【後編】
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DEAD MANS VALLEY ―駆ける荒野の伝説―
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DEAD MANS VALLEYへようこそ!
19せいき、西部かいたくの時代――ほんものの
かわいた荒野をかけるカウボーイが、けんじゅうを手に、無ほう者たちとルールむようの戦いを日夜くり広げる時代。あなたは西部に平和をもたらすししゃになってもいいし、鉱山の町から金をうばいとる悪党になっても、ただ投げなわをふり回してウシをかき集める人になっても良いです。
たったひとつ、この荒野にあるルール――それは、漢になること。
うで一本で名を上げ、時代をきずき上げる、そういう漢に、あなたはなるのです。
<注意事項>
・荒らさないでください
・パスワードがわかる人しか入れません。知りたい人は僕に聞いてください。
――――
<※
<プレイヤーへ向けた通知が不十分です>
<ゲームを公開する際は、規定の注意事項を必ず明記してください>
<各ゲームにおける
<訴訟の対象となりえる危険性について明記されない限り、補償は
<※学校関係者の皆様へ※>
<昨今の社会情勢を受け、公学習者向け授業でPlay fun!12を使用する場合の、専用クライアントをご用意しました>
<不要のトラブルを避けるため、未成年のホスト解放には、必ず成年者の許可を得てください>
<なお、成年者の許可無く発行されたホスト解放パスに関しては、その影響・損害に対して、V-tecLife社は一切の責任を負いません>
<詳しくはV-teclife社ホームフィールド、『注意事項の規定』をご覧ください>
――――
それでは、広大な荒野へ、たびだちましょう!
あれくるう西部のうねりが、あなたをまち受けているのです……!
<MMMへの侵攻中……>
<マスターキーが解除コードを入力しています…………マスターキーは認証されました>
「……起きてください。さぁ」
屋敷の畳の上に帰ってきたのかと思った。酷い暑さで、左頬はとくに松明を近づけられたような熱さに晒されていた。意識が暗闇から引き上げられると、かすかに光景がもどってくる。
地面が縦に伸びていた。一瞬意味が分からなかったが、右側の頬に感じるざらついた感覚で、自分が薄く砂っぽい土の上に横たわっていることに気づいた。
一面に続く、荒野。ぽつぽつと思い出したようにサボテンの緑が見えるばかりで、あとは砂っぽい空気と、底抜けに
「寝てる場合じゃないですよ、さぁ急いで」
かけられた声に目を向けると、真っ白なレースのひだが視界いっぱいに広がった。
花のように広がった純白の色に、いぶかしく思っていると、いきなりバッと視界の外から細い手が伸びてきた。
見上げると、目を見開いたコーディが、信じられないものでも見たかのように、見下ろしていた。
スカートの中を覗いていたらしい。
こっちこそ驚いた。
慌てて立ち上がると、彼女はじっとのぞき込むように、にらみつけてくる。今まで見たことのない表情だった。頬は色をつけたように真っ赤だし、身を守るように肩を押し出している。
「ちょ、ちょっと待てって、俺はそんなつもりじゃ--なんだ、その格好?」
コーディはうす茶色の麻でできたキャミソールみたいな服を着ていた。正確にはワンピースなのかも知れないが、肩紐でつられているだけで肩も腕もむき出しだし、スカートもどこまで隠す気があるのかわからないくらい短い。その上にはエメラルド色のコルセットを着ていて、真っ白な光にきらきらと輝いていた。
頭には、大きなツバが広がるカウボーイハット。
カウボーイならぬ、カウガール、か?
コーディは、スカートからあふれるレースをちょこんと持ち上げて、
「これは……ゲームワールドに合わせて自動生成されるので」
さすがに、鼻にかかるような、乾いた笑いが漏れた。
「うそつけ……毎回楽しんでるだろ、お前」
「まさか」
と コーディはクルリと回ってみせた。こいつ……
「もういいよ……なんだ、これ」
コーディのことは呆れて放っておくことにした。彼女の"趣味"に口を出すのも、今さらだ。だが自分の装備を確認したところで、いつもとは違う感覚に驚いた。口元の息苦しさは相変わらずだったが、重いフィルターが垂れ下がっているような感覚がなかった。手をかけると、それは黒いバンダナだった。白いインクで、むき出しの噛みしめた歯が描かれていた。目元にも手をやると、二つの穴をくり抜いた布が巻かれていた。
どうやら、コーディと同じようにゲームワールドに合わせて装備を変えられているらしい。コーディの趣味か? 装備が毎回変わるのは、あまり良いことには思えなかった。苦言を
「……何か聞こえます」
拳銃の位置を確認しようとしたところで、コーディが突然そう言った。
荒野を吹く風は、さえぎる物が何もなくて強い。ざらざらと砂がこすれる風で、コーディの声がよくきこえない。耳をすませると、不意に地面から振動が伝わってくるのに気づいた。
砂煙の向こうから、衝撃が近づいてくる。
「なんだ……」
砂嵐の中にうかぶ、もやのような影に目を凝らした瞬間。
「避けてッ!」
コーディの鋭い警告。
だが反応する猶予はなかった。振り返ろうとしたところで、突然風の中から何かが飛び出してきて、首を衝撃が襲った。
甲高い、馬の
鳴き声がかたわらを駆け抜けていった瞬間、首がすさまじい力で締め上がった。万力で首の骨をへし折られるような力に、一気に引きずり倒される。何が起こっているのかわからず、ただ喉に手を伸ばすと、荒い縄の感触が指先に触れた。
『腰のホルスター!』
コーディがすさまじい速さで併走していた。茶色い空気の層を突き抜け、再びまぶしいほどの光にあふれた荒野に飛び出す。視界が濁流のようにながれていく。自分が引きずられていることにようやく気づいた。背中を荒い土と石に削り取られる。喉の中に管があるのをこれ程意識したことはない。締め付けられた喉から、硬い感触が、突き上げるような痛みと共にせり上がってくる。
「ハッ----ハハハハッ!!」
頭上から気が狂ったような笑い声がした。疾走する機関車の車軸のように、馬の足がめまぐるしく交差して地面を叩いている。見上げると、顔を白と赤の塗料で塗りたくった男が、拳銃を空に撃ち鳴らしている。周囲で同じような、叫びにも似た笑い声が上がった。
「ああ゛あ゛--ッ!!」
血の混じった泡が口から飛び出す。
めきめきと、首の骨が音を立ててきしむ。へし折れる音が、脊髄を通して脳に不気味に響き渡る。
腰のホルスター
コーディの言葉を思い出す。とっさに手をやると、重たい
だがいつもの感触と違う。重すぎる。引き抜くのに手間取る。
ようやく引っこ抜くと、引きずられる遠心力で腕が投げ出される。拳銃は--
イカレた男たちに、必死で重い銃を向ける。
『正面! 危ない!!』
持ち上げた腕の向こうに、見えた。目を見開く。荒野から突き出た巨大な岩。そこいらに飛び出している岩と大差ないのに、すさまじい速さで迫ってくる岩は、ビルから飛び降りて目にするコンクリの地面と同じに見える。
迫り来る、実体を持った"死"そのもの。
「こんの……クソ野郎がぁぁぁぁ----ッ!!」
残された力を
ぐっ、と奥歯をかみしめる。
迫り来る、巨大な岩。
精神力が尽きた。理性が吹き飛んで、本能が両腕を持ち上げて頭を覆った。こんなの無意味だ。わかっていても、迫り来る気配におびえる本能は遮れない。
発砲音がはじけた。
直後、重い物が転がる音がして、体に衝撃がぶつかった。だが硬い感触ではなく、ただ重たく、やわだった。はっとした。ごろごろと転がっていくのは、馬上にいた男の姿だった。
首を引きずっていた力が失せた。背中を削られた痛みを、転がって殺す。顔を上げようとしたとき、次々発砲音が轟く。周りで奇声をあげて駆けていた男達が次々と転がり落ちていった。
「クロセさん!」
コーディが飛びついてくる。頭を振って衝撃を振り払う。
コーディはクロセが落とした拳銃を握っていた。か細い手で、銃口を正面に向けている。
「よせよ、娘さん」
逆光を背負った人影が見えた。いかつい体、太い顎をびっしりと茶色い髭が覆う。粗野なデニムジャケットを羽織っていて、頭に被った鍔の広いカウボーイハットをつかむ。
ブーツの拍車で地面を蹴って、リボルバーをくるくると弄んでから、ホルスターに押し込む。
「やったぜジャンゴ! 百発百中だな!」
男の横に小柄な影もあった。これまたカウボーイハットを被った、小男だった。
「撃ったのは五発、一発はずしてるぜ……おい
厳ついカウボーイは振り返ると、びっしりと髭の生えた顎をしゃくって見せた。
「サボテンみたいに突っ立ってると、足から根が生えるぞ。……ついて来るのか、来ないのか」
去っていく背中に、クロセは口の中にたまっていた血を、地面に吐き捨てた。
傍らでコーディが、拳銃を下ろす気配がした。
■ ■ ■ ■
カウボーイは、「ジャンゴ」と名乗った。
クロセが
「娘さん、うつくしい姫様を馬に乗せて歩くのが男の"誇り"だった時代もあるんだ」
