第五章『二人の 転機』
そして一ヶ月が経ち。
『さぁ、それでは発表しましょう! 優勝は――篠宮理恵さんです! おめでとうございます!!』
国民的アイドルグループの妹分を決めるオーディション。
グループではなく、一人でも輝きを放つ新時代のアイドルを発掘をしようという、一大プロジェクトだ。
そこで篠宮は優勝、アイドルデビューが決定した。
紙吹雪とスポットライトを浴び、嬉しそうに笑う篠宮を直視できずに、僕はテレビを消した。
プツッという音を残し、僕の部屋は静かになった。
ホークが言うには、篠宮が運命の子供だということは報道管制が敷かれており、決して表沙汰になることはないという。
インターネットでも運命の子供の詳細に関する情報は即時消去され、刑罰を受ける。
専門家が分析するには『もしかしたら隣にいる人が運命の子供かもしれない』という心理が、犯罪抑止に一役買っているらしい。
では、なぜ僕らがその正体を知っているのかというと、ちゃんと理由がある。
運命の子供と接する機会が多い人間は、その接触頻度に応じて情報の公開が許されているのである。
例えば僕らのように同じ学校、もしくは同じ町内ならレベル3。篠宮の氏名と容姿、正確な年齢。
同じ市内ならレベル2。容姿と正確な年齢、といった具合に。
国籍、氏名、性別、すべて不詳。わかっているのは、ただ大まかな年齢のみ。
それが世間一般での運命の子供。
では実際のところ運命の子供の存在が世間に与える影響はどうかと言うと、僕らの年代の子供が犯罪に巻き込まれる確率は、全世界の統計的に激減したらしい。
人間は目に見えないものにこそ、恐怖を感じる――。
運命の子供という重要人物が特定され、なお且つ、不特定多数の前にその姿を晒すというのは警護上大きな問題が残るばかりか、それだけで全世界に影響を及ぼすのだ。
そんな人物が堂々とステージに立ち、その歌声を披露しようとしている。
真実を知る人間からしてみれば、気が気でないだろう。
僕や、ホーク、そして――
階段をだだだと駆け上がってくる音が聞こえた。がちゃっとドアが開き、
「おいカツキ! テレビ見たか!?」
「見たよ。と言うか、一ヶ月前からこうなることはわかってた」
比呂も。
携帯電話があるのに、わざわざこうして家にまで押しかけてくるのが、なんとも言えず比呂らしかった。
比呂は拍子抜けしたようにはぁ、と声を漏らしてから、
「なんだそりゃ? エスパーか、お前は!? 詳しいこと知ってるなら教えろよ!」
「ああ、そうだね。どこから話したらいいかな……?」
※
僕たちは春の陽気に誘われるように近くの公園に足を運び、はしゃぐ子供たちを見ながらベンチに腰を下ろした。
よく考えればここは篠宮に告白された後、こうして比呂と二人で話し、ホークと出会った公園だ。
そして一ヶ月前、篠宮の家へ行く途中、写真を撮った場所でもある。その場所で事の顛末を説明するのは、なんだか皮肉めいて思えた。
「……なるほどなぁ。でもそりゃまた、きついシチュエーションだよな。あんまり褒めるわけにもいかず、かと言って本当のことをストレートに言うわけにもいかず。いやその状況で、お前はよくやったと思うぞ」
「ありがとう。そう言われると、少しは気が楽になるよ」
「そんなかしこまんなよ。俺とお前の仲だろ?」
比呂は笑いながら手をぱたぱたと振った。
「けどよ。これから大変だよな。恋人がアイドルデビュー――聞こえはいいけどよ、きっとすれ違うことが多くなるぞ。まぁお前にゃホークのおっさんやコンピューター様がついてるから、関係ないのかもしれないけどさ」
「どうだろうね? こればっかりは、実際になってみないとなんとも」
