【中編】



 暗闇の中で、乳白色のあかりが、列をえがいて輝いていた。


 夜中のランニングでは、暗いばかりの山道に、賑やかな屋台が建ち並び、地上に落ちた天の川のように、輝く。





 見た目ばかりが古めかしいこの街は、基本的にどこも埋め立て地で、人工的に作った場所ばかりだ。どこかノスタルジックをにおわせておいて、歴史など皆無なのだ。


 町外れの山にある、この妙に小綺麗な神社も、やっぱりどこか、作り物めいている。山間から突き出した紅い鳥居も、艶めかしくて、妙に小綺麗だ。


 境内へ続く長い石階段はなかなか趣があるが、老人や子どもがのぼれないないと不評を買っているらしい。おかげでいつも人気が無く、クロセはランニングコースの中継所に、ここをよく利用していた。



「もうすぐ花火あがるって!」



 階段に腰掛けたクロセの傍らを、子どもがはしゃいで駆け下りていく。


 ちょうど降りた先が屋台の並ぶ道路につながっていて、そこからは緩く海辺まで傾斜が続く。階段を下りていく子どもが、いっぱいに両手を開く。


 屋台の灯りが海に吸い込まれるように並ぶ通りへ駆け下りていくのは、まさに夜間飛行を終えて着陸する、飛行機の気分なんだろうな、とフードの影からクロセはぼんやりと思った。


 時計をもう一度、確認する。

 コーディは、まだ来ない。


 待ち合わせの時間はとっくの昔に過ぎている。電話コールしようと思ったが、時計マルチロールの調子が悪くて起動できなかった。日和と通話した時、アプリが落ちたのを忘れていた。あれ以来、上手くアプリケーションが起動できないのだ。


 自分の間抜けさにため息をついて、眼下の灯りを見下ろした。


 花火が近づくと、石階段に座り込んでイカ焼きやらトッポギやら、カラフルなアメだとかをほおばっていた人々が、笑顔をこぼしながら階段を下りていく。



「今年は雨が降らなかったから、良かったな――」

「ここの花火すごい綺麗なんよ――」

「向こうで南米屋台村やってたから後でいこうよ――」


「見て見て、これ、似合う?」


 近くの教会で売っていたベールをかぶった女の子が、彼氏に見せつけてながら降りていった。制服を着てるので、同年代くらいだろう。

 彼氏はおざなりな返事をして、女の子はふくれて体当たりしていた。


 まばらになって消えていく、人々の楽しげな喧騒を、ポケットに手を突っ込みながら見送った。


 発電機のうるさい音も消え去ると、薄暗闇がやけに目についた。灰色の鳥居を見上げると、星の瞬きもない、タールを塗りつけたような夜空に気づく。


 ずいぶん前に、日和を待ちぼうけにさせた事を思い出した。人の気持ちを想像するのは苦手だが、もしかして彼女も、こんな風にぼんやり待ち尽くしていたのかもしれない。だとしたら、かなり申し訳ないことをしたな、と思う。これは、なんというか、とても――みじめな気分だ。


 ふいに、顔を上げた。


 それは、違和感だった。正体はわからない。が、花火へ向けて遠のいていく喧騒の中に、刺すような、"何か"を感じたのだ。

 石階段の下へ、視線を下ろす。

 眼を細めた。

 人もまばらになった階段の先に、紺色の浴衣ゆかたを着た男が突っ立っている。決して異様なちではない。それなのに、暗闇の中に浮かび上がっているかのように目につく。


 そいつは、仮面マスクを被っている。


 真っ白な顔、大きく突き出した獣の口、切れ長な墨の一筆で描かれた目――

 ――――キツネだ。


 狐の、お面。


 出店に並ぶようなお面には見えなかった。和紙を何層にも塗り固めて作ったような、手の込んだつくり――あんなもの、今時見たことがない。都心部は移住外国人が多くて、ああいう和物はほとんど廃れてしまった。作れるのは、南の方の、旧政府地域の職人くらいだろう。


