第23話変わった四角関係


 日曜日の午前十時十五分前。秤は駅前に来ていた。休日のため、人通りが激しい。人の波は苦手ではないが、得意でもない。賑やかでもいいが、どちらかと言えば穏やかな場所の方が好きではあった。

 今日は気合いの入った服装でもなく、通常通りの私服姿だ。八重樫とのデートだからではない。玲李以外の人間とのデートだからだ。玲李とのデートではかなり身なりに気を遣った。やはり彼女だけは別格で特別だった。

 約束の時間から丁度十五分前に秤は、駅前に到着した。そこにはすでに八重樫の姿があった。明らかにお洒落をしており、彼女がどういう心境なのか伝わってくる。普段はボーイッシュな印象が強いが、今日は可愛らしさを前面に出した容姿だった。今時の女の子、という言葉が最も適している。遠くでもわかるほどに緊張した面持ちでこちらまで伝わってくる。その何とも健気な姿に胸を打たれるが、それは同情心に近い感情だった。

 秤が八重樫に近づくと、かなり遠くにも関わらず目があった。どうやら秤が来るのを今か今かと待っていたようだ。彼女の顔は明らかに硬い。それでも喜色が浮かんでおり、恥ずかしそうにしながらも秤に手を振った。

 秤も同様に手を振りかえすと、人波を抜けて八重樫の前に立った。


「お待たせ、ごめん待ったかな?」

「う、ううん、大丈夫!」


 何とも元気な返事だったが、声量を間違ったらしく、言った後に八重樫ははっとした表情を浮かべて顔を赤くし、俯いてしまった。

 八重樫という女子はこうも女の子らしい娘だっただろうか。学校では多少言葉遣いも砕けており、態度はやや粗雑だった印象があった。それは友人の前だったからなのだろうか。それとも秤の前だから違うのだろうか。

 会話も続かず、喧噪の中、沈黙が漂う。多少の気まずさを感じながらも、秤は慣れた様子で会話を切り出した。


「それで今日はどこに行く?」


 男の方からの言葉としては些か情けない自覚はあった。だが、事前にラインで話した結果、八重樫が自分で行先を決めたいということになったのだから仕方がない。

 秤は玲李とのデートを思い出してしまう。彼女とのデートもかなり行き当たりばったりだったし、女性側が主導権を握っていた。もしかしたら自分はこういう流れに身を置きやすいのだろうかと、秤は苦笑してしまう。


「え、えとね、ちょっと待ってくれる?」

「え? あ、うん、構わないけど」


 八重樫は秤が到着したにも関わらず周囲を見回していた。その様子に、秤は一抹の不安を覚える。そも、今回のデートに関して色々と違和感はあった。

 以前、教室で明らかに告白する雰囲気だった八重樫を蔑ろにしてしまったことがあった。それ以来、しばらくは関わりがほとんどなかったのに、突然の告白だ。その前にイケダ君も玲李に告白していた。そしてデートの約束をしたのだ。この二つの出来事が大した間隔もなく起こったこと、そして『イケダ君の告白の方が先だった』ことを考えればどういうことか想像はつく。

 それは秤が八重樫の申し出を受けた理由の一つでもある。秤が考えている通りだったなら、八重樫は中々思い切った行動に出たと言えるだろう。ただ、かなりの博打だ。上手くいくかは微妙な線だったが秤は敢えてそれに乗った。

 理由は『玲李がイケダ君の告白に対して迷っていたから』である。八重樫と……イケダ君の意図を想定しても、玲李の感情とは別物。玲李の判断は彼女自身のものであり、イケダ君の告白が先であったため、秤のようにある程度の想定はできない。つまり、これから起こる出来事に対してわかるのは八重樫の告白後なのだ。四人の中で、玲李だけが純粋な自分の意思で決断している。それがわかった秤は、現状を打破する必要性を感じたのだ。

 すべては机上の空論。だがそれはすぐにわかることだ。

 つまりはそれは――


「あ、あー、あれは金田かなだ君達ー!」


 八重樫の声は完全な棒読みだった。演技に明るくない人でも彼女には演技の才能がないことがわかるくらいの棒読みだった。彼女の視線の先にはイケダ君……もとい、どうやら彼の名前はカナダというらしい。いや、覚えていたけどね。忘れてただけだから。本気出せば思い出せたから。まだ本気じゃなかっただけだから。

