第12話 祝福
礼拝堂には人間も、超種の姿も、司祭の影も見当らない。
信徒席の間。正面の神像から祝福されるように、彼女は一人で立っていた。
鉄を思わせる沈黙に、余人が関わる隙はない。物好きな色事師が通りかかろうと、瞬時に尻尾を巻いて逃げるだろう。
目は一切の妥協を許さず、水晶にも見えていた。これしか解決策はないと。数秒前の自分が、どんな表情をしていたのか重なる。
現実的な視点。夢や希望より、それは一段と強い形があった。子供染みた決意など、お笑い草だと言わんばかりだ。
しかし桜斗は退かない。正反対の眼差しで女性を睨み、臆することなく正対する。
充満する空気は、戦いの一色に染められつつあった。
「よく逃げられたもんですね、父さんから」
神像を背後に向き合う声が、月並みの感想をツェニアへぶつける。
斬竜皇子はまだ展開していない。彼女の方も同様だ。水面下で火花を散らしてこそいるものの、ある程度の余裕は持っている。否、タイミングを計っている。
溜め息混じりに唇が開かれたのは、間もなくのことだった。
「苦労したわよ? あの人、全然手加減してくれないんだもの。印派の連中が血迷わなければ、ここに来るのはもう少し後だったでしょうね」
「じゃあ感謝しないといけないわけですか。その無謀な連中に」
「……ええ、貴方と同じ、無謀な人達にね」
透き通る声で強調される、無謀の二文字。
ここが教会だからだろうか。ツェニアの台詞は熱心なシスターのようで、妙な説得力さえ孕んでいる。人によっては、挑発的な音に聞こえたかもしれないが。
いや実際、挑発ではあったんだろう。厳しさを増した瞳は、糾弾へとスイッチを変えている。
「桜斗、止めなさい。あの子を助ける方法なんて、もう一つしか残ってないのよ。私達が時間を無駄に費やす理由はどこにもないわ」
「……でもツェニアさんは、俺の刻印を使った大団円を目論んでたんでしょう?」
「計画の一つとしてね。――でも、そういう風には転ばなかった。なら第二の案を使うまでよ。こっちの方が手っ取り早い方法ではあるもの」
「手っ取り早く、エレニアに傷を付けるんですか?」
「――」
痛い腹を探られたのか、ツェニアは眉を寄せている。それは彼女において、自己犠牲が苦渋の決断である証左でもあった。
「悪趣味じゃありません? 妥協した上に、他人を傷付けるだけ傷付けるなんて。仕方ない、で済まされるとは思えない」
「……貴方の言う通りでしょうね。でもこれは私の命、私の問題よ。口を挟まないで」
「じゃあ、エレニアに関わらないでください」
自分の問題だと言うなら、それぐらいは当然だろう。
勿論、彼女は首を振らなかった。狼狽えるだけの沈黙。他人を巻き込んでいる矛盾が、苦悶の色さえ纏わせる。
意思をへし折るには、まだまだ殴り足りなかったが。
「ならどうして桜斗は、あの子に関わろうとするの? 貴方にとって、他人を必要以上に測ることは悪じゃなかった?」
「ええ、そうですよ。――でも彼女は、全部任せるって言ったんです」
だから。
「それ以外のことは分かりません。でも、それだけ分かれば十分です」
過去の累積も、不安も、あの眼差しで吹き飛んだ。
深く考える必要はない。これはただ、自分で決めただけの話。
期待が快く響いたから、果たそうとする野性染みた直観だ。
「……」
ツェニアは一層、失望の色を深くする。
それは諦観の念にも近い。――つまるところ、空気を変える一押しだった。
「……とても羨ましいわ。誰を呪うでもなく、自由である貴方達が」
霧が吹く。自然の因果を飛び越え、制限された視界が教会を満たす。
「もうお互い、言うべきことは言い尽したでしょう。後は力の問題。勝つか負けるか、それだけよ」
変わっていく。
細い女性の輪郭が、美しい獣へと変わっていく。
桜斗は無言で構えるだけだ。ツェニアに返事をする余裕もない。――それが緊張感によるものか、結果を悔いるためかは分からなかったが。
学校での戦闘と同様に、空間は歪み広がっていく。まるで自分が小人になっていくような感覚だ。――その比喩は満更外れでもなく、結界により遮断された空間は外からの干渉を望まない。
教会の空気が肺を満たす。人狼の突撃に備え、次の一瞬にすべてを託す。
瞬間。
暴風にも似た猛りが、桜斗の正面に展開した。
蹴散らされる信者の席。足場になっている石畳を割らんばかりに、銀色の弾丸が開口する。
獲物は逃げない。
狼をその目に捉え、一つの動作を行うだけだ。
床に、剣を刺す。
『っ!?』
唐突な変化。
自分の意思に適わない行動を結ばれたのは、桜斗ではなくツェニアだった。
彼女が疾走した途上には、数本の槍が突き立っている。こちらにとっては一メートルも離れていない至近距離で。
目を見開く人狼。
逆転した攻守の中で、担い手は友人と似た言葉を呟いた。
「ここの教会、建てる時の材料は金霧領から持ってきたそうですよ……!」
なら事実、ここは領地の中も同じ。竜の因子が組み込まれた場所であり、二日前の地形操作が通用する……!
