった。先生たちからは早く決めろと急かされるけれど、どうにも身が入らなかった。進学にも就職にも興味が湧かなかったのだ。


 わたしの周りの人もわたしと同じく進路が決まっていなかった。けれど、わたしとは違い、受験ができるように準備は進めているらしい。どっちにでも転べるように、安全策をとっているのだ。


 そんなわたしの周りで突然あることが流行り出した。みんなの話ではこのブームは二回目らしかった。しかし、わたしはそういった類には疎かったので初めてだった。



 わたしは教室から出たときに、友達であるみっちゃんこと、ミキに声をかけられた。

 ミキとは高校で出会った。初めて見たときは、それはもういかにも委員長タイプな雰囲気を醸し出していた。近寄りがたいというか、『お堅い人』といった感じだ。


 イメージというものは恐ろしいもので、別にそうでなくてもそう思わせてしまう――思考が無意識の内にそれに辿り着いてしまう。一つでも当てはまれば、そうでないはずなのに勝手にそうであると決め付け、最後にはそういうものなんだと結論を出す。


 だからわたしはミキを見たとき、眼鏡をかけていて、本を読んでいたから、きっと頭が良くて、真面目で、無表情で、『お堅い人』なんだな、と勝手に結論を出した。


 だけど、実際にミキと話してみると、決してそんなことはなかった。まるで逆――お堅いどころか、めちゃくちゃ柔らかい人だった。はたして『柔らかい人』という言葉が存在するのかしないのかは置いといて、ここでは『お堅い人』の反対の言葉だと思ってくれればいい。ミキは、よく笑う子だ。それに少し天然が入っている。


 いつだったか、わたしがみっちゃんに見た目のイメージで委員長タイプだと思ったと言ったら、ミキはなにを思ったのか、次の日にパーティ用で使われる鼻眼鏡をつけて学校に来た。事情を聞いてみると、みっちゃんは、


「ん? これ? これならお堅く見られないかなって」


 と屈託のない笑顔を見せた。まあ鼻眼鏡のせいで口以外は見えなかったのだけれど。


 そんな話はともかく。

 わたしはそんな天然な友達であるミキに声をかけられた。


「おっす。これから暇?」


「んっと……」


 わたしは特に予定もないけれど、考えるふりをした。『こいつはいつだって暇なんだ』的なレッテルを貼られるのは嫌だったからだ。これは昔から続く癖の一つだ。


「うん。あったとしても帰宅ぐらい。これからなにかあるの?」


 わたしの質問にミキは、「ふふーん」と語尾に音符でも付いてしまいそうな笑い方をした。


「聞いて驚くな。これから『コックリさん』をやろうと思います!」


 わたしはこのとき初めて『コックリさん』というものを聞いた。だからミキの言っていたことが全くわからなかったし、どうリアクションしていいのかもわからなかった。わたしの頭の中ははてなマークで一杯に満たされていた。


 ミキはそんなわたしを見て、「……もしかして知らないの?」と、まるで常識知らずの人間を見るような目で訊いてきた。わたしはそれに頷くしかなかった。


「マジッすか……」とミキは驚いているようだったけれど、そんな無知な常識知らずなわたしに『コックリさん』のことを教えてくれた。


 なんでも『コックリさん』は降霊術みたいなものらしい。わたしには降霊術がなんなのかわからなかったから、そうなんだ、と適当に相槌を打っていた。『コックリさん』は質問に答えてくれたり、未来のことを教えてくれたりするらしい。現実主義なわたしには到底信じられる話ではなかった。それに、『コックリさん』を呼び出す方法が、なんだか嘘くさい。安っぽいとも思ったが、そういうオカルト的なことには高いも安いも関係ないのだろう。


『コックリさん』を呼び出す方法は、まず白い紙を用意し、そこに《鳥居の絵》、《はい》、《いいえ》、そして《ひらがなで五十音》を書く。性別を書く場合もあるらしいけれど、わたしにはどうでもよかった。あとは硬貨を紙の上に置き、参加する人はそこに指を乗っけるとのことだった。


 これで準備完了。


 たったこれだけだ。


 ミキの話では、上手く『コックリさん』を呼び出すことができると、質問に対し、指を置いた硬貨が勝手に動き出すそうだ。本当に嘘くさいと思った。ミキもたいていは誰かが動かしているんだよ、と信じてはいないようだった。信じてはいないようだったけれど、念のためとのことで、いくつか注意事項を聞かされた。