彼女がアイドルとして多忙な日々を送るようなことになれば、自然と僕との時間も減っていくだろう。
それはもちろん、僕にとっては助かることなのだが――そのとき、彼女の心理にどのような変化が起こるかは未知数だ。
僕と会えないのは嫌だと、わがままを言うかもしれない。
――いやちょっと待て。篠宮はあまりわがままを言う性格ではない。
と、なると、その不満を抱えたまま毎日を送るだろう。すると当然、いつかはその不満が爆発して――参った。それはまずい。
もうひとつ可能性があるとすれば。
華やかな芸能生活を送るうち、僕のことを忘れてしまうかもしれない。
それならそれで助かる。
僕は『篠宮理恵の恋人の山口勝紀』を演じる必要もなくなり、元の平穏な生活に戻れるのだから。
しかしなぜだろう。そうなれば嬉しいはずなのに――
寂しいと思ってしまった自分もいる。
「ま、真相はどうあれ、理恵ちゃんの夢が叶ったんだ。俺もお祝いしてやんないとな」
「え? あ。ああ、そうだね」
比呂の言葉に、僕の思考は中断された。
しかし、中断されてよかったような気もする――。
『カツキ君。もうすぐ理恵から電話がかかってくるわ。
「了解」
「なんだ? またフェイトの奴らからか?」
「うん。篠宮から電話が来る、って」
おそらくはデビューの報告だろうと思うけど……。
大島さんの予告通り、携帯電話が鳴った。
「はい」
『あ、山口君? 久しぶり。今大丈夫?』
「久しぶり、篠宮。うん。比呂が一緒だけど、大丈夫だよ」
オーディションに集中するため、篠宮とはここ一週間、会っていなかったのだ。
『あ、鈴木君もいるんだ。ちょうどよかった。ねぇ、さっきのテレビ見てくれた? わたし、オーディションに受かっちゃったよ!』
「ああ、見たよ。おめでとう。比呂もおめでとうって言ってる」
『あはは。ありがとう。ねぇ、今どこにいるの?』
「家の近くの公園だよ。ほら、桜の前で篠宮の写真を撮った、あの公園」
『うん、わかった。それじゃわたしもそこに行くから、ちょっと待っててね』
おや? 篠宮はさっきまでテレビに出ていたはずじゃ?
そんな疑問が頭をよぎったのがコンピューターにも理解されたのか、ご丁寧に僕の疑問をそのまま口に出させてくれた。
それに対する返答は、
『ああ、あれは録画だよ』
という、考えてみればなるほど単純明快なものだった。
「そっか。それじゃ僕も篠宮に渡したいプレゼントがあるから、一度家に戻るよ。公園には比呂を残してくから、後で落ち合おう」
勝手に話を進められて比呂が非難の声をあげたが、すべてはコンピューターの指示。我慢してくれ。
それにコンピューターの指示にあったプレゼントの見当も簡単についたし。
『うん。それじゃ後で』
僕は電話を切ると、
「じゃ、ちょっと行ってくる」
と、ふてくされている比呂に言って、家に駆け出した。
※
プレゼントを小脇に抱えて公園に戻ると、一足先に到着していた篠宮と比呂が、同じベンチに腰掛けていた。
その光景はなんとも言えず新鮮だった。
そう言えば、篠宮が僕以外の人と仲良く話している場面は、あまり見たことがないような気がする。
まぁ比呂なら、どんな相手でもコミュニケーションを成立させてしまうだろう。例え言葉の通じない外国に行っても、あいつならボディランゲージだけで乗り切れるかもしれない。
しかし――
僕はなぜだか、この光景に釈然としないものを感じてしまった。
「篠宮、比呂、お待たせ」
「なんだカツキ、遅いぞ。ホント、俺がいなきゃ理恵ちゃんが一人で待ちぼうけするところだったんだからな。感謝しろよ」
そう言って、ずずっと横にずれて人一人分の隙間を空ける。
篠宮の隣に座れ、ということなのだろう。
僕は勧められるままベンチに腰を下ろした。