趨勢は三度目に渡り、ようやく桜斗へ傾き出した。
両手に握った斬竜皇子は、投擲武具としての役割だ。ツェニアの周辺へ突き刺し、素材を利用した攻撃に転じていく。
だが。
『っ、それが……!』
持ち前の足で、彼女は強引に掻い潜った。
どこに行こうと同じこと。桜斗の予測より一手先を、獣の躯が疾走する。反撃の機会も当てなければ意味はない。
彼我の乖離が、もう一度ゼロへ向かう。建物の内部を剣山に変えながら。
「ふ……!」
投げる、まだ投げる。手持ちの分をすべて、ありったけぶち撒ける。
徐々に消え始める足場。壁と床を斬竜皇子で満たせなくとも、その効果範囲が重なってしまえば意味は同じ。操作された石材は一つ残らず、桜斗の軍門に下っていた。
竜であればまだしも、人狼である彼女はその障害を破壊できない。
いよいよ逃げ場が潰えた、その瞬間。
ツェニアの姿が竜へと変わる。
一部の地形操作を解き、桜斗は彼女へと飛び掛かった。完全な死角。必中の真一文字を予感して、俊足の一歩を打ち鳴らす。
果たして。
吸い込まれるように放たれた一閃は、真紅の花を散らしていた。
『っ――!』
竜のまま、ツェニアは強引に後退する。
一閃は確かに成果を結び、甲殻の内側にまで届いていた。が、意識を奪うには僅かに足りなかったらしい。
こちらのストックにはまだ余裕がある。例え剣山を砕かれようが同じこと。何度でも同じ状況を作り、本命を叩き込む。
『……分からないわね』
負け惜しみか、心からの疑問か。
緊迫した空気の中を、見えない波紋が伝播する。
『これで勝ってもどの道、貴方の力を示すだけよ。エレニアだけじゃない、後継者に推す力はもっともっと強くなる。……それでいいの? 自分から望んだわけでもないのに』
「逃げろ、って言いたいんですか?」
『そうよ。……本当にあの子と幸せになりたいなら、大きな力から離れなさい。そこは貴方を取り込む場所。大勢の他人に囲まれた、自由から最も遠い場所よ。それを――』
「逃げるつもりはありません」
短い断定。
甲殻に形取られた表情は分からず、ただ無言を返答する。
「そんなもの、力尽くで壊しますから。逃げるなんて、負けを認めた時だけで結構です」
『……そう』
嘆息混じりの返答は失望に、あるいは羨望にも聞こえていた。
自分には、届かない領域へ行こうとしていると。
後は雑談も説得もない。これまでと同じように、双方が撃ち込むための力を蓄える。
だが。
聞こえたのは、生々しいだけの異音だった。
「な……」
巨大な、腕。
見覚えるあるカタチが、ツェニアの腹を破っていた。
『おのれ、おのれおのれおのれ……!』
聞こえたのは男の声。土壌となった女性は苦悶を漏らすだけで、一切の自由を奪われていた。
異音は続く。肉が裂け、骨が砕かれ、彼女の姿が変化する。
現れたのは。
存在だけで教会を埋める、巨大な双頭の竜人だった。
『生意気な小僧どもが……! ワシの計画によくも、よくも水を差しおったな!』
「貴方は――」
『ハッ、驚いたか小僧? ワシは死なん。刻印そのものであるワシを、誰も殺すことなど出来ん!』
「じゃ、じゃああの時壊したのは――」
『本物だ、などと誰が言った? はは……!』
千浄だった生き物が咆える。身動き一つで、桜斗の領域を砕きながら。
『子供の分際で大人に歯向かいおって。貴様らの正義など無価値だろうに! 儂が、普遍的な力のある大人だけが、善悪を決定する権利を持つのだ! それを――』
「とりあえず、礼を言っていいですか?」
『何……!?』
毅然とした言葉使いへ、千浄は怒りの色を露わにする。
桜斗は反面、感情で言えば笑みがあった。こんなに嬉しい気持ちなんて、滅多に味わえるものじゃない。
復讐、憎悪。
歓喜は甘く、菓子のように溶けていく。
