第12話

 常名ちゃん。


 十歳。この家から一番近い小学校に通っている小学四年生。


 普通の家庭に生まれ、普通に育てられてきた。


 母親、父親共に健在。


 好きな食べ物は、甘い卵焼き。


 嫌いな食べ物は、辛いもの全般。


 常名ちゃんは席に着くなり、訊いてもいないのに自分のことを話し始めた。なんでも、相手にお願いをするときは、まずは自分のことを話すようにとお婆さんに言われているらしい。


 お婆さん――祖母。


 母親の母親、あるいは父親の母親。


「それで、そのお婆ちゃんがいなくなったの?」


「はい……。お母さんが、お空に行っちゃったって」


「ああ……」


 俺とヒナは目を合わせた。


 ヒナは俺の横、常名ちゃんは向かい側の席に座っている。テーブルには麦茶の入ったグラスが三つ。それと常名ちゃんのお気に入りのポシェットと麦わら帽子が置かれていた。


 店の客ではない人が連日訪問してくるなんてことは、これまでに一度もなかった。といっても、店の客は、ここ最近では小谷さんだけなのだが。


 母さんの知り合い……の孫。


 どんな知り合いなのだろう。


 少なくとも、彼女の名字に憶えはなかった。古くからの知り合いなのだろうか。困ったときに訪ねるよう言うくらいだ、かなり親交はあったのだろう。信頼できる、信用できるほどには。


 しかしどうやらその人は亡くなったようだ。常名ちゃんは寂しそうな顔は、そのお婆ちゃんをどれだけ好きだったのかを知るには充分だった。


 だとすると、常名ちゃんはなにをしに来たのだろう。


 お使い、というわけでもなさそうだ。


 いや、なにをしに来たのかはわかっている。


 常名ちゃんが言っていたじゃないか。


 お願いをしに来たのだ。


「でも、ときどき空から電話がかかってくるんです」


 常名ちゃんは、あどけない瞳で俺たちを見ながら言った。


「え?」


「は?」


 不覚にもヒナと揃ってしまった。


 空から電話……?


「それはどういうことなんだ?」


「えっと、ときどき……、たまになんですけど、おばあちゃんから電話がかかってくるんです。わたし、何回も話しました」


「声が似ているとかじゃなくて?」


「わたし、おばあちゃんの声、間違えません」


 それもそうだ。


 話を聞く限り、休みの日のほとんどをそのお婆さんの家で過ごしているのだから、相当好きだったのだろう。一年に数回会う相手でもあるまいし、声を間違えることはない。それに常名ちゃんは、会う回数よりも電話で話す回数の方が多かったらしい。電話での声も聞き慣れている。間違えようがないほど。


「空から電話、ね。お母さんたちには話したのか?」


「話してないです。話しちゃうと、おばあちゃんとお話しできなくなっちゃうんだって」


「そう言われたのか」


 常名ちゃんはコクリと頷いた。


 すぐに信じてしまうのも、まだ小学生であるためなのか。それともやはり大好きだったお婆さんの声を聞きたいからなのか。これは間違いなく後者だろう。


 それにしても怪しい。「空からの電話」というのは、もちろん常名ちゃんの言い方によるものだから考えないでおくとして、気がかりなのは、誰が常名ちゃんに電話をしているのかだ。


 それも目の前の少女を信じ込ませてしまうほどのお婆さんの声で。


 誰がと言ったが、大方の答えは出ているのだ。


 こんなことができるのはアヤカシくらいだろう。声真似が上手過ぎるというのも考えものだが、しかしなんのために?


 アヤカシは人を喰う。人が牛や豚を食べるのと同じように、アヤカシも人を食料として、栄養として見ている。


 それはわかっている。


 けれど、だからこそわからない。


 こう言うのもおかしいが、常名ちゃんくらいの女の子なら、わざわざ騙さなくても簡単に襲うことできるはずだ。抵抗も、反撃も許さず、喰うことができるはず。大の大人ですら、簡単に襲われてしまうのだから、それくらいは当然。


 ならこのアヤカシはなにを考えている?


