【中編】


「キャラメルマキアートのポップコーンでホイップクリームとチョコソーストッピング。あとイチゴのやつも。バニラアイスも上にのせて。やっぱりバニラじゃなくてチョコとバニラの混ざったのを。カラースプレーも30グラム。その星の形のを、多めに。銀のやつはいりません、ジャリジャリするからです。あとメロンジュース二つ。サイズは最大グランデ




でん


と、どデカいポップコーンを抱えたコーディは、まったく面白味もクソもなさそうな、真面目くさった顔をしてノシノシとスクリーンへと続く廊下を進んだ。



「お前……ホントにそんなに食べれるんだろうな」



横について歩くクロセは、デコレーションまみれのポップコーンを、不気味そうにながめる。両手には特大サイズのジュースカップを抱えて。



「は?」



途端、コーディはとがめるような視線をくれて、



「食べますよね?」


「え?」


「食べますよね、クロセさん」


「は? 俺も食べんの、それ」


「食べます」


「えぇ……」


「食べます。食べますから」



映画の話をしたときは、"病院の壁でもながめている方がよっぽど楽しいんですけど"とばかりの無表情だったのに、コレである。


わざわざマコからチケットまでもらっておいて、誘ったのは失敗だったか……と気落ちしていた昨日の自分にこの光景を見せてやりたい。きっと悩むのもバカらしくなって、さっさとベッドにもぐっただろうに。



マコの言っていた商店街というのは、ほとんど開店休業中の店が軒を並べるアーケード街だった。どこの店もシャッターは開けているが、店番の店員はつまらなさそうにテレフィルムを眺めていたり、そもそも店員がいなかったり、店員の代わりに猫がカウンターで寝っ転がっていた。


マコが言うには、これでも土日やお祭りを開いたときは沢山の人がごった返すらしい。とても信じられないが、そういうものなのだろうか。昼の世界の出来事はよくわからない。



「すごい、貸し切りですか?」


「客がいないんだよ……」



コーディは、見事に二人しかいない客席に、いたく感動したようだった。その隣で、クロセは半目で同じ光景をながめる。マコの言っていたことに間違いはなかったわけだ。


チケット販売、スナック・ジュースの販売。そしてモギリと、一人三役をこなしていた初老の館長は、入ってきた二人を見て「えらいこっちゃぁ……!」とすくみ上がっていた。愛想の全くないコーディにも終始ニッコニコで注文を聞いていたし、ともすればポップコーンとジュースまでも無料タダにしやると言わんばかりの調子だった。客が入っただけでこの惨状…‥映画館が次々つぶれるわけである。



「信じられません。日曜日の映画館がこんなに空いているなんて……映画はもう国民的娯楽ではなくなったのですか?」



コーディは席についても、まだしげしげとあたりの様子を見回していた。



「……お前が頭の中で抱えてたゲームに、みんな流れただろ」


「……そう言えばそうでした」



納得するのか……



「そう言われると確かに罪悪感は感じます。でも、こうして客席に座ってみると、これはこれで、とても良いです。私たち以外に、誰もいない映画館。雰囲気が--雰囲気が、とてもいいです」



たまに五十年くらいタイムスリップしてきたような事を言うな……とクロセは思った。実際、彼女の現実での記憶は、何十年も前で止まってしまっているわけで、彼女にとっては、目にはいる全てが新鮮で、懐かしく感じるのだろう。



「そーぅ思うだろぅ!? あぁ、そぅ思うだろうお嬢ちゃん!」



いきなり頭の上から酷いだみ声がしたので驚いた。振り向くと、映写室から館長が顔を覗かせている。しおれた柿みたいな顔に、白い髭をたっぷりとたくわえていた。壁の一部に横長の窓が開け放たれていて、そこから身を乗り出しているのだ。 えびす顔を通り越した満面の笑みで



「若ぇのによぅわかっとるわ。こういう静かな場所でよぉ、だまーって愛する人と並んで観るのが、映画っちゅうもんだわね! 俺ぁ新しいのはよぉ好かん! じょうちゃんはよぅわかっとる!」



