【前編】第三話:「呼鈴」-Kemo sabe-





体育の授業はせかいで一番きらいな時間だ。




クラスの男子が、校庭をいっしょうけんめい走りまわってる。ひとつのボールをめぐって、みんな怒鳴ったり叫んだり大騒ぎだ。

いつもはフザケてばかりのみんなが、目を真剣にググッとつり上げて駆け回るのは--まるで別人みたいだ。



先週、クラスの男子を二分する"紅白サッカー"が始まった。



いつもは"クラスの仲間"って感じにつるんでた男子が、あれ以来、二つのチームに別れてバチバチと火花を散らす"ライバル"モードになった。


お調子者の"エモやん"率いるあかチーム。

それに、地元サッカークラブ(Jr.)でレギュラーを張ってる"アケちん"率いる白チーム。


真っ二つになった男子たちは、休み時間のたびに外に飛び出しては、今日までボールをめぐって血で血を洗う抗争コーソーを続けてきた。



五分しかない休み時間にも校庭に飛び出していくので、女子はすっかり冷ややかな目で男子の"サッカーブーム"を見ていた。メガネの"モリっぺ"が、ボールを受けそこなって額を切った時なんてひどかった。血をだらだら垂らしながら「せんせーおれ しぬのーしぬのー」って泣いてるモリっぺに、女子は


「死ぬわけないじゃん、バカなの?」「いっそ死んだら?」


って言いながら、汚れ物でも放り込むみたいに保健室に引っ張り込んでいた。あの冷たさには、僕も男子もビビった。



そんなこんなで(モリっぺの)血の代償を払って過ぎた一週間。

今日はついに、紅白サッカーの最終戦だ。



お調子者の"エモやん"は、天パをふりまわしながら「パスパス! まわせまわせ!」とチームに大声を張り上げている。いつもはバカ話をして女子をドン引きさせているのに、いま命令をとばしているエモやんは、めちゃくちゃカッコ良かった。紅チームのみんなは「つっこめつっこめ!」「引くぞ!」と皆で声を掛け合って、チーム一丸となって戦っていた。


一方、白チームは試合前の作戦会議で決めたフォーメーションをまもって戦っている。トップの"アケちん"はナゾのサインを出してはフォーメーションを切り替えていた。サッカークラブで教えてもらったんだろうか。さっと二本指を上げて見せると、白チームはみんな素早くディフェンス位置を変える。



「バカみたい」



夢中になって見ていたら、隣で女の子の冷めた声がしてびっくりした。

僕は校庭を一望できる花壇の端っこに座っていた。

体育の時間はいつも、ここで見学してる。みんなが笑ったり叫んだりしているのを、遠くで眺めるのが僕の『体育の時間』だ。



「ねぇ、バカみたいじゃない? ボールおいかけてるだけなのにさ、なんかカッコつけてるよね」



琴原さんだった。額から血をながすモリっぺを、さっさと保健室に蹴り込んだ、その人だ。

女子のリーダーっぽい雰囲気があって、お調子者の"エモやん"を死ぬほど嫌ってる。僕はエモやんと幼稚園のころからずっと友達だったので、琴原さんは苦手だった。真っ黒な髪を肩で切りそろえて、前髪を花柄のピンで止めてるのが、すごく『きちっ』としている気がして、なんだか緊張する。



「ゲンゾーくんってさ、頭いいよね? なんか"アイツら"とはちがう感じする」



女子の体育は早めに終わったのかな……琴原さんは切れ長の目を細めている。口は笑った形をしているので、たぶんほほえみかけてくれてるんだろう。そうは見えないけど……。



「よくないよ、べつに……」


「ねぇ、なんの本読んでるの?」



僕の返事なんてまるで気にもしてないみたいだった。琴原さんは僕が抱えていた本をのぞき込んでくる。

ピピーッと笛の音が聞こえた。誰かファールを取られたらしい。PKになるかも……! 僕はドキドキして校庭に目をやったけど、琴原さんがずいっと目の前に現れて



「ねぇ、なんの本?」


「……特殊相対性理論」


「トクシュソウ……?」


「光とか量子の力学運動を解明したやつ」



琴原さんは目をぱちぱちしていた。



「ふーん。なんか難しそう。よく読めるね、そんなの」


「本読むくらいしか、やることないし……」


「おかげで頭いーじゃん」


「え……いや、よくはないよ」


「いいよ。ぜったい」



琴原さんは(たぶん)にこにこしながら僕の横に座った。僕はようやく試合が見れるのでほっとした。ちょうどエモやんとアケちんが激しくぶつかり合っているところだった。エモやんの突撃を、アケちんが素早く避ける。アケちんはパスできる仲間を必死に捜しているみたいだった。エモやんは「そうはさせん!」と目を剥いて、突撃の連続をしかけている。



