第13話

「それで? 本当のところどんな理由なの?」


 夕飯を終えたあと、ヒナが問い質してきた。


「あのちびすけの手助けをしようなんて朝霞らしくもない。百歩譲って――ううん、千歩譲って、美里の友人の親類だからという理由でも、朝霞らしくない。やっぱり小谷のことがあってから、変わったよ」


「人を襲わないのに、人を騙すアヤカシってのは、どんな感じなんだろうな」


 頭に思い浮かべるのは、赤い存在だった。


「それが理由? 朝霞もそのアヤカシに会ってみたいだけなの?」


「まあ、そうだな。会ってみたいな。なにを思って、常名ちゃんのお婆ちゃんの声を真似ているのか、興味がある」


 食器を洗いながら、ヒナに答える。


 リビングにいるよりも、喫茶店――もとい玄関の方が涼しいため、今年の夏はこっちで過ごすことが多くなりそうだ。テレビはないが、涼しいだけで充分である。


 就寝は自分たちの部屋でしなければならないのが、名残惜しいところだ。ここには布団を敷く様な場所はない。ヒナくらいの身長であれば、椅子を並べればなんとかなりそうなものだが。


「食べるんじゃない?」


「そうだったら、とっくに喰ってるだろ」


「アヤカシは自由じゃないからね。そうしなければ存在できないってこともあるよ。今回の場合、声を真似なければならないとか。まだなにかあるのかもね」


「声を真似るアヤカシってのはどのくらいいるんだ?」


「たくさんいるよ」


「絞り込めそうか?」


「この辺にいるのなら、『山彦』の一種がそうかもね」


 ヒナはテーブルにだらしなく倒れ込んだ。結んでいない髪が、テーブルの上に広がる。


「山彦というのは、人を騙すっていうよりは人を導くアヤカシだね。その起原は山で聞くことのできるあれね」


「人を導くってのは初めて聞いたな」


「そうだね。声が返ってくるくらいにしか認識されてないもん。導くって言っても、いい方向ばかりじゃないよ。悪い方向にだって導くんだ」


「常名ちゃんの場合は、どうなんだ?」


「ヒナの推測なら、どっちでもない」


「どっちでもない、か」


 水を止め、タオルで手を拭いて、ヒナの正面の席に座る。


 そういえば、まだ制服のままだった。来客ばかりで着替えることを忘れていた。クーラーのおかげで昼間の汗は完全に引いていたが、クーラーのせいで風邪をひきかねない。さっさと着替えてしまおうと思ったが、どうせすぐに風呂に入るため、今は着替えずにおくことにした。


「そいつに会うことはできるか? できれば近日中に」


「どういう意味? ヒナにそのアヤカシを探せって言ってるの?」


「別にそういうわけじゃない。どういうところに現れる可能性が高いとか、そういう漠然とした情報でもいいから教えて欲しいんだ」


 アヤカシのことならアヤカシに訊けばいい――そんな馬鹿なことを考えているわけじゃない。すべてのアヤカシが、すべてのアヤカシのことを知っているわけではない。決められた個体数が存在するわけでなく、下手すれば一日ごとに新しいアヤカシが生まれている可能性もあるのだから、すべて把握できるはずがない。


 人が生きていくだけで、アヤカシは増えていく。


 それは時代が移ろう中で、新たな環境が生まれ、新たな噂が流れるからだ。アヤカシという存在は環境に左右される――いや、世界そのものと共にあるのかもしれない。


 そういった意味では、ヒナは世界の法則を超えてしまっている。あるいは、世界の法則の頂点にいる存在だ。


 最高峰のアヤカシ。


 世界の移り変わりを見続けたアヤカシ。


 そんなヒナならば、アヤカシがどんな条件で、どこで出現するか、ある程度なら予測できそうだった。「声を真似る」、「この辺りに住んでいる」という条件だけで、山彦の一種とまで絞り込めたのだ。まだ断定されたわけではないが、その線で考えて間違いないだろう。ヒナがこの手の話で、間違いを犯したことがない。その実績が充分すぎる判断材料となっている。


「……電話してくるって言ってたけど、あれはどうなんだろうね。アヤカシが電話をかけているなんて、にわかに信じられないけど」


「お前だって、電話使ってるだろ」


 主に電話をかけているのは、俺だけれど。


「ヒナはこの家に住んでいるからね。例外中の例外。普通のアヤカシは、そんなことしない。アヤカシ同士で生きてるならまだしも、人と生きていくことなんて絶対にしないよ。まあ、それはヒナの考えであって、実際はそうであるかなんてわからないんだけど」


