第一話「条件次第」 -she wants me DEAD-

【前編】第一話「条件次第」 -she wants me DEAD-




夕刻ゆうこくやみせまりつつある、都会の空。




そそり立つビルや観光客向けのタワーには、影が色濃く落ち、いま、まさに「昼の世界」の顔を脱ぎ捨てて、不気味なせせら笑いを上げているようだった。


そのせせら笑いを見上げて、彼は震える足に力を込めた。

立ち上がると、頭から垂れた血が、流れ落ちるように茶色い地面を濃く染め上げた。


褐色の陽光が、立ち上がった彼に深い陰影を落とす。羽織った真っ黒なレインコート、血にまみれたガスマスクのレンズに、くすんだ夕日を反射させている。




「……っはぁ、はぁ、はぁ……」




レンズについた血を、ぬぐう。

黒皮のグローブが、血にまみれてぬらぬらと光っていた。

あざやかな血の色が、オレンジの空をさらに濃く染め、べったりとにじむ油脂の残滓ざんしを残す。


彼の視界には、昔なじみだった"はず"の町並みが映っていた。海辺を埋め立てたこの町のコンセプトは「人間の生きる町」だったか。広報誌こうほうしにはそう書いてあった。そんな事をあえて宣伝せんでんして回るくらいには、東京は電子の光と機械音にまみれてしまっていたのだ。


だから、この町はあてつけるようにノスタルジックな町並みで、繁華街はんかがいを抜けるとどこもかしこもボロくさい垣根に覆われた、妙に新築くさい家が建ち並ぶ。電子の世界に突き進む世界と、とどまり続けようとする古くさい歴史がねじれたような、不気味な町だ。


——こんな町、大嫌いだった。


薄気味うすきみわる満足感まんぞくかんに口元をゆがめる大人たちとすれ違う度、幼い頃の自分は言いようのない怒りが腹に渦巻うずまいていた。

ここは成長しきった大人が、自分勝手に、かつて見た望郷を眺めるために作り上げた、”大人の”帝国なのだ。


「昼の世界」を大手をふって歩く連中が、おのれの金や権力けんりょくを振りまわして、遊び場みたいに作り上げた、自分勝手な世界。その町に産み落とされた自分は、ここにいてはいけないような気がしていた。この町が、子供自分を拒否しているのだと、わかっていたのだ。


でも、そうは思わなかった奴もいたらしい。


「なに、やってんだよ……」


ガスマスクの下、つぶやいた声は、ひどくくぐもっていて、自分のものとは思えなかった。

あるいは、今見ている光景が、そう思わせるのか。


乳白色の校舎が睥睨する、薄茶色のグラウンド。夕闇に飲まれつつある都会のビル群を背にして、黒い滴りのような人影が、


真っ黒なコートが風に揺れていた。華奢きゃしゃな肩に触れるガキくさいツインテールが、気が触れたように風に暴れ狂う。艶やかな黒髪の下で、燐光りんこうすら放っていそうな顔がうつむいていた。硬い軍用ブーツは細い足をきつく締め上げていて、小柄な身体に、まるで似つかわしくない。

うすい唇が、心底楽しそうに持ち上げられる。

大きな目が、ゆっくりと持ち上がってくる。


「なにやってんだよ……!」


これが現実であることを確かめるように、クロセは焼けるような声を絞り出す

。全身を覆う特殊部隊御用達の軍服も、それをおお弾倉マガジン手榴弾グレネードがいっぱいに詰まったベストも、顔面をおおうガスマスクだって、こんな光景を前にしては、頼りには思えない。足下が崩れ去っていないのが不思議な位に、めまいがした。



顔を上げた人影が、その大きな目を、じっとこちらに差し向ける。



深宇宙の銀河がきらめくような光が、ひとみの奥で明滅めいめつする。途端、その目の色が暴れ狂うようにくるくると変わる。ノスタルジーな町に似つかわしくないパステルカラーのフラッシュ。パステルピンクに、パステルイエロー、パステルグリーンに、パステルオレンジ----


