第14話

 考えてみれば、簡単なことだった。常名ちゃんに電話をかけたアヤカシは、常名ちゃんのお婆さんの声を完璧に発声することができた。それこそ、常名ちゃんが太鼓判を押すほどに。


 似ているのではなく、同じだった。


 アヤカシなら当然だろう。


 声帯模写くらいできて当たり前。


 しかし、問題はそのアヤカシの種類だった。ヒナが言うには、この辺りに住む声帯模写が得意なアヤカシは、山彦の一種である。できて当たり前と聞かされれば、無意識の内にそのアヤカシが知らない人の声でもできてしまうように認識してしまう。あるいは、どんな声でも真似できる。実際、そういうアヤカシもいるはずだ。だから俺は最初、そんなどこにでもいるようなアヤカシを探さなければならないのかと考えた。


 しかし、そうじゃない。


 山彦――その起源は声が、音が反射する現象。これがアヤカシになったというのなら、聞いた声を真似するアヤカシということになる。それの一種。または派生ならばそこに繋がっているはずだ。聞いた声を真似できる。


 そしてヒナの「どちらでもない」という発言。いい方向に導くのでもなく、悪い方向に導くのでもない。それは停滞を表している。導かずに、その場に留めようとしている。


 これがすべて。


 まったくと言ってその通りだ。


 俺は自分の背より二倍ほど高い門をくぐった。実物を見たことがあるわけではないが、羅生門を思い出させる門だった。もちろん実物があるかどうかも知らない。子供のころ――と言っても、中学のときにそんなタイトルのような本を読んだことがあったような気がした。


 常名ちゃんに聞いた通りの昔ながらの日本家屋。うちの洋風の家とは真逆の建物だ。最近まで手入れされていたようで、庭はとても綺麗だった。


 石畳を歩きながら、辺りを見渡す。当然だが、誰もいない。「誰か」というのは人のことで、もしいたのなら、それは間違いなく常名ちゃんのお婆さんの関係者だ。出会ってしまった場合、自分の身分を説明するのがとても面倒だ。常名ちゃんの友達と説明したところで、信じてはもらえないだろう。小学生に高校生の友達がいるとは考えにくい上に、常名ちゃんは「いい子」で通っている。俺みたいな男子高校生と簡単に友達になるはずがないと判断され、俺はこの敷地から追い出されるだろう。


 まあ、普通に不法侵入なのだけれど。


 玄関まで辿り着き、扉に手をかける。もちろん開かなかった。この分だと、どこかだけ鍵が閉め忘れられているなんてことはなさそうだ。


 常名ちゃんはお婆さんが亡くなってから一度もここへ訪れていないらしい。ここへ行けばたしかに楽しかった思い出を感じることはできるが、それと同時に、お婆さんがいなくなったという現実が胸に突き刺さるからだ。


 楽しい思い出も、悲しみを生むだけ。


 玄関から離れ、池のある方へと向かう。池には鯉が二匹ほど泳いでいた。「ほど」と言ったのは、三匹目が目に映ったような気がしたからだ。池が広くて、鯉の数を把握できなかった。把握する必要はないが、とりあえず泳いでいたのは二匹、それとたぶんもう一匹。この家の今後はわからないが、維持管理費がとんでもない額になるのは確実だった。


 池を見ているのは、心地よかった。この暑さを緩和してくれる。


 今日が休日で、しかも昼間から外にいるのは辛いものがあった。こんな日こそ家にいたいというのに、俺はこうして出かけている。先週の俺が見たら、なんて思うだろうか?


 ときどき、自分がわからなくなる。その行動理由に疑問を抱いてしまう。普段の俺であれば、こんなところまで足を運ぶことなんてしない。そもそも誰かのためになにかをしようなんて思わないはずだ。


 ナニカのために動くことはあっても、誰かのために動くことはしない。


 たぶんそんな感じだったはずだ。


 どこでその理念が崩れてしまったのか、それは考えるまでもなく小谷さんの存在なのだろう。理由はわからないが、あの人が訪問してきてから変わった。


 あるいは、あの人との出会いが起点なのかもしれない。


「そうだとして、なにが変わるって言うんだ……」


 自分の妄言を振り払うように、俺はそう呟いた。


 この庭の中で一際大きな木の幹に撫でるように触れる。植物の名前に詳しくはないので、触っている木の名前はわからなかった。ただ表面はゴツゴツしていて、肌触りがよくなかった。