クロセは呆れて半口を開けていたが、コーディはきらきらと輝く目をパチパチさせていた。無表情顔で、なぜか手をふる。館長はますますご機嫌になったのか、



「よしっ! 今日は二本立てにしちゃる! ちょっと待っとれよぉー」



と元気に映写室に戻っていこうとするので、その背中に「はやく始めてくれ!」とクロセは声を投げる。聞こえてると良いが……。



「とんでもないトコに来た気がするな……」


「そうでしょうか。私はとても良いところだと思います」



コンピューターが翻訳したような口調でそう言って、コーディはポップコーンをしげしげと眺めた。袋に入っていたスプーンを渡してやると(ポップコーンにスプーン?)、見るからに甘ったるいポップコーンの山を、コーディは恐る恐るとつっついた。それから思い切って口に含むと、大きな目を、また ぱちぱち させて、驚いたことに--かすかに口元をもたげる。



「おいしい」



……まぁ、なんにせよ、喜んでいるようでよかった。クロセはやたらとデカいジュースをストローで吸い取りながら、なんとか脱力するのだった。



「……なぜため息をつくんです?」



クリームを口のはしにつけて、コーディがじっとこちらを見ていた。知らないうちに息を吐いていたらしい。



「あ、いや……なんか、久しぶりだなと思ったから」


「ひさしぶり?」


「なんか……『普通』にすごすの」



マコは夏休みに入ったと言っていたが、排出者イジェクターに夏休みがあればいいのにと思う。七月に入ってからもう二度も命がけのゲームで戦っている。

死にかけるのなんて一生に一度あれば十分だと思うが、一ヶ月に二度。三ヶ月前も合わせると一年で何回死にかけたのかわからない。


その度に神経をすり減らしてきたことを思うと、自分の頭の中は脳みそがすり切れて空っぽなんじゃないかとすら思う。



「普通にでかけて、普通に普通に客として席に座って、普通に会話してるっていうのがさ、なんていうか……」



音もなく「ご観覧上の注意」を放映しているスクリーンを見ていると、張りつめていた神経がゆるんでいくのがわかった。


少々効きすぎなくらいの冷房が、ゆるんでいく体に心地よい。ぼんやりとした目をして、クロセは思っていた。こういう、いい加減に間延びしたような時間、ずっと続けばいいのに。



「ずっと家にこもってたから、普通って言うのが、本当はどういう毎日をいうのか知らないけど。でも」



緊張感が抜け落ちたせいなのか、滑り落ちるように言葉が口から出てくる。思ったことをそのまま口にしているのに気づいて、うっすらと驚いた。


以前は、こんな風に口をくことはなかった。祖父が死んでからは、市役所の職員くらいしか人との関わりはなかったが、それでもそういう時は、何を話すか頭の中で入念に繰り返してから、ようやく口を利いたものだった。

何かが大きく変わって、人生がほんの少し"気楽"になった……そんな気がした。



「普通……」



目をやると、コーディはポップコーンをいじる手を止めて、妙に熱心な目をしていた。変な話をしてしまって困らせてしまったのかもしれない。


「それ、一口くれよ」とポップコーンを指すと、彼女はちらりと視線をこちらに上げた。病室に行くと、なにをするでもなく真っ正面の壁ばかり見ている彼女にしては、コミカルな表情に見えた。



「どうぞ」



なにごとか思案していたコーディは、ふっと視線をはなすと、ポップコーンに乗っていたアイスをスプーンですくって差し出してきた。



「いや……自分で食べるから」


「いえ、もうすくってしまいましたし」


「もどせばいいだろ」


「どうぞ」


「お前、ホント人の話聞かないよな」



グイグイとスプーンを押しつけてくる彼女から、うぅ、と顔をそらす。後ろから「おぅ兄ちゃん、食ってやれ!」とだみ声のヤジが飛んできて、「はやく始めろって!」と怒鳴って返した。あんな無神経なじじぃがいるような場所で、幼児退行したようなマネはしたくない。



『--まもなく、上映いたします。携帯電話の電源はお切りになるか、マナーモードにして……』



ぐいぐいと攻防をつづけていると、ふっと暗闇のとばりが客席に落ちた。おもわずおどろいてしまったが、コーディは慣れたものなのか、平静な顔をしていた。そして一瞬のすきをつかれて、スプーンを口に突っ込まれてしまった。


げ、と思ってコーディを見ると、スプーンを持った手を、猫の手のようにすくめて、「やった」と静寂せいじゃくの中でようやく聞こえるような声をこぼした。うす暗闇の中ではかすかにしか見えなかったが、彼女は嬉しそうに口元をもたげているのだと思った。



