第15話 遭遇



 迷宮都市と呼ばれるここアルベルタは、アーリアル魔術学院を中心として円形になっている。取り囲むのは高く厚い石の城壁だ。この街に城なんて大層なものはないのだけれど、外から見れば城塞さながらだろう。学院が城みたいなものだし。


 といっても、あの壁は外からの攻撃に備えてではなく、内側から何も逃がさないようにという目的で作られている。


 もし迷宮から魔物があふれ出した場合、外に通じる門扉を閉ざし、ここは完全に封鎖された監獄となるのだ。


 初めてこの話を聞いたときは不安になったものだけれど、世界中に点在する、ここと同じような迷宮都市でそんな事態に陥ったことは一度もないらしい。だから、いつ閉じるとも分からない牢獄の扉を前にしても、誰も不安にはならない。それが決して閉じることはないと分かっているからだ。


 路肩でやりとりされる売り買いの声を聞きながら、僕は商業区の通りを歩いていた。相変わらず人が多い。


 迷宮にだけ生息する魔物の部位や特定の階層に群生する薬草など、貴重なものを求めて多くの商人がこの街にやってきているのだ。


 アルベルタを5つに区切った内のひとつ。商業区と呼ばれるここでは、欲しい物を探せば大抵は見つかる。本当にいろいろとあるのだ。あっちこっちを旅してきた商人なんかが物珍しいものを売っていたりもするし、そこら辺にある小路からちょっと裏路地に入れば、非合法なものも売っているらしい。非常に怖いので近寄らないようにしているけど。


 人の流れに混じって歩きながら、僕は辺りを見回す。


 探しているのは人だった。自称「旅するお店屋さん」で、普通のお店では売っていないようなものをいろいろと扱っている。僕が使う調味料の一部は、その人から買っているものだった。そろそろ補充しておきたいのでこうして店を休んで買いに来たのだけれど。


「今度はどこにいるかな」


 問題なのは、日によって店を開く場所が全く違うことだった。


 本当に気分でお店をやっているようで、昨日はあっちで今日はこっち明日はお休みなんてことがざらにある。買いに来たけど見つかりませんでした、なんてことが今までに何度もあったし。


 今日もそのパターンかな。困ったねどうもと頭をかいていると、視界の中に興味深いものを発見した。遠く見える灰色の石壁と、数え切れない人の群れ。その中に、鮮やかに輝く金色の髪があった。太陽の光を飲み込んだような色だ。けれど、僕がその子を目に留めた理由は、それだけではなかった。


「だからお金だよ、お金!」

「お前さんが差し出したから貰ったのじゃ! わしはお金が必要だなんて聞いておらんぞ!」


 言い争っているのだ。めちゃくちゃ年寄り口調で。もちろんお婆さんがあんな口調で話していたのなら、僕は気にも留めなかっただろう。けれど、屋台で肉まんみたいなやつを売っているおばさんと論戦していたのは、10歳くらいの女の子だった。……特徴的すぎる。


 好奇心に負けて、思わず足を止めてしまう。


 金色のツインテールに赤いリボン。肩口の大きく開いた白いワンピースに、黒のタイツ。横顔はまだまだいとけなく、口の端に見える八重歯が幼さと小生意気さを感じさせた。


「あのね、そういうのは常識だろう?」

「お前さんの常識がわしの常識と同じだと思ってもらっては困るのう。世界は広いのじゃ」


 かじりかけの肉まんを持ったままの手を腰にあて、女の子が言う。


 あれ? その口の悪さと独自理論の展開は……どこかで見たような。嫌な既知感に襲われてしまうが、これはきっと気のせいだろう。


「と、ともかくねえ。あんたがもう口をつけちゃったんだから、払ってもらわないと困るんだよ。近くにいないのかい? 親とか兄弟とか」


 僕が奇怪な笑い声と共に脳内に出現した狸じじいを追っ払っていると、金髪ツインテールの女の子と不意に目が合う。なにしろ突然なことだったので、僕はそのまま見つめ返してしまう。思えば、このときすぐに目を逸らしておけばよかったのだけど。


 女の子は僕の顔を思案するように眺めてから、八重歯を見せてにこりと笑った。僕を指差し、おばさんに向かって言い放つ。


「あやつがおにいちゃんじゃ!」

「え?」


 一瞬、何を言われたのか理解できなくて呆然としてしまう。

 気付いたときにはおばさんの顔が目の前にあって、僕の腕は力強い手で捕まえられていた。


 はい?



