第18話「狙われているのは誰だ?」



 声がした場所に鷹志田たちがたどり着くと、呆然としている三人の姿が目に入った。

 三人だけで、他の二人はどこにもいない。

 壊れたトイレのドアと開けっ放しのガラス戸だけが、何事かが起きたことを訴えかけていた。


「どうしました!?」


 鷹志田の問いかけに、ぺたりと廊下に座り込んだ小夜子が振り向く。


「智がぁ、お母さんがぁ!」


 小夜子の両目からは涙が溢れていた。

 くしゃくしゃになった顔に、苦すぎる悲しみが浮かんでいる。

 何があったのか詳細は不明だが、結果だけはわかった。

 トイレの窓が開いている。

 あそこから、何かをされたのだ。


(あいつか……)


 菊美と智、古賀家の二人が連れ去られたのだと、この時点でようやく鷹志田も気づく。

 朝になったから、太陽が出たから、もう助かったと考えてしまった自分はなんて愚かなのだろう。

 あの化け物は昼間でもさっきのように堂々と出歩き、この屋敷の中の人間を殺して回っているのだ。

 すると、ここにいてはマズい。

 少なくとも一時的にでも身を守れる場所にいかなくては。

 やはりさっきの居間に引き返そう。

 それしかない。


「ここは危険です。とにかく居間に戻りましょう」

「……いやよ」


 座り込んだ小夜子の手を取って立たせようとするが、拒否された。

 目の前ですべての肉親をなくしたかもしれない若い女性は、これ以上の現実を受け入れることはできないのかもしれない。


「もう嫌だ。……一歩も動きたくない」

「そんなことを言っている場合じゃないでしょう。あなただって危険なんですよ」

「だから、もう嫌なの。こんなところにいたくない。お母さんやお父さんと家に帰りたい……。智も……」

「立ってください」

「……いや」


 ぶるぶると首を振り抵抗をする小夜子。

 仕方なく、鷹志田は女の子座りをしている彼女の足首を乱暴に掴んだ。

 黒いストッキングを履いているので、やや滑りやすいがそんなことは構わない。

 そして、無理矢理に力を込めて、ずるずると腰を入れて引っ張り始める。

 足を掴まれたせいで体勢を崩し、スカートがめくれてしまった格好の小夜子を強引に引っ張って廊下を歩き出した。

 呆気にとられる宇留部の家族をも鼓舞した。


「さあ、みなさん、一刻も早くここから動いてください! 少なくとも居間で立てこもり続ければしばらくは大丈夫でしょう。ここにいたら、また狙われます!」

「―――ちょ、ちょっと何すんのよ、このエッチ!」

「やかましい! 暴れるな! 殴るぞ、おまえ!」

「な」


 思わず下品に怒鳴り散らした鷹志田に、小夜子だけでなく舞衣まで鼻白む。


「生き残りたきゃ、切り替えろ! あの化け物は昼間だって襲ってくるし、狭いとこからも入り込んでくるんだ! できる限り広い場所にいて、あいつの襲撃を察知して動くしかねえんだ! こんな廊下にいたら、ヤバすぎるんだよ! 死にてえのか!」

「……ちょっと、セ、センセーよぉ」

「やめてよ、このレイプ魔! いやだって言ってんでしょ! はーなーしーてー!」

「なにがエッチだ、誰がレイプ魔だ、ボケナス! こんな状況だぞ、勃ちもしねえし、性欲なんか微塵もわかねえよ! それより、これ以上、こんなところで死んでもらう方がずっと気分がわりいわ! 頑張って生きるんだよ! このドアホ!」