「敵になってくれて、どうも……!」
総身を弾く。
巨体を誇る双頭竜の前に、竜殺しの矮躯が踏み込んだ。
『左様か!』
放たれる呪炎は、教会にとって壁のように。
避けようのない暴力が、桜斗を真っ向から殴り付ける。
「――せっ!」
穿つ斬竜皇子の先、呪炎は悉く花弁と散った。
ツェニアを取り込んだ所以だろう。竜の力が増したのであれば、相対的に有利へ働く。踏み砕けない理由は存在しない。
喚く千浄の声もどこ吹く風。竜殺しは一気呵成に、目の前の障害を消していく。
次の一歩。
跳躍を撃ち込めば首を刎ねられる、その直前。
突き出した巨竜の手に、取り込まれたツェニアの姿が顕現した。
「っ……」
留まる刃。
二つに並んだ首が、これ以上なく皮肉で歪む。
『やはり下らん理想だな! たった一人の犠牲を求められただけで、意思が滞るとは……!』
盾を翳したまま、二頭は火の砲門を開く。
舌打ちを残し、桜斗はそのまま後退――
しようとして、微かな違和感に引きとめられた。
肉に沈む手応え。
盾にされたツェニアが、自ら刃を引き受けた瞬間だった。
『な……!?』
愕然とする千浄。
桜斗は嚥下するだけだ。自身の未熟、この解決を是とした彼女を。
甲殻を裂く、竜砕きの一撃。
「おおおおぉぉぉぉおおお!!」
駆け上がる。
二頭が合わさっている胸元、その楔となる支配者の証へ。
切り裂いた瞬間には、男の絶叫。
礼拝堂に残るのは桜斗と、倒れる巨体の衝撃だけだった。
刻印に斬撃を受けたためか、竜は音を立てて消えていく。うめき続ける千浄とは反対に、あっさりと。敗北を認め、赤い霧と化して消えていく。
その中に一つ、異物があった。
降臨の土台となった、儚い女性の陰影が。
「ツェニアさん!」
動く気配はない。うつ伏せのまま、血の海に沈んでいる。
追うように響く、既知の声。
彼女の命を繋ぐため、人が動き出した瞬間だった。
どんな時も、振り返った時間は短い。回想が一瞬で済むからだ。お陰で当時の気持ちも圧縮され、概要的な部分しか残らないことが多々ある。
しかし記憶が鮮烈であれば、回想もより事細かになるもので。
「……」
金霧家が噛んでいる病院の一室。広々とした個室の出入り口を、桜斗は引っ切り無しに動いていた。
背後には女性らしい胸を上下させ、穏やかな寝息を繰り返しているエレニアがいる。刻印の移植が無事に終了した証拠だ。ただ、馴染むのに時間が掛かるそうで、現在は眠りに付いている。
不意に彼女の顔を覗くと、それだけで笑みが零れた。自分は確かなことが出来たのだと。――一つ限りの、避けられない過ちを残して。
ツェニアが病院に担ぎ込まれて数時間。今はひたすら、両親からの連絡を待つしかなかった。
慌てている自分が馬鹿らしい。桜斗にせいぜい出来るのは、エレニアから目を離さないことぐらいだ。移植を行った竜人によると、何かしらの悪影響は出るそうだし。
だが、尚も足腰は忙しなく動く。何に慌てているのか、根本を忘れてしまいそうなぐらいに。
怖がっていると指摘されれば、否定は出来ない。
千浄が現れた瞬間、ツェニアとの交戦を回避した事実に喜んだ。誰が考えても恥じる必要はない、好ましい変化として。
そんな楽観が、今の桜斗を揺さ振っている。
最悪の事態。彼女の命に幕が引かれた時、自分はどうすればいいのか。
こういう時に限って冷静は逆効果だ。考えれば考える程、不安に支配されていく。――一度は、その最悪すら許容したのに。
「……はあ」
自分の不甲斐なさに呆れた、直後。
椛がゆっくりと、病室の扉を開けていた。姉妹に似た眼差しを、涙で赤く染めながら。
「叔母さん、まさか――」
「うん、ツェニアなら助かったよ。……心配してくれてありがとう、桜斗君」
「あ、いえ」
謝罪を込めて一礼する。
椛は微笑で受け止めた後、エレニアの様子を覗き込んだ。――とはいえそれ程の心配は無いらしく、あっさりと反転する。
「じゃ、もう少し娘のこと、宜しくね。先生から話聞いてくるからさ」
「は、はい」
去っていく足音を聞き届け、桜斗は胸を撫で下ろした。あんな顔で現れたら、勘違いするのは当り前である。
心音は徐々に静かなものへ。ツェニアが目覚めた後には、本格的に安心できそうだ。
適当な場所へ腰を降ろそうと、桜斗は椅子になりそうな物を探す。
その足音には、衣擦れの音が混じってきた。
「エレニア……!」
「お、桜斗様? えっと、ここは……」
「病院だよ。父さんの知り合いが運営してる」
言うと、彼女は聞き返しもせず頷くだけ。身体の調子を確認し、グッと背筋を伸ばしている。
朝から変わらない学校の制服。一瞬だけチラついた首筋には、お馴染みの印が浮かんでいた。一度は少女から失われた、後継者の証が。
実感があるのか、もしくは桜斗の視線に反応したのか。エレニアは刻印に触れ、慈しむように撫でている。
「落ち着ける状況にはなった――んでしょうか?」
「うん、ツェニアさんも無事だしね。……誘拐事件の責任について、まだ揉めるとは思うけど」
「……」
喜びで満ちていた表情へ、途端に暗い影が差す。
黙っておいた方が良かった、との後悔を桜斗は飲み込む。そもそもいずれ知られること。嘘の方便とは言うが、ほんの一瞬誤魔化しても仕方ない。
もし、虚栄心の一つでも示すなら。
「俺の方でも、色々動いてみようとは思う。父さんに任せてばっかじゃ、気分が悪いからね」
「……済みません。私達の所為で」
「謝ることなんてないってば」
やりたいから、やる。付随する理由は様々だろうが、根本的にはその一択だ。
彼女に、悲しんで欲しくないから。
理想論にも近い欲求である。――しかし振り返ってみれば、桜斗の行動原理は常にそれだったのかもしれない。自身が鑑定する上での、酷く不安定なものではあるが。
「桜斗様?」
「うん?」
あの、と続く言葉は、珍しいぐらいに歯切れが悪い。視線を合わせることすら迷っており、狼狽えているのがよく分かる。
それから十秒と待たず、エレニアは何かを決した。
「怖く、なかったんですか? 姉さんと戦うのは」
「それは――」
怖かった。
そう言い掛けて、喉まで来た本音を抑える。
この気持ちは、きっと普通のことなんだろう。エレニアの人格も分かっているなら、告白を迷う必要は何処にもない。
しかし同時に、吐き出してしまうべきか、疑問があった。
結果はどうあれ、ツェニアと戦う決断は桜斗自身の下したものだ。なら、責任はきちんと背負わなければならない。エレニアの同情を巻き込んで、肩代わりしてもらう必要はない。
そう在りたいと、望む頂のため。
目指す在り方が決まっているのなら、弱さなんて振り払える。
「大丈夫だったよ。背負うって、そう決めたことだから」
「……」
慈しむような、憂うような少女の目。
居心地の悪さを感じて、桜斗は苦笑いと共に話題を変える。
「そ、そういえばさ、ツェニアさんのことなんだけど――」
あまりにも露骨な路線変更。疑いは止まる様子がなく、眼差しへは余計に力が籠っている。
しかし、両手を上げて降参するわけにもいかない。桜斗は冷や汗を流しながら、持久戦を覚悟した。
「――姉さんが、何です?」
溜め息と一緒に、エレニアは目の形を変える。
一先ずの救済に安堵し、少しぎこちない前置きを。見逃された感じは否めないが、即座の追求から逃れただけでも幸運である。
「知ってたの? あの人が、何をしようとしていたか」
「すべて、とまではいきませんけどね。大体のことは掴んでいました。……肝心な母の症状については、推測でしか知れませんでしたけど」
「……」
抑揚には後悔がある。早く知っていれば、協力も出来たのに、と。