「アヤカシはそういうものだって言ってきたのにか?」


「自分の常識は、他者の非常識」


 眠そうな眼差しで、そう言うヒナ。


 一日に何時間の睡眠をする気なのか。


「ヒナの常識なんてものは、案外、時間の流れの中で非常識に変わってるのかもしれない。大きくは変わってなくても、細部が変わってしまえば、それだけで常識とは言えなくなるからね。他者との感覚の齟齬――それだけで常識は非常識になっちゃう」


 俺や母さんがアヤカシを見られるのが当たり前だが、他者からすればそれは常軌を逸していることだ。普通とは違う。その他大勢には含まれない。そういうことなのだろう。


「人と関わることで、存在を保てるアヤカシは昔からいるからね。ぬらりひょんとかがそう。多くのアヤカシがそうであっても、全部がそうではない。無限に近い数が存在するアヤカシを、一括りにするのが無理な話なんだよね。そもそもアヤカシは人がいて初めて成り立つ」


「その割には、人よりも上位の存在だって豪語するよな」


「前にも言ったけど、人が弱いからだよ。脆いのかな?」


「その話はもういい。何度も聞いたし。アヤカシの力で――まあ、念力みたいなもので電話をかけることってできそうか?」


「できるよ。そもそもそっちの方が可能性としては高いね。でも今回はやっぱり電話を使ってると思うよ」


「どうして」


「何度もかけてるみたいだし、それに一回一回の会話が長い¥ようだった。これって結構、力を消耗することなんだ。一番効率の悪い方法だね。どんなアヤカシでもこんなことはしない」


「喰ってるんじゃないか? 力を蓄えてから、常名ちゃんに電話をしているとか」


「それだと、ちびすけに電話をする意味がなくなるよ。誰でもいいなら、ちびすけには電話しない。ちびすけを狙ってるなら、他の人間には手を出さないでしょ」


 それに美味しそうには見えないよ、とヒナは付け加えた。


 常名ちゃんは、普通の子だということ。


 その他大勢側の人間。


 力なき人。


「アヤカシのお前が言うならそうなんだろうけど、だとすると、そいつはなにをしようとしているんだ。いい方向にも、悪い方向にも導かず、人を喰おうとしないなんて、自らの存在を否定してないか?」


「人を食べるだけが、アヤカシじゃないけどね。うん、本当になにを考えているんだろう。ま、ヒナが言える立場じゃないんだけど」


「わかったことがあれば言えよ」


「言ったよ。『どちらでもない』って。これがすべて」


「わからねえな」


「そのアヤカシを探すのなら、ちびすけの家の場所を聞いた方がいいね。その周辺から探していくのがベストだもん」


「というか、常名ちゃん、いろいろ喋った割には、そういったこと一つも話さなかったな。自分の家のこととか」


「朝霞を信用してないんでしょ」


「まあ、それはそうだな」


 ヒナが大きなあくびを見せる。子供の姿をしているためなのか、精神年齢も下がっているのかもしれない。まだ眠くなるような時間ではないし、日中に過度な運動をしたわけでもない。基本的になにもしないヒナが疲れることはないに等しい。倒れることがあっても、それは空腹か、あるいは暑さによるものだ。


 さすがはアヤカシと言うべきなのか。


 それともアヤカシのくせにと言うべきなのか。


「ま、ちびすけは朝霞を信じてないだけじゃないと思うけど」


「お婆さんのことだけ……だよな」


 お婆さんのいなくなった今は、その教えを信頼して、それを遵守している。子供ながらに人生の方針が決まっているのだ。心や精神のことについては、常名ちゃんのあの一挙一動を見るに、すでに定まっていた。


 思えば、ヒナの言ったことは、常名ちゃんからその教えを引き剥がそうとしていたのかもしれない。お婆さんの教えではなく、自分の意思を見せてみろと言っていた。


 小谷さんのときも、その内心を見抜くようなことを、小谷さんの狼狽する姿も関係なく言い続けていた。


 アヤカシだからこそ、見えるのかもしれない。


 その内心が――人の心が。


 だとすれば、俺の心も見抜かれていて、それを知ってなおヒナは黙っているのだろうか。この家に居続けているのだろうか。


「ん? そうか。そうだよな」


 ふと、閃いた。


「どうしたのぉ?」


 目が完全にとろんとしてきているヒナ。本格的に眠くなってきているらしい。


「いや、まず行くべきところがハッキリした」


 公衆電話を回るのも、常名ちゃんの家に行くのもそのあとでいい。


 優先すべき場所はただ一つだ。

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