「そこにいるんだろ? 出てきてくれないか」


 木を見上げながら、どこかにいるアヤカシに声をかけた。この木にいることは力を感じるからわかるが、その姿を見ることは、四方八方に伸びた枝や光を通さないほどに重なっている葉のおかげでできない。


 見れば見るほど、立派な木だった。


「名は?」


 どこかからそんな声が聞こえてきた。


「近衛という者だ。話がしたい」


「近衛……、聞き覚えのある名だな」


 背後に気配を感じ、振り返る。そこにいたのは、着物を着た人の姿をしたアヤカシだった。見た感じ、俺をモデルにしているのだろう。髪の色や背丈などが似ていた。


「ふむ、久しく人に化けることをしていなかったせいか、少し動き辛い。まあ、話をするだけならば、問題はないか。して、人の子よ。話とはなんだ」


「常名ちゃんに電話をしているのはお前か?」


 常名ちゃんによれば、昨晩も電話がかかってきたそうだ。


 いつもの声で――お婆さんの声で。


 他愛のない話をし、そして両親に言わないことを約束する。そんな決められたやりとりをしているらしい。


「……なるほど。あれの孫娘に相談でもされたか」


 アヤカシは少しだけ嬉しそうな表情を見せたような気がした。ほんの一瞬だったため、見間違いかもしれない。


「私の名は、めいだ。そして孫娘に電話をしているのは私で間違いない」


「そのことで常名ちゃんは悩んでいる」


「気味が悪いと?」


「そうじゃない。たぶん、嬉しいと思っている」


 死んだはずのお婆さんと話ができることは、常名ちゃんにとっては嬉しいことだ。決して気味が悪いとは思わない。常名ちゃんはお婆さんの声を聞き間違えるはずがないと自信を持っている。だから、アヤカシからの電話も、平気で出ることできるのだろう。


 声が聞けて、嬉しいのだ。


 声を聞けるだけで、充分なのだ。


 しかし、それが常名ちゃんを無意識の内に悩ませている。彼女もそれに気付いているが、口には出さない。誰だって、手に取ることのできている幸せを手放そうとはしない。


「お前はどうして電話をするんだ? 『あれ』の孫娘とか言っていたな。もしかして、お前は常名ちゃんのお婆さんと親交があったんじゃ……」


「ない」


 鳴はきっぱりと否定した。


「あれはお前のようにアヤカシを見ることのできる人ではなかった。珍しくもなんともない、ただの一般人だ」


「理由を話してもらえないか?」


「つまらない話だ。長い間、その親しい様子を見ていたら、情が湧いた。……ただそれだけだ」


 それは、嘘ではないが、なにかを隠しているようであった。だから間違ってはいないのだろう。答えとしては充分なものだった。


 言えない理由があるのか、単に言いたくないだけなのかはわからない。ただ、声では平然を保っているようだが、表情はどこか寂しそうなものだった。声のことはどうとでもなるが、表情は隠せないらしい。


 得手不得手。


 鳴は俺のことをジッと見つめる。


「……そうか、近衛か。あれにアヤカシの知識を与えたのは、たしかそんな名前だったな。思い出した。何度かこの家に来ていたな」


「その人は女性だったか!?」


「ああ。たしか、そうだった気がする。お前はあいつの孫なのか?」


「いや、息子だ」


「それにしては少し気配が違う気が……」


 俺は鳴から目を逸らした。人ならまだしも、アヤカシには隠すことはできないだろう。表面だけ塗り固められたものなど、彼らの前ではなんの意味を持たない。彼らはその本質を簡単に見抜く。


 俺を見て、違和感を抱くのは当然だろう。


「まあいい。少し話が脱線してしまったな。それで? お前がここに来た理由はそれだけではないだろう? もっとなにか言いたいことがあるんじゃないか?」


「常名ちゃんは会いたいと言ってる」


「無理だな。あれの孫娘もまた力なき人だ。私の姿を見ることは叶わない」


「わかってる。それでも会ってくれないか? そこにいるだけでいいんだ。ただ常名ちゃんの前にいてくれるだけでいい」


「……それでは、私がいてもいなくても同じではないか?」


「ただ会うだけじゃない。常名ちゃんはお前に伝えたいことがあるんだ」


「伝えたいこと?」


「だから会ってやってくれないか?」


 数分の沈黙。


「……わかった。だが、私は」


「ここから動けないんだろ。それはわかってる」


「触れただけでわかるか。珍しい人の子だ」


 それは当然のことだったな、と鳴は付け加えるように言った。

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