――もっとも、それは桜斗から見た視点。
見つめれば見つめる程、エレニアの後悔が複雑な形をしているように感じる。どちらかと言えば迷いだろうか。彼女自身がそれを疑っている。
「まあ、良かったとは思うんです。私が、母の状況を知らなくて」
「え……」
少しばかり意外な台詞。
困惑する桜斗とは反対に、エレニアは凛とした顔で見上げてきた。
「もし事実を知っていたら、もっと早くに桜斗様へ迷惑を掛けていました。ひょっとしたら学校でのあと、協力することは出来なかったかもしれません。貴方に知られたら止められると、そう思ってましたから」
「まあ、否定は出来ないけど……」
「ええ、それで構いません。……姉さんの苦労を分かち合えなかったのは残念ですが、私がそれを行ってはならなかった。私は共同の領域を、家族から貴方の隣りに移したんですから」
「……」
「過去が足枷になるなら、選択は一つです」
それは、悲しい決意でしかない。
金霧のためなら、家族さえ捨てる。桜斗の伴侶であるため、過去の撤去が必要だとエレニアは認めてしまった。――椛のために命を賭けたことが、問題を悪化させたと考えて。
しかし聞く側には、反感しか湧かなかった。
「どっちも、大切にすればいいじゃないか」
「し、しかし、それでは桜斗様に――」
「教会で言ったよね、俺のやりたいようにしてくれ、って。だから個人的な願望を言うけど、エレニアが変わる必要はない。知りたければ知ればいいし、問題に首を突っ込みたければ突っ込めばいいんだよ」
「で、ですが!」
「これ以上は言わないし、答えないからね」
頑固さを示すため、エレニアへ故意に背中を向ける。彼女は唖然としたまま動かず、言葉を探っている雰囲気だった。
一瞥を向けようとさえしない。語った気持ちは本音だったし、彼女が彼女を捨てるなんて断固反対だ。幸い、椛ともツェニアとも、敵対関係を結んでいるわけではないし。
今になって、教会で励ましてくれたエレニアの気持ちが少し分かる。
なので、今度はこっちの番。
彼女が首を縦に振るまで、辛抱強く堪えるまでだ。
「……あの。桜斗様は、私の過去をどんな風に想ってるんですか?」
「うん? そうだね――」
視線は合わせないまま。
桜斗は頭を掻きながら、自分を語る恥かしさに向き合った。
「宝物、なんじゃないかな」
「どうしてです?」
「そりゃあ、君だけが経験した時間、気持ちだからだよ。辛いことだって、混じってるんだろうけどさ。……でも、そのすべてがエレニアを作ってくれたんだから、俺には宝物に見えてくる」
「……それが、過去からの拘束を意味しても?」
「だから良いんだってば、それは」
ここから先は、桜斗自身にも言うべきこと。
初恋を大切にしている自分と、新しい理由を求める自分。前者を否定する後者があり、後者を作り出した前者がいる。
どちらも捨てられない。
だからこそ、導ける答えはある。
「昔のことばっかりじゃ駄目だし、先のことばかり見ても駄目じゃないかな? その真ん中で、じっと立つのが丁度いいと思う」
「……出来ますか? 私にも」
「それは俺に聞かれても答えられないよ。――でも頑張ろう。エレニアと一緒なら、その、さ」
彼女を好きになった理由。
やっと分かってきた。一緒に過ごした時間は、これを導くための試験期間でしかなかったのだと。
もう成果は出た。だから自分は、彼女を選んで。
「一緒に行けるって、確信してる」
「――」
笑顔だけの返事。
初々しい挨拶が、二人の未来を祝っていた。
幼馴染の嫁が好きなんですけど、理由が分かりません ~竜殺しの恋煩い~ 軌跡 @kiseki
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます