【中編】


百合花の塔グラス・リリィ






あなたがもし、国際空港から降り立ち、無軌道バスレスレーンに乗って都心に向かっていると、群れなして建つビルから一際異彩を放つ、コバルトブルーの巨大な花弁を目にすることになる。




高さ600メートルのその立ち姿は、綺麗と言うよりは人間の街を侵略しにきた植物兵器のよう。やや不気味にすら映る。しかし、その外連見たっぷりなたたずまいは、外国人に大受けらしい。今や立派な観光スポットだ。


グラス・リリィの愛称にふさわしく、全面ガラス張りで出来ているが、光の透過率を見た目に反して低くする素材を使っているため、光があちこちに反射してまぶしいという事もない。大戦時代の技術らしい。


特に花弁が開いた形の屋上テラスは、透過ディスプレイの屋根が設置されていて、屋根から見上げても空から見下ろしても、何もないように見える。しかし見上げた空の光景は、実際にはディスプレイに投影された映像で、その逆もしかり。ドーム状の屋根を閉めれば、雨模様でもテラスからは快晴の空を望めるというわけだ。もちろん、大戦時代の技術である。何に使われていたのかはお察しだ。



----かっちゃかっちゃかっちゃかっちゃかっちゃ



「……あのさぁ」



快晴の空の下、テラスにはさわやかな色合いのパラソルが並んでいる。

その一つ、白い丸テーブルに肘をついて、クロセはぼんやりと向かいの席を眺めていた。



----かっちゃかっちゃかっちゃかっちゃかっちゃ



「なんでコーディがいんの?」



----ことん、



と、彼女は常に一定のリズムを刻んで口に運んでいたパフェを、テーブルに置いた。

アーモンド型の大きな瞳が、こちらをじっと見つめている。



「まるで私がここに来ちゃいけないみたいな言い方ですね」



当然の疑問を口にしたクロセに、彼女の返事は鉄のように固く、冷たかった。

日の下でみる彼女の瞳は、いつもより精気が宿ってきらきらとしている。その分、妙な迫力があった。眉をつり上げるわけでもないのに、何か、やたらと冷たい感情を訴えかけるような。

口の端に、パフェのチョコがついているが、まったく気づいている様子がない。



「いや、そんなこと……」



クロセはくちごもった。現実で再会した彼女の表情は、アウターワールドよりも変化が微妙でわかりにくい。しかし長いまつげがゆっくりと動いて、二重のまぶたがなめるように瞳を上下しているのを見ると、なぜか妙に胸がざわざわした。


……怒ってるのか?



----かっちゃかっちゃかっちゃかっちゃかっちゃ



コーディ手はしなやかだが小さい。再びスプーンを上下させる。機械じみた正確さで、華やかに彩られたパフェが削られていく。

しかし正確なのは動きだけで、テーブルマナーはかなりいい加減だ。

グラスが踊るような音を立てているし、ドレスシャツの裾も少しぬれている。高そうなシャツなのに……


彼女は白いドレスシャッに身を包んでいる。 セーラー服のような襟をしていて、そこだけスカートと合わせた鮮やかなライトブルーだった。下地の白によく映えている。

表情も変えずにひたすらパフェをほおばっていなければ、品の良さそうなお嬢様が下々生活でも眺めに来たように見える。



「……頭いたいの」


ひたすらぱくぱくと口を動かしていた彼女がぴたりと止まり、危険を察知した猫みたいにぶるると震えている。


「いえ」


きびきびとした答えが返ってくる。が、足下に風を感じたので、ふとテーブルの下をのぞくと、ウエストをきつく締め上げるロングスカートが、ひらひらとゆれていた。ブーツがばたばたしているのが見える。冷たい物を一気に食べるから……呆れて、思わず半口を開けてしまった。



「うそつけよ……落ち着いて食べなって」


「嘘とかじゃありません」



表情は憮然としていたが、パフェの山を削るスピードは落ちない。ブーツを履いた脚は、次第にゆっくりと、ぶらぶらとした動きになっていく。やたらとウエストの細いコバルトブルーのロングスカートが、初夏も過ぎた頃の風にひらひらと揺れる。



「(……変わったスカートだな)」



スカートの裾に、白い革ベルトがいくつか、鋲で打たれている。スカートが広がって野暮ったく見えないようにデザインしてあるらしい。凝った意匠デザインだ。特別製オートクチュールという奴ではないだろうか。いつ用意したのだろう? いや、それもそうだが、なにより……