 一つ、『コックリさん』を怒らせない。

 一つ、『コックリさん』が帰るまで、指を硬貨から離さない。

 一つ、決して振り向いてはいけない。


 とのことだった。


 怒らせないというのは、そのままの意味である。けれど、『コックリさん』の怒りの沸点の高さを知らないわたしにはどうすることもできない。


 指を離さないというのは、不思議な話で、なんでも『コックリさん』をやっている間は硬貨に吸い付いているかのように指が離れないらしい。なら、途中で指を硬貨から離すのは無理なんじゃないか、と疑問に思ったけれど、経験者でもないわたしが意見することなんてできなかった。指を離すと『コックリさん』が怒る、と最初に繋がる。


 最後の決して振り向いてはいけない、というのも、やはり『コックリさん』が怒りだすらしい。『コックリさん』は誰かの背後にいるのではなく、参加者全員の背後にいて、対面している人の背後に『コックリさん』が見えると、自分の背後が気になり、つい振り返ってしまうとのことだった。


 つまるところ、『コックリさん』を怒らせてはいけないというだけのことだった。それが難しいのか簡単なのかは『コックリさん』を始める前のわたしにはわからなかった。


 ミキが言うには、『コックリさん』を怒らせると、怒らせた人間はとり憑かれるらしい。


 教室に残ったわたしとミキを含めた四人は、机を囲うように座り、『コックリさん』を始めた。放課後といっても、HRが終わってすぐではなく、それから三時間ほど経った空がオレンジ色になった頃だ。その時間に校舎に残っている生徒はいないし、町外れにある高校とあってか見回りをする人もいない。セキュリティ面はどうなっているのか問い質したいところだけれど、不思議なことに、この学校で盗難などの被害が出たことは一度もなかった。


 教室内には妙な緊張感が漂っていて、わたしたちが硬貨に指を添えてからしばらく静寂が続いた。


「……じゃあ、やるよ」


 わたしから見て右側にいた友達さっここと、サキコが言った。サキコは積極的な性格をしていたから、誰かがなにかを言わないと始まらない、そう思って言ったんだと思う。


 わたしたちは頷いた。そして声を揃えて言う。


「コックリさん、コックリさん、おいでください」


 硬貨は動かなかった。初体験のわたしには成功しているのかどうかわからない。それとも質問でないから、動かないだけなのだろうか。


「コックリさん、あなたはここにいらっしゃいますか?」


 誰かが聞いた。


 すると不思議なことが起きた。四人の指が添えてある硬貨が、ずずず、と動き出したのだ。当然わたしは力を入れていない。わたしは他の三人を見た。三人とも揃えて首を横に振った。誰も力を入れていない。それが真実なのかを知る術はないけれど、これは成功したということなんだろう。


 硬貨は《はい》と答えを示した。


 わたしは驚かなかった。それはたぶんまだ信じ切れていないからだと思う。他の三人を見ても、信じられないという顔をしている人はいなかった。まだ序の口、始まったばかりなのだ。


「硬貨を動かしたのは、あなたですか?」


 わたしの左側にいた友達、ユミが訊いた。ユミは慎重な性格をしている子だ。どんなときでも石橋を叩かなければ渡らなさそうな、少し過剰なくらいだ。


 わたしはその質問がいい質問なのかは甚だ疑問だったけれど、触りとしては妥当な質問だろうと思った。


 硬貨は一度鳥居の絵に行き、そして《はい》と答えを示した。


 質問をするたびに《鳥居の絵》に戻らないといけないのだろうか。

 それがルールなら仕方ないけれど。


 それから、わたしたちは質問をし続けた。


「どうして来てくれたんですか?」

「本当に『コックリさん』なんですか?」

「あなたは男性ですか? それとも女性ですか?」

「好きな食べ物はなんですか?」


 そんなわざわざ訊かなくてもいいようなことをたくさん質問した。たぶんこのとき、わたし以外の三人は興奮していたんだと思う。本当に『コックリさん』が現れて、『コックリさん』が成功して嬉しかったんだと思う。


