七 鏡

 春。ケントの寮周辺の木々は花や若芽で輪郭が柔らかくなっている。気の早いものは半袖で外出していたが、ケントは薄い春物のセーターを羽織っていた。周囲の者たちとの距離はいっこうに縮まらないが、かといって干渉もしてこない。実験農場を含む学校敷地すべてが撮影規制区域に指定され、一時のように騒がしくなくなったのはありがたい。

 報道によると、不老成分は天然、合成品ともに臨床試験の段階に入り、シミュレーションや培養細胞、動物実験によるのと同様の良好な結果が出始めていた。

 リルでは政府とLIOHの発表が起こした波紋がまだおさまっていない。予想されていたとはいえ、それが公式に認められ、移住の予定表が具体的に自分たちにせまってくると、人々は怒り、混乱し、嘆いた。

 人々を落ち着かせるために行われていた見せかけの公共施設の工事は中断され、資材が転がったままのようすは破壊行為があったかのようだったが、実際には暴動はまったく発生しなかった。治安維持軍は発表前後に過剰ともいえる警備態勢を敷いて市民の怒りがひとつにまとまるのを防ぎ切った。

 それから政府職員とLIOHの中核メンバーが反対を表明した市民の説得にあたり、説明を希望するリル市民全員と面談を行った。移住反対派を抑えるのに決定的だったのは保護協会の中間報告の分析結果で、これを示されてなお反対を続けられるだけの市民はいなかった。むしろ、不老成分が見つかっていなければ、どこまでリルを食いつぶしていたのか、驚愕と悔恨の念が広がった。

 今年は出漁はない。リルも春を迎えて港内の海水は灰色に染まったが、船は浮かんでいない。星間企業は業務を閉じて引き揚げていき、地元企業は補償のための自社資産の算定を行っている。

 引き揚げのための準備期間は標準時で一年。それから五年で三十万人を地球へ移住させる。地球側はニュージーランド区に受け入れのための集合住宅を建設し、必要となる公共施設の拡充を行っている。

 星間社会は資金と機材を提供した。移住用の貨客船は百人乗りのクラスがほぼ百隻集められた。また、地球移住のための教育課程が設けられ、新しい暮らしのための基礎知識や風俗習慣の情報提供が行われた。

 移住後も三年かけて建築物や施設を解体し、廃材をリル外へ持ち出す計画になっている。残されるのは、管理者や研究者が降下した際の一時滞在用の建物や規模を縮小された発電施設のみとなる。港の突堤や、河川の護岸工事も取り除かれるので、春の洪水のたびに河口付近は水びたしになるだろう。それが自然の状態なのだ。

 鎧甲類からの薬品や希少成分を得られなくなる産業は在庫の確保や代替品の開発を余儀なくされるが、この損害は今後長期にわたって補填され、代替品の研究開発費用については特別に減税の対象として認められる。

 星間社会は精いっぱい努力して、リルから拡がる衝撃の波紋をできるだけやわらげようとしている。不老というのはそれほどまでに魅力的だった。

 気の早い一部政治家はこれまで人類の居住に適さないとされ、発見されたまま放置されてきた惑星の地球化計画を提案している。一万年から十万年を要する計画で、実行には生命の非存在を証明しないといけないが、笑う者はいなかった。どんな長期計画でも、取り掛かりさえすれば結果を見られるはずだ。

 人類はそうした片づけねばならない問題を処理しながら前に進んでいくが、なかでも、星間社会全体にわたるような大きな問題がふたつあった。

 ひとつ目は、リルだけではないだろうという不安だった。ほかの惑星でも調査が行き届いていないだけで、リルと同様の貴重ななにかが見つかるかもしれない。その時、場合によってはリルと同じく移住しなければならない可能性がある。

 ただ、それはそうなってみないとわからない。各惑星政府は、自らの星の資源について再調査にとりかかったり、その予定を立てている。また、星によっては地球と同程度の環境保護規定を定めようと動いている。こうした動きは、近い未来の景気には悪影響を与えるだろう。

 ふたつ目は、鎧甲類の飼育や人工繁殖がいっこうに成功しない点だったが、これについては人々はそれほど悲観的ではなかった。不老成分自体は合成できているし、時間はたっぷりある。いずれ成功するだろう。それでも、合成品になにかあった場合の供給不安はいつも頭の片隅にこびりつく影だった。