「髪、いつ切ったの」



朝病室に顔を出したときはおどろいたものだ。腰ぐらいまであった髪が、ばっさり短くなっていたのだ。


肩に触れるくらいの軽さになった髪は、風に吹かれてさらさらと揺れていた。



「いいじゃないですか、いつでも」



とりつく島もない。先ほどの失言がよっぽど効いているらしかった。



「だからさ、俺がいいたいのは……コーディはまだ入院中で」


「外出許可はもらいました。問題はありませんから」



ソプラノのかわいらしい声で、ぴしゃりと言ってのける。

言いながらも、スプーンを動かす手は止めないのだからたいしたものだ。



「いや、問題って……」



コーディが座っている車いすを見やる。朝呼び出されて病室につくと、看護婦さん達があわてて用意していたものだ。バッテリーも空だったし、音声認識トークサポートも、自立補助スタンダップ機能もない。やたらと重いだけの旧式だ。


それを押して歩くクロセの労力を別にすれば、たしかに何も問題はないと言える。



「俺はただ、コーディの体を心配して」



からからと、空っぽのパフェグラスに放り込まれたスプーンが、やや乱暴な音を奏でた。


言い訳じみた言い分を口にしていたクロセに目もくれず、彼女はすらりと伸ばした背筋を、深く車椅子に腰掛けなおした。肘掛けに身体を傾けると、なんと頬杖をついて、じっくりとクロセの顔を見定めるようにながめ、



「へぇ……」


…………。


最近、同じような扱いをされた気がする。


加えて、彼女の口角はほんのわずかだが持ち上がっている。「言っとくけど、あんたは私の手のひらの上で踊ってるだけなんだからね。なんでもお見通しなんだからね」と半分閉じた目が威丈高にそう言っていた。飛び立とうとしたカゴの鳥の、首根っこを引っつかんだような面構え。



「彼女は『遊びに行こう』と言ったわけですよね」



尋問するような調子だ。一応、最善と思われる"無言でうなずく"という手段を選んだ。

日和と出かける話は朝しておいた。コーディが外に連れて行ってほしいと言い出したからだ。困りつつ日和との事情話すと辺りの空気が張りつめていくのがわかった。なんだ? とその時は妙な緊張感に表情を強ばらせた。


実際は周囲の看護婦たちが息をのんでいたからなのだが、クロセはいまだにその理由に思い至っていない。誰が彼女の髪を切ったのか。誰が彼女を"おめかし"したのか。どうして慌てて車いすなど用意していたのか。

その辺の恨みをこめるように、彼女はクロセの話をみなまで聞かずに言ったのだ。『いいですね。私も行きましょう』。


彼女は今、鼻を鳴らして



「遊びに行く友達が増えたら、さぞ喜ぶでしょう」



そう、か……なぁ……



はりきって同意できないところが、苦しいところだ。喜ぶような気もするし、あとで病院の裏庭に呼びつけられてパンチの一つでもいれられそうな気もする。最近の日和は、なんというか、距離感が近い。団子虫を転がす気分でパンチくらい平気でしてきそうに思える。


はっとした。


黙っていると、彼女の大きな目がじぃっと顔を見つめていることに気づいたのだ。なぜか妙に焦ってしまう。とりつくろうような言葉が出てくる。



「あぁ--おかわりする?」



言いながら、するわけねーだろ、と冷静な自分が言っていた。



「はい」



するのかよ。



「この、メロンのやつ」



メロン……。

コーディがディスプレイテーブルを指す。タッチパネルになっているテーブルには、でかでかとしたマスクメロンが、グラスに恨みでも込めるようにグサグサと突き刺さっているメニュー写真が表示されていた。

「まるごとパフェ」シリーズでも一番"どデカい"とあおり文句がかいてある。

パフェにつけるコピーとして"どデカい"というのは適当なのか。



「……おいしいの」



もっくもっくと、表情も変えずにほおばる彼女に、クロセはたずねてみる。メニューにいつわりなし。まるごとメロンパフェは"どデカ"かった。コーディの顔は小さいが、それよりデカいというのはパフェとしてどうなのだろうか。