「オーディション合格おめでとう。篠宮。これ、お祝いの品を兼ねてプレゼントするよ」
そう言って、僕はベストショットを集めたミニアルバムから、一枚の写真を取り出した。
それは四月、桜の前で撮った篠宮の写真だ。
青い空に、淡いピンクの桜の花。
そしてその鮮やかさに勝るとも劣らない輝きを放つ、振り向きざまの少女の微笑み――僕のベストショット集のラインナップに加えるにふさわしい一枚だった。
「あ、これ。あのときの写真」
「焼き増ししたものだけどね。やっぱり思ったとおり、よく写ってたよ」
「へぇ……カツキやっぱお前、写真の才能あるわ。うん。この写真の理恵ちゃん、最高にかわいいものな」
いつの間にか比呂は僕らの背後に回り込み、一緒に写真を眺めていた。
「ちょ、ちょっとやめてよ。照れるなぁ、もう。……でもホント、なんかわたしじゃないみたいによく写ってる」
「なに言ってんだよ。理恵ちゃんアイドルになるんだぜ? そのうち写真集とかも出すんだからさ、もっと自身持たなきゃダメだって」
謙遜する篠宮を、比呂は肘で軽く小突いてからかった。
――なんだろう。まただ。
初デートのときとはまた違う、僕が今まで経験したことのない感情。
篠宮は「えー? そうなのかなぁ」と言って、顔を赤くして照れている。
『カツキ君。どうした? さっきからどこか妙よ?』
大島さんが尋ねてきた。
ここ三ヶ月、毎日のように僕と篠宮を監視していた彼女だけあって、僕の微妙な変化にもすぐに気が付いたようだ。
(いえ。なんでもないですよ。大丈夫です)
僕自身、原因もなにもわからないのだから、今ここでどうこうすることはできない。ここは――
『そう。ならいいけど。では、
「この写真、前に篠宮に言われたように、コンテストに出してみようと思うんだ」
確かにそれは、一ヶ月前のあの日から考えていたことだ。自分でも満足いく写真が撮れたし、契機といえば契機なんだけど……まさかこんな形で明言することになるなんて
篠宮はぱん、と両手を打ち合わせ、
「ホントに? うん、いいと思う。この写真なら、きっといい線いくよ! わたしも夢が叶ったし、二人で夢を叶えようよ!」
と、自分のことのように喜んでくれた。
「プロのカメラマンか。なるほど。お前にはそれが一番合ってるかもな。がんばれよ」
比呂も応援してくれた。
だが。
夢――という言葉が、僕に重くのしかかる。
成り行きからコンテストに応募することにはなったけど、僕自身の中に、プロになりたいという気持ちがどれだけあるだろうか――?
「うん。僕もがんばるよ」
しかし、口に出すことが許されるのは、そんな言葉。
「それでね。わたしのこれからのことなんだけど――」
さっきまでの雰囲気とは打って変わり、篠宮は神妙な面持ちでそう告げた。
「――たぶん、あんまり会えなくなると思うの。歌のレコーディングとか、ライブとかもあるし。だから……だからね。会えないでいる間は、山口君には自分の夢にチャレンジして欲しいの。ただ単に時間を無駄にしてほしくない、ってだけじゃなくて……例え離れていても、山口君も夢に向かってがんばってるんだって思えば、わたしもがんばれる気がしたから」
「篠宮……」
やはり僕と会えなくなることは、篠宮にとってはなによりも辛いようだ。
この一週間ですら辛かったのだろう。この先はさらに会える回数が少なくなると思うと、篠宮は怖くなってしまったのかもしれない。
だから、あんなことを――僕ががんばってるから、自分もがんばらきゃと自分自身を納得させる理屈を用意したのだろう。
僕がコンテストに送ると言ったとき、自分のことのように喜んでいたわけが、やっとわかった。