 φ



「すまぬのう。助かったぞ、おにいちゃん」



 笑顔で言って、女の子が小さな口で肉まんにかじりつく。実においしそうに食べる姿を見れば、僕も悪い気はしない……が、ちょっとした不満くらいは持っておこう。


 あの後、結局はなし崩し的に代金を払ってしまった僕だった。あのおばさんの迫力には逆らえなかったのだ。


 財布を懐に戻しながら、僕はため息をついた。


「……人生っていろいろあるもんだなあ」


 まさか見ず知らずの女の子におごることになるとは。


「それが人生の楽しいところじゃろう。予測の出来る人生ほど退屈なものはないぞ」


 隣で、肉まんを両手で持ったまま僕を見上げる女の子。なかなか深いことを言うなあと見つめ返して、はてと思い直す。


「なんでついて来てるの?」


 あまりに自然だったので、反応がちょっと遅れた。


「うむ。借りたものは返す。これが人としての常道とじいに教わったのじゃ。守らねばなるまい」


 うむうむと頷く女の子。動きに合わせて、ふたつに結ばれた髪が揺れる。


「今は手持ちがないゆえどうしようもないが、帰ればちゃんとあるでな。代金は返すから、ちぃとばかし待ってくれぬか」

「いいよ、それくらい。安いものだし」


 律儀な子だなあと苦笑しながら言った僕に、女の子はふるふると首を振った。自分の言動に自信を持った、迷いのない動きだった。


「高かろうが安かろうが、借りは借りじゃ。やられたことは6倍にしてやり返せと教えを受けておる」


 それは多分いろいろと意味が違う。


「こちらの都合に巻き込んでしまったのじゃ。代金まで貰ってしまったとなれば、じいに怒られてしまう」


 最近の若い者にしては珍しく、女の子はとても律儀だった。本当に子供なのか、思わず隣を確かめてしまう。けれどやっぱりそこにいるのは金髪の女の子で、背は僕の肩よりも低い。言葉遣いとは裏腹に肉まんをかじる顔は無邪気で、精神年齢が高いのだろうと判断する僕である。


 年齢に不相応な精神は、どうにか実年齢と折り合いをつけようと歪んでしまうものだけれど、女の子の中では仲良く同居しているようだった。


 ふたりで並んで歩きながら、多くの人とすれ違う。満員電車ほどではないけれど、相手とぶつからないように配慮して歩かなければならないくらいには混雑している。女の子の前に出ながら、僕はふと疑問に思った。


「ところで、僕らはどこに向かっているのだろう?」


 女の子が確信を持った足取りだったので聞いてみると、目をぱちくりとさせて僕を見上げる。


「わしはお前さんに付いて行っとるだけじゃぞ? それはお前さんが知っておるのじゃろう?」


 ええ? いや、だって。


「君が今、帰ればお金はあるって言っただろ。だからてっきり君の家にでも向かってるのかと思ったんだけど」

「残念じゃが、わしの家はレオンカヴァロじゃ。歩いていくにはちと遠かろう」


 レオンカヴァロって、この国の首都かよ。ここから歩いて行ったら一週間はかかるって。


 しかしそうなると、この子は親と一緒に来たのだろうか。この街にあるものといえば、迷宮に学院に時計塔に……他になにかあったっけ。少なくとも、家族揃って観光に来るにはつまらないところじゃないだろうか。


「なに、心配するでない。この街にはじいが住んでおるでの。わしはじいの家に遊びに来たのじゃ。なにしろじいはわしらに甘いから、会えばお小遣いをくれるじゃろう。ときどき、いやかなり頻繁にひどくくだらぬものをくれることもあるが、きっと……たぶん、お小遣いをくれる……はずじゃ」

「どことなく不安だなあ」


 どんどん確信が薄れていって、最後には希望的観測になったのだけど、本当に大丈夫なんだろうか。というか、そのじいってどんな人なんだ。


「とりあえず、そのおじいさんの家に行こうか。どこらへん?」


 僕にとっては回り道になってしまうかもしれないけれど、どのみち探し人がどこにいるのかさえ分からないのだから、考えるだけ無駄かもしれない。


「特区の端っこのほうじゃ」と女の子。

「特区って……高級住宅街だけど」


 確かめるように訊いてみるが、女の子は「それがどうした」とでも言いたげな顔で僕を見る。


 学院の北西側。最も治安の良いとされるその区域は、まさにお金持ちの集う場所だ。財を成した冒険者や大商人、あるいは貴族というやつとか。身分に関係なくお金さえ持っていれば誰でも住めるのだけど、値段がべらぼうに高い。バカでかい屋敷に使用人付きが当たり前なのだ。庶民の僕には一生縁のない世界だろう。まあ、今の喫茶店がそれなりに気に入っているので、手を出そうとも思わないんだけど。


 しかし、もしそれが本当だとすると。


 せっかく僕が前に出て人避けをやっていたというのに、わざわざ早足になってまで僕の隣に並んだこのツインテール少女は。あれか。お金持ちのお嬢様か。のわりに、ひとりで出歩いてるけど。


 アルベルタの治安が良いといっても、もちろん日本ほどじゃない。貧民街だってあるし、裏路地には非合法な人間もいる。誘拐とか殺人とか、そういう話も無きにしも非ず。昼間の商業区と言えど、名の知れたお金持ちの子供がひとりで出歩くというのは、普通はありえない。


 それに特区の端っこの方って言ってたよね?


 基本的に中心地の方がお高くなっているはずだから、べらぼうなお金持ちってわけでもないのだろう。となると、この子はちょっとお金持ちな家のお子様だろうか。きっとそうだ。そうに違いない。


 自分の推測にうんうんと頷いていると、女の子が僕の袖をくいくいと引っ張った。


「なんだね、ちょっとお金持ちな家のお子様よ」

「……唐突じゃのう。唐突すぎてちょっと言葉を失ったぞ」


 呆れた表情で僕を見た女の子は、ひとつの屋台を指差した。


「あれはなんじゃ? やきとりとあるが」


 白い指の先に目をやれば、あるのは確かに焼き鳥の文字。ひとつは僕が書いてあげた日本語で。もうひとつはこの世界の文字だ。言葉は不思議とこの世界に来たときから分かるのだが、文字はからっきしだった。ミミズがのたくった跡に釘をばらまいたような不可思議文字は、未だにほとんど読めない。まあ、勉強してないんだから当たり前っちゃ当たり前なんだけど。


 読み書きできるのは普通は商人とか学識者で、この世界での識字率はあまり高くないようだ。売り買いのときも基本は現物を前に会話で交渉だし。


 一応、うちもメニューを置いていたりするのだけど、あれは代筆してもらったし。「今日のお品書き」も、基本は一度書いてもらった文字を写しているだけである。この街には学院があるので、人々の識字率は例外的に高い。そのためにメニューとか置いてみた次第である。が、僕が読み書きできないんじゃなあ……という気もしなくもないので、そのうち勉強でもしてみようかねえ。


「鳥の肉を串にさして、香辛料をぶっかけて焼くんだよ」


 説明すると、女の子は大きな目を輝かせた。


「ほう。前に来たときには見たこともなかった。美味しそうじゃのう」


 僕の袖を握り、ねだるような顔で見上げてくる。


「……美味しそうじゃのう」


 ぽつりと呟く。言いたいことは分かる。分かるけど……ねえ。


「まだそれが残ってるだろ」

「むっ」


 少女が持っている肉まん指差して言うと、女の子はすっかり忘れていたようだった。そして半分ほど残っているそれをじっと見つめて、大口でがぶり。もぐもぐとリスのように頬を膨らませながら咀嚼し、飲み込む。またがぶり。もふもふもふ。


 それを何度か繰り返して実に豪快に食べ切ると、女の子はけぷっと可愛らしいげっぷをしてから、再び僕の袖を握って見上げてくる。


「……美味しそうじゃのう」

「……はいはい。分かったよ、買ってやろうじゃないか」


 なんかもう頑張ってたから、買ってあげるよ。なんだかなあ、僕って子供に甘いのかなあ。


「すまぬのう」


 八重歯の光る笑顔。とても満足げである。


 どこか釈然としないものはあるが、別段言葉にするほどの不満もない。女の子を連れたって屋台に近づいていくと、汗を浮かべながら焼き鳥を焼いていた男の人が僕に気付き、「おう、マスターじゃねえか!」と声をかけてくる。「や、リュンさん。久しぶり」と僕も手をあげて応える。


 リュンさんは猫科の耳を生やした獣人さんだ。戦闘民族として名高いラーオン族の末裔らしいのだが、リュンさんはとても平和主義な人である。 


「商売はうまくいってる?」

「おうよ! いやあ、マスターの言う通り、これはボロい商売だなあ。儲かって儲かって。ぐふふふふ」

「そりゃ良かったけど、その笑い声はどうかなあ」 


 実は、商売に悩んでいたリュンさんに「焼き鳥屋はどう?」と提案したのは僕だったりする。実は単に僕が「焼き鳥が食べたいなあ」とその時に思っていただけの発言だったのだけど、詳しい話を聞いたリュンさんが「そりゃおもしれえ!」と採用してしまったのだ。


「いやあ、でもマジでマスターのおかげだぜ。鳥肉なんざいくらでも手に入るし、獣人族のやつなんかつまみ代わりに束で買っていくからなあ」

「いやいや、僕は発想しただけだし。後は全部リュンさんがやったんだから、リュンさんの力だって」

「そうか? いやそうかもしれねえな! ってそんなに褒めるなよなあ!」


 リュンさんがぶわっはっはと笑う。愉快な人である。


 日本人であれば、僕の発言にも「いえいえ、マスターのおかげですよ」とか、謙遜した発言があっただろう。けれど、ここの人たちは褒められたら純粋に喜ぶし、まどろっこしい譲り合いはしない。異文化というか、日本人が控えめすぎるだけだろうか。


 とりあえず僕もあっはっはと意味もなく笑っておく。


 ふたりして声をあげて笑っていると、また袖を引かれる。

 笑いを止めて視線をさげると、女の子の興味深げな顔。


「なぜマスターと呼ばれておるのじゃ? 別に奴隷の主ではないのじゃろう?」


 小さな女の子から奴隷という単語が出てくることにカルチャーショックを受けるが、この世界ではそれくらいに当たり前なことでもあるのだ。異世界だからというよりも、時代の違いというものだろう。


 しかし、そうか。そういう受け取り方もされるのか。


 マスターというのは奴隷が主人を呼ぶ際に使われる言葉でもあるので、ちょっとそこらへんを見直す必要があるかもしれない。存外、僕がお客さんにマスターと呼ばれることは多いのである。まあ、そんな誤解なんて滅多にされないだろうけどさ。


「僕は喫茶店をやっているんだけど、喫茶店の主人のことをマスターって呼ぶんだよ」

「ほう、その年齢で一国の主なのか。大したものじゃのう」

「いや、一国ってほどでもないんだけど……」


 子供特有のきらきらと澄んだ目で見上げられ、ちょっと戸惑ってしまう。


 だってあの店、じーさんから建物をそのまま譲り受けただけだもんなあ。改装費もじーさんのお金だし。僕はそれを維持してるだけだし。


 そこらへんを説明して誤解を解こうかと思ったけれど、面倒なのでやめておいた。


 苦笑する僕と、きらきら見上げる女の子と。

 屋台から身を乗り出すように、リュンさんが声をかける。


「そうさ、マスターは大した奴なんだぜお嬢ちゃん。なにしろ俺たちが悩んでることを誰も思いつかねえような方法で解決しちまったりするからなあ! まるで学者みたいなことを知ってたりもするしよ!」

「ほう! そうなのか!」


 女の子の反応に気をよくしたようで、リュンさんがさらに続ける。


 リュンさんの話は非常に誇大される上に、本当に一部のことなのにさもそれが日常のように話されるので止めたかったのだが、リュンさんの口を塞ぐには何か詰めるしかないというのが経験則だった。手頃に詰められそうなものは、ない。


「どれくらい前だったかな、絵描きになりたいっつう若者が来てたんだわ。田舎を飛び出して来たはいいものの、当然仕事なんかありゃしねえわな。そいつがマスターの店で飲んだくれてたんだよ。つっても絵を描くにも金がかかるだろ? だから飲み食いする金もねえってんで飲んでたのは水なんだけどな、ぶわっはっはっ! でよう、金もない仕事もないってんでそいつがもう田舎に帰るしかねえって泣き出したんだわ。そこでこのマスターの出番よ! マスターはそいつが持ってた絵を見るなりこう言ったんだ。『あなたには才能がある。必ず名が売れる』ってよ! しかもそれだけじゃねえ。マスターは絵描きに仕事をやった! この喫茶店の看板を描いてくれってな! 絵描きは呆然としてたな。でもすぐに嬉しそうに笑ってよ、今すぐ取り掛かります! なんて言ってなあ!」

「おお!」


 女の子はもう、英雄の冒険譚を聞く少年のようである。僕としては、明らかに脚色した話に「おいおい」と思わずにはいられないのだけど。というかリュンさん、焼き鳥が焦げてるって。


 しかしそんなことは気にも留めず。焦げ臭い煙を浴びながらリュンさんはさらに続ける。


「だけど話はここじゃ終わらねえ! 看板を完成させた5日後だ。長い髭のじーさんが喫茶店を訪ねてきた。そいつは言った。『おい、この店の看板を描いたのは誰だ?』マスターは答えた。『不世出の才能を持った、若き青年だ』。するとじーさんは自分の名を名乗った。それがなんと聞いて驚け! イーリアス王家に関わる絵を一手に引き受けるガブリウスだったんだよ! おまけにそいつはこう言った! 『荒削りだが良い絵を描く。是非弟子にしたい』とな! もちろん俺たちは驚いたさ! 絵心なんか耳クソほどもねえ俺だって知ってるくらい有名なじーさんだ! いやあ、あのじーさんの描いたアルリエット王妃のなんと美しいことか! 俺もいつかあんな美人をとまでは贅沢言わねえが、あの器量の半分、いや3分の1もある女と結婚できたら言うこたねえ! っと話が逸れちまったが、誰よりも驚いたのはあのひよっ子絵描きよ! そりゃ当然だわな! なにしろ王国一と名高い画家が弟子にしたいって言ってきたんだからよ! 俺だってもしかしたら耄碌じーさんの嘘話に騙されてるのかと思ったんだがところがどっこい! 後日本当に迎えが来ちまった! 行ってらっしゃい王宮へ! おかえりなさいどうだった!? 聞いてみりゃこれが本当の話らしい! 俺はぶったまげた! 似顔絵のひとつでも描いてもらっとけば後々で高く売れたかもしれねえのにああもったいねえ! それはさておきそいつは喜んだ! これで田舎の親父にも顔向けできる! いつかは胸を張って故郷に帰られるってな! そして泣きながらマスターの手を握って言ったんだよ、『これも全部あなたのおかげです。本当に、本当にありがとう!』そしたらマスターはなんて言ったと思う!?」


「な、なんと言ったのじゃ?」


「これがまたすげえ!『僕はなにもしていない。君の描いた絵が、君の絵の価値を知る人に認められただけじゃないか。胸を張っていればいいんだ』ってなんでえこいつ泣かせやがる! いいこと言うねえ! それでもそいつは言うんだ『でもあなたが看板を描かせてくれたおかげで』マスターは首を振ってそいつの言葉を止める。そして笑って言った! 『未来の大画家に描いてもらえたんだ。良い記念になったよ』ってな! すげえだろ? 泣けるだろ? 感動だろ? 俺は涙が止まらねえ!」


「なんと! もしや青年の名はパリッシュというのではないか!?」

「な、なんで知ってるんでえ!?」


「レオンカヴァロでその名を知らぬ者は今やおらぬ! その繊細な筆運び、緻密な表現、今にも動き出さんばかりの表現力! 素晴らしい才能を持った若き絵描きと呼ばれておる!」

「なんでえなんでえ! うまくやってんじゃねえかあのひよっ子! いやあ良かった! すげえな! なあマスター! あんたもそう思うだろ!?」


「え?」


 もったいないので焼きあがった焼き鳥を勝手に食べていた僕は、突然話をふられて首を傾げる。えっと、話は終わったの?


「って俺の話聞いてなかったのかよ!?」


 だって長いんだもん。



 φ



「マスターはすごいんじゃのう」

「買い被りだと思うけどなあ。あれこそ偶然の話だし」


 エメラルド色の瞳をきらきらと光らせて僕を見上げながら、女の子は焼き鳥を食べている。話すの大好きリュンさんに影響されてか、女の子は僕に対して間違った認識を持ってしまったらしい。やはり止めておけば良かったかもしれない。


 リュンさんの焼き鳥屋から離れて、僕たちはふたりで歩いていた。向かう先は高級住宅街。女の子のおじいさんの家である。


 しかしそっか、上手くやってるのか、あの絵描きさん。

 僕も焼き鳥をかじりながら、そう思う。


 美術館で見た絵とそっくりの画風だったので、思わず才能あるとか言ってしまったのだが、本当にあったらしい。僕が驚きだ。


 彼に描いてもらった看板は大事にとっておこう。数十年後には非常に価値のあるものになっているかもしれない。ぐふふ。

 思わず笑みをこぼしてしまうが、だって人間だもの。


「そういえば、マスターの名前はなんというのじゃ?」


 思い出したように女の子が僕に訊いてくる。今さらながら、互いに名前も知らなかったことに気付いた。


「ユウだよ。ユウ=クロサワ。君は?」

「リリエッタじゃ。親しいものはリエッタと呼ぶでな、そう呼んでくれて構わぬぞ、ユウ」


 いきなり呼び捨てにされたわりに、不快感も違和感も全くなかった。思わずそれが当然と思えてしまう何かが女の子にはあった。なんだろうこれ、格の違い?


「しかし、喫茶店のマスターというのはすごいのじゃのう。よもや、画家の才能を見抜くだけでなく、名を知らしめるきっかけまで生み出すとは」

「いや、それはちょっと誤解かなあ」


 僕は苦笑した。少なくとも、普通の喫茶店ではそう起こらないことだろう。


「じいの言っていた通りじゃ。喫茶店という所は実に面白そうじゃのう」

「じいの言っていた通り?」

「うむ。じいは最近、喫茶店というところがお気に入りらしい。といっても、もう1年も前かの、それくらいから通っておるそうじゃが。そこの店主がまた興味深いと笑っておったのじゃ。じいが言うほどだから、そこはさぞかし楽しいのじゃろう。そういえば、ユウも喫茶店をやっておるのじゃったな。なにか心当たりはないか? 楽しい喫茶店について」


 ……あれ? 何か、ちょっとだけ掠った気がするぞ。いや、でもまさか。偶然だなきっと。例えこの街に喫茶店と呼ばれる店がひとつしかなかったとしても、これは何かの誤解だろう。ゴル爺が孫娘のことを「リリ」と呼んでいて、この女の子の名前は「リリエッタ」だけれど、これも全くの偶然だろう。


 いつものごとく僕の直感が警鐘を鳴らしているが、僕はそれを無視した。きっと、これは何かの間違いのはずだ。そうあってほしいという願いもこめて、聞いてみる。


「あのさ、リエッタ」


 ちょっとだけ畏まった声になってしまう。


「なんじゃ」


 不思議そうにリエッタが僕を見る。


「つかぬことをお聞きするけど、リエッタに婚約の話とかある? 許婚がどうとか、そういうの」


 すると、リエッタの顔がぽかんとなった。


 あ、やっぱりね。そうだよなあ、まさかそんなわけないよなあ。こんな小さいのに、普通はそんな話ないよね! 僕の勘違い――


「よく知っておるのう。最近はそんな話も来ておるぞ。わしはあまり気乗りせんのじゃが」


 ――じゃなかったかー……。そっかあ……やっぱりあのクソ爺、諦めてなかったのかあ。今度来たら三途の川のほとりをお散歩させてあげようっと。


 固い決心はありながら、それでも僕は一縷の望みを託して、確認してみる。


「あの、さ。人をおちょくるのが大好きで他人をからかっては奇怪な笑い声をあげる性根から捻り曲がった耄碌爺さんに心当たりってある?」


 ないよね?


「なんと! じいのことを知っておるのか!」


 あるのかよ。

 なんてこったい。


 頭を抱える僕の横で、リエッタは慄いていた。


「喫茶店のマスターはそんなことまで分かってしまうのか……なんと、なんと恐ろしい!」


 いやいや、違うから。君の中で喫茶店のマスターはどんなキャラなんだ。間違いなく誤解してるって。


 けれどそんなつっこみをいれる元気はなく、僕はため息を漏らすばかりだった。


 ということはあれですか。この女の子の許婚に、僕の名前が挙がっているわけですか。少なくとも、ゴル爺の中では。ていうかゴル爺、やっぱり金持ちだったのか。頻繁にうちを貸し切ってたりするんだから予想はついてたけどさ。


 ずきずきと痛んできたこめかみを押さえながら、リエッタを見る。


 確かにかわいい。肌は日焼けなんて言葉を知らないみたいに白いし、ツリ気味の碧眼は大きくて愛らしい。ツインテールに赤いリボンも似合ってる。将来は美人になるだろう。


 ……できれば10年後くらいにそんなお話を頂きたかったなあ。


 本音はこれである。いやでも待て。例え10年後でも、そうなるとあのゴル爺と家族になってしまうのか。それは……嫌だな。あの人はしぶとく長生きしそうだし。


 姑の嫁いびりならぬ、じじいの僕いびり。想像するだけで疲れる。


 やっぱりダメだ。ゴル爺が旅立ってくれた後であれば最高だけど、今の年齢でそういう話はありえないだろう、常識的に考えて。いや、こっちは結婚適齢期が低いからそれほどおかしい話ってわけでもないんだけど。日本という国で育った僕の倫理観的にはおかしいという判断をせざるを得ないわけで。やっぱりゴル爺とはちょっと「お話」をしなければならないだろう。


 よし、と決断した僕の横で、不意にリエッタが声をあげた。



「し、しまった……」

「え? な」


 ――にがと訊く前に、僕はその理由を見つけた。


 前方。その迫力に自然と割れた人の海のど真ん中を、青く長い髪をなびかせて歩いてくる人がいる。


 純白の騎士服を纏った女性だ。腰には一振りの長剣。目は弓なりになって見惚れるほどの笑顔を浮かべているが、纏う空気はとても黒い。

 経験則から、僕はひとつの結論に至る。


 ――あの人には逆らわないようにしよう。


「っく、こうなれば逃げるしか!」


 僕の手を握って踵を返そうとしたリエッタだが、つんのめるようにして止まる。僕が一歩も動かなかったからだ。


「ど、どうしたのじゃユウ!」


 言葉は返さず、僕はリエッタの小さな手を引き寄せる。


「わぷっ」


 お腹の辺りにリエッタの顔が埋まる。僕は小さな頭を押さえ、逃走できないように捕獲した。金色の髪のなんと手触りの良い事か。


「な、なぜじゃユウ! わしを裏切るのか!」


 僕の腕の中で、リエッタが言う。見上げられた碧眼の瞳にあるのは怯えだろうか。事情はよくわからないが、たぶん大丈夫な類のことだろう。この目は、悪戯をした子供が親に叱られるときに見せるあれだ。


「ごめんね。僕は常に強い者の味方なんだ」

「素敵な笑顔で最低なことを言っておるぞ!」

「ふはは。なんとでも言うといい。長いものには巻かれろ。良い言葉だね」

「ええい! よもやお主がそこまで腑抜けであったとは! わしは見損なったぞ! それでも男か! 女に怯えて恥ずかしくないのか! 確かにあやつは悪魔のような人間じゃが、そこで負けては男が廃ると言うではないか! ちゃんとついとるのか貴様!」


 こらこら。ついとるのかとか言わないの。

 ていうかさ。


「その悪魔のような人が、すぐそこにいるけど」

「すみませんね、悪魔のような人間で。私もできれば天使のようにありたいとは思うのですけれど、これが中々うまくいかないんですよね。主にあなたのせいで」

「ひっ」


 青髪の女性は、僕の腕の中でびくりと身を震わせたリエッタのこめかみに握りこぶしを当て、かなりの力でぐりぐりと動かした。


「はわあぁぁぁぁっ!」


 まったく意味の分からない悲鳴が、リエッタの口からひねり出される。

 しかし、意味がわからないのは僕だけだったらしい。


「え? もっとしてほしい? 私はあまり気が進まないのですが、そこまで言われるのでしたら仕方ありません。不肖クライエッタ、誠心誠意を以って続けさせていただきます」

「そんなことは言ってにゃぁぁぁあああ!」

「そうですか、そこまで喜んでいただけたのなら幸いです」

「ふにぃぃぅぅぅぅううううううあああ!」

「反省しましたか?」

「しにゃぁぁにょあああぃぃぃぃいいい!」

「え? 申し訳ありません。私には聞こえません」

「ぴゃああぁぁぁぁぁ…………」

「あら? まあ。疲れて眠ってしまったんですか。まったくもう、仕方ないんだから」


 腕の中でかくんと力なく首をたらしたリエッタを抱えて、僕はがくぶるだった。

 ……やばいよ、この人は絶対やばい。


「?」


 僕の視線ににこりと笑みを返す女性を見て、僕は確信した。

 この人は、絶対ドSだ。


 僕の腕の中で、リエッタがびくんと震えた。



 φ



「大変ご迷惑お掛けしました。この子の確保にまでご協力いただいて、感謝しています」

「あ、いえ全然です」


 口から白い何かをふわふわと浮かせたリエッタを背負った青髪の女性が、綺麗な動きで僕に一礼。思わず、顔の前で手を振ってしまう。


「後日、改めて謝礼のほどを送らせて頂きますので、お名前とご住所をお聞かせ願いますか」

「いえいえ、本当に大丈夫ですから。特に迷惑らしい迷惑を受けた覚えもありませんし、謝礼をもらうほどのことをしたわけでもないですし」


 初遭遇の時に感じた印象とは裏腹に、女性はとても礼儀正しかった。背は高くないのだけど、決して折れない芯鉄が中心に入っているようで、なんだか言葉にできない迫力がある。思わず僕も背を正してしまうくらいだ。


「そうですか……それでは、せめてお名前だけでも」


 綺麗なお姉さんに名前を聞かれた。これは答えなければなるまい。

 僕は脊椎反射で名乗っていた。


「ユウです。ユウ=クロサワ」

「ユウ様ですね。私はクライエッタと申します。お気軽にお呼び下さい」


 にこりと、クライエッタさん。あまりに凛々しすぎてお気軽に呼ぶとか恐れ多いです。なんかもう、こうして向かい合っていてごめんなさい。


 と。恐れ多いのはいいのだけど、一応聞いておかないと。


「あの、失礼ですけど、リエッタとはどういうご関係なんですか?」

「それを聞いてどうなさるおつもりで?」


 質問を質問で返すなよ。とは思いつつ、少しだけ怜悧な光を宿したクライエッタさんの瞳に、ちょっとたじろぐ。うわ……この人絶対強い。戦闘力的な意味で強い。強くてドSだ。


「好奇心です。それにまあ、もしその子に害を成すような人だったりしたら、夢見が悪いですから」


 笑って言うと、クライエッタさんの瞳が僕を捕らえる。口元に微笑はあるけれど、その瞳は至極真面目だ。僕を量る視線。人の真意を見抜こうとする瞳。ここで目を逸らしてはいけない。だから僕はちょっとだけやせ我慢をして、クライエッタさんの瞳を真っ向から見返した。ずしりと肩に重みを感じる。すげえ、この人すげえ。目だけで人とか殺せるかもしれない。


 ちょっと、いやかなりビビりながらも必死に笑っていると、クライエッタさんの目が弓なりになる。綺麗な笑顔だ。


「見所がありますね。うちの新入りとは大違いです」


 そう小さく呟いて。


「ご安心ください。私はこの方を守ることに誓いを立てておりますゆえ。詳しい関係というのは口にできませんが、ご信用ください」


 真っ直ぐな言葉だった。そこに嘘はなさそうだったし、そう勘ぐることさえ不敬に思えるほどだった。やましい思いやあやふやな気持ちを抱いた人が、こんなに力強い言葉を口に出来るはずがない。


「そうですか。なら安心ですね」


 まあ、もともとそこまで疑っていたわけでもないのだけどさ。

 けれど僕の言葉が意外だったのか、クライエッタさんはちょっとだけ不思議そうな顔をした。


「自分で言っておきながらですが、そんなに簡単に信じてもよろしいのですか? 私が虚偽の発言をしているかもしれませんが」


 僕は笑い返す。


「人を見る目はある方なんです、職業柄ね。クライエッタさんは実直そうな人みたいですし、信用しますよ」


 クライエッタさんは眉尻を下げ、どうとも言いがたい顔をする。ああ、もうひとつ。あなたは感情が顔に出やすいから、嘘をつくのは難しいんじゃないでしょうか。


「……会って間もない方にそう言われたのは初めてです。確かに、お前は分かりやすいと周りにはよく言われますけれど」


 クライエッタさんはこくりと首を傾げた。


「私、そんなにわかりやすい人間でしょうか」



 φ



 リエッタをおぶって歩いていくクライエッタさんは、まるでわんぱくな妹をもった姉のようだった。

 人ごみの中に後姿が消えていくのを眺めながら、僕は大きく息を吐く。


「……人生っていろいろあるもんだなあ」

「含蓄のあるお言葉ですね」

「うわっ!?」


 背後からの思わぬ返事に、びくりと肩を震わしてしまう。

 な、なにやつっ!?