と言いつのられて困っていた。少々だらしない笑みが口元からもれているのも、クロセは見逃さなかった。それから、ジャンゴは背の低いコーディをもちあげると、あっという間に馬に乗せてしまった。とっさに降りようとしたので「大丈夫だよ」とクロセは手をふった。それこそ、
「でも、足、引きずって……」
「足を
「でも」
二人のやりとりを眺めていたジャンゴが、深みのある声で言う。
「お姫様、俺たち男を哀れに思うなら、その小さな尻を下ろすのはあきらめてくんな。俺は昔から、このやり方でやってきた。そっちの小僧にも、格好をつけさせてやりな」
お姫様、と二回も言われてすっかりコーディは照れていた。
見た目にはわかりづらいが、返事もせずに目をパチパチしているのでわかる。目の色がピンクやらイエローやらにきらめいている。ホントに免疫のないヤツ……。
「おい
馬上のコーディはおそるおそる、馬の首をなでている。馬が首を振って
「"
なるほど、初心者なら銃の使い方も知らないし、装備も整っていない。
遠くで、くぐもった爆音がした。
荒野の向こうに目を凝らすと、ポツポツと固まって並ぶ建物と、その向こうにそびえる小高い山が見えた。山の
「なんだ……?」
「あぁ――いつものことさ。この辺りは金鉱山で栄えてたんだがな、最近はめっきり出なくてね。町の連中は、日がな一日爆弾で山を穴ぼこにして過ごしてるのさ」
「最近?」
クロセは片目を細めてジャンゴを見やる。
「最近何かあったのか? たとえば--ここ二、三日とか」
「えらく具体的だな」
ジャンゴは鼻を鳴らして、つむじ風に揺れるカウボーイハットのツバを押さえた。
「一年くらい前の話だよ、
ジャンゴの代わりに答えたのは、口笛を吹きながら歩いていた、陽気な小男だった。太鼓っ腹をぽんぽんと叩きながら、馬の手綱を引く。むんと張った胸には、星のピンバッジが太陽の光を反射していた。見覚えがあった。
「ちょうど、ジャンゴのアニキがトゥームストーンに来た頃でしたよね。あん時は金は採れたけど、なにかっていうとレッドスコーピオの連中が街を荒らしに来て、酷ぇもんだったでさ」
ジャンゴはひょい、と荒々しい片眉を上げて
「保安官が馬小屋に引きこもって、日がな一日酒を浴びたりしてなきゃ、あの時だって少しはマシな時代だったかもしれん」
「そんなぁ。余計なこと言っちゃいけやせんぜ、アニキ」
保安官。
そうか、旧式映画でみたのはそれだ。
「トゥームストーンってなんだ?」
「あの街さ」
ジャンゴがアゴをしゃくった先は、山の麓にある街だった。古ぼけた、しかしまだ人の気配のする家が点々とならんでいて、街の入り口には、「TOMBSTONE」と書かれた看板が、乾いた風にカラカラと揺れていた。
いまにも縄が切れて落ちてしまいそうなそれを、街に入ったクロセは見送る。
「この街があるのはアニキのおかげなんだぜ? 街を支配してたレッドスコーピオを、アニキが追い払ってくれたから、お前もここで休むことができる。よぉく感謝しろよ、キッド」
「やめろ、保安官」
ジャンゴはうっとうしそうにタバコを口に噛む。
「レッドスコーピオ……俺たちを襲った連中か」
タバコをまずそうに噛みしめたジャンゴは、鼻を鳴らして、
「便所に漬けこんだような臭いを放つ悪党共さ。トゥームストーンの人々を奴隷のように使って金を掘らせてたんだ」
「そこへアニキが突然やって来た! レッドスコーピオの
「やめろと言っただろ、保安官」
平和な街、ね……。クロセは鼻白んだ。近くで見ると、レンガや木で急造されたような建物は、砂にまみれて、傾いている物ばかりだった。いくつもの
「レッドスコーピオの連中、あれから随分たつのに、まだこの街を諦めちゃいないのさ。おかげで、流れ者のオレが、いまだに保安官の真似事だよ」
「いやぁ、アニキにはずっとここにいてもらわなきゃ」
「お前が使えるヤツになったら、明日にでも出て行くよ、オレは……」
大笑いする保安官に、ジャンゴがつまらなさそうにタバコを吹かして見せる。古き良き、西部開拓の時代というわけか。コーディは"仲むつましげだ"とジャンゴ達を見ているらしく、おだやかな表情をしていた。だがクロセの目には、二人の関係はどこか白々しく見えた。下手な芝居を見せつけられているかのようだ。その理由の大半は、ジャンゴの過度に"男らしい"態度が鼻につくからなのかも知れない。
「あら、あなた達もう帰ってきたの? ちょっと――ウソでしょジャンゴ! その人どうしたの!?」
張りのある、みずみずしい女の声がした。見ると、井戸の傍らでバケツを抱えていた女が、ぎょっとした顔でこちらを見ていた。燃える太陽のように鮮やかな赤毛。大きく見開かれた蒼い瞳。すらりとした、シャープな顔つきは、可愛らしさよりも、自立した女の格好良さがあった。
「ちょっと--大丈夫? さ、ここに座って――ジャンゴ! 今度はあなた何やったの!?」
駆け寄ってきた彼女に、肩を優しくつかまれる。近くで見ると、頬は砂で汚れているし、髪も乾いた風に所々痛んでいた。頬には
「そりゃないだろグレース。外でレッドスコーピオに引っ張り廻されてるのを見つけて、助けたんだよ、オレは」
ジャンゴは首に手を回し、ウェ、と上を向いておどけて見せた。グレース、と呼ばれた女は、「まぁ、たいへん!」とさらに目を見開く。ざっくばらんに伸びているロングの髪が、大げさな動きに巻き込まれてばっさばっさと揺れる。
「大丈夫、すぐにお医者さんを呼んで上げるからね――なにが
「厄介ごとを拾ってくるのはキミの真似をしてるだけさ。目の前の困っている人を放ってはおけないだろ?」
「バカ言わないで。ほら、罰として水運び手伝って!」
テキパキと動くグレースは、井戸から汲み上げた水をすごい勢いでジャンゴに押しつけると、クロセの肩を支えて歩き出した。顔を上げると、両開きのドアが揺れる、一際大きな建物が見えた。青と赤色の派手な塗装。玄関の脇には、『BAR』と書かれた看板が、風に揺れている。
「おい、こいつぁ……なんて重さだ、グレース、なぁ、オレがそいつを担ぐから、君はその太い腕でこのバケツを運んでくれないか?」
「だまって運んで!」
困り顔のジャンゴが、バケツを両手で抱え上げて、後に続く。肩をすくめている彼の背後で、太鼓っ腹をさすった保安官が、あきれたような笑みを浮かべていた。
「まんざらでもないって顔だよな、ありゃ」
その言葉に一度だけ目をやって、コーディは瞳の色を黄色と灰色に一瞬輝かせた。それから馬の背中を人なですると、ぴょんと飛び降りる。
■ ■ ■ ■
あちこちのテーブルで酒の入ったグラスがぶつかり合う音がして、大笑いと怒鳴りあいのざわめきが、老若男女の笑顔の間からあふれ出す。
両手が自由なら耳を塞ぎたくなるくらいだ。周りがやかましすぎるので、どいつもこいつも声を大にして話すし、バーの片隅で弦楽器とマラカスでジャンジャン演奏している派手な衣装のメキシコ人達が、客たちの大合唱まであおり出す。騒音の間をかき分けるグレースの手は乱暴きわまりない。
「おぅグレース! やっとワシのかわいこちゃんが帰ってきた!」
「ちょっと触んじゃないわよエロジジイ!」
玄関を抜けた途端、赤ら顔の老人に尻を捕まれそうになって、思いっきりたたき落とす。おかげでクロセはつんのめって、テーブルに手を突いてしまった。グラスが音を立ててひっくり返る。
「ワシの酒がぁ!」
「グレース、その人どうしたんだい?」
「おいグレースが新しい男を連れてきたぞ!」
「けが人よ、見ればわかるでしょ! どいたどいた!」
モーセの十戒もかくや――という調子で、グレースは客たちをかき分けて道を作る。時々尻にのびる手を早撃ちガンマンのように打ち落としては、ソバカス顔を真っ赤にしてぎゃんぎゃん怒鳴る。布切れを裂いたような粗野な包帯を巻いてくれるが、いっそ静かな場所に横たえてくれた方がよっぽど元気になると思う。
「おいグレース、水くみにどれだけ時間がかかってるんだ? テーブルに運ぶ酒がこんなにカウンターにたまってるんだぞ!」
カウンターの向こうで、 すすけたベストで着たやせたマスターが、むっつりと不満げな顔をしていた。グレースは細い腕をむん、と組んで見せて、
「知らないわよ。みんなに自分で取りに来させたら? それよりドクターはどこ」
「なんだ、またケガした
「冗談でしょ? また? いったい誰がお酒を渡したの!」
「俺さ」
「あっっっきれた! もぉーいい! もぅいいから! 誰かドクターの顔に水ぶっかけに行って!」
グレースはとにかく手際が良かった。クロセが辺りを見渡している間に包帯を巻き終わり、首に軟膏を塗って、「俺にも塗ってくれよぉ!」と飛んできた野次には椅子を蹴り上げて返し、カウンターのグラスを右から左へ全て片づけてマスターを黙らせてしまった。
「口やかましい娘だろ」
肩を回して調子を確かめていると、いつの間にか傍らに来ていたジャンゴがグラスをあおった・コーディも四苦八苦しながら人混みをかき分けてきたらしく、瞳の色を混乱したようにクルクル変えていた。ぼさぼさになった髪を、耳の裏をかく猫のようにぐしぐしととかしている。
