六 やさしい星々

 軌道上の宇宙港から見る地球は、変な感想だが、図鑑の映像そのままだった。なにもかもあらかじめ調べていた通りだ。それを再確認する眺めだった。

 宇宙港の基本構造はどこでも同じ規格で、似通った案内記号がつかわれ、規則も変わらない。だから、貨客船を降りると、ケントはすぐにシャトルの降下便に誘導された。

 地上に着いて、ケントは初めてとまどいを感じた。重力はリルよりすこし強く、日光の色が違うが、それはとまどいの主な原因ではない。とまどいは、屋外でも防護がいらないという、知っていたはずなのに実感できない事実から来ていた。

 ここでは、建物や乗り物は気密が保たれていない。扉一枚で屋外だ。窓も大きく作られ、開けて直接外気を取り込める。水は無毒で、特別な装備なしで手足をひたしたり、泳いだりできる。この地域は夏に入ったばかりで暑い。そのせいか、寮に行くまでの間、おそろしいほど肌を露出した人がふつうに歩いているのを見た。

 ここは人類が発生した星だから、周囲の環境は敵ではない。やわらかい毛布のように体をくるむやさしい味方なのだ。

 それでもケントは、しばらくの間、屋外に出るときは腰のゴーグルとマスクを探るくせが抜けなかった。そういう時、まわりの人に外惑星人と見破られたような気まずさを感じた。見破られたからと言ってどうというのではないが、地球人と周囲の自然は調和しており、自分だけのけ者になっているような疎外感を感じるのだった。

 入寮手続きを終え、HFOの生活区画にくらべたら王宮のような部屋に入った。真ん中で両手を広げても壁に触れないほど広い。荷物を解いて頭脳端末を起動する。端末は寮の規則と最新の講義要綱を表示した。それはとりあえずわきにおいて、姉夫婦や義両親、ディロン船長とメガン、友人知人に無事到着の連絡を送った。画像も数枚添付する。フィンを探したが、すでにほかの惑星の活動に行っており、連絡は迷惑だろうと思って控えた。

 通信データは連絡艇に便乗してリルに向かうが、一番安い料金を選んだので到着日時は三日後から一週間以内になる。日時を絞り込めば絞り込むほど料金は高くなっていくが、それほど緊急の通信ではないのでそうした。

 終わったらすぐに講義要綱の検討をする。ちょっと休んでからにしようかと思ったが、到着の興奮が残っているうちに片づけてしまい、疲れを感じる間もなく新生活を始めたほうがいいと考え直し、当初の予定通り実践を中心とした学習計画を立て、それにそった講義を選択していった。

 夕食前にはそれもあらかた済ませ、寮の食堂に行った。事前に申し込んでおけばかなり安い料金で三食食べられる。

「ケント・アーマーさん。新しい学生さんだね。どこから来たの?」

 肉とつけあわせの野菜を盛りつけながら気さくに聞いてくる。

「リル。これ天然ですか?」

「野菜だけ。さすがにこの値段で肉はむずかしいよ」

 食べてみると、野菜の味が違う。収穫して貯蔵し、輸送されてきた味ではなく、青臭くてしっかりしていた。園芸部で育てた野菜の味に似ているがもっと濃い味だ。これをリルで育ててみせる。しかも、手を出すのをためらうような値段ではなく、初めは合成品にちょっと足せばいい程度にする。目標は同等以下の価格で提供したい。

 ケントの食べっぷりに感心したのか、キャンセルが出たからと言ってサラダをおまけにくれた。いい人だ。

 しかし、まわりの環境はやさしいが、講義はきびしい。地球の高等教育は、リルで優等をとっていたからと言って楽になるようなものではなかった。それに、勉強はいつ終わるのかわからない。仕事のほうが止め時がある分いいくらいだ。ディロン船長に似ていなくもない教授は「一生勉強だ」と言う。

 メガンと約束したもうひとつの勉強などしている暇などなさそうなので、それは早々にあきらめて謝っておいた。メガンからは「あきらめが早すぎる。もうちょっと粘れ」と返事が来た。

 そんないそがしい毎日なので報道に注意を払わなかったが、夏の終わりごろからリルに関する報道が増え始め、また、トップに位置するようになってきた。

 例の不老成分は長期シミュレーションでも目立った副作用を示さなかった。また、老化は停止するのに、病気やけがの回復過程にはなんの影響も与えないとわかった。これはいい点でもあり、悪い点でもある。この成分を摂取していても病気にはなるし、不死になるわけでもない。

 しかし、不老成分は胎児までは到達できないため、妊娠中の母親に与えるのには問題ないが、成長途上の子供に与えるのは注意が必要だろうと結論された。老化の停止は一方で成長を阻害するので有害な影響を与える可能性が大きい。成分の投与にはその個人がじゅうぶん成人しているか念入りな検査が求められそうだった。

 そして、合成は困難を極めていた。また、その成分を持つ鎧甲類の人工繁殖も失敗を重ねていた。いまのところ、リルの天然産からの抽出に頼るしかない。

 いやな予感がする。ケントは報道の裏を読もうとした。星間社会はリルをそのままにしておいてはくれないだろうが、どこまで干渉する気だろう。各惑星政府首脳や軍上層部のコメントをいつも以上に注意して聞いた。

 秋に入り、外出しても汗をかかないようになったころ、リルをのぞいた星間社会の意見が一致を見始めていた。主流になっているのは、リルを完全な保護管理下におき、住民は他星へ移住させようという主張だった。その際、自治を認めるか認めないかで論争が起きていたが、ケントからすれば、そもそも移住を前提とする議論なんて変じゃないかと思っていた。

 かんじんのリル政府はなにも言わない。言えないのだろう。悪い時に統制下になったものだ。しかし、非公式には移住に反対し、資源保護と住民生活の両立を目指そうという穏健な態度をとっている。ただ、それは保護協会の調査を事実上打ち切ったうえに、いまだに詳細な分析結果を発表していない点が指摘され、説得力を失った。

 漁協も同様の主張を行ったが、上層部が腐敗によって逮捕されたあげく暴動を起こして権力拡大をねらい、結局は軍を呼び込んだ原因となった組織であり、そもそも耳を貸すものが少ないうえ、質の低いガイドブックなどから、保護を軽視しているのではないかと見なされて支持を失った。

 地球でできた知人は、ケントに遠慮してなにも言わない。ケントも政治論争はつとめて避けていた。ここには勉強に来たのだ。

 でも、帰る家がなくなったらどうする?