 振り向けば、そこに立っているのはプラチナブロンドの麗人。今日は深い青色のパンツスーツに身を包み、三日月の小さなイヤリング。いつものように気配を感じさせぬ佇まいで、いつものように麗しい。ゴル爺の秘書さんだった。


「いつもお世話になっております」


 ぺこりと頭を下げられる。


「あ、いつもお世話してます」


 思わず僕も頭を下げ返す。ゴル爺をという意味で、つい反射的にそんなことを言ってしまい、僕は慌てて口を押さえた。


 けれど秘書さんは気にした風もなく、くすくすと笑った。近所のお姉さんに微笑ましい目で見られたようでちょっとだけ恥ずかしかったので、話題を逸らすために話を振る。


「ど、どうしてここに?」

「今日はお客様がいらっしゃいますので、お出しする茶菓子を調達しに参りました」


 はあ。なるほど。まあ、ここらへんはいろんなものが売ってますしね。


「ユウさまはどういったご理由で、とお尋ねしてもよろしいでしょうか」


 もっと気軽でいいのになあと思いつつ、それがこの人らしさなのかもしれないと思う。いつも礼儀正しいのだ、秘書さんは。


 と、これはとても都合が良いことに気がついた。秘書さんを通して詳しい話を客観的事実で聞いておこう。無くなったはずの許婚話が未だに残っている理由如何によっては、ゴル爺に断固抗議の必要が出てくるし。


「あのですね、秘書さん。実はお聞きしたいことがあるのですが」

「はい。なんでしょう」

「実は先ほど、ゴル爺の孫娘さんらしき子に出会ったんですけど――」


 続けようとして、秘書さんの顔が訝しげになったことに気付く。


「失礼ですが、人違いではないでしょうか。お嬢様でしたら、先ほどわたくしがお屋敷までお送りして参りました」

「うえ?」


 え? あれ?


「マジですか」

「マジと思われます」


 じゃあ、あの子は誰? 幽霊? ドッペルゲンガー?


「あの、その方のお名前は?」と秘書さん。

「リエッタです。正しくはリリエッタ」


 僕の言葉に、秘書さんの顔が驚きに変わる。


 その顔から、僕はふと悟ってしまう。


 も、もしかして、何年も前に死んだはずの子だとか!?


 …………。


 いや、それはないか。



 φ



 背中でもぞもぞと目を覚ました様子に、クライエッタは少しだけ安堵した。ちょっとだけやりすぎたかもと思っていたのだが、大丈夫だったようだ。


「……むう? この後ろ頭はクライエッタか」

「人を後頭部で判別しないでください」


 すでに特区に足を踏み入れていたため、商業区ほどの人通りはない。静かなものだ。それでも辺りの警戒は怠らずに、クライエッタは背中に向けて声をかけた。


「もうすぐ、アドラステア卿のお屋敷に着きますゆえ」

「なんと、いつの間にじいの家に来ていたのじゃ? なぜか少しばかり記憶が飛んでおるのじゃが」


 どうやら記憶が混乱しているらしい。これは好都合だと頷いたクライエッタが、自分にはまったく否がないという口調で説教を始める。


「リエッタ様。いくらアルスヴィズがいるとはいえ、おひとりでの行動はお止めください。ジャックが私に泣きついて来たのですよ」

「う、む。それはすまなんだ。しかしのう、ついつい血が騒いでしもうてのう。じいの血が色濃いのやもしれぬ」

「アドラステア卿とは血縁関係にありませぬゆえ、ご安心ください。……影響は多大に受けてしまわれたようですけれど」


 主にその口調だとか、奇想ぶりだとか、周りを引っ掻き回す所だとか。

 しかし口には出さないクライエッタである。


 無駄に煌びやかな装飾のされた一軒屋を過ぎれば、遠目に屋敷が見える。ここからでさえその大きさは容易に見取れ、立ち入る者を選別する白亜の門があった。ゴルパトリック・フェルディナント・ヴァロ・アドラステア公爵の屋敷だ。リエッタが幼い頃から幾度となく訪れたこの屋敷は、彼女にとっては第二の我が家と言ってよいほどに馴染み深い。


「うむ……お主らには申し訳なかったが、わしは楽しかったぞ。喫茶店のマスターに出会ったのじゃ。ユウというのじゃが、これが実にすごい人間でのう。ほれ、弟子はとらんとあれだけ言っておったガブリウスが、ひとり弟子をとったろう?」

「確かパリッシュという名前でしたね。稀有な才能を持っているとか」

「うむ! あのパリッシュの才能を初めに見抜いたのがユウなのじゃぞ!」


 まるでわが事のように自慢げに話す少女に、クライエッタは笑みをこぼした。


 育った環境が環境だけに、リエッタの人を見る目は敏い。自分への悪意を少しでも持つ人間には心を許さず、しかし甘えられる人間には甘える。そんなリエッタが懐いているのだから、さぞかし人の良い少年だったのだろう。


 こちらの視線を真っ向から受け止めた瞳を思い返す。


「今度はわしも喫茶店とやらに行ってみたいのう! ユウの店がよい!」


 背中ではしゃぐ声に笑みを深めて、クライエッタが言う。


「でしたら、今度はふたりで参りましょう。私も付いていきますゆえ」

「うむ。それがよいのう。楽しみじゃ」

「ですがリエッタ様、勝手な行動はもう少しお慎みください。自覚が足りていらっしゃらないようですけど、この国の第三王女なんですからね、あなた」




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