「雰囲気が……」



かちゃん、とスプーンを止めたコーディが言った。



「……雰囲気が、いいです」



……なんだそれ。


とクロセは思ったが、まぁ確かに、雰囲気という面ではここはよかった。屋上テラスは晴れている時は吹き抜けの構造で、初夏の風がさわやかに吹いている。


テラスの縁に目をやると、都会の街並みがミニチュアのように小さく見えて、ずっと向こうに、青い海と広大な空が広がっていた。


遠くをのぞんで物思いにふけっていると、どこからかクラシック音楽が流れ出した。



『百合花の塔、テラスカフェにお越しいただきありがとうございます』



合成音声のガイダンスが、かしこまった声を流す。

不意に辺りが薄暗くなり、見上げると、快晴の空が真っ暗なディスプレイに変わった。そう言えば、見えないから忘れていたが、この空は合成映像だったのだ。暗転したディスプレイを引き裂くように、轟々とエンジンを轟かせる、流線型の戦闘機が飛び込んできた。快晴の空を駆ける、勇ましい映像が流れる。




『本日正午より、日本航空防衛軍により、タリホーフェスティバル記念航空ショーが予定されております。航空防衛軍の誇る戦闘機"Fーi3"の勇姿を、間近で、大迫力でごらんいただけます。ご観覧をご希望のお客様は、屋上テラス席までお越しください』



「一口、食べますか?」




急に声をかけられた。見ると、コーディが、長いスプーンにのせられたクリームを塊を差し出している。



「……あのさ、お前、それって」


「はい」



背の低い彼女は(150cmくらいだろうか? ヒールのついたブーツを履いてもまだつむじが見えるくらい)、テーブルに身を乗り出して、ぐい、とスプーンを口元まで運んでくる。


う、とクロセはうめいた。彼女のつやつやした黒髪は、つむじの辺りで陽光を照り返し、"天使の輪っか"を作っていた。その頭が持ち上がり、下からくりくりした目で見上げてくると、「はやくたべろ」、とばかりにスプーンを押しつけてくる。周りのお客が映像に気を取られてる間に食べさせようとしているのがありありとわかった。クロセは閉口するしかない。いくらなんでも、恥ずかしすぎる……



『アウターホリック警告』



ぐいぐいと"おすすめ"してくるコーディと無言の格闘をしていると、急に二人の間に赤いウィンドウが滑り込んできた。


アウターホリック?


もう耳にもしたくない単語だった。もはやずっと遠く、縁遠い存在とすら思っていた単語。すっかり穏やかな空気にほだされていたクロセは、ぽかんと空白の表情をした。


無表情だったコーディの顔が、赤い明滅に照らされる。

大きな目をぱちくりさせて、それからす--と、目を細めた。真っ赤なウィンドウに流れる文章ですらない数字の羅列に目を凝らすと、瞳の奥で光がちらちらとシャッターを切った。



「……アウターホリッカーです」



……は? と立ちあがったクロセの前で、コーディは鋭い視線を街並みへとそそいだ。青い空に、そこに何かが見えるように目を細める。



「信じられません……F-i3のパイロットです」


「Fーi3って--ここに飛んでくるやつか?」



コーディの動きはすばやかった。

まるでそうすることが義務であるかのように、彼女はあっというまにウィンドウを表示させ、次々と操作していった。暗闇の中で、青白いウィンドウに照らされた彼女の目が、輝く。



「航空自衛軍も事態を把握しています。これは誤報じゃないです。都心部での撃墜における被害予測を"アース・スリープススパコン"に概算させています」


「撃墜?」



突然の事態にクロセは思わず半笑いになった。日常に聞き覚えのない単語を次々ぶち込まれる。困惑するしかない。

だがコーディがこちらを見下ろしたとき、ふいに汚泥のような、嫌な予感が胸に流れ込んできた。

彼女の目は、アウターワールドでの張りつめた瞳と、同じ目をしていたのだ。




『お客様に、お知らせします』



不意に、戦闘機の映像が途切れ、薄暗い帳がひきはがされた。明るい陽光がテラスを照らし、空はのんびりとした青空に変わった。



『----誠に、恐縮ではございますが、当館は、ただいまを持ちまして、閉館させていただきます』



唐突に流れたアナウンスに、客たちがぽかんと顔を上げた。



『大変、強い勢力を伴った積乱雲が、当館上空へ、到達することが、予想されています。安全のため、お客様には、大変ご不便をおかけしますが、当館外にまで、職員の案内に従い、ご退出いただきますよう、よろしくお願いします』