 義兄は、リルではとくに目立った動きはないと言う。ディロン船長は「リルを金庫に入れて大事にしまっとこうってのさ。ばかばかしい」と怒っている。

 秋のなかば、実験農場の収穫を手伝った。どの作物も豊かに実っている。芋は大きく、米は中身がしっかり詰まっている。実習のため、一部は機械ではなく手で収穫したが、芋が土中から現れたときは獲物をあげた時のようにうれしかった。

 そんな風に、厳しいが順調に進んでいる勉強とは異なり、報道はいやな調子に変わってきた。リル政府や住民の態度を批判するのに時間を割くようになっている。リルのようすはわざと暗い雰囲気で映され、住民がヒステリックに意見を言うところばかり切り取られていた。ケントが見たかぎりでは、映像にうそはないが、リルを知らない者が見たら誤解するように仕上げてあった。

 星間社会の意志が一致したのだろう、とケントは考えた。リルは金庫に閉じ込められる。いまはその下地作りをしているのだ。

 ある日、寮の食堂で夕食をとっていると、報道を見ながら寮生たちがリルについて議論していた。ケントには気づいていないらしい。

「……でも、せっかく住みついた星を捨てろって、そう簡単にいくかよ」

「たしかにそうだけど、ほかとは違うからな。見つかったものがものだ。不老長寿だぜ」

「だけどさ、あの小エビみたいな、がい、がいこうるいっての? たくさんいるんだろ? べつにわざわざ住民追い出さなくてもいいだろうに」

「それは、ほら、報道にあっただろ。あいつら自然保護する気なんかないし。いまは人口少ないけど、増えたらどうせリルを食いつぶすさ」

「人がすくないうちに移住させた方がいいのかな」

「そうだよ。どうせ奴らだってわかってごねてるんだ。有利な条件を引き出すつもりなんだろ」

 食べ終わったケントは食堂からそっと抜け出そうとしたが、皿を落としてしまった。割れなかったがまわりの注目をわずかに集めてしまう。話をしていた寮生たちのひとりがケントに気づき、ほかの者を小突いて止めさせた。リルの住民はごね得をねらっていると発言した者が小さな声でケントに謝ったが、その時は無視した。翌日、講義の時にまた謝罪してきたので、もう頭の冷えたケントはそれを受け入れた。

 しかし、それ以降、ケントは自分が孤立しているのを感じるようになった。講義や実験で必要な場合のみ話をしてくれるが、それ以外の雑談などに加われるような雰囲気ではなくなった。ディロン船長もこういうさびしさを味わったのだろうか。

 取材の依頼は毎日のように届くが、学生であるからと断る定型メッセージを返信している。向こうも自動送信しているのだろう。地球に長期滞在しているリル人は自分ひとりだけなので気持ちはわかるが迷惑だ。フィルターを作り、三回以上断った社からの依頼は迷惑メッセージとして報告してから破棄するようにした。

 リルのようすについては、素直に受け取れない報道と、姉夫婦やディロン船長とメガン、友人知人よりの連絡からしかわからないが、秋の終わりにかなり大きな動きがあった。

 ディロン船長がリル住民の移住に反対する抗議運動を立ち上げたと言う。

 『リルこそ我が家(LIOH)』というスローガンをそのまま名前にした組織で、メガンからの通信によると、ディロン船長、いや、委員長はいままでのつながりを総動員したらしい。署名だけの参加者はすでに五万人を超え、三千人ほどが積極的に活動している。メガンも情報収集など裏方を務めているとあった。

 暴力的な行為や目立った示威行動は控え、順法的に行動すると言っているが、治安維持軍の統制を見ているケントは、ディロン委員長の手腕に感心すると同時に、リル住民の不満はそれほどだったのかと漠然とした不安を感じていた。

 組織の拡大が速すぎる。短期間に巨大組織に成長したため、軍が手を出しにくくなったと言えるのだが、ここまで急拡大できたのは報道で見るよりもリルの状況はかなり悪く、対立が深まっているからだと考えられる。それだけとは納得しにくいが、そのくらいしか理由がない。

 いつもの連絡で聞いてみると、姉夫婦も数回抗議運動に参加し、署名を行ったと返事にあった。発電施設の拡充計画を無期限に停止する法案への抗議だった。そのほか、公共施設の建設や整備計画が停止や縮小されようとしたときはかならず反対し、署名を集めていた。

 報道ではLIOHは意図的に小さなあつかいにされていたが、一方で、順法闘争を行っているため、治安維持軍が出動した時のように違法で暴力的な運動とは表現できないようだった。

 それでも、LIOHが象徴となって、星間社会とリル社会という対立の軸が決定的になってしまった。もう戻れない地点を通り過ぎ、スローガンの形で、リルの民衆は態度を明らかにした。

 メガンはケントにも参加を呼び掛けてきた。快く了承し、地球での報道や世論をまとめて週に一度報告する仕事を引き受けた。そのくらいであれば学業には影響しないし、リル市民がLIOH運動に参加しても地球の滞在規則や学則に違反はしない。