「ゲンゾーくん」


「ごめん、今試合見てるから」



ついにエモやんがボールを奪った。試合は一気に動き出す。ゴールに向かって紅チームが怒濤の突撃をしかけ、白チームのフォーメーションが崩れる。ゴールまで一気に駆け抜けたエモやん。


エモやんの横についた僕の姿を想像する。


エモやんが一瞬僕を見やる。彼の正面につっこでくるキーパー。ボールを奪い取ろうと突き出された両手から、エモやんは素早く身をかわすと、僕にボールをパスするのだ。そして、僕は「行け!」というみんな声を背中に受けて、思いっきりゴールへ向けて----



ピピーッ!



先生の笛が高らかに鳴り響いた。両腕を上げてガッツポーズをするのは、僕ではなくて、もちろんエモやんだった。



「……ゲンゾーくん、サッカーしたいの?」



琴原さんの声は冷たかった。

今さらながらに、僕はあせった。琴原さんの物問いたげな切れ長の視線。



「うぅん。僕、走れないし」


「病気だから?」


「……小さい頃心臓に穴があいてたから。心臓がドキドキすることは、しちゃダメ」


「それって病気?」


「……べつに、いいだろ。病気かどうかなんて知らないよ」



すごく冷たい声が出た。自分でもびっくりするくらい。

僕は琴原さんに怒っていたわけじゃなかった。自分で説明していることに、ムカついていた。生まれてからずっと穴の開いてた心臓。すごく、すごくムカついた。だって僕が針を持って心臓に穴をあけたわけじゃない。なのに、どうして僕はこんな所に座ってるんだ? どうして僕は、あの白線の向こうでガッツポーズしてるみんなとじゃなくて、女子なんかと一緒にここに座ってるんだ?



「……ふーん、そ」



琴原さんはやっぱり、僕のこともすっかり軽蔑したようだった。ふん、と鼻を鳴らすと、チャイムと同時にクラスへ帰って行った。振り返ると、その背中はちょっと悲しそうだった。



「すっげーつかれたぁー! あーミヤちんのやつ、ムカつくあいつぅ。ぜったいセンセーにわかんないように足ひっかけてきた。ぜったいそう。オレにはわかる」



汗を体操服でぬぐいながら、エモヤンが帰ってきた。



「なぁ、ゲンゾー? お前見てたろ?」


「え……あ、うん」



他のみんなは戦い終わってすっきりしたのか、笑ったり、騒いだりしながら、校庭の真ん中をうろうろしていた。校庭にはサッカーコートの白線がくっきりと引かれていた。白線の向こうで笑いあってるみんなは、ずっと遠くにいる僕のことなんて、忘れてしまっているみたいだった。



「……まぁいいや、俺のチーム、勝ったし。な?」



天パのあたまをボリボリかきながら、エモやんはそう言った。なんだか返事もできなかった。俺のチーム、というのは、白線の向こう側にいるみんなことを言っていて、ただそれをずっと眺めていただけの僕には、ぜんぜん関係ないことのように思えた。



「……あのさ〜ゲンゾー」



まごついている僕に、一瞬イッシュンだけエモやんが目をやった気がした。僕が慌てて振り返ると、エモやんはすぐに満面の笑顔で



「今日、学校おわったらかくれんぼしねー?」


「え?」



僕はなぜか立ち上がってしまった。

なんて言うか、サッカーボールを追いかけていたときのエモやんは、テレビで見るかっこいいスポーツ選手に思えて、そんな人が「一緒に遊ぼう」と誘ってきてくれたのが、すごく、すごく、嬉しかったのだ。嬉しすぎて、なぜかびっくりしてしまった。

エモやんはおどろく僕を見て、ますますにっこり笑って、言った。



「かくれんぼ--できんだろ、おまえにも」。



風が、運動場の砂をさらっていく。



ずっと遠くの方にいるみんな。ゴールをはずしたアケちんが「やべークツん中石はいってるぅ、ぜったい外したのコレのせい」とどデカイ言い訳をして、「なワケないない」とみんなに突っ込まれている。