 カナダの隣には玲李が無表情で立っていた。傍目からは無感情だが、内心は憤っていることが秤にはわかった。一体どういうことなのか、とカナダを睨んでいるようだ。

 これが答えである。その可能性は考えていた。だがその理由までは明確ではない。カナダと八重樫は結託し今日に臨んだのだ。告白のタイミング、互いにデートをするということ、しかもその日取りを強引に決められたこと。鑑みればおかしい点だらけだ。だが、なぜこんなことをするのかということまでは秤にはわからなかった。八重樫は確かに秤に好意を持っていた。そしてカナダも玲李のことを本気で好きだったか、今も好きなはずだ。なのにこんな敵に塩を送るような真似をするだろうか。

 何かの目論みがあるのは間違いない。だが、それが秤にとって都合がいいことなのかそうではないのかまでは判別がつかない。かなり危険な香りがするが乗ったからにはもう逃げられない。覚悟はしていた。秤は人知れず、決意を固くした。

 今日で玲李との関係を修復しなくては。


「や、やあ、そっちもデートかい、偶然だね!」


 カナダの演技はまだマシだが、それでも怪しさ満点の演技力であった。棒読みじゃないだけ八重樫よりはいい。でも演技丸出しである。

 秤は胸中で深い嘆息をした。この二人、やるならやるでもっと上手くやって欲しい。これではどれほど鈍感な人間でも違和感を覚えずにはいられない。

 秤はちらっと玲李を見た。すると玲李もタイミング良くか悪くか秤を一瞥した。偶然視線が絡むが、それは一瞬で玲李の方がそそくさと視線を逸らす。彼女にしては珍しく、あからさまな嫌悪感が見えた。

 ――あー、これ間違いなく勘違いしてるな。


「う、うん! こっちもなんだー、へー、偶然だねー」

「そうだね! ははは! そうだ! よかったらダブルデートなんてどうだい? ほら、僕達も君達も初デートだろ、だったら四人の方が色々と盛り上がるんじゃないかな!?」


 やはり、と秤は思った。

 この状況を見れば二人が謀っていることはわかる。この状況は想定済みだ。

 しかし玲李だけはそうではない。今日のデートはカナダとすると思っているし、秤達と共に行動するとは想定もしていないだろう。彼女は自分の意思と感情でここにきている。そして二人の目論みも知らないし、秤が今日のことを想定していたことも知らない。つまり彼女だけが蚊帳の外なのだ。

 秤は心の準備ができているが、玲李にはすべてが突発的に起きたこと。そして彼女は間違いなくこう思っている。『三人』が何か謀略を巡らせている、と。恐らく、事前に秤とカナダ、八重樫で計画し今日に至ったと思ったに違いない。その証拠に秤に対していつも以上の拒絶感を出している。

 まずはその嫌疑を晴らさないといけない。これは厄介だ。何しろ、カナダも八重樫も二人の状況に気づいてもいない。こっちは知らない体で過ごさなければならないし、その上で自然に玲李の誤解を解く状況を作り、的確な言葉を並べなければならない。どこかで失敗すればより状況は悪化するだろう。

 本当に博打だ。レートは最悪、はっきり言って勝機は薄い。だがやるしかない。

 秤は一先ず、カナダと八重樫の動向を見守った。慎重に。『玲李が自分の行動に不自然さを抱かないように』気を付ける。自分の立ち位置を明確にしなければ、やはり事前に知っていたのだと思われてしまう。知っていても知らない体で、その上で自然に、できるだけ的確な行動をとらなくては。大丈夫。できる。いつものことなのだから。


「い、いいね! あたしはそれがいいと思うよ!」


 僕も僕も! とは言えないので、無言で困惑した風を装った。演技は得意だ。ただ完全な嘘はいけない。演技がかった演技ではなく、本音を誇張することが重要だ。嘘ではなく心情をより顕著にするのが演技である、と秤は思っている。でなければ嘘っぽくなってしまうからだ。

 玲李も無言で二人の会話を聞いている。眉間に僅かに皺が寄っている。

 ――あ、帰りたいって思ってるけど、約束した手前それができなくてイライラしてるな、あれ。


「ね、ねえ? 時任君はどう? いいと思わない?」

「さ、桜ヶ丘さんはどう思う? 僕は一緒の方が楽しいと思うんだけど」


 二人同時に秤と玲李を見た。八重樫の顔は極度の緊張感からか強張り頬がヒクヒクしている。カナダも慣れない演技に不自然な笑みを浮かべていた。これでは玲李にもバレバレだし、彼等の演技に乗っかることも難しい。

 秤は逡巡したが、選択肢はないと判断し、即座に言った。


「二人は何をたくらんでいるのかな?」


 ギクッという効果音が聞こえそうな程に、八重樫とカナダは同時に肩をビクッとした。一応、彼等の演技が上手ければ騙されてる風を装うつもりだったが、この状況で何もないと判断してしまえば、秤が疑われてしまう。秤は違和に気づかないような人間である、と玲李が思っていれば別だが、すでにある程度見知った仲になっており、深い部分も見せている。今の玲李が秤に対して、そんな盲目的な人間であるという印象を持っているはずがない。狡猾で計画的で非常識な人間程度の認識は持っているはずだ。この状況で違和感に気づかないはずがない程度の評価は得ているだろう。