そして最後に砂嵐がその瞳をおおい、

一つ、まばたきをした。



「……外側の世界アウターワールドへ、おかえりなさい。排出者イジェクター



最後に残ったのは、極彩色ごくさいしきいろどられた混雑色マーブルカラーの気の触れた瞳。


狂喜きょうき支配しはいされたひとみが、らんらんと、見慣みなれた顔でかがやいているのを、クロセは歯噛はがみしてにらみ返す。

蝙蝠こうもりが羽根の具合を確かめるように彼女がコートを揺らすと、キュロットスカートも踊るようにはためいた。色濃いまつげに覆われた大きな瞳。全身ぼろ切れのようになった排出者イジェクターの姿が映る。そのレンズの向こうには、クロセの瞳が震えている。


信じられない

信じたくない

だが、



「なにしてんだよ……コーディッ!!」



怒声どせい微笑ほほえみを浮かべる彼女は、ちゅうに浮かんだまま自分を見下ろしていた。




これは、現実なのだ。




これが、現実----










■ ■ ■ ■ ■







コール音がした。




電気ショックでもくわえられたみたいに目が覚める。

顔を上げると、ほほに当たっていたテーブルの硬い感触がはなれた。ずいぶん長い間押さえつけられていたようだった。拳で頬をぬぐっても、感触が戻ってくるまでにずいぶん時間がかかった。


「……まぶし」


薄暗いダイニングに、おだやかな朝の陽射しが採光窓からさしている。調味料や飲み残したエナジードリンクの缶でいっぱいのテーブルが照らされていた。陽光にきらきらときらめくほこりっぽい空気が、「そろそろ片づけたらどうだ?」とからかっているかのようだ。

顔をぬぐって、寝ぼけた意識をべったりと引きはがす。


「( 外の空気……)」


自分でそうしたくせに、屋敷の中の牢獄ろうごくみたいな空気にはうんざりした。採光窓を開けようと振り返ると、相変わらず憔悴しょうすいしきった自分の姿が映る。

目の下のクマが、寝起きの間抜け面を凶相きょうそうに変えていた。

都会の路地裏で、生ゴミをあさる野良猫みたいな顔つき。


ざっくばらんに切ったショートウルフ……かろうじてそう言えそうだ……の髪が、あちこちにねている。目をこすろうとして左手をあげかけ、やっぱりやめた。

左手は灰色の布につられている。

動かなくなってからずいぶん久しいのに、いまだに気軽に動かそうとしてしまう。

陽光に目を細めると、腕時計をかかげて見た。青白いホログラムが、宙に線画を描き出す。




<A.C.2078 July 06: ¿·¤·¤ó¥°¥ê¥¤ó¥°¥ê¥…………




後半の文字が乱れている ……壊れてるのか?


小さくため息。バンドを引きはがしてテーブルに投げ捨てる。さして思い入れがあるようなものでもない。青白いホログラムが、力つきるように明滅して消えた。




コール音




生あくびをする意識が、ようやくその音を思い出す。

屋敷の奥から聞こえる音に、クロセはうっとうしそうに頭をかいた。


「……コール。グリーンライト」


通路からデフォルメされたヘッドフォンマイクのフォログラムが音もなく滑り込んできて、首にからみついた。まぶたを開くように青白いウィンドウが現れ、そこに人影が、突然ウィンドウいっぱいに映った。


『あっ……たっ…………』


耳の垂れたあの弱々しいウサギを連想する彼女が、口をぱくぱくしている。

クロセは半分まぶたが落ちた目でそれをながめる。1、2、3……


『……っ……だ、……っお兄ちゃん!』


「三秒」


『え!?』



栗色のショートの髪をらして、病弱そうな色白のほほをほんのり上気させた眞子マコだった。垂れ下がった眉をなんとか持ち上げて、ぎょっとした顔をしていた。白玉みたいに無垢むくな目が、ぱちくりとまばたきする。


「なんでもない……まだ六時だよ、眞子マコ


ウィンドウの中であちこちに目をやる義妹に、クロセはあくび混じりにつぶやいた。嫌みにとられたくはないが……寝起きに話すにはややつらい相手だった。


いつも、かってにあわてふためいては、かってにドジを踏んだと思いこんで、すごすご帰って行く。とにかく気が弱いやつなのだ。その上、それをフォローする自分の方も、いつも上手く言葉が出てこなくてまごつくことになる。長年の引きこもり生活が、言語野を薬中みたいに縮めてしまったのだろう。