「あの……」


 ふと、常名ちゃんが声をかけてきた。急に黙ってしまったので、不安になったのかもしれない。


「なにかな?」


「その……、そちらの赤い子は妹さんですか?」


「どうして?」


「えと……、お兄さん」


「朝霞でいいよ」


 常名ちゃんが俺をどう呼ぶか迷っていたので、そう告げた。よく考えてみれば、常名ちゃんが話しているだけで、俺とヒナはほとんどなにも話していない。自己紹介すらしていなかった。


 必要なのかと問われると、必要ないような気もした。


「朝霞さんは日本人っぽいですけれど、そちらの赤い子」


「ヒナだよ。赤い子じゃない」


 ヒナが少し不機嫌そうに言った。


 常名ちゃんは言い直す。


「ヒナさんは日本人っぽくないというか、外国の人形みたいだから、少し気になって……」


 俺は、ヒナの様子を確認した。どう説明されたいのかを知るためだ。俺自身の考えで答えるのなら「居候」なのだが、ヒナはその答えを良しとしないだろう。それに、常名ちゃんが持ち込んできたことには、ヒナの力添えが必要のようだし、あまり機嫌を損ねることはしたくない。


 ヒナは麦茶を飲みながら、横目でこっちを見ていた。


 どう答えるのか試されているのだろう。下手なことを言えば、家を飛び出しかねない。


 仕方なく、


「家族だよ」


 と俺は答えた。


 ヒナは満足気な顔を見せた。


「遠い親戚だから似てないし、それに外国の血も少し混じってるらしいんだ」


「そうなんですか」


 その返答を聞くに、あまり興味はないのか、あるいは子供ながらに引っ掛かることがあるのかもしれなかった。子供は幽霊の類を見ることがあるらしいし、それに常名ちゃんはそんな怪奇現象と対峙している。


「それにしても赤い髪ですね。染めてるんですか?」


「……さあ? オランダ系あたりの血が入ってるんじゃないかな」


 やけに鋭いことばかり訊く常名ちゃん。商店街の人たちもここまで深入りしてくることはなかったのに、将来有望な子だ。


 探偵とか警察になるといいよ。


「それで、常名ちゃんはどうしたいわけ?」


「え?」


「常名ちゃんは俺の母さんを頼ってここに来たんだから、俺に話したところでどうにもならない。それに、母さんはいない。今更なんだけど、俺に話しても意味ないよ」


「そんな……」


 常名ちゃんの表情が曇る。ここに来て話せば、問題が解決すると思っていたのだろう。お婆さんに言われて来たのだから、それは仕方のないことなのだが。


「話を聞いた限りでは、なんの問題も起きてない。ただ電話がかかってくるだけだ。それが嫌なら、常名ちゃんが電話に出なければいい。それで解決じゃないかな」


「………………」


 常名ちゃんは黙る。賢い子だから、そのこともわかっていたのだろう。電話に出なければいいなんて答えは、ここに来る前に気付いていたはずだ。


 困っていることを話せばいいのに、その内心を話そうとしない。


 だからきっと困ってはいないのだろう。


 だけど、相談はしたかった。


「朝霞、いくらなんでも言い過ぎ。ううん、回りくどいよ。どことなく人間嫌いが浮き出てきてるから、注意した方がいいよ」


「だったら小谷さんのせいだな」


「『おかげ』の間違いじゃない?」とヒナは俺の心中を見ているかのように言った。なにを考えての発言だったのかは、訊かないでおこう。


「まあ、どっちでもいいけど。回りくどいと言うのなら、そこのちびすけも同じ」


「ちびすけって、わたしのことですか?」


 その呼称に驚いて、常名ちゃんは顔を上げた。


「そうだよ、ちびすけ。言いたいことがあるなら、包み隠さずはっきり言いなよ。それがものを頼むってことだよ。困ってるんなら、そう言う。知りたいことがあるなら、知りたいって言うべきなんだよ。まだちっこいんだから、変に自分を隠さなくてもいいんじゃない?」


「なんなんですか? ちっこいってヒナさんも同じくらいでしょ」


 ヒナは常名ちゃんの指摘を無視する。


「まずその敬語をやめないとね。子供らしさがないよ。いいんだよ、子供は子供らしくしてさ。真面目な子だと思われるかもしれないけど、その反面、なにかを隠している子なんだろうなって思えちゃうよ。子供は素直に生きなくちゃ」


「う……」


「どんな環境で育ってるのかは知らないけれど、子供らしくするのが子供の仕事だよ? 勉強とか嫌いでいいし、遊ぶのが好きでいい。いい子であることが、決していいことだとは限らないんだよ」