「アホじゃないもん! アホだって言う方がアホだもん!」

「黙れ、モンチッチアイドル!」

「モンチッチ呼ばわりなんかされたの初めてだよ!」


 ぎゃあぎゃあ喚く小夜子を引きずって、居間までたどり着くと、水をまくように乱暴に中央に向けて放り捨てる。

 うぎゃと美人らしからぬ叫び声をあげるが、それを放っておいて鷹志田は、他の三人を居間へと呼び込んで戸を閉めた。


「舞衣さん、この居間の中に隙間や何かがないかを確認してください。さっきのトイレの窓ぐらいの隙間があったらそれだけで危険だ!」

「は、はい」

「静馬さん、武さん、またバリケードを築きます、手伝って!」

「おう!」

「ああ……」


 あの化け物は神出鬼没だ。

 だが、さっきの様子からするとどこかに入口となる隙間がなければ、そう簡単には入っては来られないようだった。

 壁を通り抜けたり、瞬間移動ができるのならば、わざわざ歩いたり窓を開けて通ったりはしないだろう。

 つまりは、そのレベルで人間と同等の行動しかできないのだ。


「こんなもんか」


 三人掛りでとりあえず入ってこられないようにバリケードを築き、ようやく一心地つく。

 部屋の中を見わたすと、もう五人しかいなかった。

 鷹志田と舞衣、武、小夜子、静磨。

 たったそれだけだ。

 昨日はその二倍はいたというのに。

 一晩たらずのうちに、もう七人の人間が消えてしまった。

 永遠に。

 きっともう帰ってはこないだろう。

 なんということだと嘆いても仕方ない。

 ここでなんとかしなければ次に餌食になるのは自分かもしれないのだ。

 鷹志田は我が身に襲いかかった深刻すぎるトラブルに目眩がした。

 イスに座って、テーブルに肘をつく。

 問題はこれから先だ。

 どうやってここから逃げ出すか。

 そこがこれからの要諦になる。


「あれ?」


 さっきまで座っていたのと同じイスについたはずなのに、なにかが違うような気がした。

 首をひねり、なんとか違和感のもとを探ろうとする。

 そして、思い出した。


「……舞衣さん」

「は、はい、なんでしょう!」


 さっきの小夜子への弁護士らしからぬ啖呵を聞いて、やや鷹志田にドン引きしていた舞衣が上ずりながら応える。

 発言が発言だけにイメージダウンが著しいのだ。

 舞衣の中での自分のイメージがそんなことになっているとは露も思わず、鷹志田は思いついたことを訊ねた。


「テーブルの上に置いてあった武さんのメモを知りませんか?」

「え、ああ、そういえばありませんね」


 舞衣が知らない様子なので、今度は作成者本人に訊ねる。


「武さん、あなたが書いた相続図を持っていますか?」

「いいや、そこにあるだろ。俺は知らねえよ」

「静磨さんは……?」


 話を聞いていた静磨も首を横に振る。

 乱暴に扱われてややブー垂れている小夜子には聞かなかった。

 さすがの鷹志田もそのぐらいの空気は読める。


「誰も知らない……。でも、さっきトイレに行った時にはあった……」


 つまり―――


「さっきダイシ様が持ち去った白いのは、あのメモだったのか……」


 パソコンと本をとりに部屋に行った帰りに、居間からでてくる化け物の手に握られていた白いものの正体。

 それは紙切れだったのだ。

 相続の分配を書いた宇留部の家系図。

 武が書いたものとはいえ、内容は間違っていなかったはずの。


(なんで、そんなものを持っていったんだ? 化け物が文字やら図やらを読めるものなのか? いや、そんなことよりも……)


 確か、あのメモには……

 鷹志田は持ってきたカバンの中に突っ込んでおいた例の本を取り出す。

『宇留部の歴史』という本だ。

 とりあえずペラペラと中を見てみる。

 紙質はそれなりによく、文章も古いものにしては読みやすい。ページ数は百枚ぐらい。分量としてはかなり薄いものだった。

 必要なところだけならば三十分あれば読破できるレベルと計算した。

 そのまま、無言のまま彼は本を読み出した。

 弁護士の行動にやや引き気味だった宇留部の家族も注目している。

 小夜子だけは、さっきされた狼藉のせいで最初はむくれていたが、家族を立て続けに無くしたかもしれないという現実が時間を追うごとに戻ってきて、とめどなく涙がこぼれてきた。