『コックリさん』はどんな質問にもちゃんと答えてくれた。


「《よばれたから》」

「《はい》」

「《どちらでもない》」

「《とくにない》」


 答えは短かったが、それでもわたしたちは大いに構わなかった。『コックリさん』と会話をしているという事実が頭の中を支配していたから。わたしもこのときばかりはもしかしたら本当にいるんじゃないかと『コックリさん』の存在を受け入れようとしていた。


 だからわたしたちは気付かなかった。


 このときの教室内の空気が夏と思えないくらい異常なまでに冷たく、そして重いことに誰一人気付けなかった。

 異変に気付いたのは、わたしたちが最後になにを訊こうかと考えていたときのことだった。その質問を終えたら、『コックリさん』には帰ってもらう算段だった。


「将来のこととか訊いちゃう?」


 正面にいたみっちゃんが言った。それは最後にふさわしい質問だと思ったし、ちょうどそのときわたしたちは進路について悩まされていた。それに自分の未来というのは、誰もが気になることだ。わたしたちはそれに同意した。


「私たちの将来を、私から時計回りで教えてください」


 そうユミが言った。硬貨は相変わらず力を入れずとも勝手に動いた。慣れてきたのか最初にあった気持ち悪さなどはなくなっていた。硬貨は最初に《し》を示した。


「し?」


 左側の友達が首を傾げた。それもそうだろう。硬貨は《し》を指し示したあと、《鳥居の絵》に戻ってしまったのだから。


「それだけですか?」


 納得のいかないのか、左側の友達が訊いた。


「《そうです》」

「《わかりませんでしたか》」


『コックリさん』には珍しく、というか初めて会話が成り立った。今までは一問一答形式だったため、それはわたしたちを現実に戻すには充分だった。


 硬貨は再び動き出した。


「《しぬ》」

「《ぜんいん》」

「《しぬ》」


 そう指し示した。わたしたちはしばらく声が出なかった。


「将来って訊いたのが悪かったんだよ。進路のことを訊こう」


 さっこがわたしたちを励ますように言った。たしかにそれはあるかもしれない、とわたしたちは、今度は進路のことを訊いた。


 すると硬貨は、

「《とないのだいがくへしんがくする》」

「《きんりんのだいがくへしんがくする》」

「《せんもんがっこうへしんがくする》」

 と、ちゃんとした答えを示してくれた。


 彼女たちは喜んだ。喜んで、そして内心は安堵したのだろう。死ぬなんて言われるよりはよっぽどマシな答えだったのだから。

 ところが硬貨はわたしの進路だけは示してくれなかった。


「どうしたんだろう?」


「もしかしてわたしの進路は決まらないのかなぁ……」


 それはショックだった。ショックだったけれど、まあそれでもいいかという気持ちのほうが強かったため、心に傷を負うことはなかった。

 最後の質問が終わり、わたしたちは『コックリさん』に帰ってもらうことにした。


「コックリさん、コックリさん、ありがとうございました。もうお帰りください」


 そう声を揃えて言った。わたしたちの中にはすでに脱力感があり、ようやく終わったんだと安心した。


「《いいえ》」


 その答えにわたしたちは目を丸くした。一瞬なにを見たのか、なにを答えられたのか、わからなかった。


「《かえらない》」

「《きみたちともっとおはなしがしたい》」

「《かえさない》」

「《きみたちはずっとぼくといるんだ》」


 誰かが悲鳴をあげた。わたしは――わたしたちはここでようやく、自分たちがなにに手を出してしまったのかを痛感した。気付けば、教室内は涼しい空気を通り越して、冷気が漂っていた。わたしは振り返って時間を確認しようとしたが、注意事項を思い出して、確認するのを止めた。


「と、とにかく『コックリさん』には帰ってもらおうよ」


「でも、帰らないって……」


 わたしたちの頭の中には、あの注意事項が過ぎっている。


 一つ、『コックリさん』を怒らせない。

 一つ、『コックリさん』が帰るまで、指を硬貨から離さない。

 一つ、決して振り向いてはいけない。


 わたしたちがすべきことは『コックリさん』を怒らせないことだった。怒らせた場合、なにが起きるのかわからない。教室内のこの冷気だって『コックリさん』がしたことかもしれないのだから。

 そしてわたしはここで気付いた。


 指が硬貨から離れない。


 注意事項の一つに、指を硬貨から離さないというものがあった。それは指を離すことは可能だということだと思っていた。でなければ、あんな注意事項ができるはずがない。


「ねえ……、指が離れないんだけど」


 わたしは他の三人にも確認するように言った。三人もわたしと同じく離れないようだった。まるで硬貨と指が凍ってしまったかのようだ。

 溶かす術はあるのだろうか?