 だけど、LIOHに参加したもっとも大きな理由は「自分もなにかしたい」につきるだろう。帰る家がなくなろうかと言うのになにもしないではいられない。

 年末、状況がわずかに好転した。不老成分の合成にほぼ成功し、シミュレーションによる評価も悪くないという結果が出た。これで、リルを絶対保護しなければならないという理屈は成り立たなくなったが、保険のため保護すべきであるという世論の方向性は変わらなかった。

 なんといっても不老長寿を実現させるものである以上、慎重を期すべきである。合成できるからと言ってそれだけに絞るのではなく、合成品になにかあっても成分の供給不足にならないようしておくべきだという主張がされるようになった。

 他方で、不利な研究も発表された。保護協会が発表した論文によると、リルの大陸周辺の海洋微生物は減少傾向にあると言う。原因は港湾など海岸や河川の開発によるもので、陸の栄養に富んだ土砂が海に流れ込みにくくなったためだった。一例として、春の洪水による泥は突堤のためほとんどが港内に沈殿し、外海にはわずかしか出ていっていない。これが栄養不足を招いていると挙げられていた。

 つまり、人間の活動がリルの海洋微生物に悪影響を与えるのはまちがいないという科学的な証明がされたようなものだった。減少している生物に不老成分を持つ種はいないが、もっと人口が増え、開発が進めばどうなるか。リルを保護し、全住民の移住を求める世論はさらに高まった。

 けれども、星間社会もそこから先は議論が分かれている。移住させるとしてどこが受け入れるのか。リルの三十万人をどうやって移送するのか。受け入れ先の住居など設備はだれが提供するのか。受け入れ後の生活の保障はどうするのか。リルの自然を復旧し、保護と監視をするのはだれか。

 そして、それらを実行する金はどこから出てくるのか。

 この話は野菜作りに似ている、とケントは思う。調理された野菜はおいしい。でも、だれかが手を泥で汚して育て、収穫したものなのだ。

 リルのためにだれが手を汚すのか。星間社会はジョーカーを押し付けあっている。当事者はそっちのけでだ。

 報道が伝える星間社会の世論では、移住先は地球がいいだろうという意見が大半を占める。それは、生きていく費用がもっとも少なくて済むからだった。空気や水の処理費用はほかの惑星にくらべたらただに等しい。

 また、その次くらいに多い意見として、新惑星の開拓民として送りこもうと言う意見もあった。これなら仕事は確実にある。

 毎日勉強を終えた後、そういう報道をまとめ、世論の動向を探っていると、ケントはだれとも話をしたくなくなる。感情を抑え、どなりたくなるのをこらえる。それに、直接腹を割って話せる人がいないのがつらかった。

 いましている勉強に意味はあるのだろうか。リルの住民以外はもう、移住を決定事項のように議論している。するかしないかじゃなく、どうやって、とか、いつ、の段階に話が移っていた。

 それと、社会の変化を論ずる論説が増加してきた。すでに多数の学者、評論家、政治家が指摘しているが、不老長寿の実現は社会を大きく変える。たとえば、金の意味は変わり、重要性は減少する。極端な論者は無意味化すると言っている。それはそうだ。寿命が無制限なのに、なぜ金にこだわる? 千年の複利だって可能なのに。年金を五千年もらい続けられるかも知れないのに。銀行は一万年後の収入を担保にいま金を貸してくれるだろうか。

 人間に寿命があるのを前提にした社会の仕組みはすべて壊れるのだ。

 しかし、壊れて新しい仕組みが出来上がるまでは、古い仕組みが必要なのも事実だ。古い仕組みが壊れて落ちていくとき、できるだけ軟着陸するにはどうすればいいか。そもそも変化したと気づかせずに変わる方法はあるのか。そんな議論も活発に行われていた。

 年が明け、平年より暖かいと言われた冬が終わりに近づいたころ、ディロン委員長が報道に現れる頻度が増えてきた。訴訟を起こすと言う。

 一部の鎧甲類から不老成分が発見され、その研究が進んでいるが、用いられているデータのうちにHFOが提供したものがある。

 HFOは保護協会との契約によって、提供したデータの二次利用を禁じており、そのような研究は即座に停止されなければならない。さらに契約に違反したデータを用いた研究結果の破棄を求める。なお、損害の補填は契約に違反した保護協会が行うべきである。また、判決が下され、確定するまでは研究中断の仮処分を申し立てる。

 訴訟内容が明らかになり、その意味が人々に浸透すると、予想を超えた大騒ぎになった。まだ裁判が始まってもいないのに、ちょっとしたうわさで関係企業の株価ははげしく揺れ動いた。

 ケントのところには、一時おさまっていた取材申し込みがまた増えてきた。どこで調べてきたのか、契約時にHFOに雇われていたのを知っていた。

 報道には当時のディロン船長、メガン、ケント、フィンの顔がかならず表示されるようになり、ケントは外出時、帽子やフードを深くかぶるようになったが、いつもだれかに見られているような、指をさされているような感覚がした。

 裁判を行う場所は地球となった。これは政治的な理由というより、単純にリルにはこれほどの裁判を行ったり、関係者を呼び集めたりする能力はないからだった。

 通常の裁判と異なり、どのような結果であっても重大な影響を及ぼすので、裁判所は話し合いによる和解を勧めたが、HFO側は拒否した。星間社会の世論は、これは研究を停止させ、その社会的混乱によって移住の決定を遅らせるための時間稼ぎだと非難したが、ディロン船長は涼しい顔で無視した。