 だから逆の意味で、鷹志田の行動が頭に入らなくなっていった。

 鷹志田は最初の予想通りに三十分ほどで読み終える。


「舞衣さん、さっき菊美さんと智くんのどちらが先に襲われたのですか」

「えっと……トイレに入っていた叔母さんから……で、それを智ちゃんが追って行って……」

「わかりました。菊美さんから智くんという順番ですね? 智くん自身があいつに狙われたわけではないのですね? 念を押しますが……」

「は、はい」


 鷹志田は天を仰いだ。

 そこに何かがあるわけではない。

 思考をまとめるための仕草だった。

 沈黙を続けたまま、更に10分が経過した。

 いきなり顔を下げた鷹志田はそのまま対面にいた舞衣に告げる。


「だいたい、わかりました」

「なにが、ですか?」

「あのダイシ様の行動の仕組みですよ。さっきまで私はあれが無差別にこの屋敷の人間を襲っていると思っていましたが、それはどうやら間違いだったみたいです」

「え、どういうことなんですか?」

「何言ってんだ、弁護士先生!」

「あいつは完全な化け物ですけれど、まったく無軌道に暴れているというわけではない。法則というか、はっきりとした価値基準に従っているんです。それがわかれば、あとは解決方法を模索するだけですよ」


 全員が鷹志田を見る。

 ただ、小夜子だけはぼうっとしたまま立ち上がり、壁までふらふらと歩いていく。

 鷹志田の発言が驚くべきものであったためか、他の誰も彼女の行動に注意することはなかった。


「おい、どういうことだ、教えろ弁護士!」


 武が肩を掴んだ。

 それを静磨が抑える。


「やめろ、武兄さん。どのみち弁護士先生には説明してもらうんだから、無理強いをするな」

「うるせえよ、静磨。俺に指図するな!」

「二人共黙って。―――先生、説明をお願いできますか。なにがどういうことなのです?」


 三人の質問責めにあって、鷹志田はまごつく。

 きちんと説明するつもりであったが、彼らを落ち着かせるために時間がかかってしまった。

 だから、小夜子がいなくなっていることにすぐに気がついたものはいなかった。

 小夜子の意見を聞こうと舞衣が振り向いた時、居間の窓の一つが開け放たれ、カーテンが軽く風に靡いているだけで、従姉妹の姿はどこにもなかった。


「小夜子ちゃん……?」


 名前を呼んでも返事はない。

 居間のどこにも彼女はいなかった。


「まさか、出て行ったのか?」


 静磨の発言がようやく事態を全員に飲み込ませる。

 開ききった窓から顔を出した鷹志田が、少し先を裸足で辛そうに歩く小夜子の姿を見つけた。


「まだ、無事だ!」

「ヤバイぞ、また襲われる!」

「ええ、逃げようとすればおそらく小夜子さんでも危ない」

「待てよ! それってどういうことだ?」

「後で説明します! 私は彼女の後を追います! 小夜子さんをここに連れ戻してから、さっきの話の続きはしますよ! あと、舞衣さん、武さんは絶対にここから外に出さないように。次に狙われるのは、本来なら彼だからです」

「な、なぜ、俺が! おい!」

「静磨さんはついてきてください。あなたは、ここから逃げようとしない限り、襲われることはないから手伝って!」

「……あ、ああ」

「行きます!」


 鷹志田は靴下のまま外に出た。

 枯れ木や小石が足の裏に当たるが、そんなことを気にしている暇はない。

 逃げようとする意思を表示した以上、小夜子だって確実に狙われる。

 彼の推理が正しければ、ここで早めに連れ戻さなければ、今度無残に殺されるのはあの声優志望の可愛い子なのだ。

 体力に自信のない弁護士はひたすら走る。





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