つい今しがた、航空ショーをご覧くださいとのたまっておいて、数分もおかずに帰れと言い出す。わけのわからない急な手のひら返しに、不平不満がのうだるような声が広がった。

客たちはしぶしぶと席を立ち、ただ二人、座ったままのクロセ達の周りで帰り支度を始めた。のんきな顔で「あとで航空ショーやってくれるかな」と母親に話しかける子供が、傍らを通り過ぎていく。



「パニックを防ぐためでしょう」



コーディがぽつりと口にした言葉で、ようやく背筋がぞっとした。


悪い冗談に思えた「撃墜」の言葉が、急に現実みを帯びる。

その時、上空を横切るジェットの轟音が聞こえた。都心部ではあまり聞き慣れない音に、周りの客達も空を見上げた。大きな入道雲の向こうで、いくつもの機影が駆け抜けていく気配がした。



「要撃機が向かっています」


「要撃って……なんだそれ」


「コントロールを失ってこちらに向かってくる戦闘機を、撃墜しに行ったという事です」


「げきつ--東京東京に撃ち落とすつもりか!」



彼女はウィンドウに目を細める。女の子らしい雰囲気は消し飛んでいた。ただ情報を分析する、冷たい瞳があるだけだ。手にしたタスクウィンドウは、周囲100キロメートルの 町の様子が立体表示されている。赤い航路ワイヤーが、クロセたちの現在地を示すサークルに飛び込む。真っ赤なドーム型の光が広がり、怒濤のようにカウントされる数字が浮かび上がった。



「被害予測を鑑みれば、撃墜命令を下せる高官はいないと思われます。たぶん……どうすることも出来ずに、意識を失ったパイロットごと、ここに墜落する」



冗談じゃない。

クロセはコーディが座っていた車いすを反転させた。



「きゃっ!」



彼女が悲鳴のような声をあげたが、かまうものか。円錐状になったテラスの中央にある、エレベーターへと直行する。



「待ってください!」



コーディの声音は強気だったが、車輪を押さえた手は入院患者らしく、か細かった。



「 パイロットを排出イジェクトしないと--」


「ふざけんな!」



とにかくコーディを安全な場所に連れて行く。

それしか頭に浮かばなかった。

彼女を思いやるだとか、そういう道徳的な感情ではなかった。切迫した危機に瀕して、混乱しているという方が正確だった。絶対に傷つけるわけにはいかない人が、今目の前にいるのだ。そして今、姿の見えない危機が目前にまで迫っている。行く手をふさぐ人混みを、我先にとかき分けて、彼女を真っ先に外に出さなくてはと、それしか考えられなかった。



「待って!」



か細い手には、クロセが全力で押す車輪を止められない。

だからその手は、彼の手首を握りしめていた。



「--わたし達にしか、できないことです」



顔を上げた目は、瞳が鋭く細められていた。ついこの間まで、いつ目覚めるとも知れない眠りについていた目。いまやその人身は押し開かれ、アウターワールドで、切迫した状況と対峙したときとまったく同じ目だった。病室でいつも眺めていた彼女の穏やかな寝顔が、急に脳裏に浮かんだ。

いまさらになって思った。

手、握っておけばよかった。



「ずっと一緒にいると言いました」



今それを持ち出すのか。

あまりにずるい、とガキみたいな思いが脳裏を駆け抜けていった。

しかし、彼女が自分を見つめる目は、言葉の力強さとは裏腹に、親の手を離してしまった幼子のような瞳をしていた。同時に、さらにその奥では、身じろぎもしない輝きが光を放ち始めている。



「……くそっ」



彼女が、見た目に反して恐ろしく頑固なのは、よく知っているつもりだった。いつも強引に、こっちの都合などお構いなしに手を引いて、アウターワールドにたたき込む。今はこっちを説得しようとしているだけ少しは意識が変わった方だ。それでも、自分だけでも行くとでも言い出しかねない雰囲気が、華奢な体から陽炎かげろうのように揺らいでいる。



「もういい……俺が行く。けどコーディはこのまま外に出ろ。それから」


「時間がありません」



コーディは素早くウィンドウを起動すると、枠の中を走り抜けていく文字列を猛烈な早さで操作していく。



「このまま行きます」


「わがまま言うなよ!」


「わがままとかじゃ、ありません!」



細い喉のくせして、張り出した声はものすごい迫力だった。一瞬気圧されて、クロセはそれでもぐっと身を乗り出して、



「アウターホリックに巻き込まれたら、お前は今度こそ死ぬんだぞ」



当たり前の事実だったから、コーディは返事もしなかった。そんなことは知ってると思っているのだろう。でもわかってない。それがどれだけ重要なことか。どれだけ自分クロセにとって、残酷なことなのか。



「コーディッ!」



コーディは凛とした瞳を、まっすぐにクロセに突き刺していた。薄い唇が、小さな声を漏らす。



「私だけなら、できます」


「なに?」


「私だけなら……アウターホリッカーの死に巻き込まれず、ログアウトできます」



嘘だ。すぐにそう思った。煮え切らない目の前の男を引きずっていくための嘘にしか、思えない。



「初めて聞いたぞ、そんなこと」


前任者おじいさまが亡くなった時、私は彼に排出イジェクトされたんだと思います」



一瞬、一体いつの話をしているのかと混乱した。ふいに、彼女と初めてあったときのことを思い出す。祖父が死んだ夜のことを話しているのか?



「おそらく、データ上の私はホスト元に管理されていません。つまり排出者イジェクターの死と私の死は連動していない……そうでなければ、前任者おじいさまが亡くなられた後で、私が生存している理由がありません」


「おそらくってなんだよ……確証のない話なんだろ!?」


「ログアウトの弊害で私の記憶は一部混雑したんだと思います。当時の記憶は衝撃しかないんです。確証は……たしかにありません。でも」



その先を彼女は口にしなかった。じっと見据える目には、申し訳なさと固い意志がない交ぜになっていた。彼女の言葉は、いつもと違ってあやふやで、自分自身も迷っているような節がある。彼女が思う真実を、なんとか言葉にしようとしているように思える。

でも、彼女の言っていることが本当だとして、それで危険な目に合わせる理由になるか?



-- --私たちにしか、できないことです。



毒突きを、奥歯の間でかみしめた。

迷っている時間はなかった。



顔も知らない誰かのための、正義のヒーローになるのは、もう絶対にごめんだった。

賭けるのは世界の命運などではなく、自分と彼女の命なのだ。世界なんてどうなったっていい。知ったことか。


でも、彼女はそうではない。

二人なら、絶対に出来ると思っている。


そういう目をしていた。バカな奴だとしか思えなかった。二人が生き残ったのは、すべて運命の気まぐれな取り計らいで、実力でも努力でもない。ただ二人が、あの場所にたどり着き、命を懸けて、互いにいよった。手を取り合い、命を振り絞って敵を撃った。その結果にすぎないのだ。


彼女はあの奇跡を何度だって起こせると信じている。

なんて、馬鹿な奴なんだ。

心の底から、そう思った。



「……やばくなったら、俺がお前を排出イジェクトする」



結局、その馬鹿につきあったのは、格好をつけるためでもないし、顔も知らないアウターホリッカーを助けたいからでもなく、ただ、彼女が瞳で燃やす信頼の熱を、裏切りたくない、ただその一心が絞り出した言葉のせいだった。

口に出してしまってから、自分の愚かさに自分を殺したくなる。それでも、彼女はわずかに瞳の色を変化させた気がした。


自分の信じた物が、確かにを、喜んでいるのがわかった。



「絶対に、そん時は抵抗するなよ! いいな!」


「クロセさんこそ」



この間際で、眉根を押し上げて、彼女は瞳に力を込めた。



「ぜったい、死なせませんから」



一陣の風が吹き、辺り一帯が暗闇にちる。彼女が"一生懸命選んだ"服は暗闇にはぎ取られ、真っ黒なスーツと、真っ黒なキュロットスカート、それに真っ黒なコートが、その身を包み込んだ。

体力がなくて立ち上がることすら出来なかった体が、宙に浮き上がる。

うつむいていた彼女が、顔を上げる。


コバルトブルーの、透き通るような瞳。



「インサート」



彼女の伸ばした指の先を、クロセはじっとにらみつけていた。

絶対に、ここに帰ってくる。彼女を連れて。

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