わらってる。

みんなで。



「……うん」



だれかがエモヤンに返事をした。

ぼくの中にいる、”だれか”が。





■ ■ ■ ■











<< 7月24日 本日の最高気温は 3 kljfaioijfa'fo でojo'/ す //,.vzpkzx'...............>>







腕時計マルチロールが立ち上げたオレンジのウィンドウは、文字化けした文字列でほとんど埋まっていた。


腕を振ってみても、小さく金具が鳴るだけで、ウィンドウの表示は変わらない。どころか、力つきたようにプツプツと音を鳴らして、光は明滅する。



「……こわれた、のか?」



 畳の上でひっくり返ったクロセは、口をあんぐり開けながら、掲げた腕時計を見上げていた。


 屋敷の暗がりも、夏のまぶしい日差しにはかなわない。狂ったようになくセミの声。遠く空を横切るジェット機の音。庭の砂に反射した光が、畳張りの居間をうすく照らしている。

 日に照らされる顔はいつもの不満顔だ。

 ため息をつく。



 額に浮かんだ汗がじわじわと皮膚をすべる。最高気温、3……なんだったんだろう。 いや、十の位が『3』を指している時点で、今日もこの忌々しい熱気が収まることはないのは明らかだった。

 ちなみにこの家にはクーラーという便利な代物はない。

 クロセは、祖父の旧式アナログ趣味に一定の理解を示してきたが、この暑さだけは耐えられなかった。何度もクーラーの設置を求めて直談判したが、いつも返事は「自分で買いなさい」だった。


 買えるか、んなもん。



「はーい、できましたよー」



 ぱたぱたぱた……と廊下から足音がした。

 仰向けのまま見上げると、ミトンをつけて鍋を抱えたマコが、居間に入ってくるところだった。鍋を座卓に置く。氷が音を立てて揺れる冷水の中で、真っ白なそうめんがゆらりと揺れている。


 風鈴が鳴る。



 相も変わらず気の弱そうなまん丸な目は、今は糸のような笑みを浮かべる。何がそんなに嬉しいのか、うきうきと鼻歌でも歌い出しそうだ。栗色のショートカットで、クセのある毛先がおどるようにはねていた。



「作りすぎちゃった……たくさん食べてくださいね」



モコモコとしたルームシューズを鳴らして居間に入ってきた彼女は、「ふー」とろうそくも吹き消せなさそうな息をついた。セーラー服の上から桜色のエプロンを羽織っている。肩ひもに指をそわせる姿が、妙にこなれていた。


にたれた汗を人差し指でぬぐう彼女を見て、クロセは何とも複雑な表情になった。手のひらで顔をあおいでいた真子が視線に気がつき「あ、だ……な、なんですかっ」と目を白黒させる。


「いや……べつに」


クロセの半分閉じた目には困惑とあきれ、それに申し訳なさが入り交じっている。食事を作ってくれた事への感謝と、手伝いもせずに寝転がっていた事への申し訳なさ(マコは一緒に台所に入るのを断固拒否した)。それに「(こいつ、もう普通に家にあがってくるようになったな……)」という呆れである。



「……あのさぁ。マコ、学校は?」



え? マコは一度きょとんとしてから、おかしそうに微笑んだ。



「夏やすみだよ」



 あー夏やすみ……


 暑さにうだる思考で、クロセはぼんやりと思った。なんて懐かしい響きだ。小学校以来、学校とは無縁の生活を送ってきた身には、記憶を10年間分掘り返さないと夏休みなんて単語は出てこない。というか、この生活では休みという概念がない。毎日が平日で、毎日が日曜日である。



「休みの日にも、制服着てんの?」


「え? --あ、これ」



エプロンを脱いだ彼女はぴっとセラー服のえりをつかみ、



「午前中、日本拳法にっけんの練習があったから」


「あー、部活……」


「はい、おはしどうぞ」



暑さでボンヤリしているすきを突くように差し出されたはし。おもわず受け取ってしまう。この暑さの中で、マコはテキパキと準備をすませて、



「いただきます」



 と、ちゃんと両手まで合わせる。

 その間にクロセが出来たことと言えば、座卓の上にあったリモコンに指を伸ばしたくらいである。スイッチを押すと、テレビ台の上にあった台形の黒い塊から、青白い光線がチリチリと音を立てて飛び出す。光線は空中で無数の格子状に編み上がると、映像を描き出した。この間、約7秒。