ジャンゴは肩をすくめ、
「こっちのお嬢さんは物静かでいいな。グレースはいつだってあんな感じなんだ。一日側にいたら、参っちまうぜ」
ぼやくジャンゴの前に、二杯目のグラスがドンッと乱暴に叩きつけられ、思わずぎょっとする。クロセとジャンゴの顔の間に、にゅっとグレースが片目を細めて割り込んできて
「ジャンゴ、今度また、あなたが街の外で倒れてたら、墓穴に生きたまま埋めちゃうわよ」
「……ま、これでも命の恩人でね、無茶を言われても頭が上がらないんだ。わかるだろ」
思わずクロセはうなずいてしまった。その当たりはよくわかる話だった。髪をといていたコーディが、むっとクロセの横顔に振り返る。
「この人の話は信じないでね、酒の席で話したことは、みんな冗談で片づけちゃうんだから」
グレースはクロセの包帯を整え直し、「さ、もう大丈夫!」と肩をひっぱたいた。びりっと電撃が走ったような痛みで、クロセは思わずうめいてしまった。元気がよくて手際もいいのだが、どうも性格的に大ざっぱだ。
「あなた駆け出しのガンマンね。変なマスクして無駄に目立ってるし。何しに来たわけ?」
変なマスク、に思わず居心地悪くなってしまう。これはコーディのセンスだ。言い訳したいところだったが、それより、アウターホリッカーについて訊いておきたかった。だが口を開きかけたところで気配を察知したのか、グレースが「あ! その前に」と手を突きだしてくる。
「一杯注文して! 1つの質問につき一杯よ。ボトルを開けてくれたら五つ答えてあげる。先に行っておくけど、私は明日結婚するから、口説こうとしてもムダよ」
「じゃじゃ馬娘が嫁に行くとわな!」
背後のテーブルからしわがれた声が挙がった。執拗にグレースの尻を狙っていた赤ら顔の老人だった。
「
「首に縄くくって、あたしが町中引きずり回してあげようか? ペゲット爺さん」
グレースの指が投げ縄みたいにくるくる回る。
「一杯おごってくれたらいいよ!」
赤ら顔のご老人はご機嫌にそう言い、「俺も俺も」と声が上がる。すっかりあきれたグレースは腕をむんっ、と組んで当たりを眺めた。陽気な連中だ。
「
ペゲット爺さんが杯を掲げると、あちこちからグラスが跳ねた。黄金色のビールが、波を打って、宙に飛沫をあげる。おめでとうの大合奏に、グレースは片眉をつり上げて
「なーんであたしの結婚式にあたしがおごらなきゃいけないワケ? 『グレース結婚記念』ってでっかく看板掲げて、今日は倍額にしようかしら?」
べーっと舌を出してから、グレースは小娘みたいにケラケラと笑った。
「よせよ、明日嫁に行くレディーが」とジャンゴが渋い顔をして、カウンターにつぶやいた。たしなめられたのに、グレースはむしろニコニコして、
「賞金稼ぎさんはレディーの
カウンターから肘をついてのぞき込むグレースに、ジャンゴは目も合わせずにブクブクとビールに泡を立てた。「親父ってのはそういうモンさ、グレース」ペゲット爺さんが上機嫌で笑い声を張り上げる。
「一年じ――っくり面倒見た、
どっと客達から歓声が上がった。ジャンゴはあきれたように首を振って、グラスを仰いだ。揺れる黄金色の液体に、コーディの無表情顔が映り込む。ふと、その目がカウンターに向けられた。周囲の喧噪の中で、ニヤついていたはずのグレースの顔が、ぽっかりと穴があいたような、空白の表情に変わっていた。
「…………」
「はいよ、小僧(キッド)とそのお連れさん。ミルク二つ」
どんっ、と乱暴に白い液体の揺れるグラスが、コーディの前に置かれた。うかがうような視線が、ぱっと驚きでオレンジに変わる。「ミルク?」傍らのクロセが顔をしかめるのに、マスターがすすけた帽子を払いながら、
「
と肩をすくめて、キッチンへと入っていった。グレースもぱっとカウンターを横切ると、「楽しんでってね」と軽く手をひらひらさせて、店の裏に引っ込んでいった。鮮やかな赤髪が揺れるのを、コーディは大きな瞳でじっと見つめていた。
「それで、
喧噪が遠ざかり、客達がラテンのリズムに手拍子を叩き始めると、ジャンゴは赤らんだ顔で尋ねた。
「これからどうするつもりだ? でっかく稼ぎたいのか? それとも保安官でも目指すか?」
「
ようやく本題に入れた。「心当たりはないか?」とクロセがジャンゴに目を遣ると、彼は宙につかんだグラスを静かな灰色の瞳で眺めていた。ずっと遠くの何かを見透かそうとしているような相貌。クロセは一瞬、目を細める。
演奏が途絶えた。
不意に、夢から目覚めたように、暢気で踊るような空気が、冷たく張り詰めた物に変わった。現実に立ち返ったように、空気が鋭さを帯びる。
背後で、木椅子の脚が擦れる音がした。先ほどまでの嘘くさいほどの喧噪が、ぴたりと止んでいる。
振り返らなかった。
見なくてもわかる。
客達は一斉に立ち上がり、とりつかれたような視線を自分の背中に注いでいるのだ。腰や脇に吊したホルスターに、手を伸ばしながら。
一瞬、コーディに視線を注ぐ。彼女も異変を察知したのか、ぴんと背筋を伸ばす。カウンターを瞳で指し示した。銃撃戦が始まったらここに飛び込む、という合図か。うなずく必要もない。問題はすぐ横にいる、
「よせよ」
ジャンゴはふっと、呆れたような笑いを、鼻にかけた。
クロセと客達の間に腕を伸ばす。ようやく、クロセもゆっくりと振り返った。客達は、真っ黒に染まった瞳で、ジャンゴの背中を見つめていた。
「いいんだ」
もう一度言いつのると、客達は白けた役者のように、椅子をガタガタと立てて席に着いた。そして再び始まる、ラテンの演奏、騒ぎ立てる客達の拍手喝采。たった今起きたことを、綺麗さっぱり、忘れてしまったかのように。
「まさか、本当に現れるとはね」
鋭いクロセの視線に、ジャンゴはゆるみきった、呆れたような笑みを浮かべていた。
「お前、なんだ?」
「
コーディーが背後に鋭い視線を流しながら、つぶやく。
「ここにいる人、みんな人工知能(AI)です」
客達の頭上に、次々とウィンドウが立ち上がった。体力ゲージや、腕力、知覚力といった見慣れたステータスが表示され、一番上端に、「
「お察しの通り」
ジャンゴは呆れるほどの開き直った態度で、大きく腕を広げて言った。
「いかにも。あんたの探していた、
■ ■ ■ ■
「ここに、グレースの母親が眠ってる」
ジャンゴは盛り土を叩いていたシャベルをほうり投げると、振り返って言った。
「たまに土をならしてやらないとな、コヨーテが荒らしに来ちまう」
「お前を
ジャンゴの背後には、クロセとコーディが控えていた。コーディはじっと大きな目を見据え、クロセは銃口を差し向けて返事をした。
自ら外側中毒者であると"告白"したジャンゴは、しかし抵抗もせず、銃に手をかけることもなかった。表に出ようぜ、と勝手に言って、さっさと店を出て行ってしまった。初めてのパターンに手をこまねいているクロセ達を
シミと
「ま、最後まで話を聞いてみろよ。悪い話じゃない」
「時間がない。話し終わる前にお前は死ぬ」
「ところが」とジャンゴは手のひらを空に放った。
「時間はたっぷりある――だろ?」
目を向けられたコーディはいぶかしげな顔をして、それから何かを確かめるように手のひらをかざした。いくつものウィンドウが、印刷機から飛び出してきたように現れ、コーディの瞳が輝く。。
「ありえない……」
「どうした」
「残り時間が更新されて……タイムリミットまで、15時間以上余裕があります」
銃口に凝らしていた目を、思わずそらしてしまった。コーディの前にあるウィンドウには、「15h 21m 18s.....」の表示が、のんびりと、鼻歌でも歌うように数を減らしていた。
ジャンゴは「ほらな」とばかりに、片手を掲げて見せた。
「俺の仮説は正しかったわけだ」
「お前、何したんだ」
「何って……だから、俺はあんた達のような連中と違って、もっと濃密な
「おちょくってんのか、お前」
「まさか――意外と怒りっぽいんだな? とにかく、俺は今すぐ死ぬってワケじゃないんだ。そいつ、おろせよ」
ジャンゴは肩でも叩くような気軽な調子で、手をひらひらさせた。丘に突き出した岩にどっかりと座ると、タバコに火をつける。銃把を握りしめていたクロセは、わけがわからないとばかりの目を、コーディに注ぐ。
「……何かの
「いえ――データに改ざんも見られません。それに、現実で
「ここは古き良き西部の時代」
ジャンゴは紫煙を空に吹かす。
「時代にはそれぞれ時の流れってのがある。あんた達みたいな連中は、毎日せかせかしてんだろ? 気を楽にして、すこしゆっくりしてくといい」
気楽な調子に、しかしコーディは瞳をくすんだ黄色に鈍らせて、
「そんなのありえない――現実時間と、仮想空間で時空間がゆがんでいることになる」
「いや、そいつは古い認識だな。これは特殊相対性理論ってやつだ。現実世界の俺は、あんたたちよりずっと、濃密な時間を生きてるんでね」
「……もういい。理屈なんかどうだっていい」
クロセが一歩歩み出ても、ジャンゴは虚空に笑いかけながら、紫煙を吹かせていた。
「このままバカな遊びを続けてるとあんたは死ぬ。自殺に付き合う気はない。単純な話だ。今すぐログアウトするか、俺に今始末されるかだ」