彼女は本当に『自分のこと』として喜んでいたのだ。
僕が――恋人がいることに慣れてしまい、一人の恐怖に怯える『弱い自分』を奮い立たせるために。
「そうだね。僕もがんばるよ。だから、篠宮もがんばって。せっかく夢が叶ったんだからさ」
「……うん。ありがとう」
そう言って、いつものように篠宮は微笑んだ。
恋をすることで、人は強くもなるし、弱くもなる――
僕は今日、そのことを初めて知った。
※
そしてまた一ヶ月が過ぎ、六月。
放課後の教室の窓を、雨粒が叩く。
湿気が目に見えぬもやのように体に張り付き、なんとも気分が悪い。
つい先月までは放課後は篠宮と一緒だったためか、どこか気が抜けてしまう。
今日で、その篠宮のデビューから半月が経った。
普通、学校からアイドルがデビューしたとなれば、その恋人である僕などは質問攻めの冷やかしまみれになるはずだが、そこは運命の子供こと篠宮理恵。
周囲は不気味なほどに無関心を装い、僕はこうして一人、教室から窓の外を眺めている。
まるで、篠宮と付き合う前の頃のように――
それでも篠宮の真実を知らない人間からすれば彼女はただの新人アイドルであり、インターネットを始めとして、様々な場所で様々な評価を得ていた。
歌唱力とダンスはまだまだだが才能の片鱗は窺えるし、なによりその笑顔が超一級品。これからに期待の新人――というのが、世間一般での評価だった。
もっともそれは好意的な評価であって、悪評も限りなくあった。
それに関して、ホークはこう言っていた。
「彼女がデビューする前から、そんなことはわかりきっている。まぁ心配するな。情報操作はフェイト部隊の十八番だ」
篠宮を傷つけそうな情報を彼女の目から隠すため、ホークを始めとするフェイト部隊、果てはその上の運命省は、過去に例がないほど忙しいそうだ。
正反対に平穏そのものの僕としては、なんだかすまなく思ってしまう。
そしてそんな評価はどうあれ、デビューCDの売れ行きはそこそこいいらしく、早くも写真集の発売が決定したらしい。
だがそれはうがった見方をすれば、今現在の人気はあくまで『外見』の力によるもの、ということだ。
確かに、一度だけ見たテレビの中の篠宮は、驚くほどかわいかったけれど。おさげの髪を下ろしてメイクし、カラフルな衣装に身を包んだ篠宮。がらりと雰囲気を変えた篠宮は、本当に輝いて見えた。
「……ふぅ」
ここでこうしているのもなんだか疲れてしまった。
帰ろうと思い、立ち上がったそのとき――
「山口勝紀君ね? ちょっといいかしら?」
聞き慣れぬ声に振り向くと、そこには長身のすらっとした女性が立っていた。長いストレートヘアに縁なしの眼鏡――
「佐野――生徒会長?」
「あら? 私のこと知ってるのね。ありがとう」
そう言って、生徒会長は隣の席の椅子に腰掛けた。
「聞いたわよ。あなたの彼女――運命の子供、篠宮理恵がアイドルデビューするそうね?」
「え、ええ」
驚いた。ここまでストレートに聞いてきたのは、この人が初めてだ。
「デビューだなんて、すごいわ。で、ものは相談なんだけど、彼女、今度の文化祭で歌ってくれないかしら? 本当は直接彼女にお願いするのが筋なんでしょうけど、ほら、彼女最近はなかなか学校にも来ないから。あなたのほうからお願いしてみてくれないかしら?」
なるほど。そういう話か。
篠宮のことだ、この話をしたら、スケジュールを無視して二つ返事で承諾するんじゃないか? それはそれで困るけど、まぁ話はしてみよう。
「いいですよ。それじゃ、今度話してみますね」
「本当? ありがとう。それにしても大変よね。運命の彼女の彼氏って。普段からなにかと気苦労が絶えないんじゃない?」
――この人はなんて人なのだろう!?