どうせ使わないなら栄養をやる必要も、そもそも存在する必要もないと本能が判断したという事だ。すばらしく合理的な判断だ。おかげで、上手く頭が働かない寝起きに話をするのがひどく億劫おっくうになった。



『そ、あ……とっとにかく!』



あくびをかみ殺す。なにが「とにかく」なのか。



『大変なんです!』



ウィンドウいっぱいに、彼女のまん丸な目とちょこんとした鼻先が迫った。大変、ね……クロセは鼻白んだ。大変なときにも大変そうに見えない顔、というのはいろいろ損だ。



「またなにか作りすぎたんだろ……カレーか? シチューか? とにかく、今日は料理を作りに来てもらっても困るよ。コーディの見舞いに行ってくるつもりだから」



病院のベッドで目を覚まして以来、何かと理由をつけては彼女は自分の世話を焼きたがる。好意とかではなく、『かわいそうな人』を見るとほっとけない性格なのだろう。


いつも「っ、あ、はは……作り過ぎちゃいました」と鍋一杯のスープやらなにやらを持ってきては、部屋に上がって食べさせようとしてくる。感謝こそすれ、そういう風に見られているとわかっていて、うれしく思うほど、クロセは大人になりきれていない。



『誘拐されたんです!』



誘拐、と来たか。

肩の力が抜けた。歯でも磨きにいこう。ダイニングを出て、洗面台に向かう。視界の端で浮かぶ眞子は『どえらい事だ!』と言いたそうな声音だったが、顔の方は『靴の中にちょっと小石が入って……』くらいの困り顔にしか見えない。また雑談のネタに困り果ててワケの分からないことを口走ったか。


「あぁ、そう……」


歯磨き粉、そろそろ買って来なきゃな……としみったれたことを考えながら、歯ブラシを口につっこむ。



『あぁそうって……!』


「どこに誘拐された? 覆面かぶった誘拐犯は映ってないみたいだけど」



ウィンドウの中をのぞき込むと、彼女は少しクセのある栗毛をぴんぴこ揺らして、ぽかんと口を開けた。

それから、猛然と


『はぁ? あっ、そ、……私じゃなくて!』

「私じゃなくて?」


口の中が泡だらけになって、ミントの味が広がる。さわやかな味に反して、洗面台の鏡にはぱっとしない顔が映っていて、見ているだけで気が滅入ってくる。


あの戦いから目覚めて、もう三週間も経っている。


"彼女"は目覚める兆しは出てきたものの、いまだ目を開くことはなかった。


日和と交代で看病を続けているが、アイドルとしての活動がある日和が来られるのは一週間に一回あるかないかだ。ほぼクロセしか、彼女の面倒を見られる人間はいない。戸籍上父親である麻戸は姿を消した。


先の長い戦いになる気がしていた。一年か、二年か……言葉を交わせる日は、いつになるのか。日々憔悴しているのは、返事もしない彼女に語りかけ続けるのに疲れてしまったからか。情けない奴。自分で自分を見下した。


歯ブラシを動かす手を速める。


たった三週間で根を上げるな。

すくなくとも、彼女は現実ここにいる。それは揺らぎようもない真実であり、何よりも尊い希望なのだ。



『あの女の子です!』



よく眠る人形のような顔を思い浮かべていた意識に、ウィンドウから眞子が割り込んでくる。



「あのって、"どの"?」


『お兄ちゃんと一緒に運び込まれた子ですよ! 知らないんですか!?』



口の中にたまっていたミントの泡沫ほうまつを吐き出して、クロセはそのまま固まった。


まどろんでいた意識が電撃をくわえられたように激しくさぶられる。

背筋を駆け上る悪寒おかんが、日常をただよっていた意識を現実に引きずり落とした。びりびりとしびれるほどの不安が、額から汗をき出させた。

ようやく顔を上げると、洗面台の鏡には、触れたら切り裂かれんばかりに細められた、自分の目が映っている。


「コーディ……!?」


『今朝、病院から電話があって--』



歯ブラシを洗面台に投げ捨てる。

からん、と乾いた音がセラミックの台に響く。

勢い込んで



「なんで先にそれ言わないんだよ!」


『さっきからそう言ってるのに、ぜんぜん話聞いてくれないじゃないですかぁ!』



眞子はまん丸な目の端に涙をためていた。一瞬罪悪感が浮かんだが、かまっている暇はなかった。


洗面台を飛び出すと、廊下を足早に抜け、玄関脇にあった観葉植物を手に取る。その下には、大麻スウィートスモークの入ったシガーケースと共に、一丁の"黒金"の塊が転がっている。