「『コックリさん』どうかお帰りになってください」


「《だめ》」

「《ぼくはきみたちがきにいった》」

「《ずっといっしょ》」

「《ずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっと》」


 それはもう答えではなかった。

 それは『コックリさん』の願いだ。


 ユミが泣きだした。それを見て、サキコも泣きだす。わたしだって泣きたい。ミキだってそうだ。こんな意味不明な現象が起きて、なにもできないなんて、今のわたしたちには絶望という二文字が似合う。


 なにか策はないだろうか、と考える。


『コックリさん』は帰ってはくれない。

 硬貨から指が離れない。

 わたしたちは動くことができない。

 一生このまま。

 一生『コックリさん』と一緒。


 このままいれば、たぶんわたしたちはどこかへ連れて行かれるのだろう。明日になって教室で寝ていました、なんてオチはない。動けないまま、動かされ、動けないまま、『コックリさん』と会話し続ける。


「『コックリさん』、本当に四人とも帰さないつもりですか?」


「ちょっと小谷」


 ユミの言葉をわたしは無視した。


「《はい》」


「どうしてですか?」


「《たのしいから》」


「硬貨が指から離れないのはあなたのせいですか?」


「《はい》」


「もしわたしが振り向いたら、怒りますか?」


「《はい》」


「わたしの進路はどうなりますか?」


『コックリさん』は答えなかった。どうしてわたしの進路だけ答えることができないのだろう。答えられないわけがあるのか。

 しかしそれはいくら考えても、今の状況を打破することにはならない。


「仕方ない……」


 わたしはとりあえず三人だけでも助けたいと思った。彼女たちにはわたしとは違い明確な進路があるのだ。それが『コックリさん』の示したことでも、そうでなくても、やっぱり彼女たちはちゃんとした道へ進むのだ。


「みんな、また会えたら会おうね」


 そうみんなに言って、わたしは振り返った。彼女たちはわたしがなにを言ったのかわからないといった顔をしたけれど、気にしなかった。


 背後にはなにもいなかった。いつもの教室があった。すでに暗くなっていた。一、二時間程度だと思っていたけれど、結構な時間が経っていたようだ。正面に振り向き直すと、あの三人が机で倒れ込んでいた。


 わたしだけが硬貨に指を添えていた。


 なにがどうなったのかはわからない。

 終わったのか、続いているのか、はたまた始まっていなかったのか。

 そんなことすらわからない。


 わたしが立ち上がろうとしたとき、なにかがわたしの足を掴んだ。とても冷たいということもあって、驚きのあまり床に尻もちをついた。そこから見える机の下にはなにもいなかった――いや、なにも見えなかったんだ。


 たしかに、そこに《なにか》がいる。


『コックリさん』だろうか?


 見えない《なにか》に怯え、立ち上がることのできないわたしの目に、一瞬だけ《なにか》が見えた。それは人の腕のようだったけれど、指の数が異常だった。五本なんてものではない。数十本はあったのではないだろうか。数もそうだけれど、長さもまちまちで、長い指もあれば短い指もあった。わたしはそこから目を離せないでいた。


『コックリさん』をしていた机がかすかに揺れる。そして次はその前の机が揺れた。それは明らかにわたしに近づいていた。少しずつ、ゆっくりと、這いながら、わたしを狙っていた。他の三人にではなく、わたしのことを。


 嫌な汗が背中に流れた。

 呼吸がうまくできない。

 苦しい。


 わたしは意を決し、教室から駆けだした。鞄は教室に置いていくカタチになってしまうけれど、構わなかった。それどころではなかった。


 教室を出る際に扉を閉めた。後ろからなにかが破壊されたような音が聞こえた。どうやらちゃんとわたしを追いかけてくるようだ。


 まだるっこしい暑さの夜の中、蝉の賑やかな声を耳にしながら、わたしと《なにか》の追いかけっこは始まった。

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