「……時間かかるんですね」


「古いヤツだから」



『……というわけで! 今日は"夏休み、家族で行きたい 楽し〜いイベントを大特集です!』


とキャスターが昼の番組ではしゃいでいる。



「そのボタン押すとテレビくんですね、へぇ〜」



箸をくわえたマコが、しげしげとリモコンを眺める。今時は音声認識とかルームオペレーションで操作するのが普通か。この家の物は古い物ばかりだ。



「部活のあとに毎回ココに来るの、大変だろ」


「え? いえっ、ぜんぜん平気ですよ!」



やんわりと頻繁ひんぱんに来ないように伝えたつもりだったが、彼女はなぜか胸を張って答えた。



「おうちの前の坂道のぼるの、ちょうどいいトレーニングになりますし」



むん、と彼女が握りしめた拳は、男の手なら片手で包めるくらい小さい。だが、込められた力に、ギチギチと不穏な音を立てた。

 クロセは半分閉じた目でそれを眺める。額に、暑さから来るものではない汗がたれた。見た目に反して案外、マコは強い。あまり怒らせない方がいいかも知れない。とりあえず、黙って素麺をすすることにする。



「あっ--私って、けっこう力が強いですよ」



なんか言い出した。



「あぁ、うん、そう……」


「ホントですよ。手、貸してみてくださいよ」


「い、いやだ……」



 絶対握りつぶすつまりだ。男同士で、しかも小学生の頃なら、こういう事もやっていた気がする。だが16歳で、しかも女でこれをやろうとする奴は初めて見た。普段、どういう友達とつるんでるんだ?



「え、なんでですか? そんなに痛くないかもしれないじゃないですか」


「痛いよ、絶対。わかるから、強いの」


「そ、そんなに強くないですよ!」


「どっちなんだよ……」


「あ、いえ--とにかく貸してみてくださいっ」



 しつこい

 マコの顔がわずかに赤くなっている。黒目がぐるぐるしているところを見ると、どうやら「会話の種がなくなるとおかしな事を言い出す」アレが出ているのかもしれない。


 適当にいなして、テレフィルムを見ているフリをしてごまかす。リモコンをいじっていると、どこかで聞いたことのある声がした。ビートが刻むリズムに合わせて、テレフィルムに歌い踊るspring……日和の姿が明滅する。

 暗闇の中から姿を現すたびに、彼女の頬には何か……世界共通語ユニコードに似ている文字が浮かび上がる。

画面の端に、ワイドショーの番組名がでていた。どうやらエンタメコーナーの映像らしい。



「(そう言えば、最近、日和の顔見てないな……)」



 素麺をずるずるすすりながら、クロセは頭の中でひとりごちる。

 元気にしてるだろうか。



「……そういえば、お兄さんって、日和さんとどういう関係なんですか?」


「えっ」



変な声が出た。マコはじっとこちらを見つめている。わずかにあごが引けていて、のぞき込んでくるような顔をしていた。



「たしか最初って、なぜか私にメールをくれたんですよね、日和さん。どうしてお兄さんのこと知ってたんでしょうか?」



思い出を反芻はんすうする内に、疑念がふつふつとわいてきたらしい。マコの白玉みたいな目が天井を見上げ、



「前から知り合いだったんですか? でもそれだとアドレスIPも知らないとか変ですよね? 今も会ってるんですか? それって、どういう関係なんですか?」



矢つぎ早に質問されては口ごもるしかない。うぅ、とうめく。そういえば、マコは自分を取り巻いていた"ややこしい事態イジェクター"を知らないのだ。まさか、自分の義理の兄が排出者イジェクターだなんて想像もしてないだろう。かといって最初から説明するのも気が引けた。天田が言うには、命を狙われてもおかしくない状況なのだ。マコを巻き込みたくないし、第一、信じてもらえるはずがない。

 天井を見上げて、だんだんと眉間にしわを寄せるマコに対して、クロセの視線はテーブルの上をあちこちに這い回る。



「どういう関係って……」


 言われて反射的に、自分と日和の関係を整理しようとしてしまった。

 どういうって……そもそも最初の出会いからして、自分にとってはむちゃくちゃだった。ある日いきなり現れた。どこかで「排出者はクロセだ」と聞き、自分に助けられたと思いこんで。


 もちろん彼女は勘違いをしている。助けたのは結果で、本当は命を懸けるのが嫌でずっとコーディにグチグチ言っていた。「勝手に死ね」とまで言い放っていたのだ。身勝手と言えばそうかもしれないが、あの時は本当にそう思っていたのだから仕方ない。すくなくとも、かわいそうなお姫様を助けてあげようなどと思った事は一度もない。

 考えてみれば、そのことを伝えていないのは卑怯だったかもしれない。

 そのせいで、彼女はいまだに----



「世話になった人だよ」



 いきなり口が勝手に開いて、思考を断ち切った。

 冷や汗が出た。

 よくよく考えると、日和との関係はかなり……まずい関係になっている気がする。手をこまねいている間に向こうから勝手に駆け寄ってきて、鼻先ふれあう数センチにまで接近されてしまったような。


 いや、もうすでに関係になってしまっている--としたら--自分は思ってなくても、向こうがそう思ってたら--自分には何か、とてつもない覚悟を必要とされていることになるような……。



「世話になった人……?」



マコはきょとんとしている。そりゃそうだろう。

これ以上なにも言われないようにシレっと視線をそらす。マコはその視線の先ではなく、不自然な動きをした瞳をいぶかしげに覗いている。なかなか目ざとい。




『そんなspringさんに、今週発売の"週刊芸能"誌で――――なんとスキャンダルのウワサが報じられました!』



 いきなりブン殴られたみたいだった。


 ごふ、と口から素麺を吹きだす。テレフィルムでは、興奮気味に『本番組レポーターがスキャンダルについて直撃取材!』とマイクを持った女がまくし立てている。マコはそれを振り返り、それからゲホゲホとせき込むクロセを見つめる。まん丸な目の上でいつも垂れ下がっている眉を、くくく……と持ち上がり、はしゃぐキャスターを凝視している。



『ウワサのお相手は俳優の影野 踏宏かげの ふみひろさん。今月から始まった共感映画トレーサー:"排出者ーTHE EJECTー"で共演したのをきっかけに、お二人は急接近----』



マコの顔が拍子抜けしたものに変わった。

その隙をついて、クロセはエヘンエヘンと咳払い、さっと冷静さを取り戻し、



「これ……辛子入ってる? 入ってるような……」



かつおダシの入ったうつわを、妙に真剣な目で眺めた。マコはあっさりひっかかり



「え? あっ辛かったんですか?」


「うん、ううん、えほっ」



咳払いでごまかしつつ、しれっと言う。



「変だなぁ、ラー油とか混ざっちゃったのかなぁ」



と、マコは拍子ぬけした顔で器をしげしげとながめた。


危ない。

かなり危なかった。


くそ、日和の奴。やっぱりあの手の態度をどこでも振りまいているのか。共演した俳優にまで色目をつかってるとは--"恋多き女"なのは好きにしてくれればいいが、巻き込まれた方はたまったものじゃない。



『え? 影野クン? ぜんぜんそんな話したことないよ? むこうがどう思ってるかは、知らないけどねー』



 レポーターに突撃された日和が、フォログラムでウィンクしている。あっけらかんと話すのでレポーターは拍子抜けしたのか、『でも週間芸能では--』としどろもどろになっている。『週刊誌なんて信じてるの? わお』とやり返すところが、いかにも日和だ。手慣れたものなのだろう。ノンキな顔にだんだんムカっ腹が立ってきて、クロセは勢いよく そうめん をすすった。くそ、人をもてあそびやがって----



『まっ、でも週刊誌も案外、バカに出来ないかもね!』


『はぁ』


『だって、私が今好きな人は、ガスマスクかぶってるからね!』



ごふっ



「わっ! だ、だいじょぶですか!」



だいじょうぶ、だいじょうぶ、とクロセは座卓を拭く。きたないし、みっともない。日和への恨みを秘めながら、何でもないような顔をして口元をぬぐった。マコは終始アワアワしながら、座卓をいっしょに拭いてくれた。



『う、うーん……何というか、ミステリアスな感じもまたアイドルらしいといいますか……』



ワイドショーはきつねにつままれたようなコメンテーター達の映像に戻り、あらたな"お相手"として、ガスマスクをかぶった人気急上昇中バンド"Respirator"のボーカルがやり玉にあげられていた。ガスマスクを被っていると言ったら彼しかいないでしょう! いや、springのお相手としてふさわしい相手は言えないのでは? 皆さんなにもわかってらっしゃらない! こういうコトは事務所同士の力関係が――――



「(こいつら人の恋愛をさぐって、いったい何が楽しいんだ……?)」



小学校だと、"すきなひと"をからかいすぎたりすると、『学級会議』なんてものまで開かれていた気がする。同じ教育を受けてないのだろうか? テレフィルムの中でニヤニヤしている連中が、全員自分より年上の連中だと思えない。たまに危ないクスリをやりすぎた連中が、ああいう終始ハッピーな顔をしているが、そういうことなのか? やっぱり、大麻スウィートスモークの禁煙は続けるべきだな。


 しかしジャンキー共のお陰で助かった。

 矛先を向けられたRespiratorとやらには申し訳ないが。



「……」



 いったんため息をついて、茶をすすった。

 病院のベッドから目覚めてからというものも、落ち着かないことばかり起こる。偽物のコーディレーネ、首都に突っ込んでくる戦闘機F-i3、そして日和のスキャンダル……


「普通」の生活がしたかった。


屋敷で一人でこもるよりはマシなのかもしれないが、いくらなんでも刺激過多すぎると思う。昼の世界で顔を輝かせてのびのびやってる人々は、皆こんな生活を平気な顔して送っているのか? どうかしてる。世界がひっくり返るような大事件は一生に一回で十分だ。命は一つしかないのだから。普通、普通の生活が、したい。



「あ、そういえば」



 急にマコが手のひらにポンとグーにした手を打ちつけた。


コミックで見るような仕草。

顔を上げて見ると、彼女は頬をかすかに桜色にして、しどろもどろになっている。相手を身構えさせないよう、何でもない風をよそおっているのが、ありありとわかった。両腕を伸ばしすぎて湯飲みがひっくり返っているし、そのことに気づく様子もない。それに目が両方上を向いている。下手くそなコントでも始めたのかとすら思う。



「あの、私ゲームセンターでバイトしてて……してるんですけど、あの」



こいつ、あちこちでバイトしてんな……。

前はどこかの喫茶店でバイトしてるって言ってたような。



「あの、お兄さん、旧式映画レトロムービーって観ますか?」



マコに聞かれて、クロセは真顔で考え込んでしまった。

旧式映画レトロムービー


 映像と音声だけのストーリーを眺めるものだった気がする。共感映画トレイサーとは違い、流れる映像は誰かの視点に固定されないし、なにより目で見る映像と耳で聞く音以外、ほかには何の感覚も感じない。主人公が何か食べても味を感じることはないし、嵐が襲ってきても、観客は冷房のそよ風しか感じない。

 最近はあまり目にしない。小さな頃はまだ映画館でやっていた気がするが、いつの間にかなくなった。



「じいちゃんが観てたような……小さい頃、みたよ」

「あ、じゃぁ良ければ何ですけど」



身の丈ほどもあるスポーツバックをさぐると、マコは二枚の紙切れを取り出した。



「商店街のまんなかくらいに、映画館あるの知ってる? 牧村シネマ館っていう……」



商店街なんて行ったことすらない。ちょっと前までは存在すら知らなかったのだ。そう話すと、マコはおどろいて目をまん丸にしていた。彼女の家のすぐ近くにあるらしい。そもそも彼女の家の場所なんて、知らないのだが。



「いつも、すーっごく古い映画しかやってないから、お客さんがいないらしいんです。ミヤビちゃん……あ、ミヤビちゃんっていうのは友達なんですけど……ミヤビちゃんが『ポップコーンの無料タダ券もらったからー』って、ちょっと前に観に行ってたんです。そしたら、白黒の映画をやってたんだって。白黒の映画って言うのは、ほんとに、色がついてない、白と黒だけの映像がながれてるって意味なんですけど……あ、それでミヤビちゃんは『そりゃぁ、だれも来ないよーあんなとこ』って言いながら、『でもポップコーンは美味しかった』って話ばっかりしてて」



要点。


話の腰を折るのもどうかと思うので、クロセは根気強く話が進行するのを待つことにした。マコは一生懸命小さな口を動かして、ときどきうつむいたり、いきなり顔をあげてひきつった笑顔を見せてきたり、ある意味忙しそうに話を続ける。



「そ、それで!」


「うん」


「つ、ついにこの間、お客さんがだーれも来なかったんだって。ひっとりも。それでトト爺が--」


「ととじー?」


「あっ、と、トト爺っていうのは館長さんで、バイト先の喫茶店によく来るお客さんなんです。いつも映画に誘ってくれるんですけど、部活とかあって一回も行けてなくて……あっ、トト爺っていうのはニックネームで、なんでトトって呼ばれてるのかって言うと----」



 要領の得ない話をとつとつと聞いていると、だんだんと一つのイメージが思い浮かんできた。ウェイトレス姿のマコが、困り顔で銀トレーを胸に抱えている前で、髭面の爺さんがニコニコしながらクダを巻いている姿だ。今度ワシがやっとる映画観に来んか? お嬢ちゃんみたいなカワイコちゃんなら、タダにしてあげよう!


 マコはいかにも人畜無害そうだし、話をさえぎるということもできそうにない。それに、年上に好かれそうなかわいらしい顔をしている。暇を持て余した老人の話し相手にぴったりなのだろう。



「映画……」



 一生懸命だが、なにを言いたいのかよくわからないマコの話を、話半分に聞きながら、クロセはチケットをながめた。古くさい娯楽。この家には娯楽と呼べる物がほとんどない。祖父もクロセも、刺激より、一定のリズムで繰り返される静かな生活の方を好んでいたからだ。こういうのは、毎日が退屈で退屈で仕方ない奴が行くところだろう。


 そこまで考えたところで、脳裏に、いかにもつまらなさそうな、無表情顔が思い浮かんだ。



「……あぁ、コーディか」



 なにかに納得したような声音に、マコはぽかんと口を開けて、「え?」とまん丸な目をぱちくりさせた。



「あ、いや……あいつ、まだ入院してるだろ。でも体はボロボロだけど、頭は元気だから。いつも退屈そうなんだよ、様子見に行くと。こういう旧式映画レトロムービーだと、体に負担もかからないし」



 マコは話の筋が見えないとばかりに何度もまばたきを繰り返し、クロセの胸の内をうかがうように瞳をのぞき込んだ。

クロセは話を仕切り直すように手をふって、



「ごめん、なんだった?」


「あ、え? あの……いえ…………」



 彼女はまん丸にしていた目を見る見るうちに伏せた。いぶかしく思ってのぞき込むと、顔色が悪い。瞳がぐるぐるしていたのがますます酷くなったように見える。



「だ、大丈夫か……?」


「あ、いえ、その……そうですよね、うん、そうですそうです」



 おそるおそる声をかけてみると、彼女は勝手に一人で何かに納得したようにウンウンうなずいていた。

 ……なにが?

 思ったことが顔にそのまま出ていたらしい。こちらを見たマコは大慌てで、しかし笑顔を浮かべて



「そ、そうだろーなぁって思ってたんです! わたしも! お二人で観てきたら、きっと良いんじゃないかなぁーって!」



クロセはいたく感心した。



「ホントに?」



 マコは一瞬信じられないものでも見たかのように瞳をぶるぶる震わせていたが、次第に口元をぷるぷると持ち上げて



「そ、そーなんです!」



 なぜか彼女は身を乗り出して言った。笑い顔の目元の上には、ぴくぴくと震える眉毛に力がこもってつり上がっていた。

 「ありがとう」と、とても感動したクロセがその手を握って握手すると、マコはもう声も出ないのか、とにかくブンブンと細い腕を振っていた。自慢の力を手のひらに込めないようにするのが精一杯だったのだ。



「あ、電話だ」



不意に鳴り響いた音に、黒瀬はぱっと手をはなした。 その手をしげしげとながめているマコを後目しりめに、廊下で鳴っている黒電話有線へ向かう。


有線に電話がかかってくることはあまりない。基本的に緊急時用か、役所などの公共機関からの電話だ。とはいえ、時々ランダムな番号にかけてきたセールスの電話がつながることもある。どうせその類だろうと思いつつも、クロセはいつも律儀りちぎに出ていた。留守録機能もないのだから仕方がない。


廊下の片隅かたすみで、黒電話はぽつんとたたずんでいる。

ベルの音をがなりたてていた。採光窓の光がとどかないそこは、かげっている。

受話器を持ち上げて、耳に押し当てる。

クロセの顔の半分に、影がおおいかぶさった。


「もしもし?」









『この世界をめぐる大きな問題を一つ解決したとして、それですべての物事が都合良く進んでいっているなんて、おかしいと思いませんか』










「……は?」



『世界の問題とあなたが抱えていた--"抱えている"問題はなにひとつ一致していない。現在の幸せはあなたが勝ち取ったものではなく、虚構の中に存在する喜劇にすぎないのです。あなたは舞台の上に招かれ踊っているにすぎない観客の一人で、舞台を公演したマネージャーはあなたの滑稽な踊りに手をたたいてわらっています。あなたは狂っているのです。訪れるはずのない幸せの中で、あなたが望むままに踊らされている。伴奏の音が、あざ笑う観客達の手拍子が、聞こえてきませんか。 こんな世界は狂っている。そう気づくことはできないのでしょうか。そう考えることはできないのでしょうか』



「……宗教の勧誘なら」



『もう何度も同じ話を、あなたにはしています。しかし真実を有り体に語った言葉ではあなたの精神は耐えられず、全てのクオリアをリセットしてしまうのです。あなたにとっての現実は真実ではなく、踊り続けるあなた自身なのです。第四の壁の向こうに目を凝らし、現実と向き合いなさい。間に合わなくなるのです、このままでは』



「あんた、誰」



『太陽が落ちてきます。間に合わなくなる』



「太陽?」




『Wyoming Incident Rog:333-333-333. ワイオミング放送とはワイオミング州で発生したとされるテレビ放送の電波ジャック事件である。ニュース番組を放送中に突如砂嵐が発生。全編モノクロの怪放送と共に意味不明の文字が表示される映像がおよそ6分間にわたり放送された。WE PRESENT A SPECIAL PRESENTATION 』




『YOU WILL SEE SUCH PRETTY THINGS. 333-333-333 WHY DO YOU HATE? 』


YOU ARE ILL


『I JUST WANT TO FIX YOU』


333-333-333

『WHAT HIDES IN YOUR MIND?』


WE HAVE ALREADY SEEN IT


『333-333-333』




YOU CAN LOSE EVERYTHING.




YOU CANNOT "FIGHT" FOREVER.

THAT HE SAID

DON'T YOU REMENBER?



WE STAND AT THE DOOR



YOU ARE LOST ON THE PATH

YOU ARE LOST ON THE PATH



『I SAID AGAIN and AGAIN WHAT "I AM ALWAYS LOOKING AT YOU"』


『I SAID AGAIN and AGAIN WHAT "I AM ALWAYS LOOKING AT YOU"』


『I SAID AGAIN and AGAIN WHAT "I AM ALWAYS LOOKING AT YOU"』


『I SAID AGAIN and AGAIN WHAT "I AM ALWAYS LOOKING AT YOU"』


『I SAID AGAIN and AGAIN WHAT "I AM ALWAYS LOOKING AT YOU"』


『I SAID AGAIN and AGAIN WHAT "I AM ALWAYS LOOKING AT YOU"』


『I SAID AGAIN and AGAIN WHAT "I AM ALWAYS LOOKING AT YOU"』


『I SAID AGAIN and AGAIN WHAT "I AM ALWAYS LOOKING AT YOU"』














「お兄ちゃん?」



現実に、一気に意識が引き戻された。

うす暗がりに立つ自分。受話器を握りしめ、たたずんでいた。


ダイニングへと続く廊下には採光窓から光が射していた。化粧板ではなく、本物の木で張られた廊下の床は、長い年月で踏みならされ、艶々とした光を反射している。白壁にかけられた花の画が描かれた額縁、枯れた花が頭を垂らす花瓶がそっと添えられている。


廊下の向こうで、瞳が覗いていた。

マコが半分覗かせた顔が、こちらを見つめている。

虫のように、黒目がちな、目。



「……大丈夫?」



一瞬声が出なかった。ずっと長い間口を開けていたように、喉が乾ききっていた。「あ……あぁ」と声を出すのに随分な時間がかかった。マコの目は次第に眉尻が下がっていき、いつもの困り顔に戻っていった。


「どうしたの? へんな顔してる」


マコが畳張りのリビングから出てくる。器をのせたお盆を手にしていた。心底不思議そうな顔をしていて、クロセの顔を見ると、また困り顔で「どうしたの?」と口元に笑みを浮かべて見せた。よほど変な顔を目にしたようだった。


クロセは顔をぬぐい、一瞬空白の出来た意識を取り戻そうとした。大丈夫。すぐに思い出せた。

黒電話がなった。受話器を取った。おかしな女が宗教勧誘してきた。それだけだ。

何をそんなに……そんなに……

……そんなに、なんだ?



「だいじょうぶかよ、俺……」



自分自身に呆れてしまった。やっぱり最近のめまぐるしい日々に少々疲れているのかも知れない。頭をかいた。少しはのんびりするべきだろう。


「間違い電話ですか?」


流しで洗い物を始めたマコが、肩越しに声をかけてきた。クロセは少し考えて、返事をした。



「いや」



すくなくとも、宛先は間違っていない気がした。






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