「なんで誘拐そうなる? どうしてコーディが連れて行かれるんだよ、昨日の夜はちゃんといた!」


『あ、だっ……わた、わたしもさっき』



おろおろと視線をさまよわせる彼女を見て、クロセはあふれそうになる言葉を奥歯の奥に押し込んだ。


彼女を責めているのは冷静な自分ではなく、怯える自分の心だ。ベッドで目覚めて以来ゆるみきっていた自分の闘争本能の方を責めるべきだった。そうだったのだ。平穏な日常など、ある朝突然、降ってわいたような出来事であっという間に吹き飛ばされてしまう。


祖父を失った朝に、世界中がアウターホリックに陥った夕刻に、自分はそれを思い知ったはずなのに。

鉢植えの下に転がっていた黒金の拳銃リボルバーを、ひっつかんだ。



『朝、電話があって、あの、病院の人で……』


「眞子、俺が悪かったから、とにかく--落ち着いてくれよ」



自分に言い聞かせてるも同然だった。それでもウィンドウの中の眞子は涙をひっこめ、何度もまばたきを繰り返して、それからようやく、意味のある言葉を続けた。



『病院から、電話があったんです。夜中の四時くらいでした。私寝ぼけてて、ちゃんと覚えてるかわからないけど』



彼女は寄せたことなど一度もないようなシワを眉間に刻んで、一生懸命に言葉をつむぐ。クロセは手にした拳銃のずっしりとした重さに一瞬ひるみながらも、すぐにシガーケースに隠していた弾丸を薬室チャンバーに滑り込ませる。



『夜中に病院の警報がなって、看護婦さん達があわてて病室を見回ってたら、窓の割れてる病室があって』


「コーディの部屋だったんだな」



眞子はコクコクとうなずいた。



『黒いセダン? っていう車が出て行ったのが見えたって……警察にすぐ連絡したら、黒い車を見つけてくれたんだけど、追いかけてる途中で銃で撃たれたって』



トレーニングパンツにホルスターを回している途中で、クロセの動きが止まる。平然と銃を撃ってくるような相手?


フルフェイスヘルメットをかぶった、暗殺者の顔が浮かんだ。


コーディを誘拐する理由--はっきりとはわからないが、しかし心当たりは一つしかない。

彼女はかつて、アウターワールドの中枢"そのもの"だったのだ。



『すぐお兄ちゃんに電話したんだけど、ぜんぜんつながらないし』


拡張現実ARの方は寝てるとつながらないの知ってるだろ。家の黒電話有線に電話しなかったのか」


『だからそっちにずっと電話してたよ。でもずっと通話中で』



つながらない?

ありえない話だった。


そもそも黒電話有線は祖父の旧式アナクロ趣味でただ置きっぱなしにしていたわけではない。いまどき有線式電話を置く理由など、災害や有事の際の緊急回線を確保するために他ならない。まさにこういう時のために置いてあったのだ。それなのに……電話の方に目をやった。



「…………」


『あの、でも一回はつながって呼び出し音はなったんです。けどなぜかすぐ切れちゃって』



クロセは、一度はしまった拳銃を引き抜いた。

居間に続く廊下に置いてあった黒電話からは、引っこ抜かれた受話器が垂れ下がっていた。



『……あの、お兄ちゃん? 聞いてる? お兄ちゃん?』


「かけ直す」



動揺する眞子の顔をはらうように、ウィンドウを払った。通話がとぎれると、屋敷の中の静寂が耳についた。どうして気づかなかったのか、ほうけていた自分をぶん殴りたくなる。


