第11話 重なる背中



「カティア! リナの居場所は!?」


 衛士の呼び掛けを無視して巨大な門扉を通り、定まった階に行ける主点装置の前で足を止める。地下5階なのか、このまま地下一階なのか。リナリアの居場所によって向かう先を変える必要があった。


 カティアを降ろし、訊く。


 すでに探査魔術を唱えていたカティアが、不意にその顔を歪めた。まるで迷子になった子供のような、そんな顔だった。今にも泣き出しそうで、だけど、泣かないように必死に堪えた顔。


「―――……ぁ」

「黙ってないで答えろって!」


 小さな肩をゆすぶって、視線を合わせる。訊くことに嫌な予感があった。けれど、そんな予感に頼るつもりは毛頭なかった。アイツのしぶとさは、僕が一番知っている。その諦めの悪さだって、知っている。だったら、僕がするのはアイツを信じることだ。


「……まだ、2階にいますわ」

「無事か?」

「……わかり、ません……動きは、止まっています。でも……」


 でも――でも、なんだ?


「すぐ傍に、ゴルボルドが……」


 聞いて、僕はカティアを抱き上げ、鉄扉を開けて迷宮の中へ入った。狭い通路。淀んだ空気。灰色の道。懐かしい光景でもあり、嫌いな世界でもある場所。躊躇いはなく、迷いもない。強化された体で走りながら、腕の中のカティアに訊く。


「リナの真上はどこ?」


 消沈したカティアの動きは鈍い。その金色の瞳さえ、輝きがない。諦めた人間の瞳だった。どうしようもない現状に打ちのめされて、自分の無力さを知って、全てを諦めて。


 その瞳は、昔の僕の瞳だった。


「そんなことを訊いて――」

「いいから!」


 声を荒げる。

 こちとら諦めるつもりなんてさらさらないだよ。ひとりで勝手に諦めるな。自分の判断だけで何でも決めつけんな。勝手にリナリアが死んだなんて思うな。現実見る前に諦めんな。


 一喝に、カティアの体がびくりと震えた。おずおずと、カティアが唇を開く。


「次の角を右に曲がって、その突き当たりです……」


 そして、僕の首をぎゅっと抱き締める。不安なんだろう。僕だって不安だ。誰かを失うかもしれないということに、不安を感じない人間はいない。失う恐怖。自分ではなにもできないという現実への恐怖。並べ立てればいくらでもある。肩を震わす少女に、僕が掛ける言葉はなかった。安っぽい言葉でどうにかできるほど、ちっぽけな恐怖じゃなかった。カティアを左腕で抱き締め返して、僕は角を曲がる。


 何ができるのか。間に合うのか。意味があるのか。諦めるのか。


 言葉と思いはいくらでもあった。脳みその中で交錯して、嫌な未来が広がった。


 僕にできるのはそれを必死に否定することだけだった。全てを飲み込もうとする恐怖に対して、人間ができることはたったひとつ。足掻くことだけだ。ただ、自分の全力を以って。認めたくない未来を否定して、足掻くことだけだ。


 ようやく突き当たりにたどり着く。そこは袋小路の行き止まり。リナリアもいけなければ、恐怖も転がっていない。床と壁があるだけだった。


 放り出すようにカティアを降ろす。


「……なにを、するつもりですの?」


 その場にぺたりと座り込みながら、カティアが訊く。その目には大粒の涙が浮かんでいた。


 カティアを巻き込まないように、離れる。リナリアがどこにいるのかをカティアに確認する。―――壁際か、調度良い。



「助けるんだよ。リナリアを」


 じーさんの、白銀の銃を構える。


「助けるって……ここから、どうやって……?」

「道がないなら作ればいい。簡単だろ?」


 銃口が向かう先は、僕が立つ床だ。

 僕の意図を悟って、カティアが声を荒げた。


「そんな―――そんな馬鹿なことが、できるはずありません……!」


 銃で床をぶち抜こうというんだ。普通に考えれば馬鹿なことだろう。


 だけど、これはじーさんの銃だ。


 ぼくはただの人だ。膨大な魔力も、不死身の体も、勇者なんて呼ばれたりもしない。

 だけど、僕のそばにはそんな人がいた。

 誰よりも強く、誰よりも不器用で、誰よりも信頼できる――そんな、じーさんが残した銃だ。


 撃鉄を引き起こす。

 弾倉が回る。

 途端、銃身が蒼く、淡く、輝きを帯びる。


「なんですの、その銃……魔力が集まって……増幅している……?」


 茫然と呟くカティアに、僕は笑って見せた。


「――たまげたろ?」


 そして、引鉄を引く。



 φ



 天井が、吹き飛んだ。


 天井の瓦礫と一緒に、黒い何かが落ちてきた。


「いてっ」とか「うわっ」とか、情けない声を上げて。瓦礫がゴルボルドを押し潰して、その黒い物体がごろごろと転がって、そして、立ち上がる。


 それはちょうど、ゴルボルドと私の中間点だった。まるで私を守るように、そいつは立っていた。黒いエプロン。白くて大きな銃。小さくて、でも頼もしい。そんな背中が――幻想と、重なる。


