第五話「夢の続き」 ―Rain man― ②

「時計、合せろよ」



 赤城の乗っているセダンは恐ろしく旧型で、今時ナビゲーション機能も積んでいなかった。

 ディスプレイは黄色と黒の二色のデジタル表示。フロントウィンドウはただのガラスで、道案内の半透明の矢印や、道路を赤や緑に塗り分ける視覚化渋滞情報AR・VICSもない。


 これで公道を走れるのだろうか?


 所によっては信号機すらない区画もあったはずだ。日和の乗っているスポーツカーだってかなり旧式だが、フロントウィンドウにはちゃんと信号機の立体映像ホログラムが表示される。



「なんだよ、渋い顔して……なぁ、時間は合せたのか?」



 クロセは腕時計を見た。視線を関知して時計から立体映像が立ち上がったが、やはり表示は崩れていた。



「時計は……壊れてるんだ」

「知ってるよ。そうじゃなくて、お前の頭ん中の時計と、今の時間を合わせろって言ってんの」



 言われて初めて、クロセは最後の記憶を取り出そうとした。なんとか思い出せるのは……コーディとマコと並んで、花火を見上げていた記憶だった。


 祖父が亡くなってからずっと続いていた、漠然とした不安が、あの瞬間にはなくなっていた。ずっと遠くの空を眺めているような、陰りのない安心感――――間違いなく、自分のしみったれた人生の中でも最高の思い出になるだろう。だから、あれから




 あれから




「……おい、顔真っ青だぞ。吐くなら窓から吐けよ」


 赤城は車酔いだと思っているようだった。クロセは顔をじっとりとぬぐい、頭を振った。なんとか思い出した日付と時間を伝えると、赤城は「…二十二時間前か」と独りごちる。



「まぁ、たぶん精神的なもんだろ。とにかく、うまいもん食えよ。おごってやるからさ」



 赤城が鷹揚おうようにそう言って連れてきたのは、指定第七地区の駅前にある、『不二うどん』だった。安さが売り……というか、安さが全ての、全国チェーン店だ。大見栄きって連れてくるところではないと思うが……。冗談かと思ったが、「日本で一番うまい店だぞ」とホクホクと笑みを浮かべて、赤城は車から降りる。引きずられるように店まで放り込まれ、



「へいらっしゃい!」



 威勢の良い店員が、カウンター越しの厨房で手を打ち合わせた。どでかい声にクロセは思わずビクついたが、赤城は慣れた口調で



「ヌードル」

「かけそば!?」

「いや、うどん」



 店員は何がそんなに意外なのか「うどん! そばじゃない!?」とどでかい声で叫ぶ。いったいこのやり取りはなんなのか。



「あとエビ天。よっつ」

「あーすいやせん、エビは二つしか揚がってないんですよ!」



 手のひらを示す赤城に、店員は暗に諦めるように伝えるのだが、彼は表情をまったく変えずに



よっつ」

「いや、二つで十分――」


 赤城は指を二本立てて


「二つと、二つで、四つ」


   

  

    

  

■  ■  ■  ■


  


 結局赤城がカウンターに置いたどんぶりには、エビ天が花のように四つ並んでいた。

 いったいなぜそんなにエビ天にこだわるのか、クロセにはまったくわからない。赤城はとにかく嬉しそうにどんぶりに箸をつっこんだ。



『――――それでは、次のニュースです。混迷の続くカザフスタンですが、本日未明、駐屯する民間警備会社"ハート・セキュリティ・サービスH.S.S.社"の基地へ自爆テロが行われ、四〇名以上が死傷する事件が起きました』



 通りに面した窓に、なんとも実感のわかないニュース映像が流れる。土塊つちくればかりの光景に、砂煙がまきあがる映像。悲鳴や怒号がアナウンサーの冷静な口調にかき消されていく。



『このテロの際、近くの避難民シェルターも爆破され、施設内部にいた民間人十二名全員が死亡したとAFPは伝えています。シェルターからは高度な電子機器や、化学物質を精製する施設の残骸が見つかっており、避難民シェルターが何らかの形でテロ組織と関与していたのではないかとカザフスタン当局は慎重に調べを進めています。これにより中東各国を巡る紛争はますます混迷の度合いを深め――――』




「なんで窓にテレビ映してるか知ってるか?」




 そばをかっ込む合間に赤城は語りかけてくる。「これ、一個やるよ」とクロセが一口もつけてないかけそばにエビ天を放り込み、



「窓の外の通りから見ると、客は顔をあげてこちらを見てるように見える。どんぶりを抱えながらな。客寄せにぴったりなんだよ」



 クロセは無言だった。へぇとも思わなかった。思考が落ち着いてくると、いったいなぜ、自分をぶん殴った男と食事をしているのかと、心底不可解な気持ちになった。返事もないのに、赤城はぺらぺらと話し続ける。



排出者イジェクターなんてやめたらどうだ?」



 部活でも辞めろと言わんばかりの調子だった。クロセはソバの水面に広がる波紋を見下ろし



「……そんな簡単にやめられるわけないだろ」

「言えてる」



 赤城は鼻で笑う。自嘲的な笑み。

 ふいに、ソバをかきこむ手を止めて、いきなり窓の向こうへと身を乗り出した。子どもみたいにはしゃいで空を指し、


「あそこ、アレ、見えるか?」


 口の中のモノを飲み込みもせずに笑う赤城を不気味そうに見やってから、クロセは窓の外へと目をやった。宵の口の空には、一際白い輝きを放つ、星が輝いていた。


 