ジャンゴは薄ら笑いを浮かべた。かすかに、何度もうなずいて、夕刻の風にさらされる墓標に。その乾いた笑みを向けた。風にかき消えてしまいそうな、つぶやきを漏らす。
「見ろよ。あの花」
墓標の根本には、色鮮やかな花束が、横たわっている。
「グレースが毎日取り替えてるのさ。あの墓の下には、あの子の母親が眠ってるんだ」
「何が墓だよ……
ジャンゴはまた、皮肉めいた笑みを浮かべ、浅く、何度もうなずいた。
「あぁ、レッドスコーピオみたいな連中に言わせれば、この街の"付属品"ってやつだ――グレースの母親は、俺が殺したのさ」
コーディが顔を上げる気配がして、黒瀬も思わず目を合わせてしまう。彼女の表情は相変わらずだが、瞳の色が紫色に明滅していて、混乱している様子だった。そんな目で見られても、困る。
「この世界を作ったのは一年前。課題提出のために作ったんだ。これが、なかなかできが良くてな。ずいぶん褒められたよ」
課題制作? 一瞬なんの話をしてるのかわからなかった。見た目も言動も、まるきりカウボーイな壮年の男と、課題制作なんて言葉が上手く結びつかない。だいぶ混乱してから、はたと気がついた。
こいつは、現実の話をしているのだ。
「舞い上がった俺は、この世界をネットワークに解放した。世界中誰でも、西部開拓の時代を駆け回り、自分の名声をかけて戦う――バカなことをしたもんだ。あっという間に連中が乗り込んできて、この世界はズタズタ。俺もあちこち文字通り穴だらけにされた」
「連中?」
「レッドスコーピオさ。たちの悪いゲーマーって奴だよ。セキュリティに問題があってな、入室制限をかけてなかった。結果、世界中むちゃくちゃだ。初心者狩りに、マスター権限の改ざん、
コーディーの髪がピンと跳ねた。驚いた声音で
「他のプレイヤーに無差別に解放したんですか?」
「知識がないってのは、罪だよな」
ジャンゴの口元に、自嘲的な笑みを浮かんだ。
どういうことなのかわからず、コーディを見やった。彼女はいかにも「あきれた」とばかりに瞳をチカチカさせる。
「通常、ホストがゲームワールドを公開する場合は、公開範囲を決めて、それ以外のプレイヤーがアクセスできないように制限をかけるんです。そうしないと、
「もっとわかりやすく」
「……"今は冬です" "クロセさんは裸で外に飛び出しました" "風邪を引きました" "死にました"。これと同じ事を彼はやったと言っているんです。よくわかりましたか?」
もう一回言ってやろうか? と言わんばかりに、コーディはあごを上げてみせた。閉口するしかない。ジャンゴが言うとおり、知識がないのは罪、ということらしい。理不尽な……。
要は、"悪党に玄関を開けてしまった"ようなものなのだろう。
制限をかける、というのが"ドアにカギをかける"のと同義なら、ゲームを作る人間にはごく当たり前の認識なのか。それを知らなかったジャンゴは、脳の中に頭のおかしな連中を招き入れてしまったのだ。量子ネットへの知識があまりないクロセには、ジャンゴの話のほうがわかる気がした。
彼はつまんだタバコを、眼下にひっそりと
「このトゥームストーンが、レッドスコーピオに追われる俺を受け入れてくれた。街の入り口で倒れた俺を、グレースが家に連れ帰って、介抱してくれたんだ。危険を察知して反対する母親を押しきってな。バカな話だよ。プレイヤーなんて、死んだら新しくキャラクターを作ってやり直すだけなのに……」
グレースを、"命の恩人"と言っていたのを思い出す。二人は腐れ縁のようで、
「目が覚めてからもずいぶん長い間手当てしてくれたよ。一言もしゃべらずにな。ようやく歩けるようになったら、ここに連れてこられた。登るのに苦労したが、彼女は一度も振りかえらなかったな。『ママのお墓を作って』と言われたよ。『レッドスコーピオからあなたを匿って、殺されたのよ』ってな」
一瞬、沈黙が降りた。クロセは辺りに漂う空気を払いのけるように、鼻に笑いを引っかけた。
「それは……悲しい話だな。だけど今あんたが置かれてる状況とは何も関係がないし、そもそもあのグレースも、その母親も、全部
ジャンゴの感傷的な物言いが、いやに気にさわった。胸の内がざわつく。形のない物にすがりつこうとしているようで、見ていられない気持ちになった。傍らでコーディがちらりと視線をくれたが、それに気づくこともなかった。
「そう言ってくれるのはお前だけだよ、
ジャンゴの声音は腹を立てているわけでも、悲しんでいるわけでもなかった。
彼は立ち上がると、墓前に添えられていた花束を手にした。
「あれからずいぶん長い時間が経った。俺は街からレッドスコーピオを追い出して、ここは昼間から人々が飲んだくれる良い街になった。グレースはついに嫁に行くとよ。だけど俺は、ここに置かれた花が、枯れているのを今日まで一度も見たことがない。枯れる前に、また満開の花が供えられてるんだ」
かすかに、ジャンゴが振り返った気がした。ほんの少し垣間見える、唇の端が、うごめく。
「グレースは俺を、許していない――花の香りがそう言っているように聞こえる。お前にも聞こえないか?」
クロセは銃口を下ろさなかった。ただ静かに呼吸すると、口元を覆っていたバンダナが、風に揺れた。瞳には同情の色はなく、枯れ木のような、佇まいだった。
「死んだら何もかも意味が無くなる。あんたが生きている世界はここじゃない。あんたは、現実を生きてるんだ」
「もっともな話だ」
ジャンゴは笑って、花束を墓前に置いた。振り返ると、不敵な笑みを浮かべる。駆け抜けていった一陣の風が、彼のコートを大きくはためかせた。
「漢らしく、正直に行こう。俺を排出するのなら、明日の真昼まで待ってくれ。
「正気か? 作り物が挙げる作り物の結婚のために、命が削るつもりかよ」
「そんな大事じゃないさ。明日の昼まで、現実で約……二時間ちょっとってとこだ」
ちらりとコーディを見ると、ウィンドウに視線を落としていたコーディがうなずいた。
「これまでの経過時間と、現実時間――彼の言っている比率は確かに一致はしています」
「あんた達も今晩の祭りに参加していくといい。明日の真昼、街の中央でグレースは馬車で街を出る。そこで、俺を撃て。抵抗はしない。それが嫌なら、今ここで俺を撃つといい。ただし、その時は――」
ジャンゴは肩幅に脚を開き、ゆっくりと両腕を持ち上げる。指先が、張り詰めた糸で引かれるように、ぴくぴくと痙攣している。はためくコードの陰で、ホルスターに納めた拳銃が、鈍い輝きをぎらつかせていた。
クロセは銃把を握る手に込める。
「いいでしょう。待ちましょう」
平然とした声がした。思わずクロセは傍らを二度見した。鉄面皮でジャンゴを見つめているコーディが、うなずいている。
「何言ってんだ、お前――」
『ここで早撃ちで決闘しても、勝ち目はありませんよ。彼はこのゲームを熟知しています――正面切っては勝てません』
彼女は口に出さず、『言った』。脳裏をよぎった言葉に、舌打ちしたくなる。腕を信用されていない気がしたのだ。もっとも、彼女が根拠もなく断言したりしないのも、わかっている。脳裏でお得意の計算でもしたか、このゲーム特有の"ステータス"でもあるのか。
「交渉成立かな?」
肩をすくめたジャンゴに、クロセは不服そうに、銃を下ろした。
「ちょっとー! ジャンゴ!」
丘の下から、女の声がした。振り返ると、グレースが手を振りながら、登ってきているところだった。
「もうすぐお祭り、始めるって! マスター達、ベロンベロンに酔ってるのにはりきっちゃって……あなたも手伝って!」
不満げに赤髪を揺らす彼女に、ジャンゴは鼻を鳴らした。すれ違いざま、クロセの肩をポンと叩いて
「ありがとう。あの子を悲しませないですんだ」
とかさついた声で言った。
クロセは唇を噛む。いい気な物だ。
「あなたの事は信用してますから――思い違い、しないでくださいね」
唐突に、ソプラノの声でそう言われた。
慌ててコーディを見ると、妙に力強く眉をつり上げていた。
小さな子供を言い聞かすような言い方。ふてくされる理由はこれでしょ? と言わんばかりだった。この妙に細かいところに気づいたような物言い……頬がひくつく。
「おま……俺の考えを読んだな!」
結った髪をプイと揺らすと、コーディはさっさと丘を降り始めた。
「読んでません。勝手に流れ込んでくるんです」
「普段もそうやって読んでるのか? どこまで読み取れるんだ?」
慌てて追いついて言いつのるクロセに、コーディは一瞬沈黙して、
「――――いいじゃないですか、別に」
「今なんで黙った……? よくないだろ、ごまかすなよ!」
「はっはっはっ」
ジャンゴは妙ちくりんな大根役者のような笑いを張り上げ、
「
「うるさい!」
鼻息荒くうなったクロセを、コーディはひょいと持ち上げた瞳で眺めていた。してやったり、という顔はしていないが、おおむねそういう感情が鉄面皮からこぼれている。
「そうなんだ! こんなにかわいいのに、けっこう怖いんだね?」
「この子、妹さん? 小さいねー!」とグレースが頭を撫でると、彼女の頭は牛が首にかけるベルのようにガランガランと揺れた。表情はほとんど変わらなかったが、間違いなく不機嫌になったとクロセは確信した。少し、溜飲を下げる。