 リル市民はリルで暮らす。LIOHの精神だ。署名の結果、すでに発電施設の拡充工事は始まっていた。

 風が冷たくなくなり、フードをかぶっているのが不自然になってきたころ、裁判所は再度和解を提案したが、前回と同じくHFO側が拒否し、加えて報道を通じて裁判所の態度を非難した。不老長寿にかかわるからと言って、仮処分も認めず、こちらの権利を侵害したまま研究をつづける時間を与えているのではないか。裁判官たちは自己の利益を優先しているのではないか。

 この喧嘩を売るような、あえて悪役になろうとしているかのような主張に対し、裁判所はHFOと星間環境保護協会の関係者を呼んで直接詳細な話を聞きたいと申し入れ、ディロン船長、メガン、フィン、そしてケントが北米大陸東部の裁判所に集められた。

 ケントは学校に休みの届を出した。どうせ学内では注目を浴びすぎて勉強に差し支えるほどになっていたので、届けはあっさりと認められた。

 大陸東部まで横断鉄道で四時間。こちらの風はまだ冷たく、フードをかぶっている人は多かった。

「ひさしぶり。元気そう。ちょっとやせた?」

「そっちこそ。そんな格好初めて見る」

 三人は裁判所前の公園で顔を合わせた。公園は条例によって管理目的以外の撮影は禁止されているので、なつかしそうにおたがいをたたきあっている姿を全世界に公開されなくてすむ。フィンは渋滞のせいでまだ到着していない。ディロン船長は坊主頭のままだったが、顔の日焼けが薄くなっていた。報道でよく見るようになった服装で、身だしなみをきちんと整えている。

 それはメガンも同じで、するどい針のようなシルエットだ。髪は肩にかからないほどになっていた。

「ふたりだけ? 弁護士とか連れてないの?」

 ケントの問いに、メガンが小脇にかかえた大型の頭脳端末をたたく。

「遠隔が認められたから。体まで呼ぶとまた費用がかかるし」

「やあ、ひさしぶりですね。みなさん」

 そこへフィンがやってきた。訴訟相手にしているのに愛想がいい。この人は印象が変わらない。作業服じゃなくても初めて会った時のままだ。フィンは弁護士を一人連れてきており、簡単に紹介してくれた。

「元気だった? こっちに来たとき連絡しようとしたら、もうほかの惑星に行っちゃてたから」

「そう、すれちがいになったんだな。地球はどう? なれた?」

 ケントが「なれた。食べ物はこっちのほうがいい」と答えるのと、メガンが「顔が裸になった気がする」と答えたのが重なった。一瞬間が空いた後にみんなで笑う。弁護士だけ笑わなかった。

「さあ、行きましょうか。なんとか妥協点が見つかるといいですね」

 そうフィンが言うと、弁護士がひじを軽くつかんで止めた。漏れ聞こえるささやきによると、「妥協」という言葉はいけないらしい。これからの話し合いや裁判においてなんらかの意思を示したと受け取られる可能性がある言葉は避けてくださいと言っている。フィンは面白くなさそうな顔になって裁判所に入った。

 群がってくる取材は無視する。ケントも、ほかのみんなも、呼びかけを無視するというふつうであれば無礼な行為に慣れてしまっていた。

 聞き取りをされる部屋は、公正と威厳を主題とした装飾がほどこされていた。ケントは自分が小さくなったように感じた。それがこの部屋をデザインした者の目的かもしれない。

 大砲の弾でも止められそうなぶあつい木のテーブルを前にし、体をうしろから抱きかかえられるような椅子に座ったがまったく落ち着かない。ディロン船長とメガンやフィンは平気な顔をしているし、弁護士は自分の事務所のほうが豪華だと言わんばかりだった。

 メガンが端末を起動し、遠隔弁護士と通信してから、みんなに無線イヤフォンとモノクルを配った。指示はこれで見聞きする。ここでは眼球から外れた光による情報漏洩をふせぐため、目への直接投影は避けられる。ケントがモノクルをつけにくそうにしているのを見て、ディロン船長が固定用のアダプターを出してくれた。片目だけの眼鏡をかけているようになる。

 裁判官はこの部屋と一組で作られたような顔をしている。簡単な挨拶を済ませると、すぐに本題に入った。

 契約書が表示され、問題の二次利用に関する箇所まで送られた。裁判官はこの条項が追加された経緯について全員に聞いた。

 ケントには退屈な時間だった。この部屋にいるのは、ただその場にいたからというにすぎない。契約の意図とか、二次利用禁止の条項を追加させた理由を聞かれても答えようがない。漁に出て一か月もたっていないときなんだから。そう言ってやりたいが、じっとおとなしく座っていた。

 裁判官はディロン船長に質問する。

「契約を行った際に想定していた二次利用の禁止とは、利益を確保するため、正確な漁場や捕獲時の情報を伏せておくのが目的だったのではないですか」

「いいえ。あらゆる種類の二次利用を禁止する目的でした」

「しかし、その際の会話記録では、後援社について懸念されるような発言をしていますね」

 画面に文字に起こした記録が表示された。ディロン船長はフィンを見る。

「会話記録とは? そのようなものの存在や、提出されているという通知はいただいていませんが」

「提出物の相手方への通達は慣例であり、義務ではありません」

 フィンの弁護士が代わって答え、裁判官もうなずいた。

「それが本物であり、改竄されていないと言う証明はあるのですか」

 ディロン船長は食い下がった。また弁護士が答える。

「星間環境保護協会が使用している暗号には測位衛星を利用して真正を証明する仕組みと、改竄が行われた場合に検知できる情報が含まれています。記録は真正であり、改竄されていません」