「おいしいですか?」


「あまい」


「それはよかったです」



キャンディーみたいな声だった。

映画が始まる。







驚いたことに、映画は白黒だった。マコが話していたときは、あまりイメージがつかめなかったが、実際に目にすると、なかなかに新鮮だった。映画というお話が、色を必要としなくても成立するという事が驚きだ。白い部分がまぶしくて目がチカチカしたが、それもすぐに慣れた。



『変わらない男-Kemo Sabe-』



カントリー調ののんびりとした曲に合わせて、白い文字の題名がデーンと表示される。


いかにも古くさかったが、スクリーンの方から映画の中へ手招きされているみたいに、押しつけがましくないのが妙に心地よかった。



1896年since1896.


"男"たちがThe "wild west"駆け回る西部の時代はThe men runnig around』、


最盛期をむかえていたhad be it's peak,。』


まるで少年がlike boysいっぱしの男be menになるように…………』



映画は外国製らしい。アメリカ連合のどこかの国だろう。大きなカウボーイハットをかぶった、粗野そやな顔つきの男が画面に映る。手綱たづなをにぎりしめて駆けだしたのは、赤茶けた土にまみれた荒野だった。


世界共通語ユニコードで語られる、男の独白モノローグが聞こえてくると、映像のはしに白い字幕が浮かび上がる。日本語の字幕とユニコードを同時に読むのに少々苦労したが、話が進むと、だんだん気にならなくなった。



『イザベラーッ! あぁイザベラ……どうしてこんな……』



内容はよくある西部劇だ。

家族を殺されて復讐を誓った男は、ついに仇敵きゅうてきを倒した(どうやらこれは続き物の映画らしい)。しかしそれからというもの、男は虚しさを抱えて、ずっと安住の地を求めてさまよっていた。置き場のない魂の、安住の地を求めて----



『西部は乾いた土ばかり。人の心も荒みきってると思っていたわ。でも、あなたのような人もいるのね』


『馬鹿言え……俺はふりかかる火の粉を振り払っただけさ』



ある町についたとき、悪党に町娘が襲われているのを見かける。復讐を果たして以来、不殺をつらぬいてきた男は、しかしついに見かねて、手助けしてしまう。


男は立ち去ろうとするが、娘と町の人々に懇願こんがんされる。悪党たちは必ず復讐にくる。そうなったらこの町は終わりだ--迷いつつも、男は自分が引き起こしたことに蹴りをつけるため、用心棒を買って出てしまう。


そうして、男は町の東にある悪党のねぐらネスト討伐とうばつ に出かける。だが町を出た矢先、思わぬ出会いが彼を待っていた。



『たのむよ、僕も連れてってくれ』


『坊ちゃん、こいつは牛狩りに行くのとはわけが違うんだぜ』


『馬鹿にしないでくれ! 僕は本気なんだ!』



町で一番の臆病者と笑われていた青年がついてきたのだ。

どうやら娘の幼い頃からの友達で、彼女にれているらしい。


男は彼を「足手まといだ」と突き放し、青年もまた、男を恋のライバルとしていがみあっている。


だが次々と襲い来る敵の刺客との戦いが、彼らをいやがおうにも手を組ませ、助け合うことになる。次第に、男が表に出さない高潔さに青年は気づき始め、男もまた、青年が臆病さと裏腹にかかえた優しい心と真の勇気に気づいていく。



『僕は、初めて人を殺した……保安官は平気な顔して"何人も殺した"って言ってたのに、僕ときたら体が震えて止まらないよ。笑っちゃうよな』


『そういうものさ、カウボーイ。お前はよくやった』


『なぁ、あんたは……どれくらいの人を殺した?』


『……数え切れないくらいさ。数え切れない、そう、数え切れないほどに……』



宵闇よいやみの中で、たき火に火をくべながら、男は静かに話し出す。かつて愛した人を失った過去。そして復讐を遂げた後にのこった虚しさ。青年は言葉を失う。だが彼は、男を信頼するKemo Sabeあおぎ、「あの娘と結婚するときの仲人ベストマンになってほしい」と冗談めかす。