異様な静寂だった。空気が張りつめていて、アウターワールドに潜っていたときと同じ感覚がある。なにもない、無機質な空間のはずなのに、じっと誰かが息を殺して、自分を見ろしているような----。


ゆっくりと、銃を構える。


片手で構えた拳銃が当たるとは到底とうてい思えなかったが、他に武器などあるはずがなかった。最初の一発を当てる。さもなくば、反撃でやられる。それは予感というよりも、明白な事実だった。義足が廊下を踏むと、耳障りな駆動音がじりじりと響いた。


居間をのぞき込む。


……別段、変わったところはなかった。屋敷を持て余したクロセは、ほとんどここを利用したことはない。数ヶ月前と同じ、変わらない光景。だが、振り返ろうとしたところで、ひらめきのような衝撃が視線をとどめた。


仏間へ続く障子しょうじが開いている。



「…………っ」



のどの奥で、心臓がどくどくと脈打ち始めた。

鼓動を飲み込み、奥歯をかみしめると、クロセは半身の体制のまま、 両開きの障子しょうじに歩み寄る。朝の冷たい陽光に、影が浮かび上がっていた。障子しょうじに浮かんだその人影に、一歩一歩、歩みを進める。撃鉄を手中で押し上げ、引き金の重さを軽くする。最初の一発。そう、最初の一発が、すべてを決める。



「動くなッ!」



ふすまを一気に押し開けたクロセは、身じろぎもしない人影にむけて銃口を向けた。引き金にかけた指はこわばり、今にも引きしぼってしまいそうだった。だが次の瞬間、クロセの引きしぼられた瞳の方から、力が抜けた。かみしめていた奥歯が解きほぐされ、かすかに唇を押し開ける。



光景は異様なものだった。



12じょうほどの長い居間にはひざほどの高さの長机が置かれている。その上に、白いワンピース型のコットンパジャマを着たコーディが寝かしつけられていた。


病的なほどに白い顔に、相変わらず濃いまつげに縁取られたアーモンド型の目が、まぶたをおろしている。一緒にいた頃はあれほどコロコロ変わっていた黒髪は、投げ出されて机の下まで広がっていた。小柄で華奢きゃしゃな体は弛緩しかんしていて、組まれた両手も今にもほどけそうだった。


そしてその奥で、祖父の仏壇に手を合わせる老人。



「……おじいさんに、線香を上げさせてもらいにきました」



金縁のめがねに縁取られた、左右非対称の目がこちらを見据える。

深くシワの刻まれた相貌に、クロセは射抜かれたように硬直していた。

かつては麻戸 巧 刑事 と名乗った男が、身じろぎもせずに鎮座ちんざしていた。



「……あんたイカレてんのかッ!? 危なく撃ち殺すところだったぞ!」



緊張からどっと解放されたクロセは動悸どうきを吐き出すようにわめいた。

麻戸につかつかと詰め寄る。義足が踏みしめたく畳がくしゃくしゃと音を立てた。



「お元気そうで、何よりです」



まったく間の抜けた返事だった。金縁めがねの奥で鋭く細められたままの瞳は、切れ込みのようなシワに包まれている。

クロセが生まれるずっと前からそうやってとがらせ続けてきたのだろう。しかし今の状況と彼の言葉には、全く似つかわしくない。



「お預かりいただきありがとうございます」



麻戸はクロセが握りしめていた拳銃をあっという間に取り上げると、瞬きの間に回転弾倉リボルバーを転がして、銃弾をぱらぱらと掌に落とした。真鍮しんちゅうの弾丸がかなでる甲高い金属音がつらなる。みょうに冷静ぶって拳銃をスーツの下にしまう麻戸に、クロセはコーディを指し示し


「なにやってんだよ……コーディが死んじまうだろ! 警察もアンタを追ってるぞ!」




「もし、彼女を目覚めさせることができるのなら」




麻戸のしわがれた声には、疲れと老いがにじんでいたが

1ミリもゆがみのない、信念に貫かれていた。



「----何でもすると、思いませんか」


クロセは言葉を失った。髪も白いものがまだらに混じるような老人の目には、何者に向けられているのかわからない、しかし猛烈もうれつな怒りの熱が、こもっていたからだ。


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