■ ■ ■ ■
「おぉーい、遅いよお二人さん! 主役がいないんじゃ、乾杯もできんじゃろ!」
夕日はほとんど地平線に沈んでいた。黄昏の闇がトゥームストーンの街にはかかっていたが、少し先の広場からは、かがり火の光が明るく漏れていた。
「今なら
「悲劇ですよね」
と二人の背中を見つめている。
「……そりゃ、確かに母親のことは悲劇だけど」
「いえ、グレースさんとジャンゴの話です。本当は想いあってるのに、亡くなったお母さんのことがあるから……お互い一歩踏み込めずに、明日はお別れだなんて……きっと、お互いに初恋なんでしょうね」
「……はぁ?」
何を言ってるのか、さっぱりわからなかった。
「想い合ってるって……? そんなこと、一言も言ってなかっただろ」
コーディがゆっくりと顔を上げる。信じがたいものでも見たような顔をして、クロセのつま先から頭の先までじろじろと眺めてくる。
「な……なんだよ」
「冗談ですよね?」
「なにが」
コーディの眉根に、ぽこんと溝が刻まれた。彼女にしては、えらく力のこもった表情だ。
「まさか、ほんとのホントに、わからないんですか? 一から百まで? 一から百まで説明しないと?」
「お、おい」
ぐいぐいと詰め寄ってくるコーディの真顔から顔を逸らしながら
「何が言いたいんだよ、なんなんだ?」
「完全に呆れました」
「はぁ……?」
よくわからない内に、なにか重大な失望を買ったらしい。
「心配になってきました。これからのことが」
「いや……は? グレースとジャンゴが想い合ってるって、勝手に決めつけてるお前の方こそおかしいだろ。グレースは
いきなりコーディが小走りに走り出したのでびっくりした。ぽかんとしていると、彼女はわざわざ真っ正面に立ちふさがって
「いけないんですか」
眉一つ動かさないのに、剣幕に押された。
いいわけがましぐ「いや、ダメとはいってないけど……」とモゴモゴと口を動かすと、コーディは花のように結った髪を鞭のようにしならせて返した。わけがわからない。なぜそんなにも確信を持てるのか。
「……お前、もしかしてジャンゴ達の脳の中も読み取ってるんじゃないだろうな」
ちらりと振り返ったコーディの目は、ついに落ちるとこまで落ちたといった感じに細められていた。
「あなたが誰を好きなのかも、のぞいてあげましょうか?」
思わず頭をかばった。ぎょっとしているクロセに、振り返ったコーディはうっすらと口の端を持ち上げた。冗談……なんだよな?
「おぅ小僧たちも、ホレ! そこ座れ! これホラ! 飲め飲め!」
広場に足を踏み入れると、あっという間にペゲット爺さんに引っ張られて、椅子に座らされた。
広場の中央には大きな炎が立ち上っていて、炎を囲んでくるくると街の人々が踊っていた。ラテンのリズムが、踊る人々の足を軽くする。手を取り合って跳ねる人々のすすけた顔は、しかしどこまでも底抜けに、今この瞬間を、楽しんでいる。
「ジャンゴ! あなたダンスも下手なのね!」
「キミは暴れ馬より暴れん坊だからね」
舞い散る火の粉を泳ぐように、ジャンゴとグレースが両手をつないで横切っていった。グレースははしゃぐように飛びはね、ジャンゴはニヒルな笑みを浮かべながら、おどけるようにステップを踏む。
どんな曲が流れても、どんなステップを踏んでも、つなげた両の手を慈しむように、離さない。
でっぷりとした腹を抱えて保安官がはやし立てると、グレースの後ろ足がスカートの裾から飛んできて、千鳥足の保安官はごろごろ転がって目を回す。ジャンゴが何かささやくと、鼻先が触れあうような距離で、グレースはべっと舌を出して笑った。
「(想い合ってる、か)」
クロセはペゲット爺さんに押しつけられた酒瓶をあおった。アルコールの味がしっかりして、顔をしかめる。まさか本当に酔うとは思えないが……しかめっつらでビンを眺める。
変な音が聞こえた。
ふんふんと、動物が鼻を鳴らすような音、それに、トントンと刻まれるリズム。すぐ近くで聞こえたそれに目をやる。
「……踊りたいの?」
鼻をすりつける猫のように揺らしていたコーディは、はっと顔を上げた。
「まさか」
「手、手」
クロセに腰の辺りを指され、コーディはいぶかしげに視線を落とした。かき鳴らされるラテンのリズムに合わせて、スカートの裾から出た
「ちがうちがう! こうよ、こう――12、345――」
「わんつー、すりふぉっ?」
「――あははっ! からまってるからまってる!」
たどたどしいコーディのステップに合わせて、メキシカン達が何度も同じメロディを刻む。あとちょっとでワンフレーズ終ると言うところで、いつもコーディがすっ転ぶのだ。周りを囲んだギャラリー達は「そうそう上手いぞ!」「右足出して、足かけて――そう、あとちょっと!」と大歓声で盛り上がっていた。
最初は文字通り目を白黒させていたコーディだったが、次第に周りにつられて失敗の度に笑顔を見せるようになった。しまいには声を上げて笑い出したので、クロセは唖然としてしまった。ああいうの、好きなのか……。
よくよく思い出すと、彼女はことあるごとに飛んだり跳ねたりしている。もともと、身体を動かすのが好きなのかもしれない。
「――――いやぁ、キミの相棒には助かったよ」
ぼんやりと、人群れの方を眺めていたクロセの横に、ジャンゴが尻から飛び込むように椅子に座った。
「グレースは一旦踊り出すと立ったまま眠るまで止まらないからな。俺じゃ体力が持たない」
たき火に照らされたジャンゴが、瓶ビールをさし出す。ほとんど口をつけないクロセを
「強引で悪かったと思ってるよ」
「……なにが」
「"延期"さ。あんたたちにも都合がるんだろ? よくわからないが」
ジャンゴは一口あおると、ふぅ、と大きな息を吐いて、夜の闇に輝く炎を見上げた。
「
ふん、とクロセは鼻を鳴らし、瓶をあおる。味はどうあれ、飲まずにぼけっと酒を持っているのは、負けた気がして嫌だったのだ。
「
「約束は守れよ。これで満足なんだろ」
固い声音に、ジャンゴはまたニヒルに、口元だけ笑みを浮かべて見せた。
「もちろん。明日には、現実の、なんにもできない
一瞬、クロセはジャンゴの横顔を伺った。炎を見ていると思っていたジャンゴの目は、その向こう側、はしゃぐグレースの姿を追っていた。
「……グレースのことが好きなのか」
思わず訊いてしまってから、はっとした。なにやってんだ? 昼のワイドショーじゃあるまいし、こんな事を訊いたって、ジャンゴにとって明日この"
「バカな男だと思うだろ?」
怒り出すかと思って表情を伺っていると、ジャンゴはそう言った。落ち着いていた。静かな灰色の目で、舞うような炎が踊っている。
「NPCに恋をするなんて」
なんて答えたものか迷った。当たり前に考えれば、ジャンゴはバカな男だ。実にバカな男としか言いようがない。こんな
いつものように黙っていようと思った。他人にどう思われようが知った事じゃない生活を送っていたクロセにとって、沈黙で返事をすることは苦でもなかった。
「ワンツー、スリフォー……ファイブッ!」
やったぁ! と歓声があがった。
ようやくワンフレーズ踊り終えたのか、グレースが両手を挙げて喜んでいて、たくさんのギャラリーにはやしたてられたコーディが、困惑気味だったが、ほんの少し口元を持ち上げて喜んでいる。
「……いや。わかるよ」
たき火の炎に当てられるように、ぼんやりとクロセはそう言った。
ジャンゴはクロセを見やると、一度炎の向こうへ目をやって、それから、浅く何度もうなずいた。口元にニヒルな笑みが浮かぶ。
「バカな男達に」
瓶を掲げたジャンゴに、クロセは黙って瓶をぶつけた。二人して中身をあおると、二人して、自嘲気味な笑いを宵闇にこぼした。
「さぁ練習は終わりっ。本番行くよ、ジャンゴ!」
グレースが風のように現れ、あっという間にジャンゴをさらっていった。ジャンゴにつられて、ニヒルに口元をもたげようとしたクロセだったが、すぐに引っ張り上げられて「わっ」と間抜けな声を上げた。
「踊って!」
両手を掴んだコーディが、無邪気な笑みを浮かべていた。跳ねるようなリズムに合わせて、コーディの結った髪がクルクルと舞う。視界が一回転するごとに、意識が波間に浮かぶように揺れる。温かい炎に照らされた彼女の瞳が、楽しげに細められている。
■ ■ ■ ■
真っ白な日差しが、まぶたを灼いている。
光の洪水がまぶしくて、顔をしかめて、手で視界を覆う。
影の間からまぶたを微かに押し開く。指の隙間から、真っ青な空で虹の傘をかぶった白い太陽が見えた。何度も瞬きして、慣れない光に、うめく。のんびりと蒼い空を漂うワシ達が、穏やかな鳴き声を響かせていた。
「――――ッ、ジャンゴ!」
まどろんでいた意識が一気に覚醒した。慌てて身を起こし、辺りを見渡す。
鎮火したかがり火の黒い跡、誰も座っていない椅子がひっくり返って辺りに散乱し、空になった酒瓶が、風に揺れて転がっていた。
太陽はまっすぐ、天頂に昇っている。
時刻は、真昼。
"明日の真昼、街の中央でグレースは馬車で街を出る。そこで、俺を撃て"
「……ウソだろ、何やってんだよ俺は……!」
寝過ごした――――?
事の重大さに比べてあまりにもバカげた失態に、冷や汗が流れる。見渡しても、辺りには誰もいない。人の気配を失った広場は、昨日の喧騒が嘘のように、ずっと昔に忘れ去られた、廃墟のような有様だった。広場の入り口を振り返る。
はっとした。
「コーディ!」
建物の影に、さらに真っ黒な人影が倒れていた。アップロールの髪が、銃殺されて飛んだ血しぶきのように、壁にへばりついている。慌てて駆け寄った。まだ、ギリギリ冷静だった理性が拳銃を引き抜き、街路や周辺の建物へ銃口を向ける。人影はない。
「――――おい、大丈夫か! しっかりしろ!」
周辺を警戒しながら、肩を揺さぶる。長いまつげに覆われたまぶたは、ぴったりと瞳を覆っていて、ベッドで目覚めなかった彼女を思い出させる。忘れていた不安に、全身が取りつかれたとき
「ん、ん」
と小さく彼女がつぶやいた。よかったまだ生きてる。首筋に手をやって、脈があるのを確かめていると、彼女は小脇から何かを取り出した。酒瓶だった。
もぞもぞと身体を丸めると、酒瓶をかかえて何事がつぶやいた。一瞬名前を呼ばれた気がして「え?」と尋ねると、彼女はぼやけた声でまた何かつぶやきながら、酒瓶に唇を押しつけていた。何度も唇をつけたり離したりしては、幸せそうに笑みを浮かべる。
「うぎゃっ」
酒瓶をひったくって頭にぶつけると、彼女はしっぽを踏まれた猫のような悲鳴を上げて、飛び起きた。
「え? いたっ……え……??」
呆然としている彼女の肩を揺らし、
「もう真昼だ! ジャンゴ達がいないぞ」
ぽかんとして、頭をさすっていた彼女がはっと瞬きする。
いつもの鉄仮面の鋭さが戻ると、青白く光った瞳が、さっと辺りを見渡す。
「残り時間が……あと十五分!」
「行くぞ!」
肩を叩いて弾かれたように走り出す。彼女も
■ ■ ■ ■
「ごめんなさい、間抜けでした――お酒に何か混ぜられていたようです。
「俺もだ、クソ、なんて間抜けだ――――待て、壁につけ」
大通りに面した店の壁に、背中をつける。目につかないように、低い位置から顔をのぞかせると――――いた! 砂塵と回転草が舞う通りの向こうで、馬に乗ったグレースと、鞍に足をかけるジャンゴが見えた。傍らには、馬に乗って辺りを警戒する保安官の姿も見える。周りを取り囲んだ住民達が、別れを惜しむように、グレースを抱き締め、頬を押しつけ合っている。
様子をうかがうクロセの頬を、コーディの横髪がかすめる。
「彼は真昼にグレースを見送ると言ってました」
「見送るのに、どうしてジャンゴが馬に乗る必要がある」
「同感です。回り込むルートを検索します」
「ダメだ、時間がない」
クロセは拳銃の撃鉄を押し上げると、胸の前で銃口をわずかに下げる
一瞬、ジャンゴの視線がグレースを離れる。
灰色の相貌が持ち上がり、接近するクロセを射貫いた。
「ジャンゴッ!」
瞬間、ジャンゴの持ち上がった口元が、砂塵の合間に浮かぶ。
遠ざかっていく
「兄貴ィ、行けーッ!」
通りの向こうで、でっぷりとした腹を叩いた保安官が大声を張り上げた。
「ここは俺に任せろぅ! 来いよ、保安官がお相手だ!!」
腰から二丁の拳銃を引き抜いた彼は、砂塵に姿を隠した
「コーディ乗れ!」
『はい!』
困惑する街の人々をすり抜け、クロセは保安官が転がり落ちた馬に飛び乗った。暴れる馬の手綱を引き、悲鳴を上げる馬の尻を蹴り飛ばす。
「
叫んだのはバーのマスターだった。
「どわッ――――クソッ!」
耳元をかすめる重い弾丸に、クロセは首を引っ込める。素早く振り返ると、狙いもロクにつけずに撃ち返す。いつもの拳銃の反動がおもちゃのように感じるほど、手首がひっくりかえるような衝
撃が、骨に響く。
「――――ジャンゴはどこに行った!?」
リボルバーの弾を落とし、次弾を装填していく。昨日の内に機構を確認しておいてよかった。馬の足元に転がった空薬莢が、甲高い金属音をこぼして消えていく。
『前方二00メートルまで引き離されてます! 急いで!』
「逃がすかよ!」
砂塵を切り抜けて荒野に飛び出すと、辺りの光景が勢いよく流れ出す。空の青、稜線の赤茶色、サボテンの緑、鮮やかな色が、ナイフで引き延ばされた油絵の具のように後方へと伸びる。
『
青白い光線が前方に一気に伸びた。
街はなだらかな丘の上にあり、馬はどんどん加速して斜面を駆け下りていく。眼前には、どこまでも続く荒野が、ミニチュアのように広がっている。サボテンや枯れ草の間を光線は駆け抜け、荒野を真っ二つにして伸びる線路を横断し――――見つけた! 二人乗りの馬が、砂を巻き上げて全速力で駆けている。
「残り時間は!?」
『五分を切ってます!』
轟々と鳴り響く風に舌打ちを吐き捨てると、クロセは手綱を一気に引いた。馬の鼻先をジャンゴの方へとぴたりと向け、空から襲いかかるワシのように、一気に突っ込む。
「ジャンゴッ! もう終わりだ!!」
轟々と悲鳴を上げる大気を切り裂いて、クロセはジャンゴの横についた。線路を挟んで対峙すると、ジャンゴは微かにこちらに目をやり、乾いた笑みを口元に貼り付ける。
「あきらめろ! 死にたいのか!!」
「――――あんた、五メートルも走るのに苦労した経験、あるかい?」
「止まれって言ってんだよ!」
『
空気を裂くような、鋭い警笛の音。
ぎょっとした。あわてて振り返ると、黒煙を巻き上げ、水蒸気の
「なんなんだよ、あれ!?」
『新しい
ぐ、と車列の向こうのジャンゴを睨む。
「現実の俺は、矮小で
車列の向こうでジャンゴが何か叫んでいる。懸命に、そして誰に向けたものかもわからない憎しみを込めて。
車輪が線路を噛む音で声は聞こえなかった。だが、彼の覚悟だけは明確にわかって、息をのんだ。あの、目――――そう、この瞬間、今この瞬間にしか価値のない人間。
未来への希望など何一つない人間が垣間見せる、絶望と、固く踏み固められた意志――その輝きが、ジャンゴの目を
あの目には、見覚えがある。
『
コーディの声に引き戻される。
頭を振る。ダメだ、飲み込まれるな――――奴が真実を語っていたとしても、現実へ送り返すのがどれほど残酷だったとしても――このまま死なせる訳にはいかない。
今がどれほど絶望的だとしても、未来がどうなるかなんて誰にもわからない。それを自分は、知っている。あの男の可能性が消えていくのを、黙って見送るのは、絶対に、何があっても――――。
「ジャンゴッ!」
車列の間で一瞬垣間見えるジャンゴの顔へ、クロセは
「クソッ!」
「すまない、
ジャンゴは手綱を一気に引き上げる。馬は
「現実を生きられない俺を、許してくれ」
「――――待て! ジャンゴ!!」
ジャンゴはグレースを軽々と抱えると、失踪する列車に飛び乗った。馬よりも遙かに列車の方が速い。あっという間に離れていく客車に、クロセも後を追おうとする。
だがその瞬間、すぐ脇にあった列車からガラスがはじけ飛び、甲高い破砕音と共に破片がまき散らされた。遅れて轟く、炸裂音。
『――――三時方向、レッドスコーピオ!! 新手です!!』
くっと喉奥で毒づきながら、右手に目をやる。そびえる高い丘から、白煙を上げて駆け下りてくる影が見えた。なんなんだ、あの数――――無数にいる。奇声が轟き、目をこらすと、白と黒のペイントで顔を塗りたくった男達が、拳銃や小銃を掲げているのが見えた。
「――――ハーハハハハハァッ!!」
崖を駆け下りてきたレッドスコーピオ達は、駆け下りてきたすさまじい勢いそのままに、あっという間に横につく。一斉に炸裂音が轟き、男達の手元から白煙が巻き上がった。すぐ側をかすめた弾丸で、列車に無数の穴が穿たれる。めきめきと音を立てて剥がれ落ちた破片が、突風のように襲い来る。腕で顔を覆い、はじき飛ばす。
「――――邪魔だ、失せろッ!!」