『お前が結婚? 無理だ』


『なんでさ、できるよ! 僕は男になったんだ』


『そうかい、大した"男"だ--』



主人公はここで初めて笑顔を見せる。まるで本当の親子のように肩をゆらしあう二人。だが激しい戦いは、そんな二人のささやかな信頼関係も奪い去っていく。

悪党のねぐらをついに強襲した二人。銃撃戦の嵐をくぐり抜け、ついに首領ボスのもとにたどり着いた二人だったが、その時、一発の凶弾が青年を貫いたのだ。


怒りに打ち震えた男は、ついに悪党たちのとの戦いに勝利する。自分が引き起こした事態を、自分で蹴りを蹴りをつけたのだ。若き友を犠牲にして……



『どうしてあいつを連れて行ったんだ!』



町に戻った彼を待っていたのは冷たい視線だった。



『町で一番の臆病者だ、こうなることはわかっていたはずだろう!』


『出ていけ、二度とこの町にもどってくるな--』



青年をなぜ追い返さなかったのだと、町の人々は口々に男を責めた。

男はなにも反論することなく、ただ黙って刃のような言葉を受け入れた。そして貰った金を返し、その夜町を出ていこうとする。



『どうして町を救った英雄のあなたが、出ていかなければならないの?』



しかし町の出口で立ちふさがったのは、あの町娘だった。



『ジョージがもういないのは……辛いわ。だけどあなたが追い出されるわれはないはずよ』



男はかわいた笑みを浮かべる。



『俺はもらった金の分、働いただけさ。本当の英雄がいるとしたら、それは--』



それだけ言うと、男は町を出ていく。小さくなっていく背中に、町娘にさらに言いつのるのだ。「もどってきて! 永遠にさまようなんてこと、できないはずよ!」。黙って手綱たづなを握る男の横顔に、モノローグがかぶる。



『永遠じゃない--この旅はもう、終わったんだ』



軽やかなエンドロールと共にクレジットが流れていく。夕日に照らされていた男が、とぼとぼと歩く馬に揺られ、荒野をあてもなく進みつづける影が、映し出される。だが、軽やかだった曲が転調して、どこか悲しげな曲が終わる頃には、男の姿はどこにもない。ただ主を失った馬が、とぼとぼと、荒野を歩くのみだ----









コーディはいつの間にか、すぅすぅと静かな寝息を立てている。スクリーンの光に当てられた横顔は、クロセの肩に預けられていた。


「…………」


よくある安っぽい話だ。その分真っ正直なストーリーラインそんな作りになっていた。当時の観客にとって、これはたまの休日に観る、血脇肉踊り、そしてどこか物悲しい、そんなスナック菓子のような作り話フィクションだったのだろう。


だがそれから数十年たった今、スクリーンを見上げるクロセの表情には、感動のスナック菓子を食べ終えたような満足な表情は浮かんでいない。


クロセは呆然としていた。


肩によりかかっていたコーディが、腕にしがみついている事にすら気づかない。いつかくわえようと思って握りしめていたドリンクカップから、表面に浮いていたしずくれる。足下に広がる染み。それでも、じっと、真っ暗になったスクリーンから目を離さない。


どこまでもシンプルな、エンターテイメントに沿ったストーリーだった。普段娯楽など観ないクロセにだって、それはわかった。だが、なぜかはわからないが、両肩をつかまれて揺さぶられたような衝撃と、じくじくとあふれる汗が、心臓をバスドラムのように打ち鳴らしていた。


これは、作り物フィクションだ。それはわかっている。

だが同時に、今見た光景が、おそろしく卑近なリアルにしか思えない。


真っ正直に希望と哀愁を語ったストーリーが、まぶしい程に輝く"暗闇"をまっすぐに指し示しているように感じた。


いったい、これは、なんだ----





外側中毒アウターホリック警告』




真っ白になったスクリーンに滑り込んできたのは、真っ赤に輝くタスクウィンドウだった。危険を示すエクスクラメーションマークと共に、滑り落ちるように数を減らしていく限界時間タイムリミットが浮かんでいる。



残り:5h48m28s.........................







