第24話
目の前にいるものを、どう形容すればいいのかわからない。
人の形をしているようだが、それを人の形と言ってしまっていいのか判断がつかなかった。目の前にいる「それ」は、透き通るほど白く、しかしそこに清潔さや純潔さなどはなく、むしろ邪悪さと混沌だけが圧縮されたようである。身体の表面の凹凸から見るに、女性のようである。しかし首から上はない。その代わりに腰からは、別の胴体が生えてきている。そちらも首はない。直立している方を本体だとすれば、そちらは、ほぼ、人である。ただ首がなく、白すぎるということを除けば、まともな形と言える。一方の胴体は、腕の長さが人のそれを優に超えていた。本体の全長と変わらない長さはある。その両手は地面に着き、爪でガリガリと音を立てている。そして「三本目」の腕は本体の肩にだらりと長い髪ように枝垂れていた。
この姿になるまでには、一時間ほどかかっていた。
境内で待っていると、その黒点はなんの前触れもなく現れた。およそ地面から三メートルほどの高さに現れ、ぽとぽとと黒い雫を地面に落した。しかし地面にその跡はできず、次第に白い塊を形成していった。
黒点は消えているか、もしくは辺りの暗さに溶け込んでしまっているのか、すでに見えなくなっていた。
目の前の物体を、果たしてアヤカシと呼んでいいのかわからなかった。たしかに似た雰囲気はあるのだが、それまでなのだ。似ているだけで、そうではない。偽物でもなく、全く別の存在が、そこにはあった。
周囲は森閑としていて、空気を重く感じられた。雑木林に隠れているアヤカシたちも、さすがに騒ぐことができないようだ。アヤカシも人と同じで得体の知れないものには触れようとはしないし、気付かれたいとも思わない。見て見ぬ振りを決め込む。
誰だって自分の身が一番だ。
俺だってそうだ。
今、ここにいるのだって、なにも誰かのためを思っているのではなく、自分のため、自分の成し遂げたいことのためだ。小谷さんやそのクラスメイトたちは二の次、あるいはどうでもいいのかもしれない。
地面に着いた白い腕が蛇のように動いている。ガリガリと地面を引っ掻き、こっちに近づこうとしている。しかし本体の足は、その場から動こうとはしておらず、一歩も足を踏み出さない。
身体が正面を向いているせいか、顔がないはずなのにこっちをずっと見ているような視線を感じる。酷く嫌な視線だったが、それから逃れることはできないだろうと思った。
ねっとりとした空気が纏わりつき、身体中から汗が出てくる。あの黒点が現れてからは、一度たりとも風は吹いていない。周りの木々が壁となり、ここ一帯が空気を溜める盆のようだった。きっと見えないだけで、透明な屋根がついているのかもしれない。あるいは、プラネタリウムのような天井が、頭上に広がっているのだろう。
交渉するとは言ったものの、この奇妙な物体が話を聞いてくれるのかどうか不安になってきた。ただそこにあるだけで心が乱されるというのに、声なんか出されたときは、いったいどんな影響が及ぶのか見当がつかない。
しかし、それでもやらなければならない。
俺のために。
そして、それが誰かのためになるように。
俺は意を決し、それに――「コックリさん」に一歩ずつ近づいていく。距離が縮まるに連れ、空気の淀み、重みが深まり、息が苦しくなってくる。胸が痛い。
ちょうど一メートル程度の距離になったときには、視界が霞むほど、意識が朦朧としていた。ここから脱したいという気持ちが溢れ出て来る。それを押さえようと心を抑制する。今、意識が残っているのは、そういったやりとりが内部で行われているからだろう。
地面を引っ掻いていた手が、俺の両足首を掴み、痛みが走った。
肩に枝垂れていた腕が伸び、俺の右肩を掴み、また痛みが走る。
ゆっくりと近づいてきた白い物体の右腕が、俺の首を掴んだ。
これで逃げることはできない。
目の存在しない相手なのだが、あるいは目がないからこそ、その視線が身体中に突き刺さった。ひしひしと威圧を感じ、汗も流れ出ない。
見れば、その物体の上にはまだ黒点が残っていた。絞り出すように水滴が落ちていき、『コックリさん』へとなっていく。腰から生えている胴体は一つではなく、ちょうど正面から見えない背中にもう一つあるようだ。そちらにはまだ腕は生えていない。
どうなれば、完全なのかわからない。
完全になるのか、わからない。
この先、俺がどうなるのかもわからない。
できれば、わからないままでいたい。
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