 唖然とした。息を呑んだ。まさかと思った。夢でも信じた。


 ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ、涙がこぼれた。ああ、こいつは。私を守ってくれるこいつは。柄にもなく、思ってしまう。恋する乙女みたいなのは性じゃないけど、それでもこいつは――ちょっとだけ、カッコイイじゃないか。そんなことを、思ってしまう。


 座り込んだ私の先で、ソイツはゆっくりと私に振り返った。


 その顔は、あの時と同じように自慢げで。にやりと笑った顔に、目を奪われる。


 そしてそいつは、私を見て、口を開く。


「あ、パンツ見えてる」


 ……。

 ……一瞬でも。たった一瞬でも、格好良いとか思ってしまった自分を、殴りたい。


 ええそうよね。

 こいつってばこんな人間よね。ここぞと決めるべきときに、思い切り外すような人間よね。


 アンタ、惜しかったわね。今の一言、外す方が難しかったのよ?

「大丈夫か」でも「助けに来たぞ」でも、本当、はずれを探す方が難しかったのよ?

 どんな一言だったとしても、女の子ならアンタに惚れてたのよ?

 この状況、分かる?

 命の危機に、ちょっと気になってた男の子が、来るなんて思ってなかった男の子が、助けに来てくれたのよ?

 普通なら惚れてたわね。私も、その、ちょっとくらいは、惚れてたわね。でも、全部台無しだわ。アンタへの好感度、今ので一気に0になったわ。


 とりあえず足を閉じてから、私は深く深く嘆息した。


 生きてる。そのことを実感した喜びよりも、なにか、こう……大きく間違っている人間に対しての落胆の方が大きかった。なんだかなあ。本当に、なんだかなあ。こいつ、こんな人間なんだもんなあ。


 そんなことは気にした風もなく、黒のエプロン姿のユウが歩み寄ってくる。そして私の肩に手を置き、諭すように声をかける。


「リナ……黒は、まだ早いと思うんだ」

「黙りなさいっ!」


 とりあえず無事な左手で、思いっきり殴っておこう。下着を見られた上にときめきをぶち壊されたのだ。これくらいは、許されるはずだ。



 φ



 さすがにちょっと理不尽じゃないだろうか。いや、そりゃね。パンツとか見ちゃった僕も悪いけどさ。思わず本音を漏らした僕も悪かったけどさ。でも、せっかく天井に大穴を開けて助けに来たのにだよ? 身体強化の魔術がかかっていたとはいえ、落ちるのも結構痛かったんだよ? それだけ体張ったのに、お礼が鉄拳っていうのは……ねえ?


「あー、はいはい。悪かったわよ。でも空気読めないアンタも悪い」


 ぐちぐち言っていると、背中から投げやりな声が返ってくる。


「仕方ないだろ。パンツ見えてたんだから」

「それを口に出すのが空気読めてないって言ってんの!」


 ぽかりと、後ろ頭を叩かれる。


 足を怪我していて歩けないリナリアを、僕はおんぶしていた。幸い、未だにカティアがかけてくれた魔術は効果を発揮してくれているので、リナリアがずいぶんと軽い。さすがに、リナリアをおぶって天井までジャンプとかはできないので、カティアは外に助けを呼びに行っている。じきに人数が集まって、通路の瓦礫をどけてくれるだろう。それを見越して、僕たちは埋まってしまったという通路に向けて歩いていた。


「まったく……そんなのだから彼女のひとりもできないんでしょ」

「む。それは独り身のリナリアには言われたくないね」

「アンタは、で、き、な、い。私は、つ、く、ら、な、い。違いがお分かり?」

「見栄っ張りかどうかかな」

「魅力の違いに決まってるでしょ」


 そんな、取り止めもない会話をする。それだけのことが、今はとても貴重なものに思えた。


 ぽんぽんと言葉を交わしていくが、やがてリナリアが疲れらしい。はあっと大きく息を吐くと、ぽすりと僕の背中に体重を預けた。リナリアの細い腕が僕の首に回される。背中に当たる、柔らかな感触があった。


「当たってる」

「……なにが」

「胸」

「――っ! あ、アンタって人間は本当に……! 仕方ないでしょ、大きいんだから!」


 耳元でリナリアが叫んだ。僕は言葉を返す。


「……ほう。そんなに自信がお有りですか」

「うっ」

「自分の胸に、そんなに自信が有ると仰いますか」

「……その、平均以上は……いや、平均……くらい……」

「…………」

「…………」

「…………」

「…………ごめんなさい。嘘つきました」

「よろしい」


 嘘は良くないよね。嘘は。背伸びってのも大事だけど、現実は見ないとね。それに、胸は大きさじゃないのだ。形だ、艶だ、張りだ。ただの巨乳よりは美乳を推奨したい。

 しばらく、沈黙が僕とリナリアを包んだ。


 何故か、もぞもぞと居心地悪げにしていたリナリアが、ぽつりと呟くように訊いてくる。


「……重くない?」

「重い」

「むかっ。アンタねえ、こういう時は嘘でも重くないって答えるものでしょうが」

「そういう遠慮、いらないだろ?」


 この体勢だと、お互いの顔は見えない。だから、ちょっとだけ素直に、僕は言葉を紡ぐことができた。


「僕は、リナリアに言いたいことは言うよ。まあ、本気で怒らせない範囲でだけどさ。言いたいこと言って、相談したいことは相談して、話したいこと話して。そういう気の置けない関係がさ、僕たちには調度いいよ、多分ね」


 リナリアからの返事はない。あ、やべっと思わなくもなかったけれど、どうせなので最後まで言っておくことにした。


「だから、リナリアも遠慮しないでくれると、僕としては楽で嬉しい。言いたいことは言って欲しいし、たまには話くらいしたいし。まあ、嫌ならいいですよ? もちろん。振られたと思って諦めます。で、どうよ?」


 沈黙。

 あー、ダメか? なにかミスった? フラグ立てられてなかった? さすがにパンツ見えてるは不味かった?


 嫌な汗を流しながら待っていると、リナリアがぽつりと呟く。


「じゃあ、私も言いたいこと、言うから」

「う、うむ」


 なんだろうか、この妙な緊張感。なに? 死ねばいいのにとか言われないよね?

 けれどそんな心配は杞憂で、リナリアの声はしおらしげだった。


「ごめんなさい」

「……はい?」


 全く予想していなかった言葉だったので、思わず聞き返してしまう。


「一年前の。私のせいで怪我、したでしょ?」

「ああ、まあ、軽いやつをね」


 言葉に思い当たって、僕はへらへらとふざけた調子で答えた。けれど、リナリアの声は真剣だった。


「嘘。下手したら死んでたって聞いたわよ。それに、背中に大きい傷跡が残ったって」

「聞いたって、誰に?」

「レムレース先生」


 あの医者……誰にも話すなって言っておいただろうが……。

 回想の中ですら高笑いしている白衣の男に悪態をつく。どうも誤魔化しはできないようなので、僕は正直になることにした。 


「まあ、ね。といっても背中だし、そんなに大したものじゃないよ。それに僕、これでも男だし。傷も勲章だね」


 すると、背中でくすりと笑う声。


「そうよね。アンタも、男の子だもんね」

「……なんか含みのある台詞だな、それ」

「べっつに」


 くすくすと、リナリアが笑う。なんだよ、もう。

 ぶつぶつと言いながら、歩く。背中にはリナリアの重みがあって、命の温もりがあった。それが、ちょっとだけ心地いい。守ることができた。それが、嬉しかった。


 やがてリナリアの笑い声も収まる。


「あのね」

「うん」

「薬、買うから」

「薬?」


 なんだろう。アレか。馬鹿なアンタはこれでも付けてなさいとかいう感じなのだろうか。いや、馬鹿につける薬はないというのは古今東西どこも一緒のはずだ。


「怪我を傷跡ごと治しちゃう、すごいやつ」

「へえ。そりゃすごい――けど、高いんじゃないの?」


 聞くと、リナリアが僕の首に回した腕で、ぎゅっと首を絞めてくる。


「もちろん高いわよ。この1年、どれだけ私がひもじい思いをしたか……」

「わかった。わかったから首を絞めるな」


 ぎりぎりと圧迫されていた腕から力が抜ける。今度はそっと。抱き締めるようにされて、耳元からリナリアの声。


「その薬を持って、アンタの店に行くからさ」

「うん」

「いろいろと、話したりしてもいい?」


 好かれてはいないものだと思っていた。だけど、それは僕の勘違いだったようだ。距離があると感じていたのは、リナリアが自分に負い目を感じていたからだった。そっか。僕に怪我をさせたことを、気にしてたのか。


 そんなことで―――なんて、言うことはできない。


 それに、ちょっとだけ僕は嬉しかった。僕の怪我を気にしていてくれたことも、薬を買うためにお金を貯めていたっていうことも、その気持ちが、嬉しかった。まあ、1年も僕をほったらかしなのはどうよ? とは、思わないでもなかったけどさ。


 でも、これで元通りだろう。いつものように、また話せるだろう。そこにじーさんはいないけれど、昔あったものが、返ってくるのだ。


「美味しいコーヒーを用意して、待ってるよ」


 リナリアが、僕の肩の上でこくんと頷いた。それから、ちょっとだけ迷って、ぶっきらぼうに言う。


「ありがとう」


 いろんな意味のこもった、暖かいありがとうだった。昔も、今も、僕とリナリアの全部をつなげる、ありがとうだ。ようやく、元の形に戻れた気がした。距離も壁もない、遠慮のない関係だ。


「めでたしめでたし、かな」

「なに?」


 僕の呟きに、リナリアが聞き返す。


「いいや、なんでもないよ」

「……まあ、いいけど」


 そんな言葉のひとつひとつが、僕には輝いて見えた。背中の重みが、なんだか嬉しかった。本当に、なんでもないことだったけど。そんな、ちっぽけなひとつひとつの積み重ねを、きっと幸せとでも呼ぶんだろう。クサい台詞だが、たまにはこんなのもいい。


 そんなある日の、午後の話だ。




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