 ヒナは常名ちゃんの目を見て言う。こういうとき、ヒナは相手の目を見続ける。心の揺さぶりが成功しているか確認しているのだ。


 もちろん、相手の心配をしているわけではない。ヒナはあくまでも相手を見下している。特に人に対する目は、アヤカシを見るときのそれとは違う。ヒナの中では、人と虫であれば、虫の方が上なのだから。


「うるさい! あなたになにがわかるの!」


「わからないよ。なにもわからない。ヒナもそうだし、朝霞だってそうだよ。ちびすけの気持ちがわかるのは、ちびすけだけ。本当の気持ちを知ることなんて他者には不可能なんだ。だから言葉があるんだよ。言葉を使って、表現する。それが理解し合うことの第一歩だよ」


「うう……」


 常名ちゃんは目に涙を浮かべた。単に言いあいに負けたという理由ではない。思い当たる節があるからこそ、涙を浮かべてしまったのだろう。悔しいのではなく、辛いのだ。または苦しい。


 賢いからこそ、ヒナの言う「いい子」だからこそ、子供のように自分の気持ちを吐露できない。大人になるのが早過ぎた。まだ大好きだったお婆さんの死を受け入れることはできていない。


 このままヒナに話させるわけにはいかない。常名ちゃんの心が壊されることを危惧した俺は、ヒナに声をかけた。


「ヒナ」


「なに?」


「俺はこの子の悩みを解決してあげようと思う」


「理由は?」


「この子のお婆さんが、母さんの友人だったからだ」


「それだけ?」


「ああ。それだけだ」


 朝霞、と俺の名を呼ぶヒナがその続きを告げる前に俺は言う。


「今はそれしか言えない」


「……わかったよ」


 ヒナは溜息をついた。昨晩に続き、アヤカシに絡んでしまうことを呆れているのだろう。今までこういうことがなかったわけじゃない。しかし、それは問題を持ってきたのがアヤカシであって、人ではなかった。


 人がここまで入ってくるのは異例なのだ。


 異常と言ってもいい。


 なにかが狂い始めている。


 グラスに入っていた麦茶を飲み干し(俺の分も含め)、ヒナは家の奥へと消えていく。一眠りするのかもしれない。気分をリセットするには、それが効果的だが、それがアヤカシも同様なのかは不明だ。


「ごめんね、常名ちゃん。あいつも悪気があるわけじゃないんだ。ただ正直なんだよ。思ったことを、感じたことを簡単に吐き出しちゃうんだ」


 と言っても、ヒナにだって言えないこと、言えていないこともある。それこそ、ヒナにしかわからない気持ちで、言葉にされても困る類のことだろうけれど。


 大丈夫、と常名ちゃんは涙を拭った。


「わたし、電話の相手に会いたいんです」


「どうして?」


「伝えたいことがあるから――だから会いたい」


「それがどんな相手でも?」


「どういうことですか?」


「いや、なんでもない」


「気になります」


 ジッと常名ちゃんは俺の目を見てくる。身長差のせいか、それは強烈な上目遣いで、ヒナのそれとはまったく違う威力を持っていた。


 こう、父性をくすぐられるような。


 俺に父性なんてあったのか。


「世の中、いい人ばかりじゃないってこと。俺だって実は常名ちゃんのことを騙そうとしているのかもしれない。隙を見て、襲おうとしているのかもしれないよ?」


「おばあちゃんの友達を信用してますから大丈夫です」


 その一言は、俺を陥落させるのには充分な、充分過ぎるものだった。俺が間違いを犯せば、母さんの信用も落ちてしまう。もしくは、その貴重な関係が破綻してしまう。天秤にかけられたのだ。俺自身か、母さんか。


 下手な冗談は通じない、か。


 どんな教育を受ければ、こんな子が育つのだろう。


「お婆ちゃんから、俺の母さんのことはどの程度聞いてるの?」


「とても優しい人だって。なんにでも分け隔てなく接する人って聞いています」


「変だと思わなかった?」


「変?」


 常名ちゃんは小首を傾げた。所々小学生らしい。


 その人を表現するのに、普通なら「なんにでも」なんて言葉は使わない。「誰にでも」と言うのが、世間一般での常識だ。つまり前者を使ったということは、彼女のお婆さんは知っているのだ。母さんがどんな人だったのかを。