「あれ、軌道衛星中枢アマテラスってんだ」



 だから、何だよ。

 星の名前ならいざ知らず、衛星の話なんてされてもなんのおもしろみもない。『軌道衛星中枢アマテラス』といえば、社会や理化学の授業で耳にすることの方が多い名だった。

"我が国の重要なエネルギー資源である太陽光発電を管理する衛星であり、二千ほにゃらら年に就航した――”

 こんな感じにおもしろみのないテキストが教科書に載っていた気がする。



「――あれを飛ばしたの、俺なんだよ」

「……はぁ?」



 意味がわからない。宇宙飛行士だったとでも言うつもりか?



「だからさ、宇宙太陽光発電を成功したのは、俺みたいなスパイとか、人知れず戸籍ごと消え去ったエージェントがいたおかげって事」



 赤城は両手を広げて見せた。肩をすくめ、



「アマテラスは極東戦争後のエネルギー問題を全部一気に解決した。いまや日本はエネルギー大国。しかも受信装置さえつければ世界中どこへでも電力が供給される。Play fun!12なんてのが成立するためのエネルギーは、あの空でペカペカ光ってる衛星のおかげなのさ」


「……あぁ、そう。そりゃ……どうもありがとう」



 もう、何を言ってもうさんくさい。ただ者ではないのかもしれないが、衛星を飛ばすのにスパイが活躍したと言われて「なるほど」とは思えない。まったくつながりが見えないし、からかわれてるか、単なる妄想か。



「いや照れるね、どういたしまして」



 クロセの白けた表情はまったく気にならないようだった。しばらく嬉しそうに笑った後、赤城はかきこんでいた丼を置き、一つ細い息を吐いて、虚空に目を這わせた。

 



「――もっとも、その分、ワリを食う連中もいた。ほぼ無限のエネルギーを供給できるってんだから、石油を燃やして火力発電する意味は、ほとんどなくなる。石油が薄汚い泥水以下の価値しか無くなったら、中東の連中は、もう終わりだ。だから当時はかなり激しい抵抗にあった……アマテラスを宇宙に上げるのを妨害する連中が現れたのさ。だから」


 す――と赤城は指をあげた。指したのは窓に投影されたニュース映像で、ちょうど過去にあった「中東紛争」の映像を流している所だった。


 民兵組織が銃を抱えて訓練している映像や、過激化するゲリラ攻撃の映像、そして「過激な映像が流れますのでご注意ください」のテロップの後に、切り落とされた首を並べる、テロリスト達の姿が映る。




「ああしてやった」

「……は?」

「あれをやったのは俺たちだ」



 言っている意味がまったくわからなかった。 


「なに言ってんだ、お前」


「俺たちは火種をまいた。ただでさえ部族間の対立が根深い地域だ。そこにテロ組織も関わってるとなれば、大量の資金と武器を流し込むだけであっという間に殺しあいになる。それにいろんなお題目を与えてまわったのさ。自分たちの国が血みどろの内戦になったとなれば、衛星どころの騒ぎじゃなくなるだろ」


 

 クロセは赤城を見上げた。

 気軽な調子で話しているし、めちゃくちゃな端折はしょり方をしているので、まったく真実みが無く、つかみ所もない。まるで陰謀論を語る狂人だ。

 しかしこの男がまともでないことを、クロセはよく知っている。

  


「理由なんかどうだっていい。とにかく火をつけて回ったら、民間軍事会社PMCを金で雇える状態にしてやればいい。翌日には悲しい紛争の悲劇がBBC国営放送に乗って世界中に流れる。ドカーンボカーン」



 まさに赤城の言う通り、ディスプレイの映像は貫通誘導弾パイルバンカーが砂漠地帯に打ち込まれる映像や、無数の小型爆弾をばらまく集束爆弾クラスターボムが黒とオレンジの爆炎を上げる映像に切り替わる。



「世界はこうして、飯でも食いながら眺めているだけで良い。ほんの少し心を痛めて、なんかした気になって、翌朝にはいつも通り学校や会社に出かけていくのさ」



 くるくると、赤城は指を回して見せた。

 クロセが黙ってディスプレイを見つめている。赤城も窓に目を向けると、わずかに眼を細めた。


 窓の外の暗がりの向こうで、黒塗りセダンに腰掛ける、男達がいた。スウェットによれたジャケット。サンダルをひっかけ、車のフロントに腰を下ろして大笑いしている。



「……おかげでアマテラスの打ち上げをさえぎる奴はいなくなった。何百、何千という人があそこで死んでくれてるおかげで、今日もアマテラスは空に輝いてる。世界中にエネルギーという希望を流し込んでな」



 クロセには、なんと言えばいいのか、見当もつかなかった。

 うさんくさい話だと一蹴したかったが、しかしもし、この話が本当だったとしたら? もしもの疑念が頭から離れなかった。すくなくとも、この男は自分の事を調べ上げ、姿を消した麻戸の命令を受けてここにいる。

 "公然のスパイ"だと、名乗っていた。



「なぁ――外に出ようぜ」



 タバコをひとつまみして、赤城は軽くほほ笑んだ。



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