 ディロン船長は不満げな顔をしている。

「記録そのものについて、これ以上疑問がなければわたしの質問に答えてください」

 裁判官が話を元にもどした。

「その発言はたしかに行いましたが、意図は当初に申し上げた通りです」

 裁判官は、さらに二、三質問してからフィンのほうを向いた。そちらにも同様の質問をしたが、答えるのは常に弁護士だった。

 保護協会が契約時に想定していた二次利用禁止の目的は、契約の状況から判断すると、それによってHFOが鎧甲類の捕獲から上げる直接的な利益に対して競合他社による損害を被らないためであると考えるのが妥当だ。

 そのうえで、今回の不老成分の研究に用いられたデータはリルの気候や海水の組成を確認し、参考にする目的で提供されたものであり、なんら契約には違反していないと考える。

 また、不老成分が発見された種はいずれも契約時には無価値であり、その意味でもHFOが保護しようとしていた利益にはまったく影響を与えていないと言える。

 弁護士はとうとうと述べた。どちらかと言えば、ケントはこちらのほうに納得させられた。ディロン船長の主張には、だれがどう見ても別の意図がある。LIOH運動のため、とりあえず時間をかせごうというのが見え透いている。

 こちらの弁護士はディロン船長を通じて、契約は契約であり、二次利用を明確に禁じている。過去の判例を見ても、書類に記載されている以外の、たとえば契約時の会話などから契約の目的を再解釈するなど認められるべきではない、と反論した。

 こちらとあちらの主張は、二時間ばかり続いて終わった。裁判官は来月判断を下す。裁判を行うのか、そのまえに仮処分は下されるのか。ケントは裁判所の廊下に出ると、ほうっとため息をついた。ディロン船長は手洗いに行った。

「疲れた?」

「初めてだから。それにずっと黙ってるのはきつい。講義だったら自分の意見言えるのに」

 フィンは弁護士に伴われてすでに裁判所を出ていた。目で挨拶しただけで、話をするのは止められているようだった。

「これからどうするの?」

「来月までは地球滞在。その後は裁判の行方次第」

「地球旅行、できたじゃない」

「うん。けど、こんな風になるとは思わなかった」

「すまん、待たせたな」

 ディロン船長が出てくる。

「今日は泊まりだろ。宿を決めてないんだったらうちに来い」

 ふたりは短期滞在用の家を借りていた。LIOHの地球支部としても活動すると言う。ケントは今日はこちらに泊まり、明日学校に帰る予定だったが、宿はまだ決めていなかったのでディロン船長の申し出に礼を言った。

「いまはどう呼べばいい? 船長? 委員長?」

「おまえの呼びやすいほうでいい。でもおれは船長と呼ばれたいな」

 裁判所を出るとき、ふたりが腰に手をやったのを見てケントは笑った。その笑顔が一瞬で真顔にもどる。群がってくる取材をかき分けるのはうんざりだ。

 ディロン船長は階段付近で邪魔にならないように立ち止まり、取材陣の質問をさばく。そういうところは船長ではなく委員長だった。

「ええ、裁判官はわれわれの主張によく耳を傾けてくださいました」

 うそは決してつかないが、かんじんの部分はぼかしたりそらしたりする。

「わたくしどもHFOは契約を守るよう求めているだけです。そのうえで、不老成分の研究は進められるべきだと思います」

「すみません、それについてはいまは答えられません。ここにいるわたしはHFOの経営者です。LIOHの委員長ではありません。地球にはしばらく滞在しますので、いずれそういった質問を受け付ける機会は設けます」

 ディロン船長はおだやかに、しかし断固として階段を下り、メガンとケントを先に乗せてから、待たせていた車に乗り込んだ。

 LIOHが借りた家は郊外の住宅地にあり、地域全体が公園と同じく撮影規制区域になっていた。家は木にそっくりの白っぽい建材で作られており、わざと古びさせてあった。なにも説明がなければ百年以上前に建てられ、手を入れながら状態を保ってきたと言われても信じただろう。これがいまの流行だ。環境負荷のすくない建材を使い、古さもこみで昔の建築を再現している。

「いい家だろ。リルの機能一点張りと違って、お化けがでそうで」

 玄関の前で、ディロン船長がふざけて言う。たしかに庭木が屋根にかぶさろうとして薄暗くなっているところなど、子供向けのお化け話に出てきそうだ。

「たしかに、こういうのは地球にかなわないね」

 ケントは同意した。

「環境から身を守らなくていいだけで、あんな格好ができる。うらやましい」

 メガンが歩道を通り過ぎる同年代の女性を見ていった。髪を豊かに伸ばし、美しく飾っている。服にはなんの目的かわからないボタンやひだがついている。

 ケントは客用の一室に案内された。寮の部屋三つ分くらいある。ベッドは不安になるくらいふわふわに調整されている。あそこを王宮に例えたなら、ここはなんに例えよう。

 みんな腹が減っていたので、夕食は早めにとった。寮とおなじで野菜だけ天然だった。ディロン船長はなにか考えているのかあまり口をきかないが、メガンがよくしゃべった。

「勉強どう?」

「きびしい。けど楽しいよ」

 そう言って実験農場で芋を掘った時の記録映像を見せた。土のついた芋を掘り、洗って重さをはかる。実験用や種芋用をより分けてから、残りは調理して食べてしまう。

「たしかに楽しそうだし、おいしそうだ。いま取ったものを食べるってどんな気分?」

「うれしい。作物は手をかけただけおいしくなるからわかりやすい」

「畑の土は自然のままなの?」

「いや、かなり手を入れてる。地球の土でもそのままで育てるっていうのは難しいよ」

「リルでもできそう?」

「いまのままだと無理。かなり品種改良しないといけないと思う。そもそも水と空気にコストがかかるから。けどどこを改良したらいいか見通しはあるし、教授も応援してくれるっていうから、どうにかしてみせる」