■  ■  ■  ■




「----助けましょう、いますぐに」



突然の警告音は、眠っていたコーディをすぐにたたき起こした。眠たげな目をこすり、それからゆっくりとウィンドウに目を込み開く。彼女の瞳に、真っ赤なウィンドウの光が広がっていく。そして開口一番、確信に支えられたかたくなな言葉を吐いた。



「……この間、"これっきりだ"って言っただろ」


「わかっています。けど、私たちにしか救えないのに」


「あぁそうだな」



言葉は熱を帯びていた。



「それに、命をかけるのも俺たちだけだ。世界中の人間は見て見ぬフリをしてるだけでいい」



コーディは黙った。

さっきまで寝起きのぼんやりした目をしていたのに、今その瞳は、スクリーンが放つ残り火のような光に、静かに明滅していた。



「このまま何も見なかったフリをして、それで私たちは、どうやってこの後の日々を過ごすんですか。今日、これから私たちは、映画の感想を言い合ったりしながら、帰るんですか」



しばらく閉口した。クロセの脳裏に、夕刻の陽ひに照らされた二人の姿が浮かぶ。晴れやかな笑顔を浮かべている姿をなんとか想像しようとしたが、できなかった。

結局、卑屈な笑いを鼻にかけることしかできなかった。



「すくなくともお前は、映画の感想は言えないだろ。眠ってたんだから」



コーディはくすりともしなかった。薄い唇をきゅっと閉めて、ただ正面を見つめている。



「ではどうやって帰るのか……私には想像がつきません」



いつも正確に定規で切り取ったような声音が、さすがに弱々しい物に変わった。ちり、とクロセは胸の奥が痛み、同時に苛立ちがふつふつとわき起こる。

俺がまちがっているのか?

俺だけが悪いのか?

死にたくない。もう死ぬような危険に晒されたくない。それを理由にするのが、そんなにいけないことなのか?


いら立ちは、だがすぐに虚しさに変わった。黙り込んだコーディの沈黙が、その答えをはっきりと述べていた。彼女だって、命をかける意味くらい分かっているのだ。恐怖から逃れたい、その想いは文字通り『わかって』いる。彼女の脳の中にはPlayfun!12が残ったままだ。感情を正確に把握することくらい、わけない事だ。


だからといって、割り切った大人のようにふるまうことはできなかった。

「クソ」と、クロセは前の席を蹴った。

一度始めたら、逃げ場のない感情が、粗野な行動に流れ込む。クソ、クソ、クソ、



「クソッ!!」



四発目をくれてやった所で、感情は燃料切れになった。残されたのは空っぽな胸の内と、ただ静かに上下する、コーディの肩だけだった。

叫んでも、物に当たっても、現実はなにひとつ思い通りにはならない。

奥歯を食いしばり、座席の間の暗闇に頭をうずめていたクロセは、しかしゆっくりと顔をあげ、腹の底にこびりついていた悪感情あっかんじょうを、一息に吐き出した。



「帰ったら話し合いだ」



ふっと彼女がこちらを見る気配がした。その顔に振り返り、指を突き立て



「Dr.ドクターみたいな頭のおかしい悪党まで助けるつもりか? この先ずっと? 俺はそんなの、いやだ。だから今後の方針を決める。いま、お遊び《ゲーム》に熱中してるバカ野郎を排出イジェクトしたら--病院に帰って、そいつを決める。わかったか?」



コーディは惚ほうけたような顔をしていたが、しばらくすると、顔を伏せた。いぶかしく思ってのぞき込むと、彼女はくすくすと肩を揺らしていた。



「なにがおかしいんだよ」


「いえ……すいません。とても誠実に向き合ってくれるんだな、と思って」



誠実? クロセは片目を細めた。わけがわからない。



「お爺さま前任者曰く、"身は屈すれども道を屈せず"」




この状況でまた"名言"とは、いかにも彼女らしいが頭が痛くなってくる。額を押さえてうなるクロセだったが、コーディはその肩をつかむ。



「お爺さま前任者があなたに道を譲った理由が、わかった気がします。あなたが排出者イジェクターに選ばれて、私はよかったと思っています」


「……バカにしてんのか?」


「褒めてますよ。めずらしく」



自分で言うのかよ……クロセは一つ舌打ちをすると、立ち上がる。



「生きて帰れなかったら、つまらない映画を見たショックで死んだことになるぞ」


「なるほど、そうなりますね。館長にご迷惑はかけられません」



コーディもまた、仮想化デジタライズし、半透明になった体を宙に浮かばせた。ばっと腕を振るうと真っ黒なコートとキュロットスカート、それに、なまっちろい足をきつくブーツが縛り上げる。たなびく風の中から現れた彼女の瞳は、深海に落ちた星のまたたきのように、静かな光を輝かせていた。


「インサート」



意識が吹き飛び、世界は暗転する。







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