 母さんは話したのだ。自分がどんな人間なのかを。


 それほどまでに信頼していた相手だったということ。


 母さんの本当の意味での友人。


 数少ない繋がり――糸。


 絆。


「他にはなにか言ってなかった?」


「おばあちゃんの友達の中では、一番うさんくさくて一番信頼できる人、みたいなことも言ってたような気がします。あとはなにも。会ってみればわかるって」


 俺のことは知らないみたいだ。つまり、かなり前の関係で、連絡も取っていなかったらしい。


 手紙の一つもない。


 母さんが俺のことを言わなかったという可能性もあるが、それでも常名ちゃんのお婆さんが、この家に来ていないということがわかる。訪問していれば、俺の存在を目にするはずだから。


「そっか」


「あの、わたしのお願いは聞いてもらえるんでしょうか」


「俺ができることはしてあげるよ」


「手掛かりないですよ? それでも大丈夫なんですか?」


「やってみないことにはわからない。とりあえず、やるだけやってみるよ」


「あの……、これを訊くのは恥ずかしいんですけど……」


「なに?」


「電話の相手が本当におばあちゃんってことはないですか?」


「幽霊ってこと?」


「はい……。わたし、そういうの、信じてないんですけど。おばあちゃんはそういう話が好きでした。怪談とか、都市伝説とか」


 それが母さんの影響だったのか、それともそういうことで母さんとウマが合ったのかは今となってはわからない。


「どうなんだろうね」


「朝霞さんはそういう話、どう思いますか?」


「嫌いじゃないよ」


「信じてるんですか?」


「信じてない」


「もしかして、わたしのこと嫌いですか?」


「なんで?」


「素気ない……感じがします」


「緊張してるんじゃないかな。小学生と話すことなんてないからさ。それに俺はあまり人と話さないんだよ」


「でも、ヒナさんが」


「ヒナは家族だからノーカウント」


 本当ならば、「ヒナはアヤカシだからノーカウント」と言いたいところだが、そんなこと言っても信じてくれないだろうし、言う必要もない。


 それから、常名ちゃんは俺のことを探るような質問ばかりしてきた。どこか面接を受けているような気分になったが、俺の態度は変わらず素気ないものだった。それでも質問攻めは止まない。


 小谷さんなら潔く諦めてくれそうだが、しかし彼女は高校生だ。俺の一つ上、高校三年生。相手の気持ちを察することくらいはできるから、そうなのかもしれない。と言っても、小谷さんなら俺に質問はしないで、ヒナに質問をし続けそうだ。


 常名ちゃんは時折、喉を潤すために麦茶を少しずつ口にした。


「朝霞さんって面白い人です」


「そう? 俺はそう思わないけど」


 というか面白いことなんか一つも言ってない。


「聞き上手なんだと思います」


「今の質疑応答でそれがわかるの?」


「おばあちゃんが言ってました。つい話したくなる相手や、質問したくなる相手というのは、自分の言葉をきちんと聞いて、それに返答してくれる人だと。朝霞さんは、どんな質問にもきちんと答えてくれました」


 素気なかったですけど、と付け加えられた。


「常名ちゃんは、両親には優しく育てられて、お婆ちゃんには厳しく育てられたんだね。どっちが好きだったの?」


「なんでわかるんですか?」


「『お空に行っちゃった』なんて、小学四年生に使うとは思えない。それに話を聞く限り、そのお婆ちゃんから人の死については聞いているんじゃないかなって思って」


「少しですけど、聞いてました」


「もしかして、親御さんにここに行っていること、伝えてないんじゃないか? というかお婆ちゃんと会うのも秘密だったとか」


「探偵さんみたいです!」


「当たりか。今日は帰った方がいいな」


「え? でもまだお話ししてたいです」


「そうは言っても、もう時間が時間だし」


 夕暮れとまではいかないまでも、日はとっくに傾き始めている。まだ明るいから誤解しがちだが、すでに十六時になろうとしている。


「今日はここまで。電話はいつもかかってくるのか?」


「そうでもないです。一日に二回あったり、ない日もあります」


「ふうん。今日、かかってきたらどうするつもりなんだ?」


「出ようと思います。なにか手掛かりが聞けるかもしれませんから」


「なるほどね」


 そのあと少し雑談をして、常名ちゃんは家に帰って行った。いくつかお婆さんの教えを聞かせてもらった。家族以外の前では泣いてはいけない、相手の目を見て話すなど、人間として最低限の常識と、お婆さんの持論などがあった。


 俺は、門のところで彼女を見送った。


 当たり前だが、その後ろ姿はどう見ても、小学生だった。

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