穏やかそうな外見とは裏腹に、人の心の境界線をものともせずに入り込んでくる。
「――なにが言いたいんですか?」
「あら、気を悪くさせちゃった? そうね。それじゃ話を変えましょうか。始業式でなんで私があんな話したか、わかるかしら?」
始業式の話――篠宮が夢を叶えようと思うきっかけになった、あの話。
「いえ。わかりませんけど」
「そう。それじゃ教えてあげる。運命の子供の影響で、全世界的に事故や犯罪の発生率が下がってるのは、あなたも知ってるわね? それじゃあ、その逆は?」
「逆? 逆って言うと――?」
「――奇跡としか思えないような幸運な出来事もまた、その報告件数が減っているらしいのよ。数奇な運命という言葉が、死語になりつつあるのね。だから皆には、新しいことにどんどんチャレンジして、その人だけの特別な人生を歩んで欲しいのよ」
そう言って、先輩は席を立った。
「なんで僕に――そんな話を聞かせたんですか?」
「深い意味はないわ。ただ、運命の子供に関する者として、ちょっと知っておいて欲しくて。それじゃ。お邪魔したわね」
先輩は長い髪をたなびかせて、教室を去っていった。後にはまた、雨粒が窓を叩く音だけが残った。
『二年C組の山口勝紀君。至急、職員室まで来てください』
物思いにふける間もなく、僕は校内放送で呼び出された。
なんだろう……? 特に身に覚えはないんだけどな。
職員室に出向くため渡り廊下に出ると、雨と風の匂いがした。じとじとした、なんとも言い難い匂い。
――湿気がカメラに悪いな。
などと、今日も肩から下げているカメラを見ながら思い、職員室のドアに手をかけようとした瞬間――
『カツキ君、気をつけて。理恵が中にいるわ』
大島さんから連絡が入った。
(篠宮が!? 了解です)
「失礼します」
「やあ山口。お前、すごいじゃないか」
職員室のドアを開けると、担任の先生が満面の笑みで話しかけてきた。
その隣には、ラフな服装に身を包み、髪を茶色に染めた見慣れない男性の姿。
そして――私服姿の篠宮も一緒だった。今日は髪もお下げだし、メイクもしていない。僕が知っている、いつもの篠宮だった。
篠宮は飛び跳ねるように僕に駆け寄ると、
「やったね山口君! あの写真、コンテストで賞をもらったんだよ!」
と、言った。
コンテスト? 賞?
僕はまさか、という感じでもう一人の男性の顔を見た。
男性は軽く頭を下げると、握手を求めてきた。
「はじめまして。僕はコンテストの審査員長を務めた荒川。君の写真の瑞々しい感性に魅せられてね」
「荒川さんはね、今度出るわたしの写真集のカメラマンなんだ。で、賞をあげた山口君がわたしの恋人だってわかって、是非一緒に仕事がしたいって」
そう、篠宮が補足した。
――って、ちょっと待って。
賞をもらっただけでもすごいことなのに、一緒に仕事をしたい、ってことは……?
「それは、僕もカメラマンとして篠宮の写真を撮るってことですか?」
「君も、ではない。むしろ、君が、だ。理恵は等身大のアイドルとして、親しみやすさを前面にアピールしていく方針でね。写真集のコンセプトも『等身大の彼女』なわけだ。本当の恋人のように、いつもそばで微笑んでくれている――そんな写真集にしたい。そんなときに君の話を聞いたんだ。本当の恋人である君なら、必ず等身大の彼女を撮れる! そう確信したのさ」
本当の恋人――その言葉は違う。
僕は、演じているだけだ。
だがそんなことを言うわけにはいかないし、言ったところでどうこうなる問題ではないだろう。
賞を頂いたのは嬉しいが、そんな大役、本当に僕にこなせるのだろうか? だが篠宮がいる手前、コンピューターの指示に従うしかない。この場面、コンピューターはいったいどんな指示を――?