「アーマー農場か。海に出られなくなったらおれを雇ってくれよ」

 ディロン船長がにやにやしている。

「残念でした。海に出る体力がないなら、農作業も無理だよ」

「いつのまにそんな生意気を言うようになったんだ。この坊主は」

 すっきりしているのでいまでもケントは坊主頭にしているが、そこをごつい手でなでまわしてきた。

 食事が終わり、お茶になっても話は続いた。リルは移住反対で世論は一本化している。政府や漁協と言った団体は立場を明確にできないが、非公式にはLIOHと足並みをそろえている。治安維持軍は過激化しないよう牽制してくるが、順法を徹底しているので怖くはない。

 実はそれも地球に来た目的のひとつだった。とにかく目立つ活動をして、軍が行き過ぎた手出しをしたらさらに世論を味方につけるつもりだと言う。治安維持軍は星間社会全体にわたるような問題では中立の立場でいないといけないので、LIOHの活動を妨害するような動きを見せたら徹底的に非難するし、放置しておいてくれるならそれはそれでありがたい。

「だから取材のときは機嫌よくしておれの顔を印象付けるんだ。LIOHはただのごねるだけの田舎者の集まりと思われているようだからな」

「うそ、じいさんは報道に自分が出るのがうれしいだけだよ」

「それもある。この年になってめかしこんでちやほやされるのは悪い気はしないな」

「漁にはでてるの?」

 そう聞くと、ディロン船長とメガンは気まずそうな顔になった。やはりLIOHの活動のため、ほとんど出漁できなかったそうで、それを残念がっている。

「リルのためとはいえ、これだけは、な」

 寄付金などがあるため、LIOH幹部は専任でも生活は成り立っていると言うが、海に出ないと息が詰まるとこぼした。

「地球の海はどうだった? もう見たんでしょ」

「一番に見た。色のせいか冷たそうに見えたな」

「地球の魚ってやわらかくてぬるぬるしてた。おいしかったけどね」

 窓の外で隣家の犬が吠えている。ふわふわで四本足の利口な生き物だ。三人とも聞きなれない声に耳を澄ませた。

「あれ、犬、よね」

「地球にはたくさんふわふわの生き物がいるな。メグも連れて帰るか?」

「あたしは、ちょっと……。なじめそうにない。見てる分にはかわいいけど、いっしょに暮らせるか自信ない」

「それ分かる。農場でも生き物を見るけど、自分のペットにしたいとは思わないな」

 それからケントはふたりに聞かれるまま犬以外の農場の生き物の映像を見せ、話をした。馬、牛、豚、羊、山羊、鶏。それから猫。

「猫は、なんの役に立つのかわからないけど、農場には必ずいる。みんななでたり残り物をやったりしてるけど、ぼくはひっかかれた」

「ひっかくの?」

「うん。ふだんはおとなしくておだやかな小型生物なんだけど、いきなり獰猛になる。その切り替わりが読めない」

「それは猫って生き物の話か。女の子の話じゃないのか」

「なに言ってんの、じいさんは。でもいい子できたんじゃない?」

「全然」

 ケントが首を振ると、ふたりとも信じられないという反応をする。

「地球でなにやってたんだ。親しい友人くらいはできただろう」

「知り合いくらいはいるけど、友人まではできない。みんなと距離がある感じ」

 学校でのようすを正直に話した。姉夫婦には伝えていない。他人のふたりにうちあけるほうが抵抗がなかった。

「学校のみんなはとてもよく気を遣ってくれるし、面と向かってこっちを侮辱なんかしない」

 茶を一口飲む。

「けれど、リル人はリルにこだわるあまり星間社会を軽視してるって見られてる。故郷を大事に思う気持ちは理解するけれど、リルで見つかったものの重大性を考えれば、補償を受け取って移住すべきだってね」

「おまえはどう思う? そう言う奴に反論したのか」

「しない。放っておく。けど、ほんとのところはどっちが正しいのかわからなくなってきた」

 ふたりはなにも言わずケントを見ている。

「不老成分の可能性と、リル人が開発によってリルの自然環境に与えてきた悪影響を考えたら、ほかの星の人がそう考えるのもわかるようになってきたから」

 ディロン船長が腕を組む。

「たしかに、われわれの開発には急ぎすぎの部分がある。それはよそからみると危なげに見えるんだろう。しかしリルは故郷だ。ほかに家はない」

「じゃあ、リルじゃなかったら? リルじゃないよその星で不老成分が発見されてたら、そう考えて移住反対の立場をとれる?」

「とれるさ。よその星の人だって故郷は故郷だ。移住反対運動があったとしたら応援する」

 メガンが口をはさむ。

「じいさん、話の流れでうそ言っちゃいけない。もしよその星の話だったら無関心か多数派の肩持ってたはず」

 みんな口をきかない。ディロン船長はテーブルを指でとんとん叩く。

「そんなたらればの話は嫌いだ。もう寝よう」

 その夜はよく寝られなかった。となりの犬は車や航空機の音がするたびに吠えていた。

 ケントは翌朝早く家を出た。LIOHの活動があるので送ってもらうわけにはいかず、車を呼んでひとりで駅に向かう。

 今朝の食事の席では昨夜の話は出なかった。果物とミルクは天然で濃厚な味だったが、メガンはミルクの臭いをいやがった。これだけは合成のほうがいいと言う。口には出さなかったが、朝シャワーを浴びただけで、ほとんど化粧をしていないメガンをいいなと思った。

 帰りの横断鉄道の車内では、休んでいた間の講義を見てすごした。逃避だったのかもしれない。目の前の勉強に集中していたかった。

 裁判所の判断が出るまでの一か月の間はずっと勉強し、リルの未来について考えるのは一時棚上げにする。報道や世論についてまとめるのも、ふたりが地球にきているのを言い訳にして休んだ。