 紅く縁取られた目の奥で、底の知れない暗闇が、ぽっかりと空いていた。片目だけ縁取られた金色の瞳が、じっとこちらを見上げている。


 浴衣の裾に手を突っ込む、その立ち姿。とても自然だった。自然"すぎる"。目があったことに気づいて、慌てて視線を逸らすようなそぶりもない。ただ、見つめている。静かな湖畔でも眺めているかのように。


 コール音。


 ヘッドフォンマイクの立体映像フォログラムが立ち上がり、着信を知らせてからクロセの首にからみついた。眼前に起動したタスクウィンドウには、通話相手の名前が表示されている。



「コーディ?」



 全く平坦な顔で、ウィンドウの中のコーディはこちらを見つめていた。瞬きするので、かろうじてこれがリアルタイム通信であることがわかる。


 暗闇の中で見ると、瞳の奥で光が明滅して見えた。

 色の濃いまつげが、微かに震える。



  

『すいません――遅れてしまって』

  

  

  

「大丈夫なのか?」

 遅刻を責めるよりも、不安の方が先にたった。遅れて連絡もよこさないのは彼女らしいとは言えない。それに、表情のさざ波すら見えないが、緊張しているのが、わかった。



「まだ病院? 気分、悪いのか」

『あの――私は大丈夫です』



 言いよどんだ。

 ますます"らしく"ない。



「――外側中毒アウターホリック警告か」



 感じるものがあった。

 コーディは一瞬の間の後に、こっくりとうなずいた。真っ赤なタスクウィンドウを取り出してみせる。



「俺の方には、警告は来なかった」

『えぇ――そうだと思います』



 クロセは眼を細めた。””?妙な言い回しだ。何かから、目を逸らそうとしている雰囲気を感じる。

 ふと、ウィンドウの向こうに目をやった。

 さっきまで立っていた狐面きつねめんの男は、姿を消していた。



「……"トロリー問題"か」



 頭を切り換える。経験上、外側中毒アウターホリックは時間との勝負だ。手をこまねいている間に、事態はどんどん悪い方向へ進んでいく。迷っている猶予はない。


 誰かの死が、決断を迫る。


 何度も経験してきた、心臓が搾り取られるような緊張感――だが以前のようにただ焦るだけではなくなった。どんどん張り詰めていく神経に代わって、理性が急速に冷え切っていく。



「切り替えレバーを引くかどうか、だよな」」



 じっと見つめているコーディの前で、クロセはがちゃん、と口で言って、レバーを引く真似をした。まさに今、突っ込んでくる列車のレールを切り替えたわけだ。クロセとコーディは犠牲にならず、代わりにたった一人、外側中毒者が、この世から消える。



『そういう冗談は――』

「冗談に聞こえるのかよ」



 コーディは黙りこくった。

 うすい唇を、きゅっと結ぶ。



「……ごめん。やっぱり、冗談だよ」

『え?』


外側中毒者アウターホリッカー警告が来たこと、黙っておくつもりだったろ。コーディ」



 眉一つ動かさないのはさすがだったが、こっちだって、ここ数ヶ月ずっと、意識のない寝顔を見つめ続けてきたのだ。微かでも感情が動いていれば、見分けるくらいわけない。


 彼女は、絶句している。それが答えだろう。



「迷ってる間に待ち合わせに遅れたんだろ」

「……すいません、迷惑なのはわかっています」

「やめろよ」



 クロセは首を振った。



「迷惑なんてやめろよ。一人で抱えるのだけは、やめろ」



 コーディは、そこで、ようやく――瞳を微かに伏せた。感情らしい感情を、ようやく吐き出しのだ。胸が抉られるような嫌気がさした。もちろん彼女にではなく、自分にだ。二人の命を危険にさらしたくなかっただけだった。だが結局それは、見たくない物にフタをして、彼女の口をふさいだだけだった。



 一つ、深呼吸をする。



 そうでなければ、未来永劫、ふいに訪れるこのアウターホリック警告命の危機のプレッシャーに、押しつぶされてしまいそうだった。



「……"列車トロリー"をぶち壊しに行こう」



 乳白色の輝きが滲む。

 夜店の温かな喧騒は消え去り、世界は暗転する。



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