 秤に呼応したわけではないだろうが、玲李も続いた。


「……どうやら金田君と八重樫さんが何かしでかそうとしているみたいですね」


 とりあえずは秤に対する猜疑心は薄れたらしい。だが、明らかに裏でおまえも一枚噛んでいるのだろう、という視線を向けられた。遊園地での出来事からのこんな状況だ。疑われない方がおかしい。それを秤は理解していたので、特に言い訳をせず黙して二人の返答を待った。ここで上手く立ち回ってくれればいいのだが。

 秤と玲李に糾弾され、カナダと八重樫は硬直し冷や汗を流していた。冬である。十二月である。なのに汗だくである。この二人、こういう場に適していない。真面目で純粋な二人らしく、なんとも素直だ。わかりやすい。何だか可哀想になってきた。

 フォローをするにもまだ事情を知らない立場という体でいるので何も言えない。微妙な立場だ。今の段階で、状況を把握する能力は秤には十分あるが、そこまで玲李が理解しているとは思えない。仮に秤の能力を正確に測っているとしても積み重ねた過去と現状を鑑みれば、ここで状況を理解したという態度をとるのは悪手だ。疑念は色濃くなる。一度、何かを思い込んだら覆すのは簡単ではない。それが明らかな間違いであっても、思い込みというのは中々拭えないものだ。

 ここまで秤を除く三人は然程考えを巡らせてはいないだろうが、秤だけは過剰に思考をしている。彼の頭の中を覗けば大概の人間はこう言うだろう。『考え過ぎて疲れないか』と。でも彼はそういう生き方しかできない。秤はそういう人間になろうと思い、そういう人間にしかなれなかったのだから。


「え、えと、その」

「ぼ、僕達はその」


 あーあー、ほんとどうにかしてくれ。

 この二人、間違いなく気づかれた場合の対応策を事前に決めていなかったようだ。あの演技でどうにかなると思ったのだろうか。それとも練習をしたこともないのだろうか。完璧な計画を立てる性格の秤からすれば彼等の計画はかなり杜撰だ。

 ここまでの経緯、玲李との出来事を見れば計画通りにいったとは言えないが……。

 それはさておき。

 秤は何を言うでもなく、ジト目を送ることしかできない。別に彼等に恨みも怒りもないのだが。

 玲李もどうしたものかと嘆息していた。帰るとも言えないところが彼女らしい。よほどのことをしない限り、彼女は約束を無下にはしないだろう。

 秤と玲李が無言のまま二人を見ていると、八重樫が何か思いついたとばかりに目を見開き、ニッと笑い、そしてすぐに真剣な表情を浮かべた。


「じ、実は二人きりだと緊張するって、カナダ君と話してて、それで今日同じ時間、同じ場所で待ち合わせしたんだ。そしたらダブルデートできるかもって思って……ごめんね」


 言い訳としてはまずまずだろうか。先ほどの状況よりはかなりマシな手を打ったと言えるだろう。

 八重樫の言葉を聞き、玲李が素直な疑問を口にした。


「……でしたらなんでこんな回りくどい真似を?」

「え、と、そ、そう! 事前に話してもきっと二人は了承してくれないと思ったからさ」


 そう、とかそういう言葉は不必要だよ、カナダ君。

 しかしそのフォローも中々のもので一応の筋道は通っている。かなり際どいラインだが、矛盾は少ないはずだ。あくまでさっきまでと比べて、だが。

 秤は考え込むふりをした。玲李も考え込む。彼女は言動と状況を照らし合わせている最中、といったところか。

 そろそろ行動を起こす時だろうか。

 秤は玲李が答えを出すよりも『少しだけ早く』二人に話しかけた。


「まあ、僕は別に構わないけれど」


 八重樫に告白されデートだけでもと言われた立場の秤だ。別にダブルデートになろうとも断る理由はない。秤からすれば玲李を忌避してもいないわけだし、この返事には違和感はないだろう。どちらでもいい。二人の意見を尊重するという立場も維持できる。何とも利己的な立ち位置だがまだここから動くのは難しい。今は二人の厚意、なのかどうかはわからないが、意図に乗っかるとしよう。


 秤の回答後、玲李はまだ迷っていたが、秤を一瞥し小さく嘆息した。

 そして先ほどまでとは違い、小さな声で、

「私も構いません」

 そう言った。

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時任秤は恋をしない 鏑木カヅキ @kanae_kaburagi

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