第22話約束のシンメトリー
数日後の昼休み。
秤は学食には行かなかった。
あえて玲李の席から遠い席に座れば色々言われるのは目に見えている。ならば教室で食事をした方が、まだ色々と言い訳ができるというものだ。
秤は少しだけ自分の方針が間違っているのかと考え始めていた。計画は思い通りにいかない。想定内の出来事でも何にでも対策ができているわけではない。現状、はっきり言ってかなり悪化しているという他ない。今週の休日、玲李とイケダ君はデートをするらしい。自分へのあてつけなのか、とも思ったが玲李がそんな短絡的な行動をするとは思えない。ならばやはり何か考えがあってのことなのだろう。
考えれば考える程、考えは悪い方向に行くものだ。だが秤は考えることで人生の苦難を乗り越えて来たのだ。考えることはやめられないし、やめた時点で自身の強みを失う。辛くとも不安でも手放してはならないのだ。
食事を終え、金田君と会話をしていると、彼の彼女である小林さんが会話に入って来た。
「ねえねえ、最近桜ヶ丘さんと話してないね、喧嘩でもしたの?」
この娘、中々ずけずけと踏み込んでくる。金田君は気を遣って、敢えてほとんど玲李の話をしなかったのに。金田君も彼女の言動に動揺していた。色々と気苦労がありそうだった。
小林さんは話してみると、意外にさばさばしている感じだった。告白場面では麗らかな乙女って感じだったのに、実態は違ったというわけだ。これはこれで魅力的ではあるのかもしれない。
秤は苦笑し、小林さんに答える。
「まあ、色々とあってね」
「色々って?」
「カ、カナちゃん、それくらいで。時任君に悪いよ」
「えー? でも気になるよ。あんなに仲が良かったのにさぁ。桜ヶ丘さんが誰かと親しくするなんて初めて見たし」
彼女の言い分はわかるが、プライベートのことなのであまり聞かないで欲しいとも思う。しかし金田君も思っていたことなのか、強くは諌めなかった。どちらにしても詳しい事情を話す気はない。例え誰であっても、玲李以外に本心を話すつもりは、秤にはなかったのだ。彼は玲李だけを見てきた。それは異性としてだけでなく、人間として、玲李以外の人間に心を許すつもりはないということでもあった。それは父であっても、友人であってもだ。関係性の距離感を一定に保つ。息子として友人としての役割は全うするが、それ以上は担わない。それが時任秤なのだ。
「悪いけど、話せないし話すつもりはないよ。僕と桜ヶ丘さんのことだからね」
「……ふーん、冷たいなぁ、友達でしょ」
友達だろ、親友だろ、などという文言には何の意味もない。友達であっても人によって関係性は大きく違う。線引きも違う。それを相手が勝手に距離感を決めるのは傲慢だ。そして大概、この言葉を出した人間は『己の要望を相手に受け入れさせるため』に友達という単語を使うのだ。相手に事情を話させるため、何かを借りたりするため、自分の正当性を認めさせるため、友人関係を築いていると確信する、させるため、親しいと相手に肯定させるため、そして自分を安心させるため。安易にこういう言葉を吐く人間は多い。そして秤もその場面に幾度も遭遇した。その度に思う。友達という言葉は魔法の言葉じゃない。自分の欲望を満たすための免罪符にするべきではない、と。
「ごめんな」
「謝られてもなぁ、ちょっと話すくらいならいいじゃん?」
「悪いけど、話せないんだ」
結局、謝るしかない。罪悪感は微塵もないが、それしか手段はないのだ。
「はあ、もういいや」
そしてやがて諦めた小林さんは呆れたように席を離れて行った。
「なんか、ごめんね」
「いや、いいんだ」
謝る金田君も『ここまで言われているんだから話せばいいのに』という考えが滲み出ている。秤はこういう、相手の心情を慮ることなく、相手を知ろうとする行為を嫌悪している。ゆえに絶対に話さないし、信用もしない。
秤に対する周囲の評価はそれなりに高い。商店街の人達や同校の生徒達がそうだ。