 この『いずれ成功するだろう』というのが人類の星間社会全体の合言葉になった。健康で事故に会いさえしなければ未来は長い。そんな人々の思いを反映してか、医療関係の産業がじわじわと伸びてきていた。

 それと、食品関係にも注目が集まっている。合成食品の改良から、天然品を安く、効率よく生産する研究まで、長い人生に食べる楽しみを見出そうとする人々の需要は無視できないものとなった。また、人口は確実に増加する。その分の食べ物を確保しなければならない。長生きはしても、いつも空腹というのでは値打ちがない。

 ケントの学校も教育課程を大幅に見直した。それと同時に基準をさらに厳しく改めた。ついていくのは大変そうだが、修了すればいたるところで活躍できるだろう。ケントにすら、インターンシップに来ないかという非公式の勧誘が来るようになった。

 しかし、ケントは地球降下から丸一年になる夏、作物の増産と土地に合わせた品種改良の研究者になろうと針路を修正した。修正、というより原点に帰ったのかもしれない。『おいしいものを腹いっぱい』という、リルにいたころからずっと頭にある原点だ。それをリルに限らず人類の住むすべての場所で実現できたらどうだろう。

 いまとなってはそれこそが自分の進むべき方向だ。遠い未来の人間がどうなるかわからないが、当分は口からものを食べるのだろう。どうせ食べるならいいものを口にしたい。食べ物が絶対に不足しない人類社会ができたら、だれもが喜んでくれるはずだ。

 自分の研究でみんなが喜べば、自分がここに存在する価値ができてくる。そのために、いまは勉強する。とにかく勉強だ。

 ケントは、講義要綱を表示させ、新しい目標に合わせた講義の検討と選択を始めた。終わったころには『鏡』が空高く昇っていた。いや、ここでは月と言うのだろう。一瞬錯覚したらしい。なぜか涙があふれてきた。止まらない。部屋で一人、袖で拭いながらケントは泣き続けた。

 暑い夏が過ぎ、秋になると移住の順番が発表された。姉夫婦は義兄の職責上、最後の組だった。ディロン船長とメガンはLIOHの中核メンバーであるため、同様に最後の組に入った。リルから遠く離れた星では移住用貨客船の移動が始まった。飛び石のように星を伝いながらリルに集まっていく。リル宇宙港の頭脳は船をさばくために最新型に更新され、地球宇宙港なみの処理能力を持った。

 ケントは二度目の収穫実習を行っている。土や泥が爪の間まで入り込んでくる。実験のため、栽培品種とその原種を育てているが、その差は素人でもよくわかるほどだった。葉は青々と栄養たっぷりで、実は丸々とはち切れんばかりに膨らみ、可食部がほとんどだが注意深く手をかけてやらないといけない栽培品種と、味も栄養も姿も貧弱だが、丈夫でほとんど放っておいても育つ原種。この原種の都合のいい性質だけを栽培品種に導入したい。栽培にかかる一連の手間をすべてコストと考えた時に、それを最小化する品種が目標だ。

 教授は工学系の研究者と共同研究し、農耕のすべての過程の自動化を目指している。よくたとえに出すのが童話の『花咲かじいさん』だった。あたかも灰のように見えるナノメートルサイズの微小機械を農地にまけば、土づくりから作物の世話まで行い、病虫害から守ってくれる。ケントは教授の論文発表用の動画の作成を手伝ったが、楽しい経験だった。

 しかし、楽しい経験ばかりではない。実習にはかなりの抵抗感を伴う課程もある。食肉の生産工程をすべて見学した時はつらかった。これについては衛生面や資格に関する法律が厳しく、見学のみで実際に手は出せなかったが、生体の意識を失わせるための機器のカバーに塗られていたパステルピンクが夢にまで出てきた。

 考えてみれば、鎧甲類は冷凍庫に放り込むだけでその後を見ずにいられたので平気で笑っていられたのだろう。体内成分抽出のために、食肉生産工程と大して変わらない処置がほどこされたはずだ。

 合成食品という代替物があるのに生き物を食品として利用すると言うのは割り切れない部分があるが、合成品がまだ完全ではなく、人間の舌を満足させられない以上、天然品の需要が途絶えないのはわかる。食肉生産の現場を見学した後でさえ、選択できるなら天然品を選ぶだろう。自分の意志で合成品のみをとり続ける人々はいるが、少数派で市場に影響を与えるほどではない。

 ケントは、合成食品の改良を望みつつ、いまは現実的に農作物の栽培や牧畜の研究を行おうという目標には変わりないと再認識した。

 勉強は順調だが、リルのほうは、みんなからの連絡によると、星全体が引っ越し前のあわただしさでごたごたしているようだった。いまになって移住第一陣になりたがらない人々が出てきて順番の調整を行っていた。百人乗りの貨客船だからと言ってぴったり百人をのせていくのではない。家族や親戚や同じ地域の人々はできるだけまとまって移動するよう決定されている。だから、一組の順番だけ入れ替えるように動かすわけにもいかない。現場はまるでパズルを解いているかのように混乱していた。

 ディロン船長が過労気味で心配だとメガンからの連絡に書き添えてあったので、無理にでも休みをとるよう返信に書き、じゅうぶんな睡眠をとらないとかえって作業が非効率になると注意した。それと、メガンも休みを取るようにつけくわえた。たぶん、いや、ほぼ確実に、政府職員やLIOHのメンバーはまともな休みをとっていないだろう。

 ところで、LIOHは組織名を変えないのかと聞いたら、反対が多くて変えられなかったと返事にあった。『リルこそ我が家』という文言は、いまでは移住反対のスローガンではなく、ここで生まれ育った人々がリルという惑星に感謝やねぎらいの気持ちを込めた言葉になっていたのだった。

 だれもが止まらずにそれぞれの仕事をする中、ケントのいる地域は穏やかであるとはいえ、去年より寒い冬が来て年が明けた。

 星間社会の注目を集め、移住第一陣が降下してきた。移住者の船はオーストラリア宇宙港からニュージーランド区へ、親鳥が雛を連れていくように警備や報道の船を引き連れて向かって行った。

 第一陣は予定通りそれぞれに割り当てられた住宅に入り、新生活を始める。当面は移住者に落ち着いてもらい、混乱を避けるため、リル自治区全体が撮影規制区域になった。これほど広大な地域が規制区域になった例はなく、さすがに報道各社から抗議があったが、世論の支持は得られなかった。なんといってもかれらは永遠に故郷を失ったのだ。実際に降下してきた人々を目の当たりにすると、なによりもまず同情の念がわき起こるのだった。

 引き続いて第二陣、第三陣が降下する。リル軌道と地球軌道では超光速航行へ遷移する貨客船がいつでも見られるようになった。

 それでも人間は人間だった。報道ではほほえましい記事として扱われたが、この移住ですら忘れものをする人が少なくなかったのである。地球の住居に入ってから、「あれをうっかり忘れてきた」と気づく。その知らせはリルに伝えられ、後の便で貨物扱いで送られてくる。政府職員はLIOHや残りの住民の協力を得て、空いた住居から忘れ物を探す仕事にも追われるようになった。移住の際に残した財産については放棄したとみなす文書を取っているので、そんな仕事をする義務はないが、みんな愚痴はこぼさず、むしろ進んで働いた。

 完全に空き家になったと確認され、複数の職員による再確認が終わった住居や建造物は順次取り壊されていった。それに伴い、リルの町は見通しがよくなっていった。ケントも画像を送ってもらって見たが、高層建築がなくなったため、ハイキングに登った山は市内のどこからでも全体が見えるようになっていた。

 ケントは指導教官の下、自分の研究を始めていた。地球産の作物や家畜を他惑星の環境で育てるために遺伝子組み換えによる品種改良を行うが、その際にどこをどう操作すればいいのかを簡便に決定するアルゴリズムの作成が最終的な目標だった。アルゴリズムさえ完成すれば、惑星環境の情報があれば頭脳に判断させればいい。その後の種苗作成や、実際の育成もほかの研究者の成果と合わせれば自動化できる。

 肝は、作物の栽培や品種改良の熟練者が言う『勘』の要素を落とし込めるかどうかにかかっている。農業に従事し、高品質の作物を作っている農場経営者のやり方を研究させてもらうと、かならず『勘』という言葉が出てくる。頭脳による支援を受けていないのではないが、その結果に『勘』の要素を足すとほかの経営者では達成できない高品質な作物を作り上げてくる。

 ケントの教授は、この要素を入れる試みにはあまりいい顔をしない。理論上すでに九十五点取れるのに、九十九点取るためにアルゴリズムの秩序を乱す、『勘』と称するよぶんな要素を組み込むべきではないと主張している。

 それでやむを得ず、表向きは『勘』を入れない九十五点アルゴリズムを目指して研究を行い、『勘』を組み込んだ九十九点アルゴリズムは私的な時間で研究を続けたので、人に休みをとれと言った自分がとれない羽目になった。