 LIOHは取材を受けたり、求めに応じて講演したりしていた。故郷を失うという点に同情を引こうとしている。「環境保護についてはいたらぬ部分もありますが、そこは皆さんのお知恵をお借りしてがんばっていきたい。わたしたちはリルに住み続けたいのです。それこそがLIOHの精神なのです」

 ケントは情緒的に過ぎると考えていたし、かわいそうとかあわれという感情でどうにかなるという問題だとは思えなかったが、ディロン船長はそのような話を繰り返し、メガンはリルの人々の暮らし、とくに若い世代の毎日を語って同年代の関心と支持を得ようとしていた。

 星間社会では地球のみが数十億の人口を持っている。ほかは多くて数千万から数十万だから、地球の世論を軟化させておくのは有効だと判断したのだろう。それだけで人類のほぼ七割の態度を変えられる。

 だからといって、このお涙頂戴の主張は白けてしまう。論争する前から負けを認めているかのようだ。

 そこまで考えて、ケントは舌打ちした。まさか、LIOHはそもそも勝つつもりなんかないんじゃないか。移住やむなしと考え、できるだけ有利な補償を引き出すための下準備をしているのか。

 報道の調子も変わってきた。LIOHの講演を伝えるときにたくさんの聴衆が集まっているようすをはさんだり、ディロン船長やメガンと現地の人々がにこやかに握手している映像を流したりしている。また、評論家など専門家の客観的分析よりも、専門外の有名人がリル住民に同情的な主観的意見を発表しているのが目立つようになってきた。

 自分ごときが気づいたのだから、もうとっくにみんなわかっているのだろう。リルはすでに負けており、住民はすべて移住する。それは決定しているらしい。いま行われている戦いは綱引きだ。より有利な補償を得るために妥協だらけの綱引きをしているにすぎない。

 HFOの裁判もその綱にぶら下がるひとつの要素なのだろう。不老成分の研究に揺さぶりをかけるつもりだったのか。リルはただでは引き下がらないと示す、一種の合法的な暴動だろう。だから結果はわかっている。却下され、仮処分は認められず、HFO側は結果を受け入れる。そういう流れで進んでいくはずだ。

 激しい争いはなく、だれもひどくは傷つかない。人類は不老成分について安心できる保険を手に入れ、リル人はじゅうぶんな補償と新しい生活を手に入れる。

 根拠はないが、LIOHはその後にも手を打っているだろうと思う。たとえば、移住先で自治が認められたら自治政府の役を果たすつもりかもしれない。LIOHの幹部を調べてみると、現政府の上層部の親族が多くいた。

 治安維持軍と目立った衝突がないのはもう話がついているからだろうか。それはわからないが、急拡大したから取り締まれなくなったと考えるのに比べれば自分でも納得できた。だいたい、目立った障害もなく急拡大できたのはディロン船長の手腕だけではないのだろう。

 LIOHは移住反対のための団体ではなく、移住にともなう変化がもたらす衝撃をやわらげる緩衝材として設立されたのだ。そうとしか考えられない。

 では、仮にそういう状況だとして、自分はなにをすべきか。ケントは勉強の合間に考えてみたが、なにもできない自分が浮かび上がるだけだった。LIOHとは別の、本当に移住反対を唱える団体を立ち上げて活動するなんて無理だ。声をあげるのはできるが、だれがついてくるのか。

 考えれば考えるほど、星間社会の中の自分の無力さが浮き彫りになるだけだった。

 そこで、自分自身はこれからどうするか考えてみた。それなら簡単で、勉強の方向を変えればいい。リルでの農作物栽培に絞るのではなく、もっとつぶしのきく、汎用的な知識と技術を蓄える。幸い、いま取っている講義はまだ専門化していないのでそれはこれからどうとでもなる。

 つまり、いま自分が急に舵を切る必要はどこにもない。現状のまま流れに乗っていけばいい。

 ケントは枕を殴りつけた。楽に過ごせる結論が出たのに、どうしてこう腹が立つのだろう。

 日が昇り、沈み、月が昇る。リルと違う星が光り、端末で検索すると、こじつけとしか思えない星座を投影した。

 夜空を見上げていると、ときどき流星が流れる。地球はどこよりも環境保護にうるさく、空気は澄みきっており、砂をまいたような星空だった。

 ディロン船長が裁判所からの通達を転送してくれた。結果は予想通りで、裁判は行われない。仮処分もない。裁判所は二次利用について保護協会の言い分を取り上げ、なんら契約違反は生じていないと判断した。HFOは負けを認め、それ以上の裁判は行わずに帰ると言う。

 その前に会えないかとの連絡が来たが、ケントは実習があるのでと断った。その返事に加え、LIOHのために行っていた報道と世論のまとめについても学業が忙しくなるから今後は行えないと言った。

「そうか、残念だが仕方ないな。元気でがんばれよ」

「ディロン船長もメガンも体に気をつけて」

「大丈夫? ちょっと顔色悪いみたいに見えるけど」

「うん。レポートで徹夜続き。でも冬の海にくらべたらなんでもない」

 ディロン船長が「それなら心配ない」と笑う。

 ケントは相手との間に薄い皮がはっているのを感じた。お互いどんな本音を抱いているかわかっているのに、それを言葉にせず、くだけた口調にくるんでいる。こっちも向こうも、皮を突き破るつもりはない。

 このままだとこの人たちとは親友にはなれない。とても近いところにいる友人だけど、そこから先へは踏み出さない関係になるだろう。泣きたくなったが、笑ってくだらない雑談を続ける。でも、踏み出さなければどっちも傷つかない。