「――わかりました。未熟者ですが、よろしくお願いします」
やはり――こういう返答になるだろう。
案の定、篠宮も僕の手を握って喜びを表してくれた。
もう一人の篠宮理恵でなくとも、篠宮の機嫌を損ねないためなら、皆こうする。
演技とはいえ、一緒に夢に向かってがんばろうと誓い合った仲だ。ここで断る理由はない。それにこの仕事を引き受ければ、少なくとも写真集の撮影の間は篠宮と一緒にいることができる。
「いい返事をもらえて、こちらも嬉しいよ。では、一緒にいい写真集を作ろう」
そう言って僕と荒川さんはもう一度、握手を交わした。
荒川さんは去り際、先生に一礼した。
「では僕はこれで。先生、どうもお邪魔しました」
「いえいえ。我が校からプロのアイドルとカメラマンが、それも在学中に輩出できるとは。これからもこの二人にご指導のほど、よろしくお願いします」
などと、どちらが先生かわからないことを言う。
「じゃ、わたしは荒川さんと一緒に帰るから。また今度ね」
「うん。また今度。……もしかしたら、撮影のときかもね?」
篠宮も「ふふ。そうかもね」と言って、微笑みながら職員室を出て行った。
先生は二人の後姿を見送ると、僕のほうに向き直り、
「いやぁ、先生は嬉しいぞ! お前がプロのカメラマンという、立派な夢に向かってがんばっていたとは! 思えば写真部でもないお前がカメラを持ち歩いているのを注意したことがあったが、もうなにも言わん! 思う存分撮りたまえ!」
と、叱咤激励してくれた。
「そうだ! これを機に、写真部に特別参加などしてはどうだ? 山口なら――」
……しまった。
この先生はいつもこうなのだ。感極まるといつまでも熱弁し続ける。
だが、今日は――
「おい、携帯電話が繋がらないぞ?」
「こっちもだ。どうなってんだ?」
職員室が急に慌ただしくなった。
「ん? なんだ?」
今がチャンスだ。
「先生、ありがとうございました。では」
「お? あ、ああ。それじゃな」
なおも先生はなにか言いたそうだったが、僕は逃げるように職員室を後にした。
しかし、予想もしない形で、夢とも思っていなかった夢が叶ってしまった。賞ももらい、仕事も引き受けてしまったからには、中途半端な気持ちで写真を撮ることはできない。
僕はカメラを両手で持ち、気を引き締めた。
――姉さん。なんか大変なことになったけど、僕の写真が評価されたんだ。やれるだけのことはやってみるよ。
意気込みも新たに歩き出して渡り廊下に出ると、やはり相変わらずの雨。
そして――
「おめでとう。勝紀君」
「――志摩先輩」
「さっき篠宮さんとすれ違って、あなたのことを聞いたのよ。お姉さんも、きっと喜んでいるわね」
そう言って、先輩は僕のカメラに手を――大きな傷が残る手を、添えた。
なんだろう。今日の先輩は、どこか雰囲気が違う気がする。
「今日は雨で、姉さんのいる青空は隠れてしまってますけど……そうですね。きっと、喜んでくれてます」
「ねぇ、勝紀君――」
風の音が、強くなった。
「――ちょっと、話したいことがあるの。……いいかしら?」
※
……その頃、フェイトの移動指示車内では。
「隊長! 運命の子供の反応が消えました!!」
「消えた? どういうことだ!?」
「はい! どこからか強力な妨害電波が発信されているようです! 辺り一帯の電子機器は、使用不能に陥っています!」
「バカな――!? くっ、全フェイト部隊、
「はいっ! あっ、隊長! どこへ!?」
「俺も出る! 後のことは任せたぞ、大島!!」
※
……傘をさし、校門に一人たたずむ少女の姿。
生徒会長。佐野真澄。
彼女は荒川と一緒に歩く篠宮に声をかけた。
「こんにちは。篠宮理恵さん、ね?」
「は、はい。あれ? あなたは――佐野生徒会長? どうしてわたしのことを?」
真澄は口元に手を当て、くすっと笑った。
「知っているわよ。今じゃあなたは、この学校の有名人ですもの。それと――あなたの恋人の、山口勝紀君もね」