だが、教師陣の評価はそれほど高くない。それはもしかすると、教師達よりも達観し、大人を知り、それ以上に努力をしている生徒であるからなのかもしれない。玲李のように育ちがよく、才能があれば、生まれがそうなのだから、格差があるのだからしょうがないと諦められる。そんな風に思わせるような人物にはすり寄り、秤のように一般人であり、努力ですべてを補っている、そしてそれを続け、向上している人間の足を引っ張ろうとするのだ。秤の存在は教師達には『自分達と境遇は変わらず、一回り以上年齢が下の生徒であるはずなのに、明らかに格上の存在である』と思わせている。
同級生、同年代には頼られ、教師には蔑まれる。どっちにしても距離感は維持している。そのため最後には疎遠になるのだ。それでいい。所詮はその程度の関係だし、彼等を信頼できはしない。秤は、自身に関わる関わらないに限らず、無数の裏切りを知っているのだから。
昼休みも終わりに近づくと、秤は一人になった。別段珍しくはないし、寂しくもない。これが普通だ。そう思い、次の授業の準備をしていたら、影が手元に落ちる。顔を上げると、そこにいたのは八重樫だった。
「あ、あの時任君、きょ、今日、放課後、時間ある、かな?」
「うん、大丈夫だけど」
「そ、そう。じゃあ、さ、えと、じゃあ授業終わったら教室に残って置いてくれる?」
「わかった」
「う、うん、じゃ、そ、それだけ」
八重樫は言い終えると慌てて自分の席に戻って行った。友人が戻ってきた八重樫を、よくやったと褒めていた。彼女が何をするつもりなのか、誰の目から見ても明白だった。玲李と疎遠になりつつある秤を見て、イケダ君同様に告白に至ろうということだろう。
秤は小さく嘆息し、玲李を想った。彼女は何を想い、イケダ君とデートをしようとしたのだろうか。もし、八重樫とデートをすれば彼女の気持ちがわかるのだろうか。
そんなことを何となく思っていた時、始業のチャイムが響いた。
●●
秤は掃除を終え、教室に残っていた。
帰り際、玲李がちらっと秤を見ていたが、それ以上は何もなかった。今は彼女が何を考えているのかわからない。これからどうするべきなんだろうか。本来なら、少し時間を置き、冷静になったところを見計らって再び話しかけるつもりだった。説得を続ければ少しは心情に変化は訪れる。それから並行して、玲李の両親に認められる下地を埋めて行くつもりだった。
何事も、人が関われば思い通りにいかないものだ。
恋愛仲人をしていた秤にはそれがよくわかっている。人の心ほど移ろいやすいものはない。それを知っているから恋の恐ろしさを知っているのだ。恋は毒だ。飲めばもう恋に捕らわれてしまう。逃げられない。何をしても対処方法がない。恋を成就させても恋は心を蝕む。際限はない。欲望は満たされればさらに飢えるだけだ。
ガラガラと戸が開いた。八重樫が緊張した面持ちで立っていた。
「ご、ごめん、待たせちゃって」
「いや、構わないよ」
以前、彼女を傷つけてしまった過去がある。今回はその贖罪の意もある。だから素直に了承した。玲李と距離ができてしまっている今だからこそ、気遣いは無用だった。この部分に関してだけは、現状は功を奏していると言えるかもしれない。
秤は立ち上がり、八重樫が近づくのを待った。
目の前に立ち止ると、八重樫は俯いてしまう。
秤は催促するでもなく、無言で彼女の言葉を待った。自分にはわからないが、想いを伝えるというのは勇気がいることだ。その一端は、秤にも理解はできていた。だから、秤は何も言わない。そのまま、数分が過ぎ、八重樫は顔を上げた。
「しゅ、しゅき、好き、です! つ、付き合ってください!」
顔を真っ赤にしている。それだけ本気なのだと伝わって来た。その想いが胸を突き刺したが、秤の答えは決まっている。即答はしなかった。少しだけ、考える素振りを見せる。それが秤なりの優しさではあったが、相手に気を持たせることにもなるかもしれない。こういうことに正解はない。考えることが肝要なだけだ。
「ごめん、好きな人がいるから」
