第14話 常識的に考えて
「ぼくは……そろそろ、限界かもしれません」
久しぶりに開いた店内に、久しぶりのお客さんたちの顔がある。といっても、お客さんもこの店もマイペースなものだから、いつもより来店客が多いというわけでもない。
来たいときに来る。
過ごしたいように過ごす
それがこの店での常識である。
ごく一部の人間は世間からだいぶズレた常識を持っているので油断はならないけれど、基本的にまったりとした平和な毎日が過ぎている場所なのだ。
久しぶりにコップを磨いていた僕は、ずっと前に聞いたことがあるのと同じような呟きを耳にした。目を向ければ、人生に疲れ果てたという顔までそっくりである。
「そんな、会社の歯車になるのが嫌だと脱サラしてラーメン屋を立ち上げたものの見事に失敗して、ついに奥さんに逃げられたあげく保証人になっていた親友が行方をくらませて借金抱えちゃった人みたいな顔してどうしたの?」
「……相変わらず、あなたはよく意味の分からない言葉と言い回しをしますね」
僕の的確な表現に、ウェットは苦笑する。
深緑色の髪に、長く伸びた耳。横長の銀縁眼鏡。イケメン。アーリアル学院の生徒会副会長。主な特徴はこんなところだろうか。彼はそう、ファンタジーといえば、という連想で間違いなく出てくるほどに有名な存在、エルフなのである。
エルフといえば金髪巨乳! これは譲れまい!
高校に入学して知り合った友人が、そんなことを熱く語っていた。彼はオタクと呼ばれる種族に分類される人間だったのだけど、オタク族ではそんな言い伝えでもあるのだろうか。
ほんとはなあ。そんな人と出会いたかったんだけどなあ。
ちょっとだけ残念な気がする。男として。
イケメンよりは美少女だよなあ。
「ぼくの顔になにか付いていますか?」
思わずじっと見つめてしまっていた。首を傾げる動作に髪がさらりと流れ、店の隅からきゃあきゃあと控えめな黄色い声があがる。美形エルフ(男)は同性からすれば残念なのだけど、女性からすればまた違う感想になるわけで。ウェットには密かなファンが存在するのである。以前、あまりにきゃあきゃあうるさかったので思わず叩き出してしまったのだけど……まあ、まだ許容範囲か。
ちらりと声の発生源に一瞥をくれてから、ウェットとの会話に戻る。
確かに「過ごしたいように過ごす」がこの店の常識ではあるが、「他者に迷惑をかけない」という人間的常識かつ規律が前提にあるのだ。それを破るというのであれば、これ即ち非常識。速やかにお引取り願う次第だ。
「ああ、うん。顔のせいで変なのはくっついてるかな」
ぴーひゃらぴーひゃらうるさいのがね。僕の視線にべーっと舌を出す、あそこの女子生徒3人組とか。
ふむと悩んでいたウェットだったが、諦めたように首を振る。
「やはり、あなたの言い回しは難しい」
「まあ、ね。遠回し控えめ、比喩表現大好きな国で育ったからさ」
「そういえばあなたの生まれは聞いたことがありませんでしたね。どちらなんですか? 黒髪黒瞳は、極西のジクという国に多い特徴と聞いた覚えがありますが」
興味深げに聞いてくる。
僕はあまり個人情報は話さないので、ウェットにしてみれば興味あることらしかった。正直に「いやあ、僕って異世界から来たんですよ。すごいっしょ?」と話してみてもいいのだけど、信じさせるのが面倒だし、話したところで世間話以上の意味はないだろう。可哀想な人と思われてもあれだし。
「あー、うん。たしか曾じーさんがそっちの出だったかな」
適当に話すと、ウェットがふむふむと頷く。
「なるほど。やはりですか。確かジクは神世の遺跡が多く見つかった場所だと聞きます。きっとその名残の文化なのでしょうね」
「きっとそうなんだよ」
神世という言葉の意味もわからないし、どんな文化の名残なのかも分からないが、とりあえず頷いておく。ああ、そうか、これがNOと言えない日本人の悪いところなのか。いやしかし、これは処世術というものさ。
互いにうんうんと頷くこの光景。果たしていかがなものかとは思いつつ、他人と意見がかみ合うというのは素晴らしい。
一通り満足して、僕はウェットに聞いた。
「それで? なにがどうなってもう限界かも、になったの?」
「ああ、それは思わず口から出てしまったというか……」
眼鏡をくいっとあげながら、ウェットは苦笑する。なんだかなあ。苦笑まで様になるんだもんなあ。
ああ、イケメンが憎い。
しかしそんな感情は露とも見せず、僕はとても気の良い優しい喫茶店のマスターの皮を被っておく。これこそ処世術。本音を漏らさないのが日本人の素晴らしいところさ。
「前にも聞いた、生徒会の人たちの話?」
ちくしょうイケメン。羨ましいな。
隠された本心には気付いた様子もなく、ウェットが首の後ろに手を当てる。
「……ええ、実は」
「確か、幼なじみに引っ張られて入っちゃったんだよね?」
「そうです。半ば無理やり……というか、選択肢さえありませんでしたから、あれはもう強制としか言えない気も……」
「でも、あれだよね。幼なじみって、かわいいんだよね?」
「え? ええっと。どちらかと言えば――」
「かわいいんだよね?」
「……はい」
おっと。思わず身を乗り出して問いただしてしまった。いやでもあれだよ。明らかにかわいい女の子に対して「どちらかといえば」とか、もうふざけてるのかと。あれか、エルフには美形ばっかりなせいか。かわいいの標準レベルがふざけた高度にあるのか。ちょっとエルフの女の子紹介してください。
そもそも、幼なじみの子って人間だけどさ、すごいかわいい子だったじゃないか。こう……思いっきり他人を振り回す感じだったけど。僕としては、できれば距離を置いて付き合いたい人種の子だったけど。
言いたいことは多々あれど、口にしないが花ってやつである。僕はしっかりと飲み込む。
「それで、その生徒会がどうしたわけ?」
僕の問いかけに、ウェットが考え込んだ。話して良いかというより、どう話すべきかを悩んでいるようだった。
「あー……あなたのように婉曲的な表現を用いれば、とても壊れやすい蝶番のような状態なんです。今のぼく」
さて困った。意味がわからない。が、推測はできるのでやってみよう。
ふむと僕は顎に手をあて、傍目から見ても考えてますよーという姿勢を見せる。
生徒会関係の話で、ウェットが限界という。もともとウェットは入りたくて入ったわけではない。幼なじみは台風みたいな子。そして壊れやすい蝶番。
……ああ、うん。ニュアンスは分かる気がする。
「要するに、扱き使われ過ぎてもう疲れたよパトラッシュ……なわけか」
「パトラッシュがどなたなのかは知りませんが、まあそんな感じですかね」
ウェットが苦笑する。
「まあ、彼女が生徒会長という時点で大方の予想はついていたんですけどね。昔から、そんな役回りでしたし」
「あ、やっぱり昔からあんなのなんだ」
「あんなのなんです」
それは苦労してるなあ。
「彼女ひとりならまだなんとかなったんですが、今年の生徒会には一癖も二癖もある人たちがいまして……これが本当に」
「たとえば?」
ウェットがそこまで言うほどだから、実際には五癖も六癖もあるような人たちなんだろう、ウェットは表現まで控えめな人間だし。そんな彼にここまで言わしめる生徒会メンバーに興味を惹かれる。
訊いた僕に「……は、はは」とちょっと危うげな笑いを見せて、ウェットが自分の手を見つめるように右手を開く。そして、まず親指を折った。
「まずは、ぼくの幼なじみこと生徒会長。これはまあ言うまでもありません。快楽主義者。楽しければそれでいい。楽しくなければ生きている意味がない。やるだけやったら満足。後片付けはよろしく。主観ではなく、客観的な表現でもこんな人です。もちろん、書類仕事も含めて業務には無関心です。認証印をもらうだけでも困難を極めます。面白くないという理由で」
……一応、トップだよね? 生徒会という自治組織の、最高権力者だよね? それ、人選間違えてないかなあ。
苦笑する僕の前でウェットが、今度は人差し指を折る。
「書記。一役ですが、役者はふたりです」
「……どういう意味?」
「双子なんです、彼女たち」
「ああ、なるほど」
それはまた、特徴のある。
「彼女たちはまあ、仕事はしてくれるのでいいのですが……空気が重くなるんです」
空気が重くなる?
「仲でも悪いの?」
いやでも双子だしなあ。まさかそんなねえ。そう思いつつ訊くと、ウェットは真剣な顔で頷いた。
「非常に悪いです。水と油、ロスルとジキル、コニャットとベルーパの如く。ぼくにもなぜ彼女達があそこまで反発するのかわからないんですが、本当に仲が悪い。顔を合わせるたびに言い争い、嫌味を言い合い、なじり合うんです。最終的には身体的特徴まで」
「それは……」
僕の言いたいことを察したのか、ウェットが頷いて言葉を続ける。
「傍目から見れば、究極の自虐にしか見えません。鏡に向かって自分の悪口を言っているような、そんな感じです。他の4名は気にした風もないんですが……ぼくはつい止めに入ってしまって」
「巻き込まれるわけだ」
「……はい」
お人よしだもんなあ、この人。ついでに真面目だし。その性格で貧乏くじを引くタイプだろう。悲しいことに。
まるで僕のようなので、気持ちはよーく分かった。非常識人の中にいる常識人は、とても苦労するのだ。うんうん。
「そして会計」
折るのは中指。
「会計というか、情報係というか、油というか、燃料というか。彼は学院内の情報を統括している存在なんです。学院内に張り巡らした独自の情報網から情報を集めて、それを元手にいろいろと騒ぎを起こしていたので、会長が面白そうの一言で引き入れたんですが……」
「それ、相乗するよね?」
もう分かりきったことだった。
燃料。なるほど確かに燃料だ。
会長が立案し、会計が裏準備兼情報集め。あるいは会計がネタ提供、会長が即行動。
……これ、最悪の組み合わせじゃないだろうか。下手に権力持っているだけに厄介だし。
ウェットは、ちょっと涙ぐんでいた。
「もう……片方だけでも厄介なのに、ふたつ混ぜたら本気でダメですよ。収拾がつきません」
苦労……してるんだなあ。
なんかもう、本当にウェットが哀れだった。
そして、ウェットが震える薬指を折る。
僕の感想はただひとつ。―――まだいるの?
「執行、と呼ばれる役職です」
「執行?」
聞き慣れない言葉だ。生徒会に執行。なにをやるんだろう。
首を傾げてみせれば、ウェットはふふ……と肩を落とした。
「学院では、度々『決闘』というものが起こります。生徒同士の喧嘩ですね。剣であれ魔術であれ学力であれ。何かしらの内容で、正式な手続きのもとに行われるものなんです。ですが、少々血の気の多い方々が手続きもなしに行ったり、危険な『決闘』を行ったりすることがありまして。そういった非正式な争いを物理的に制止する役です」
それはまた、派手だなあ。
風紀委員みたいな感じなんだろうか。漫画とかアニメだとそんなのありそうだけど。
「で、その人はどんな癖があるの?」
直接的に「問題」とは言わない。たとえ分かりきったことであっても、控えめな表現にするのが日本人の美徳である。ここ異世界だけど。
「……戦うの大好き《バトルジャンキー》なんです」
……一番まずいとこがきたな。
「やり過ぎを止めるはずの人間がやり過ぎるんです」
……うっわあ。
「それを止めにきた教師さえ、ブッ飛ばすんです」
……もう、ダメかもしれないね。
しばらく、ふたりで沈黙だった。
すごいなあ。生徒会すごいなあ。この喫茶店もそうだけど、そういう人たちって一箇所に集まりたがる習性でもあるのかなあ。
もうカウンターに崩れかけているウェットが、最後の気力を振り絞るように小指を折った。
まだいるのか。
「最後は、交渉です」
「それは……どんな?」
ごくりと、思わず僕も緊張感を纏いながら訊く。
「各サークル、教師、地域などと、催し物の際などに生じる交渉を一手に引き受けてくれています。場合によっては金銭も絡んでくるので、相手も真剣なんですが……彼は、交渉という言葉を広義に捉えて、あらゆる条件をクリアーしてくれます。これは非常に在り難いことです。在り難いことですが……ぼくはときどき、自分の良心の呵責に耐え切れそうになかったりします」
忠実に問題を解決してくれるだけに、直接的な文句も言えないわけか。それはそれで厄介というか……。
「交渉を広義で捉えるって、どんな感じで?」
「相手によっては、情報を掌握している会計から弱みなりなんなりを仕入れて脅すとか、武力も言葉だといって執行を連れて行って肉体言語で会話をするとか……もう開き直って普通に騙すとか、そんな感じで」
本当に手段を選んでないな。
「彼は学院でこう呼ばれてもいます。言葉の魔術士、言い訳の天才、詐欺師、言葉の暴力……他多数。使える者はなんでも使って目的を達成するので、ある意味で、いちばん厄介な人間かもしれません」
そこまで言って、ウェットは頭を抱えた。
そこにウェットを入れて、7人。たった7人で、1000人近い学生が所属するアーリアル学院を率いているわけだ。あの学院のイベントが多く、しかも無駄に派手なのは彼らの力あってこそだったらしい。すごい。すごいけどなんかいろいろとツッコミたい。
「……苦労、してるんだね」
労わるようにウェットの肩をぽんっと叩くと、ウェットはそのまま崩れ落ちた。うつ伏せたまま、カウンターに向かって叫ぶ。
「ぼくはっ、ぼくは普通の神経を持った一般人なんだっ!」
その叫びが、ちょっとだけ切なかった。いつの時代も、真面目な人は苦労してしまうのだ。僕のように。
そんな人たちに住み良い世界になるといいね。
うんうんと頷く僕である。
φ
愚痴を聞いていただいてありがとうございました。これでまたしばらくはがんばれそうです。
あれから小一時間ほど話してから、ウェットは健気なセリフを残して去っていった。エルフ耳をぴしっと伸ばし、銀縁眼鏡をきらりと光らせて。戦場に旅立つ友を見送るように、僕はウェットの背中を見つめていた。
そんな彼の背中を追うように、女子生徒三人が出て行く。結局あいつら、水しか飲んでない。ちっ。
と、ウェットたちと入れ違いに、長い赤髪をなびかせながら、黒い制服を着た女生徒が入店する。リナリアだ。
「や、いらっしゃい」
「来てやったわよ。盛大にもてなしなさい」
手を上げて言うと、リナリアが素敵な笑顔で返してくる。確かに遠慮するなとは言ったが、そこまでいくとただの我侭とか要求じゃないだろうか。
しかし、相手の期待には応えたくなるのが僕という人間だ。方向性はどうあれ。
カウンターに座るリナリアに、冷蔵庫から取り出したジュースを出す。向こうが透けて見える薄緑色。香りはふるーてぃーである。
「あら、美味しそうね」
特に返答もなくにこにこと笑っている僕を前に、リナリアがジュースに口を付ける。一口。
「……にがっ!?」
「うはは。野菜ジュースだ馬鹿め。とりあえず飲めないくらい苦くなるように作ったけど、健康にいいぞ。美容にもいいぞ」
「誰が飲むのよこんなの! もはや毒のレベルでしょうが!?」
取り出したハンカチで口を覆いながら、リナリアが恨めしそうに睨む。
口直しの水を出してやりながら、僕は答えた。
「主にウェット。というか、基本的にウェットしか飲まないし、ウェットしか飲めない」
「……味覚、大丈夫なの?」
「いや、あの人ってエルフだろ? 新鮮な野菜の味がたまらないらしいよ」
「……そういうもの?」
「たぶん」
ごめん、断言はできない。
前にエルフのリュシー婆さんに出したら、ちょっと昇天しかかってたし。いやあ、あの時は焦った。
疑わしそうに僕を見るリナリアの視線を受け流しつつ、僕はリナリアに訊いてみることにした。リナリアとの話題にはちょうど良いし。
「そういえば、学院の生徒会ってすごいんだって?」
「生徒会? まあ、うん。あれはすごいわね。私にはすごいとしか言えないわ。できればお近づきになりたくないという意味で」
「話を聞く限りでは、僕も同意見」
言うと、リナリアが首を傾げる。長い髪がさらりと流れて、柑橘系の香りがふわりと広がった。
「聞いたって、誰に? そんな知り合いでもいるの?」
「さっき店から出てったの見なかった? ウェットだよ。生徒会副会長。生徒会唯一の良心。生徒会一の苦労人」
僕が言うと、リナリアがぽかんと僕を見つめた。
あまりに真正面から見つめられたので、思わず口を開いてしまう。なんかこう、じっと見られると気恥ずかしい。
「僕があまりに良い男だからってそんなに見つめるなよ」
「とりあえず鏡見てからモノ言いなさい。それはともかく、なにアンタ、副会長とそんなに親しいの? というか、生徒会唯一の良心?」
「前半は聞き流すとして……その副会長とはそこそこ親しいけど? その様子だと、僕とリナリアの間で見解の相違があるみたいだけど」
訊くと、リナリアは呆れた表情で、僕に言った。
「実質、あの人が生徒会を仕切ってるのよ? 学院内でも随一の特徴ある生徒――言い切っちゃえば問題児を集めた、『魔窟』とか呼ばれてる生徒会を、支配しているわけ。ついでに言っておくと、副会長についても逸話は数多く。良い人だから逆に始末に終えないというのが、一般生徒の共通認識。というか、非常識人と仲良く溶け込んでる人を常識人と呼べると思う?」
……。
「ウェット……残念だけど、君もまた非常識な人だったみたいだ。非常識な、苦労人だ」
僕は大きく嘆息した。
やれやれ、せっかく苦労する常識人の仲間を見つけたと思ったのに。
首を振って、僕は言う。
「結局、常識人は僕だけみたいだな」
「いや、アンタも非常識な方だから。自覚しなさい。お願いだから」
非常識との戦いで過ぎてゆく。そんな僕の毎日である。
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