 教授に見つかると叱責されるので、その研究は自分用の私的領域を作成して隠しておいた。領域名はちょっと考えて、『ヨロイダコ』にした。漁に出て初めてとった獲物だ。縁起がいいだろう。

 高等教育を修了しても、ケントは教授の研究室にそのまま残り、研究者として仕事をしている。通常版のアルゴリズムは常に八十点は叩き出せるようになったが、それでは実用化には遠い。『ヨロイダコ』版アルゴリズムはむしろ信頼性が低下してしまった。平均六十五点と言ったところか。しかし、まれに九十点越えを達成するから捨てきれない。

 『勘』について考えれば考えるほど、ディロン船長にいますぐ会いたいと思うようになった。会って直接話をしたい。いまならもっと突っ込んだ話ができるだろう。

 移住は順調に進んでおり、地球の移住者のなかにはまた漁業を再開する者までいた。地球の海に慣れるまで収益は上がらないが、漁師は漁師なのだろう。

 ケントが二十歳にさしかかったころ、ついに不老成分が薬として実用化された。これはすべての人間に無償で配布される。しかし、ケントは事前診断の結果、まだ二、三年待ったほうがいいだろうとなった。どうやら成長が続いているらしい。

 人類の老化が停止した。いまでも事故や病気で亡くなる人はいるが、人口は増加しつつある。人々は不老を手に入れると、身の回りの物事に対してなによりも安全性を求めるようになった。

 新奇な物は長い評価期間を置かれる。あわてる必要はなにもない。じっくり見極めよう。安全第一だ。それが社会の空気になった。

 食品もその流れには逆らえず、ケントのアルゴリズムはさらに厳しく評価されるようになった。それでも通常版は九十点出せる。『ヨロイダコ』版は平均で八十五点、ごくごくまれに百点を出すが、安定しない。ひどいときは六十点と言っていいような結果を出す。

 統計は近い未来から始まるであろう慢性的な天然食品の不足を警告していた。合成食品で補えるとは言うものの、改良は遅々として進んでいない。天然産を入手できる層とできない層の格差が広がりかねない事態が起きようとしていた。長生きしてもつまらない社会になってはいけない。教授もケントもこの時代にはそぐわないあせりを感じていた。

 ケントが不老薬の摂取を始めた頃と、その年の春先にリルからの最終便が到着したのは同時期だった。休みをとっている暇はなかったが、無理をして時間をひねり出し、姉夫婦と元HFOのふたりに会いに行く予定を立てた。

 朝早く、ニュージーランドの新居で姉夫婦と義両親に迎えられた時、「背が伸びたのね」と言われ、「髪生やさないの?」と聞かれた。坊主のままのほうが快適で風呂にも時間がかからないのでそのままにしていたが、姉は生やした方がいいと言う。

 さっそく父母の仏壇に手を合わせる。骨壺は持ってきたが、墓地はこれから手配するそうだ。それについては姉夫婦によろしく任せ、費用については教えてほしいと頼み、勝手を詫びた。

 ふたりは落ち着いたら仕事を探すと言い、できればいままで行っていた統計処理や役所の事務を希望している。でも、時間はたっぷりあるから急がないと余裕を見せていた。

 それと、秋の終わりにはケントは叔父さんになる。それを告げられた時、久しぶりの再会でも泣かなかったケントが泣いて、義兄も姉もみんな泣いた。

 その後、泊まっていけと言う誘いを断るのに苦労した。とくに姉は、まったく時間の余裕がないほど忙しいケントというのが想像できないようだった。「研究ってそんなに忙しいものなの。体壊さない?」