「あ、はは。なんか、照れますね」
「それでね。あなたにちょっと話があるの。実は今度の文化祭で、あなたに歌って欲しくて」
「え、ホントですか!? ぜひお願いします」
「そう。よかったわ。では詳しい話をしたいので、お時間よろしいかしら?」
※
僕は志摩先輩に連れられ、生徒会室にやってきた。先輩は先に僕を室内に招きいれ、自分は後から入ると後ろ手でドアを閉めた。
「話っていうのは、あなたの彼女、篠宮さんについてなんだけど」
前置きもなしに、いきなり本題だった。
「はい。篠宮がなにか?」
「あなた――篠宮さんと付き合うの、つらくない?」
「え――?」
確かに――篠宮と付き合うようになって、僕の生活は一変した。制限だらけの付き合いの中で、神経をすり減らした時期もあった。事実、今だって気楽に話しているわけではない。
それは彼女が運命の子供でいる限り、ずっと変わらないだろう――。
いまだ、大島さんからの連絡はない。それは篠宮が近くにはいないし、自由に話していいということだろう。
なら――
「そう……ですね。確かに篠宮と付き合うのは大変です」
「でしょうね。普通の恋愛じゃないもの」
「はい。演技です。僕は篠宮を騙しています。でも、だからこそ――」
先輩の眉が、ぴくりと動いた。
「――最後まで彼女の恋人を演じきることが、彼女への償いになると思うんです」
比呂と一緒に姉さんに誓い、篠宮のお母さんにも言った、僕の素直な気持ち。
でもまさか、志摩先輩にまで――僕が償いをしなくちゃいけないもう一人の人にまで、この気持ちを話すことになるなんて。
先輩は悲しそうな顔で目を閉じ――
「可哀相な子……」
――僕を、抱きしめた。
湿気を帯びた髪の匂いが鼻腔をくすぐる。
「せ、先輩?」
「私は、あなたを弟のように思ってきた……。その弟が、今、こんなにも苦しんでる。ねぇ、勝紀君――」
おかしいよ。こんなこと、おかしい。
先輩はいつだって、僕が困ってたら手を差し伸べて優しく微笑んで――それがなんで。こんな、こんな――
「私のこと、嫌い? 私じゃ、あなたを苦しみから救えない?」
いつもの――僕の知ってる志摩先輩じゃない!
僕が先輩の腕を振り解こうとしたそのとき――
「――山口、君!?」
「篠宮……?」
ドアが開くと、そこには生徒会長と、なぜか篠宮が――
篠宮は目を大きく見開いたまま一歩だけ後退り――踵を返して走り去っていく。
「篠宮!!」
僕は強引に先輩の腕を振り解いて篠宮を追ったが、彼女の姿は既に廊下にはなかった。
「あら……ごめんなさい。タイミング、悪かったみたいね。偶然にも篠宮さんと出会ったものだから、文化祭のお誘いをしようと思ってお連れしたのだけれど……」
生徒会長がそう謝罪した。
「いえ……先輩のせいじゃ、ありませんから」
そして、僕は志摩先輩に背中を向けたまま、
「すいません。今日のところは、これで失礼します……」
篠宮を探して走り出した。
なぜ!?
大島さんからの連絡はなかった。なのになんで――!?
※
……雨の中、二人の少女が歩いている。
傘をさした一人の後を、もう一人はずぶ濡れでついて行く。
「これでいいのね? これでもう私は――いいえ、私たちは自由なのね!?」
ずぶ濡れの少女は耳から小さな無線機を外すと、水たまりに叩きつけた。そして、ばしゃっという音とともに、膝から地面にくずおれる。
「私にとって、勝紀君は本当に弟のような子だった。あの子が苦しんでいるなら、助けてあげたいとも思ってた。でも、あんなこと――彼と彼女を傷つけて、あなたはどうしようというの!?」
「種をね、蒔いたのよ」
「種――?」
「そう、種。後は、あの二人が苦悩という花を咲かせるのを待つだけ。さぁ、きれいな花を咲かせてちょうだいね」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます