【中編】




横たわるコーディの体は、神聖な生けにえのようだった。


長机から垂れる手を握ると、かつてえられたときと同じように、ひんやりとしていた。

それでも、細い指には柔らかさが残っていて、ほんのわずかだが指先から熱が伝わる。

胸の奥に温もりがにじんだ。



「彼女は目覚めません」



長机をはさんだ向かい側で、麻戸は鉄のような声を吐いた。

クロセは片眉かたまゆをつり上げ


「あんたは知らないかもしれないけど、最近は手が動いたり、寝返りを打ったりするんだ。……ていうか、今までどこ行ってたんだよ。 こっちは死んだと思ってた!」


「次なる脅威きょういそなえていました」



麻戸の返事は明確だった。クロセは目を細める。

よく見ると、麻戸の目の下にはいクマができているし、白髪の量も増えている気がした。



「脅威って……」


「アウターワールドはサーバーを失ったのに、わずかながらの運用停止期間をもうけたのみで、いまだ運用を続けています。規模は確かに縮小したかも知れません。ゲームから受ける感覚受容フィードバックは一部制限がはかられましたから。しかしそれも一時的なものでしょう」



クロセはぎょっとして



「運営って……アウターワールドをまだプレイしている連中がいるのか!? あんなことが起きた直後なのに」


「直後ではなく三ヶ月経っています」



麻戸の声はいやに冷静だった。



「そしてどんなに急迫きゅうはくの事態が迫っていようと、自分に無関係だと思っている層は一定数います。V-tecLIfe社は集団アウターホリックの原因を『一部プレイヤーの暴走』によるものと喧伝けんでんしていますし、そのやり玉に挙げられているのはイジェクターです」


「は……なに?」


そんな無茶苦茶があるかよ、とクロセは唖然あぜんとした。しかし麻戸が見せつけてきたウィンドウには、イジェクターを非難バッシングする声にあふれていた。街頭インタビューや空飛ぶクジラモヴィークラウド識域下無意識アンケートの結果がずらずらとグラフ表示されている。好き勝手言ってくている。



「情報の伝達速度でんたつそくどが十年前とはけた違いです。アナクロな生活を送っていたクロセさんには意外に思われるでしょうが、三ヶ月という時間は人々に大災害の衝撃しょうげきを忘れさせるにはもう十分な時間にあたるのです」


「あたるのですって……」



クロセはかぶりを振った。世間一般というものがまったく理解できない。現実の速度に追いつける気がしなかった。タイムスリップした浦島太郎はどうなったんだっけ、と虚脱きょだつした自意識がひとりごちる。



「……ていうか、アウターワールドが運用されてるって事は、また新しい生きた機器サーバーになった奴がいるってことかよ」


「それを調べていました……いえ、それだけではありません。脅威にはキリがない。一つの脅威が終われば、次なる脅威が目に見えないところで牙を剥いている。そういうものです」



そう語る麻戸の目は、確かに目に見えない脅威に対して鋭く細められている。永遠に続く奈落ならくの底に目をらしているようにも見えた。はたから見れば、それは妄執もうしゅうとしか言いようのない、狂喜にとりつかれた者の見せるかがやきにしか見えない。



「……なぁ、ちょっと……落ち着けよ」



世間の潮流ちょうりゅうに対して違和感を抱いていたのは、実際にその流れを見つめていた麻戸の方なのかも知れない。と思いついたのは、なんとか慰めの言葉をこしだした後だった。



「平和な生活の裏で、様々な危機が渦巻いていることを私たちは知っていますが、それでもなお、平和という仮想的ヴァーチャルな世界観から私たちは目をそらすことはできない」



クロセの言葉を遮るように放たれた麻戸の声音は、老齢であることを感じさせない程、力強く、熱がこもっていた。



「世界中が毎年終戦記念を迎えて、過日かじつの脅威を振り返り、過ちを"反省"しているのに、この世界から武力闘争がなくなった日がありますか? この世界にはえ、不公平を感じている人々がいつもあえいでいるのです。彼らのとなりには、軽く指を引けば誰かを傷つけることができる手段がいつだって転がっている。憎むべき人がいる時に、紙切れ一枚渡せば武器が手に入る状況にあれば、誰だって武器を手に立ち上がることを考えるでしょう。そしてこれは、飢えとは無縁となった、この国を含めた先進国においても同じ事です。毎日食べるものがあり、帰る家があって、死の危険は隣になくとも、貧しさや寂しさ、息苦しさにあえぐ人々が、大勢いるんです。



あるいは。


あるいは麻戸は、自分に何かを気づかせようとしていたのかも知れない。低く押さえられた声音は、冷静たろうという理性によるものではなく、ただ事実を淡々たんたんと述べていたからそうなったに過ぎないのかもしれない。


彼にとっての--あるいは、彼と同じような道アウターウォーを歩んできた者達にとっての、当たり前に過ぎる事実を。


ヒリヒリするほど、麻戸の言葉には鋭さがあった。狂人がうたう終末論よりは、吐き気がするような"実感"がこもっていた。


麻戸の精神状態は見るからに問題があった。枯れ木が幽霊に見えるような精神状態に見える。麻戸自身がかつて語っていたとおり、麻戸は"敵"の姿を見るや、それ以外が目につかなくなる節があるようだった。

かつてそのような精神状態にあった結果、麻戸は……


クロセは麻戸の刺すような視線から目をそらし、変わりに胸元に手を突っ込んだ。



「……これ、返すよ」



麻戸は差し出された銀色のロケットに、微かにまぶたを押し開いた。

傷だらけの指でそれを撫でると、手に取る。



「大切なものだったんだろ」



クロセはじっと、彼の所作を見つめていた。麻戸はふたを開け、そこに収まっている幼い女の子の笑顔を見つめる。

燃えさかる車の中で、麻戸が投げてよこした物だった。

そこに収まっているのは、幼いコーディの姿だ。



「どうも」



麻戸の返礼はあっさりとしたものだった。しかし、その目はロケットの写真から逸らされていない。

ようやく視線を動かした後は、コーディのロウのような寝顔を見つめる。


「別人のようです」


その声からは緊張感が抜け落ちていて、自室にこもった男がつぶやくひとりごとのようだった。


「……そうか? 俺には同じに見える」


クロセもまた、コーディの寝顔に視線を注いだ。ここ三週間、一日の大半をかけて眺めてきた顔だ。

それでも、見慣れることはなかった。同じ時間を過ごしたとき、彼女は無表情に見せかけて、そのじつ、呆れるほどにコロコロ変わっていた。無表情の鉄仮面ですら隠しきれない程、彼女は感情豊かだった。

ロケットの中で、花のような笑顔を見せる少女のように。



令音レーネです」


「え?」


唐突に言われた。レーネ?


「彼女の--私の娘の、本当の名です」


令音レーネ


コーディの顔を見る。なんだか違和感があるようで、それでもなんとなくすっと胸の内に落ちるような、妙な感じだった。



「……"私の娘だったころ"の令音は、甘えん坊で、そして、大人がぞっとするほど、聡い子でした」



"私の娘だったころ"

その物言いは、どうにも自分を断罪しているような調子が含まれていて、クロセは眉根を寄せた。



「母親が死んだ日、あの子は泣きました。その翌日、私が家に帰ると、彼女はベッドで眠っていました。壁の方を向いて、私には背を向けて。しばらく私はベッドに腰掛けていました。あの子を起こすべきでした。でも、私にはできなかった。母親が死んだ原因は、外側戦争アウターウォーに荷担した私にあったんです。実質的日米共同軍に協力していた私は、報復に妻を焼き殺されたのです。幼い彼女は、それを純粋に、ただ無垢に、見抜いている。私にはそれがわかりました。私は部屋を出ました。最後に振り返ると、彼女はベッドの脇に立っていて、私を見据えてこう言いました」



麻戸はロケットの口を閉ざすと、虚空に目をやった。



「『ごめんなさい』」



ロケットを握りしめる麻戸に、クロセはかける言葉がなかった。話の意図が支離滅裂な気がしたが、彼が今どういう想いで目を覚まさない娘を見ているのかは、はっきりとわかった。

そしてそれに、口を挟む権利は、自分にはないのだ。そんな気がした。


「……寝たふりをしていたんでしょうね。それでも父親である私に甘えざるを得なくて、あざむいていたことをわびた。わびるべきは私の方でした。ですが私は、その夜、仕事に戻りました。『外側戦争』はその枠を越え、『極東戦争』という全面戦争に足を踏み入れようとしていました。娘としてのあの子をみたのは、あれが最後です」


「……変な言い方するなよ。今のコーディだって、あんたの娘だろ」



麻戸は黙っていた。黙って、眠ったままのコーディを見つめていた。



「そして再会した令音レーネの顔は、別人のようでした」



再会?

何のことかと思ったが、麻戸が車内で話していたことを思い出す。


「じいちゃんと、生きた機器サーバーになったコーディを助けに行ったときの話か」



うなずく麻戸は、相変わらず、虚空に目を向けたままだった。

だが、その目にはわずかに、鋭さが戻ってきている。



「あの子は現実を拒否した。あの時の顔は----すべてが変わってしまったのだと確信できる程、歪んでいました。全くの別人でした。ただ甘えん坊がわがままで現実を拒否しているのではなく、強固な意思の下、私たちを"敵"と認識していました。事実、あなたのお祖父さんは彼女と交戦し、敗北しているのです」


「じいちゃんが?」


「かつてのお祖父さんの悪辣な目的を敏感に読みとったのか、あるいは、外の世界に対するおそれが、そうさせたのか。いずれにせよ、私にわかっていることは一つ」

麻戸の太く、傷だらけの指が、幼い笑顔を映し出すロケットを、眠るコーディの胸の上に置いた。

「令音が目覚めない理由--それは彼女の覚醒しようという意思を、現実への恐怖に縛り上げられた本能が抑止しているから」



クロセは目を細め



「なんでコーディをここにつれてきた」


「ご想像の通りです」



麻戸は金縁めがねのツルをもちあげ、かみしめるように言った。





「彼女を--令音レーネ排出イジェクトしていただきたい」









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