 正直なところ、健康には自信がない。若さで無理しているような毎日だが、それは口には出さない。

「心配ないよ。これはいい忙しさだから。研究がいいところに来てるから手を止められないだけ」

「わかるよ。移住の時の忙しさみたいなもんだろう。でも一息ついたらかならず休暇をとって遊びに来てほしい」

 窓から海の見える姉夫婦の家から、ディロン船長とメガンの家までは車ですぐだった。

「背が伸びたな」

「ずっと坊主なの?」

 ディロン船長の顔のゴーグル跡はまったくなくなっていた。頭にも白髪が横分けにできるほど生えている。メガンは前のままで、伸ばした髪をポニーテールにまとめている。

「黒か金に染めようかと思ってる。どう?」

「悪くないと思うけど、そのままがいい」

 メガンは、そう、と不満げな顔をし、ディロン船長は、それ見ろ、という顔をした。

 姉夫婦に会ってきて、叔父さんになると話すとお祝いを言ってくれた。

「おめでとう。ケント叔父さん」

「まだ早い」

 ふたりとも元気そうだった。とくにディロン船長は地球の太陽の光で見ると健康に見える。そう言うと喜んだ。

「ああ、一時は移住の準備で目が回ったが、なんとかなったな」

「ケントはどうなの? 研究は忙しい?」

「かなり。実は今日も深夜便で帰る」

「なにを言う。泊まっていかないのか」

「残念だけど。まだ当分研究が続くよ」

「いずれ成功するさ。不老薬は飲んでるんだろ?」

「それが問題。天然産の食料不足が思ったより早く来そうなんだ。最新の統計だと人口増加が予測を超えてきた」

「正確には、増えるより、減らないからだな」

 ディロン船長がまじめに言った。メガンが興味深そうに口をはさむ。

「でも、ケントが食糧問題を解決したら、それで不安がひとつ減って、よりいっそう増えるんじゃない」

「そうだろうね。今度は住む土地の問題になる。惑星開発の速度をあげたり、地球化も本気で検討しないといけない」

「それなら、もしかしない?」

 メガンが期待するように言った。

「それはすぐにはないと思う。鎧甲類の人工繁殖ができない以上、リルの再開発はない」

「遠い未来ならあるかもしれんな」

「いくら遠くても、たどり着ける未来ですよ」

「ああ、いかん。つい寿命があるつもりで話をしてしまう。そうだな。どれほど遠未来でもそこにいるのは我々か」

「人類社会にとって初めてでしょう。どんな問題も次の世代にまかせて退場できなくなったのは」

「宇宙中に人間があふれるのか。ぞっとせんな」

 それから話を変え、今後どうするのか聞いてみると、ディロン船長は当面、LIOHの残務整理と移住者の世話をしながらのんびり暮らすと言う。メガンは地球でも漁師をするか迷っている。

「リルの勘はまったく通用しないだろうし。また一からやり直しだ」

「やり直す時間はたっぷりあるじゃない」

「うん。だったら別の仕事を始めてもいいかなって」

「なにをするつもり?」

「わからない。新しい惑星に移住していままでの経験が役に立たなくなった。でもなにを始めるにしても勉強する時間はありあまるほどある。そしたらかえってなにをしていいのかわからなくなった」

「それはたぶん、移住者のほとんどが抱える問題だろうな。でも補償金と年金で急に生活に困ったりしないんだから、そうあせらなくてもいいんじゃないかな」

「毎日ぶらぶらするのはいやだよ」

 ディロン船長は黙って肩をすくめる。この会話はふたりの間で何回も繰り返されたのだろう。

「じゃあ、高等教育を受けて知識を蓄えるといい。さっき話したように、不老長寿になっても、人類の不安は無くならない。知識を蓄えて道具のように使いこなせばその不安をなんとかできるようになる」

 メガンはケントをじっと見ている。

「金のためじゃない。どうせ無意味になるんだし。それより自分がいる社会のため、人々の不安を除くためにがんばればいい。どう?」

「ありがと。ちょっと助かった」

 ディロン船長はまぶしそうにケントを見ているが、口ははさまなかった。

「そろそろお別れしないと。でも、ディロン船長。あ、これからもずっと船長でいいですか」

 白髪頭でうなずく。

「じゃあ、ディロン船長。『勘』ってなんですか? 研究に必要なんです」

「いきなりだな。うん。おれが漁のとき必ず鼻歌を歌ってたな。あれだ。あれが『勘』だ」

 首をかしげた。

「わからないか。そうだろうな。じゃあ、時間はかかるが、とにかく仕事を一所懸命しろ。そうしたら見えてくるさ」

 ケントは微笑んだ。

「仕事を一所懸命しろっていうのはいいですね。わかりました。ありがとう。メガンさんも元気で」

「メグでいいよ。元気で」

 ケントは手を振り、呼んでおいた車に乗り込んだ。ふたりは見えなくなるまでずっと見送った。

「メグ、あいつ、いい男になりそうだな」

「そうだね。でも、ファッションをもうちょっとなんとかしないと」

 青空には、白く『鏡』が浮かんでいた。


(了)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

永遠の海 @ns_ky_20151225 @ns_ky_20151225

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