第4章 現実《ゆめ》を受け入れる

第23話

 日が傾き始め、辺りはオレンジ色の光に照らされていた。


 右に見える小さな公園には、小学生くらいの子供たちがボールを使って遊んでいる。走りながらボールを投げているため、ドッジボールではなさそうだ。一人がボールを持ち、逃げ回る誰かに当てようと、投げつける。逃げる側はボールを上手く避けて、また走り出す。


 鬼ごっこにも見えるけれど、ボールは使わないはずだ。


 ボールを使った鬼ごっこなのかもしれない。


 なんという遊びなんだろう?


 気になったけれど、わたしたちは先を急いでいるために、彼らにその遊びの名前を訊きに行くことなく、公園の前を通り過ぎた。


 向かう先は、わたしの友達の家である。


 今日一日でほとんどのクラスメイトの家を訪ね回り(住所は、訪問したときにクラスメイトに訊いて、それを繰り返した)、足はすでに疲労困憊の状態だった。はっきり言って、わたしは運動が得意ではない。体力もなかった。


 隣を歩いているひなちゃんの様子を窺う。


 彼女は、無表情でそそくさと歩いていた。まるで疲れた様子はない。その体格のせいか一歩の歩幅が狭いために、わたしは彼女に遅れることなく、並び歩くことができた。ひなちゃんが口にした言葉は、「行くよ」、「問題ない」、「次」の三つだけだ。まず、わたしの家を出発するときに、もたもたしているわたしに「行くよ」と言い、訪問したクラスメイトの様子を見て「問題ない」と告げ、わたしがクラスメイトから別のクラスメイトの住所を訊いたあとに「次」と先を急いだ。


 思えば、ひなちゃんと二人きりになるのは初めてだった。いつも彼女の傍には朝霞くんの姿があったからだ。彼が仲介役となり、それで、わたしたちはまともな会話を形成することに成功していたのだ。朝霞くんを通さなければ、言葉が繋がらない。会話のキャッチボールもできないし、ましてやドッジボールすら無理である。

なにならできるのか、考えてみる。


……打ちっ放し?


 次のクラスメイトの家まではまだ距離があるので、試しに会話の打ちっ放しに挑戦することにした。返事がくることなど微塵も考えない。いわば、質問攻めである。


「ねえ、ひなちゃん。ひなちゃんはいつから朝霞くんといるの?」


 ひなちゃんは、答えない。


 予想通りであり、覚悟もしていたため、心が折れることはなかった。


 まだまだこれからだ。


「朝霞くんはいつからアヤカシが見えてたの?」


 ひなちゃんは、答えない。


 見向きもしない。


 ひたすらに前進し続ける。


「ひなちゃんは、なんのアヤカシなの?」


 ひなちゃんは、答えない。


 長い急な階段に差しかかったが、彼女はペースを緩めることなく上っていく。少し行ったところに坂があって、そっちの方が楽だと教えようと思ったのだけど、言うが遅れてしまった。遅れたというか、まだ発声もされていない。


 とりあえず階段を上り切るまでは、質問攻めは休止である。ただでさえ体力のないわたしが、街を一日中歩き回っているせいで、そんな余裕はなかった。昇り切ったとしても、それからしばらくは息も絶え絶えになり、気力は完全に根こそぎ持って行かれていることだろう。


 わたしは手摺に捕まりながら、先をどんどん行く女の子を見ていた。赤い髪が歩調に合わせ、揺れている。髪のように赤いワンピース。サンダル。何気なく過ごしているけれど、彼女はアヤカシだ。いつの間にか馴染んでしまって忘れてしまいそうである。人と同じ姿をしているだけで、その中身は得体の知れないなにか。どうしてこうも平然と一緒にいられるのだろう? 襲われないと思っているから? 絶対にそうだと言い切れないのに、どうしてわたしの心は彼女を拒絶しないのだろう……。


 目の前にいるのは、異質の存在。


 わたしたちとは違う。


 同じ世界に住んでいようとも、相容れない。


 本当は、見えないし、触れられない。


 一方的に襲われるだけ。


 狩るモノ、狩られるモノ。


 弱肉強食。


 階段を上り切り、緩やかな上り坂に到着する。かなりの距離を縮められるために、時間的余裕はあったけれど、やはり体力的余裕はなくなっていた。


 膝に手をついて呼吸を整える。ひなちゃんは待っていてくれている――と優しさを垣間見た気がしたけれど、それはただこの先の道のりを知らないだけだからだろう。優しさなんてない。


 休憩し終えた頃には、空は紺色に染まりつつあった。そろそろ一番星が見えるかもしれない。


 最後のクラスメイトに会った。彼にも異常はなかった。つまりクラスメイト全員、『コックリさん』に憑かれていない。


 わたしはほっと胸を撫で下ろしたけれど、ひなちゃんは険しい表情を見せた。異常がなかったことに異常を感じているのだろうか。


「おかしいよ、これ」


 小学生たちが謎の球技を行っていた公園で再度休憩をしていると、ひなちゃんはそう呟いた。


「さっきからずっと考え込んでるよね。なにかまずいの?」


「最悪だよ。ただ異常がないだけならいいよ。だけど、今日会った人間には、『コックリさん』との縁がなかった」


「縁?」


「教室に場ができていたのなら、その影響を、そこにいた人間は受けているはずだよ。術者ではないけれど、その空気にあてられるはずなんだ。繋がるはずなのに、綺麗さっぱりなくなってる」


「よくわからないけど、いいことなんじゃないの?」


「いいことに見えるかもしれない。だけど、それは『コックリさん』が標的を変えたとも考えられる。あるいは充分な力を蓄えることに成功した……」


 ひなちゃんの話は飛躍し過ぎていて、わたしの理解を超えていた。わたしの問いに答えているようで、ひなちゃんは頭の中を整理しているだけなのだろう。考えがまとまるまで黙っていた方がいいかもしれない。


 ぶつぶつとなにかを呟いているひなちゃんの邪魔をしないように、わたしは公園の遊具の一つであるブランコに向かった。支柱は青色に染められているけれど、ところどころ塗装が剥げている。座板は赤く、それを吊り下げている鎖はどんよりとした銀色である。最後にこれで遊んだのはいつのことだったか思い出しながら、わたしは座板に腰を下ろした。鎖を掴むと、ひんやりとしていて気持ちよかったけれど、手が鉄臭くなると思うとプラスマイナスゼロだ。


 正面に風を受け、今度は背に風を受ける。ブランコをある程度の高さまで漕ぐと、子供に戻ったような気分になった。空が近づいたり、地面から離れたり。もっと高く、と思うけれど、そのうちに鎖の方がガシャリと嫌な音を立てる。この音が聞こえたあとは、徐々に勢いを殺していった。


 この歳になってブランコを堪能してしまった……。


 急に恥ずかしくなり、辺りを見渡したが、公園にいるのはわたしとひなちゃんだけだった。


 それからしばらくブランコに座ったまま、空を仰いでいると、ひなちゃんが声をかけてきた。


「この街に神社っていくつあるの?」


「神社? んと……」


 わたしはこの街の地図を頭に思い浮かべた。誰にも話したことはないけれど、暇なときにはよく地図を見ていた。


「六、七箇所あるよ」


「その中で、アヤカシが集まりそうな雰囲気を持つ神社は?」


「どうだろう、それはわかんないかな」


 地図を眺めるだけで、実際に訪れたわけではない。場所はわかっても、雰囲気まではわからない。


「じゃあ、質問を変える。参拝客が一番少ないのはどこ?」


「どれも変わらないよ。それなりに差はあるだろうけど、どこも初詣のときとかは賑わってるし、アヤカシが集まるとは思えないよ。あ、お祭りごとが好きなアヤカシなら来るかもね」


 少しおどけてみせたが、ひなちゃんの表情は微塵も変わらなかった。変な空気も漂わず、なにもなかったかのように扱われた。


 突然。


 本当に突然だが、わたしはあることを思い出した。


「そういえば、参拝客がいないというか、神社であることさえ知られてない場所があるよ。わたし、そこには一度行ったことがあるんだよね」


 すると、彼女は食い気味に「それどこ」と訊いた。普段の彼女から想像できないほどの剣幕だった。少し焦燥が見える。事態はそれほどまでに悪い方へと転がっているのだろうか。


 その神社は、わたしたちのいる公園からは少し距離があり、走って三十分はかかる場所にあった。わたしの家からだと歩いて十五分ほどだ。そこは入口が入口に見えず、ただの小高い山にしか見えない。長い石の階段があるのだが、左右から伸びた木々の枝がそれを覆い隠していた。誰も手入れをしないのは、そこに漂う空気が、この世のものとは思えないほどに暗く、そして混沌としているからだろう。直感的に足を踏み入れることを拒むような空気が、平然とその場所からは地を這うかのように、重く流れ出ていた。


 わたしがそこを訪れたのには、理由がなかった。


 ただの気まぐれである。


 今思えば、感じ取った空気を「見なかった」ことにしたのだろう。だからあの長い階段を上ることができた。誰もが目を逸らし近づくことを拒む場所に、目を向け、しかし見ておらず無防備な心で近づいた。なかなかに器用なことをしたものだと、今のわたしはかつてのわたしに対して感心した。


 住宅街を駆け抜け、わたしたちはその神社へと向かった。街灯は点々と設置されており、まるでその道のりだけを照らしているようだった。


 道行く人を避けながら、わたしたちは走った。


 そして――その暗く閉ざされた入口を、視界に捉えたのだった。

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