第26話
人間というのは、簡単には死ねないようだ。少し甘く見ていた。
両腕を失えば、そのときのショックで、あるいは出血多量で死ねると思っていた。テレビドラマでは、包丁が腹部に刺さっただけで人が死んでいたりしたが、あれは虚実だったのだろうか。
アヤカシと関わり過ぎたのかもしれない。そのせいで感覚が麻痺を起こしてしまっているのだろう。人との区別がつかなさすぎた。両腕ではなく、両眼を失えばよかったかもしれない。その方がショックや、出血の量が、両腕よりも大きかった可能性がある。少なくとも両眼を抉られるという図を想像するのは難しい。それは、自分にとって、それが回避したいことだからだ。
回避したい?
回避したいと思っているのだろうか。
だとすれば、なにがそう思わせているのだろう。この夢のような現実で、なにに執着しているというのだろうか。夢なら簡単に覚めるはずだ。それがどんなに心地いい夢であっても、覚めるときは必ず来る。執着に関係なく、それは訪れる。
ここが夢なら、覚めた先にあるのはなんだろう。
自分のことを考えれば考えるほど疑問が生まれ、なに一つとして解決することができない。疑問から疑問が生まれ、答えが見つかることはなかった。子供が道に迷うように、思考の迷路から抜け出すことが叶わない。壁に右手を添えて歩いてみても、いつ自分が迷い込んだのかわからないために、それは攻略法としては意味をなさないものだ。壁を上ってみても駄目だ。この迷路は平面ではない。普通の迷路とは違う。
いつからこんな風になってしまったのだろう。
幼いころは、こんなことを考えなかった。
思考の迷路に、足を踏み入れることなんて、なかった。
障害物のある一本道だったはずだ。
答えまで辿り着くのには、時間をかけるだけでよかった。
そうすれば、到達できた。
ただひたすらに、
がむしゃらに、
進むだけだった。
立ち止まることはあれども、迷うことはなかった。
しかし、その一本道はいつしか枝分かれをして、時間をかけるほど多くの分岐点ができあがっていった。そうして迷路になる。
幼いころの単純さがなくなってしまったからなのかもしれない。
歳を重ねるごとに、余計な知識が増えていく。その知識が答えまでの道のりを長くし、終わらない迷路を作り上げている。
迷路は、一本道とは逆に、時間をかければかけるほど、答えから遠のいていくのだ。その規模は広がり、障害は増え、明暗が不安定になり、目前の交差路ですら見えなくなる。
どうして人間は複雑になっていくのだろう。
単純であれば、楽なのに。
そうであれば、
思い残すことなく、
思い止まることなく、
思い詰めることなく、
死ねるのに――。
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