 しかし、メガンの一言に我慢できず、その一歩を踏み出してしまった。ケントにしてみれば、かれらを試し、甘えてみたかったのかもしれない。

「勉強がんばって。アーマー農場楽しみにしてるから」

「ほんとにできるのかわからないけど」

「どういう意味だ」

 ディロン船長が横から口をはさむ。

「悪いけど、ぼくだって間抜けじゃない。ほんとのところ、LIOHは移住に反対している団体じゃないよね」

 ふたりとも黙り込むが、ディロン船長が話した。メガンは画面外に出た。

「長い話になる」

「かまわない。徹夜は慣れてる。LIOHの動きや報道の変化を見ていればだいたい想像はついたけど、ふたりの口から聞きたい」

「この回線は大丈夫か」

「大丈夫だけど、念のためにもっと強いのに切り替える。すこし遅延するかもしれないけど。でも、いまさら隠さなきゃならない? みんなわかってると思うけど」

「その通りだが、形の上は隠さなきゃならない。そのあたりの呼吸は理解しろ」

 ディロン船長はまるで船上にいるかのような口調になる。いい感じだ、とケントは思った。

「おまえの言うとおり、リルの全住民は移住する。建物や施設は管理のために必要な一部を除いてすべて解体され、リルはもとの自然に戻される。目的は不老成分を含むヨロイオキアミなど数種の保護だ」

「共存は無理なの?」

「無理だ」

「本当に?」

「言いにくいが、われわれのリル開発は無計画に発展を優先しすぎた。保護協会の調査を打ち切ったのもそのせいだ。これ以上事実が明らかになるとリル政府が倒れかねなかった」

 ケントのところに様々な資料が表示された。環境調査の詳細な分析結果だった。

「見ればわかるだろう? 調査は中間段階でも予想以上に環境を痛めつけ、原住生物の激減をもたらしているとわかった。公式発表はされていないが、鎧甲類の数種はこの十年ほどで絶滅している」

 ケントは資料の結論の部分のみざっと流し見して顔をしかめた。

「ひどいだろう? おれもそう思ったし、初めは信じなかった。でも事実だ。保護協会の調査にごまかしはない」

「それで、政府と漁協、軍も巻き込んでリル住民の移住を円滑に行う組織を作ったの」

 画面外からメガンが言った。

「そうだ。いきなり移住を宣言したら暴動になる。それこそ破壊的なものになるだろう。漁協の時はまだ抑制がきいていたが、そうはいかなくなる」

 また資料が飛んできた。移住にともなう補償についてだ。住居、仕事、教育、すべての面にわたって補償され、年金も支給される。リル開発の功労金という名目だった。

 しかし、自治権は大幅に制限される。この資料によれば町内会レベルにすぎない。つまり、リル人は無くなり、移住先の星の人間にならなければならない。だから、LIOHの中核メンバーだからといって政治権力は得られはしないとわかった。

「移住先は?」

「地球。ニュージーランド区かハワイ区が候補だ。われわれとしてはまずはリル人全員を分割せず一か所で受け入れてもらうよう交渉している」

「もうそこまで進んでたんだ」

「うん。リルでも下地作りはしてる。おれたちが帰ったころに環境調査が発表され、世論を移住やむなしへ誘導する予定だ」

「移住は絶対? リル人が環境を破壊したなら、その責任をとって回復させる仕事をリル人が請け負ったらどう?」

「それはうまくいかないだろう。リル社会は鎧甲類に依存し過ぎた。それ以外の産業が育っていない。これから新産業を育てるよりは人間の影響がなくなった方が早くて安い」

 ため息をつく。

「一世代か二世代前におまえみたいに農業をやろうっていう奴がいたら良かった。それか、政府がもっと早く本気で環境調査を行っていればよかった」

「たらればの話はきらいなんでしょ」

「そうだったな。すまん」

 苦笑いをしながら頭をかく。それから真顔になって言う。

「黙っててすまなかったが、こちらでおぜん立てが終わるまで万が一にも漏れてはいけなかった。おまえのところには取材が殺到してただろうし、用心していたんだ」

「いまはいいの?」

「できれば公式発表までは黙っててほしい。ほとんどばれてはいるが、推測は推測だから。発表はあくまでこちらが行いたい」

「それはわかった。だれにも言わないし、取材はもともと受けていなかったから、これからもそうする」

 メガンが画面内に戻ってきた。目が赤い。

「つらい決断だった。わたしたちの代でリル社会が終わるなんて。でも、みんなで決めたの」

「みんな? みんなじゃない。ぼくもそうだけど、リル市民は決定にはかかわってない」

「そうだな。ケントの言うとおりだ。重大な決定だが、民主的な決定方法はとっていない」

「公表は事実だけにして、全市民による投票にかけたらどう?」

 そう言ってしまってから、そんな投票に意味がないのに気づいた。移住に反対が多数を占めたからどうだと言うのか。それで移住しない解決策はあるのか。

「そんなのは、投票をしたという自己満足にしかならんな。時間の無駄だ。民主的な方法が最善とは限らない。それもつらい決断だった」

 目が熱くなった。涙をこらえる。

「どうして、ぼくに教えてくれたんですか。話を打ち切ってもよかったのに」

「さあ、なんでだろうな。おれにもはっきりとはわからん。おまえの顔を見てたら、もう言っちまおうって決めたんだ。勘だな」

「もう、帰る家は無くなるんですね」

「そうだ。リルは心の中にあるとか、くだらないなぐさめを言うつもりはない。リルという土地と海を失う以上、帰る家は無くなる」

「じいさん、もっとやさしく言えないの」

「いや、いまみたいにばっさり切り捨ててくれたほうがいいよ。選択肢がないのはよくわかった。前に進むしかない」

「若者は強いな」

 ディロン船長は鼻をすすった。

 画面の向こうで犬が吠えている。早くに昇った月はもう沈み切っていた。

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