「そ、それって桜ヶ丘さん……?」
秤は応えずに、困ったように笑うだけだった。それを肯定と受け取った八重樫は悔しそうに顔を険しくする。
「……せ、せめて一回でもデートしてくれない? そ、それで、だめなら、あきら……める、から……」
話していくにつれ、自信がなくなったのだろうか。徐々に声が小さくなっていった。玲李が好きだと伝えてもそれでも諦めきれなかったということなのだろう。多分、八重樫はいい娘なのだ。女子の中には玲李を悪く言う生徒は少なくない。こういう場面なら玲李を卑下し自分を評価するような発言をしてもおかしくはない。しかし八重樫はそれをせず、純粋に自分を見て欲しいと言っている。真っ直ぐな娘らしい。
秤はその八重樫の行動に僅かに胸を打たれた。今まで告白をされたことは幾度かある。恋愛仲人なんかしていたら、そういう機会にも恵まれるものだ。中には依頼主が、秤に恋心を抱いたこともある。だが、すべて断ったし、デートもしたことがなかった。初デートは絶対に玲李としようと思っていたからだ。しかしそれも経験した。であれば彼女の勇気に応え、一度くらいデートをしてもいいのではないか。もちろん、彼女と付き合うつもりはさらさらない。
……いや、それでは八重樫にも玲李にも不誠実だ。何があっても付き合わないつもりなのに、気を持たせてしまう。それでは彼女に悪い。そう思った秤は首を横に振った。
「ごめん、僕は君の気持ちに応えられない。デートをしても気持ちは変わらないよ」
「それでも! そ、それでも、お願いできない、かな。お、お願い」
「でも……」
「つ、付き合えなくても、い、一回だけデートしてくれたら、きっと諦められるから。お願いします! じ、自分勝手なことを言っているっていうのはわかってるけど、お願い」
秤は珍しく『人の言葉で自身の決定を覆すべきか悩んでいた』。
彼女の真摯な態度に気持ちが揺らいでいた。それはデートをするかしないかという逡巡だ。そこに特別な気持ちはない。だから余計に悩む。懊悩する。決して交際するという結末にはならないのに、デートをしてもいいのか、と。それでも諦めるためにもしたいという八重樫を前に、秤は考えを巡らせる。そして言った。
「僕は、君の気持ちには応えられない。それにデートは一度しかしない。それでもいいのなら」
「ほ、ほんと!? あ、ありがとう!」
こんな条件は一方的なもので、条件とも言えない。なのに八重樫は秤の言葉に嬉しそうに笑顔を咲かせた。純粋に喜んでいるのが秤にも伝わり、何とも言えない気持ちに陥った。
玲李にも秤にも、こういう感情はないように思える。彼女のように無垢な想いは、秤には新鮮だった。打算はない。純粋な気持ちが痛かった。
「じゃ、じゃあ、今週の休日、日曜日に駅前で待ち合わせで!」
その日は玲李達のデートの日でもあった。場所はわからない。もしかしたらかち合う可能性もある。と思ったが、さすがにそれはないか。田舎でもあるまいし、偶然出会うなんて早々ないだろう。いや、しかし、やはり気になるし不安要素は排除したい。
「別日じゃ、だめかな?」
「で、できればこの日がいい! だけど……」
何か理由があるのか。八重樫の言動には意思が込められていた。もうすぐ冬休みだし、友人と旅行でも計画しているんだろうか。そうなると他の休日は、今週か来週しかないし。あまり無理を言うのも悪い、か。秤としてはすでに負い目があるため、強く出られなかった。言いかえれば、このデートは八重樫を諦めさせるためのもの。思い出づくりのようなものなのだから。
「わかった、じゃあその日で」
「よかった、じゃ、じゃあ、一応、そのライン交換」
「うん、いいよ」
そして二人は当日の話をして別れた。
秤は八重樫の去る姿を見送り、そして小さくため息を漏らす。これでよかったのか、そう思いながら脳裏には玲李の顔が焼き付いて離れなかった。
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