ほんの四、五メートルまで迫った敵に
身をすくめながら、必死で応射する。だが、馬上の揺れと、互いに動き続けるこの状況で、ロクに狙いがつけ
腹に衝撃
「――――ッ!?」
『
内臓を貫くような鋭い衝撃が、背中まで突き抜ける。液体がほとばしる音がして、急速に半身から体温が消え失せた。視界の端で、凄まじい血しぶきが煙のように上がっているのが見えた。着弾のショックで全身の感覚を喪失。手綱から手が離れそうになる。一瞬、宙に浮いた身体を、だが奥歯で生存本能に食らいついて、耐える。
ひっくり返りそうになった上半身を、どう猛な力で引き戻し、馬の背にへばりついた。
『pk3振動値を調整します、意識を保って!』
背中からコーディの声がした。小さな身体が覆い被さってきて、彼女の手が手綱を握る。
霞む視界に赤い文字が滑り込む。無機質なフォントで、『オピオイド統制――エンドルフィン過剰分泌警告』と激しく明滅する。直後、真っ白な光の環がトンネルをくぐり抜けたように一瞬走る。
「――――はぁッ、はぁッ、はぁッ」
痛みが、全身を覆い尽くすような熱に変わる。なんとか身体は起こせた。冷静さも取り戻す。だが、熱の中心に目をやると、脇腹は血で装備がぬるぬると光っていて、馬の背中には血の滴りが川のように流れていた。熱い腹の感覚とは裏腹に、背中側は筋肉が硬直したような冷たさに支配されている。内臓ごとくりぬかれたか、肝臓が腸が潰れたか。着弾の衝撃は白黒映画で見たようなちゃちなものではない。弾丸は音速を超えて、大気に衝撃波の悲鳴を上げさせるのだ。そしてそれを受け止める内臓は、衝撃波が押し込む空気の圧に耐えきれず、メリメリと潰されていく。弾丸が肉を裂くよりも、それは深刻な問題だ。何度も発砲を受けてきたクロセだからこそわかる、物理運動の有り体な真実。実直で残酷な物理運動は、クロセから命を着実に奪っていく。
「クソ、やられる……!」
『
コーディが勢いよく腕をふる。併走するレッドスコーピオ達の周りに、突然青白い光の
『よく狙って!』
コーディの叫びに合わせて銃を突き出した。乱射しながらどんどん迫ってくる敵。その進行方向に突き出た
悲鳴が上がった。
血煙を上げて、次々と馬上から転がり落ちる仲間に、レッドスコーピオ達はわずかに動揺を見せた。先頭を引いていた、赤い羽を頭に巻いた男が指笛を鳴らすと、周囲のレッドスコーピオ達がさっと離れていく。
「追い払った!」
『違う! 前!!』
コーディの声にはっと視線を向ける。前方で何か、小さな黒い影が横切った。一瞬鳥かと思ったが、違う。影を投げやった二人の敵が、さっと身を翻して岩場の向こうに消える。跡に残ったのは、転々と転がる、火花を散らした――――
『ダイナマイト!』
「クソッ!!」
手綱を一気に引いて、両足に力を込める。渾身の力で馬に急制動をかけ、悲鳴のような
「――――ぐッ!」
『前方から来ます!』
戦闘本能が一瞬脳裏によぎらせた、前日の記憶――――砂塵の中から飛び出してきた荒縄に首を締め上げられた経験が、とっさにクロセの腕を伸ばした。
首に掛かった投げ縄を、掴む。
飛びかかる蛇のような縄を、ひったくるようにして掴むと、煙の向こうから凄まじい力で引っ張り返された。グローブが荒縄の摩擦に煙を上げ、灼けるような痛みが走る。この手の力を緩めたら、首は締め上げられ、馬から引きずり落とされる――――
「やったぞ豚野郎!!」
土煙が晴れると、汚い罵声が飛んでくる。首に掛かった縄の先は、馬上のレッドスコーピオに続いていた。真っ白に染まった顔に切り裂いたような笑みをつくると、男は縄を一気に引いた。首をへし折られるような衝撃が脊髄を駆け抜ける。だが今回はやられっぱなしではない。渾身の力を込めて引っぱり返すと、男は驚いて、馬の尻を蹴った。ゆるんでいた縄がピンと張り詰め、ふたたびクロセの喉を締め上げる。
「ぐが……ぎぃ……ッ!」
奥歯をかみ砕かんばかりに食いしばる。このままやられる訳にはいかない。
馬の鞍を蹴り、怒声を上げて列車に飛びついた。
窓枠になんとか上半身を飛び込ませると、ずり落ちそうになる身体を持ち上げる。
「しぶとい豚野郎が――!」
窓の向こうで、縄をたぐり寄せた男が迫る。焦れた顔で這い上がろうとするクロセを見上げると、腰の拳銃に手をかける。
「死ねッ!!」
男が引き金に指をかけた瞬間、クロセは窓の中に転がり込み、間髪入れずに首に掛かった荒縄を引き寄せる。
「――死ぬのはてめぇだッ!!」
「うぉ――――!?」
直後、男の凄まじい悲鳴が聞こえた。拳銃を引き抜いて窓から身を乗り出すと、バランスを崩した男が馬から転がり落ちるところだった。列車と併走する程の速度だ。男の身体は
「あ……あなた大丈夫?」
縄を窓の外に投げると、客車にいた客達がざわめいているのに気づいた。歩み出た貴婦人が近寄ってくるが、「うるさい」と押しのける。どこに行ってもNPC供が馴れ馴れしく寄ってくる。もううんざりだ。
「はぁッ、はぁッ、クソッ――――」
激しい動きで血を失いすぎた。指に力を込めようとしてもロクに動かせない。痛みは微かに弱まったとはいえ、傷や失血がなくなったわけではないのか。このままでは――――
「――ジャンゴと蹴りをつける」
霞む視界で、
『何するつもりですか――!?』
目をこらすコーディの前で、クロセは火薬を腹に塗りつけ、
引き金を引く。
喉から獣のような絶叫があがり、抑制されてもまだ噴出するような凄まじい痛みに、目玉が飛び出しそうなほど力を込めて耐える。腹にすり込んだ火薬が燃え上がり、傷口を焼き払ったのだ。
周囲で悲鳴が上がり、客室は騒然となる。
『何やってるんです!』
「あ、が……ぐ、ふぅ、ふぅ」
頭を振る。怯えるな、意識を捨てるな。痛みは嘘だ。失血も、何もかも、これは仮想体験なんだ――――頭を振ると、痛みの衝撃は残っていたが、霞がかっていた視界に色が戻る。
『大丈夫ですか……!? しっかり!』
「いいから……ジャンゴはどこだ!?」
奥歯をかみしめて顔を上げる。コーディは一瞬瞳をふるわせ、逡巡を見せた。だがすぐに、残された時間が少ないことを悟る。ウィンドウを取り出すと、通路の先を指す。
『前方の車列70メートル先でグレースと……ッ!? 伏せて!!』
巨大な羽虫が耳元をかすめるような音がした瞬間、周囲に黄金色の輝きが舞った。
ガラスの粉砕音、木製の壁から破片が飛び散り、恐れおののいていた貴婦人の頭が血しぶきを上げてはじけ飛ぶ。
とっさに身を転がす眼前で、客達が閃光に貫かれて次々と倒れるのが見えた。
『敵の機銃掃射です!』
毒づく余裕もない。血しぶきと閃光で埋まりそうになる視界をかき分け、這いつくばって移動する。客車のつなぎ目を渡り、何とか隣の客車に向かう。逃げ惑う客達の悲鳴で聴覚が埋め尽くされる。
なんとか身を起こして車列の向こうに目をこらす――――車列がカーブすると、先の客車の側面がよく見えた。
「――いたぞ! ジャンゴとグレースだ」
二つの客車を挟んだ先で、二人は窓から身を乗り出して、屋根に手を伸ばしていた。逃げ出す気か――――そうはさせない。弾丸の雨あられに目をこらし、再び四つん這いで先に
窓が割れる音。
眼前に、火花を上げるダイナマイトが転がってきた。
「――――ッ」
もはや「機関銃に撃たれるかも」などと
衝撃
一瞬視界が閃光に染まり、背後からたたきつけられた爆風に重力を失うほどの力で吹き飛ばされた。へしゃげた背骨がミシミシと音を立て、聴力は甲高く耳障りな音で埋め尽くされる。受け身などとれるはずもなく、ただ視界が二転三転するのを見送るしかない。平衡感覚は振り回され、客席の屋根を二度三度と見上げると、手足の方向すらわからなくなった。衝撃で吐き気すらする意識を無理矢理に引き上げ、身体を持ち上げる。振り返ると、ついさっきまであった背後の客車は、オレンジの爆炎と共に空き缶のようにへしゃげて、あっという間に彼方へと吹き飛ばされていくところだった。
『――――ターッ! ――です! イジェ――』
視界に突然、コーディが回り込んできた。何事が叫んでいるが、たわんだ聴覚はくぐもった音しか伝えない。顔をしかめて、彼女の声に何度も耳を凝らしていると、バッと彼女は背後を指さしてくる。振り返ろうとする。
ナイフを掴んだ太い腕が、首に絡みついた。
背後から羽交い締めにされた。冷たいナイフの切っ先が喉に触れた瞬間、とっさに左右に暴れて切っ先から逃れようとする。赤い羽根を頭につけたレッドスコーピオの男が、目を剥いてナイフを突き立てようとしているのが見えた。
必死に暴れた。わずかに拘束がゆるんだところで、男の太い腕と喉の間に左手をねじ込む。その手と、右手を握って合わせた。両腕で三角形を作って男の腕を挟み込み、てこの原理で引きはがす。
関節を極められた男が悲鳴を上げる。
全力で男を押しやり、振り返ったところを銃床で殴りつけられた。
眉間が割れ、血がどろっと視界に流れ込む。
半分赤く染まった視界で、拳銃を手にした男が、崩れた体勢を立て直そうとしているのが見えた。至近距離。とっさに右の肘打ちを放つと、男の鎖骨に肘がめり込んだ。
めき、と太い枯れ木をへし折ったような感触。
即座に左腕で相手の喉を押さえ込み、怒声と共に壁へ叩きつけた。客席に何度も打ち付けながら、互いにもみ合いになる。何度目かのボディーフックを決めたところで、突っ込みすぎた上半身を上から掴み上げられた。力任せに持ち上げられ、床にたたきつけられる。
「――――クソガキがぁ、手間ぁ取らせやがって」
男が拳銃を拾い上げ、銃口を眉間に押しつけてくる。もうろうとする意識の中、しかしもはや次の一手は浮かばず、差し迫った死の瞬間に身体がこわばる。
発砲音
目をそらした頬に、生暖かい液体が飛び散った。まだ意識が失われていないのに気づき、はっと顔を上げる。男の顔がぴくぴくとうごめき、直後、ばっと振り返った男が銃を発砲。だが吹き飛んだのは、男自身だった。背中から血を吹き出し、もんどり打って倒れ込む。
客車はカーブにさしかかっていた。立ち上がって、通路の先を見る。通路口からは、隣の客席が切り取って見えたが、次第に列車がカーブを抜け、直進にもどると、ゆっくりと、本来の"通路の先"が戻ってくる。
拳銃を構えたジャンゴが、グレースを背に、こちらを見つめていた。
「――――ジャンゴォォォッ!」
とっさに膝立ちになったクロセが、腰の裏の拳銃に手を伸ばす。ジャンゴはカウボーイハットのつばをつまむと、微かに持ち上げた口元を隠すように顎を引き、手にした拳銃をホルスターに戻した。
「
返事はしなかった。片膝をついたまま、指先の感覚を、腰裏のホルスターに収まる拳銃へと結びつける。
「
「お前の、泣き言には、もう、ウンザリだ……ッ!」
クロセの声音は固かった。
「五メートル走れないから何だってんだ……俺は……俺は……」
傍らについたコーディが、一瞬目をやる。うつむいていたクロセは、犬歯をむき出しにして顔をあげ、
「お前の現実がどれだけ悲惨かなんて、知った事か。今、ここで、俺と――勝負しろッ!」
ジャンゴはわずかに言いよどみ、その顔へ向けて、クロセは言葉を吐き連ねた。
「俺は……俺はまだ、あきらめてないんだ――ッ!」
ジャンゴは、ふっと、諦観じみた笑いを吐いた。
「……あきらめてない、か」
太い顎をどう猛に持ち上げると、ゆっくりと腰を落とす。ジャンゴの筋張った腕が、わずかに浮かび上がる。見えない糸で腰のホルスターと結びつけたように、中指が、痙攣する。
『今、オーバークロックを――』
「黙ってろ!」
コーディの慌てた声を、クロセは怒声で遮った。その目は瞬きも忘れ、ジャンゴの
『ですが――』
コーディの言葉はもう途中から聞こえなかった。両腕を浮かせたジャンゴの身体は、グリズリーのように巨大に見えた。身体から立ち上る熱気が、はっきりと目に見える。ハットの下にわずかに隠れた灰色の目が、虚空を見つめていた。神経が研ぎ澄まされ、見てくれも何も構うことなく、光を失った死者の目を、ただ一点に研ぎ澄ます。
今
引き絞った弓が放たれる。腰裏のリボルバーに中指を飛ばし、グリップを引っかける。引き抜きざまに腰をひねり、持ち上げる銃口と、ジャンゴの巨体を一直線に結びつける。中指で操られる人形のように、拳銃は手のひらの下で鎌首をもたげる。
跳ね上がる銃口の先で、ジャンゴはすでに銃を持ち上げ、腰元で銃口を跳ね上げていた。ジャンゴは笑っていた。枯れ果てていた闘争本能が獣のように口元を持ち上げ、標的へを得た喜びに震えている。
炸裂音
舞い上がった銃火は火花を散らし、視界をオレンジに染め上げた。大気を熱でゆがめて、弾丸が飛翔する。二つの手から放たれた二つの弾丸が、互いを見交わすように交差した。直後、衝撃で光景が一瞬で流れ、身体は制動を失って後方へと引きずりたおされた。
「
背中をしたたかに打ち付けた衝撃で、意識が飛びそうになる。頭を振って、肘をついて身体を起こす。衝撃がこめかみをかすめていた。頭蓋がきしむ音を聞いた気がする。だが、それでも、まだ、死んではいない――――
「ジャンゴ!」
すがりつくような声を上げて、グレースが床にへたり込んだ。見ると、仰向けに倒れたジャンゴが、通路の扉に背を預けている。グレースはジャンゴの肩を掴むと、震える手で顔を撫でた。
クロセは立ち上がった。
一足先に死体になりはてたような重い身体をひきずって、ジャンゴへと歩み寄る。
近づくことに、鮮やかな血の色が目についた。ジャンゴは腹を押さえ、顔を持ち上げる。首に力が据わっていない。ぐったりと、背後にあずけるように、灰色の相貌がクロセの目を射貫いた。
「……最後に、悲しませちまったな」
胸の上で泣きじゃくるグレースの頭を、ジャンゴは赤く染まった手のひらで撫でた。クロセを見上げると、またニヒルな笑いを浮かべてみせる。
「お前の、勝ちだ」
クロセはじっと、彼の笑みを――薄ら笑いをにらみつけていた。
自分の放った弾が、当たっていないことくらい、クロセにだってわかっていた。
数瞬、時をさかのぼれば、列車内でレッドスコーピオに撃たれかけた時――――あの時、ジャンゴに振り返ったレッドスコーピオは、一発撃ち放ってから、ジャンゴに撃ち倒されていた。決着はあの時、もう、ついていた。
「お前、なんで――」
そこまで言って、口をつぐんだ。この質問には、全く意味がない。意味があるのは、ジャンゴは倒れ、クロセはそれを見下ろしている。その事実だけだ。
ジャンゴの胸から顔を上げたグレースが、絞り出すような声をあげてクロセを責め立てた。その顔は、酸をかけられたような醜い跡があった。引き剥がれた皮膚の下にあった、"砂嵐画面"が、彼女の泣き顔の向こうから漏れ見えていた。
クロセは撃鉄を上げた。
「……バカな男達に」
ジャンゴがこの世界に残した、最後の笑みに向けて、引き金を引く。
炸裂音と絶叫に背を向けて、クロセはその場から離れた。
拍車のついていたカウボーイブーツは真っ黒な軍用ブーツに変わり、デニムの服は墨を塗りつけたようなタクティカルベストとカーゴパンツに姿を変える。
顔には、ガスマスク。
振り返った背中で、レインコートが大きくたなびく。
疾走する列車の車窓は一瞬にして暗闇に塗りたくられ、古き良き時代は破棄され、後には暗闇が残るだけ。
世界は暗転し、ゲームの電源は落とされる。
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