第10話 穏やかに進行する事態4



 最悪だ。


 少なくない期待があった。ここまでくれば、ひとまずは大丈夫だと。あとはなんとか地下5階まで行って、転移装置で上に戻れば九死に一生。そのうち笑い話にでもできただろう。けれど、悪いことというのは本当に重なるらしかった。階下へと続く階段は、その途中で天井が崩れて瓦礫に埋もれていた。


 まさかゴルボルドが?


 いや、そんな知能はないはずだ。獲物の退路を断つほどの悪知恵が働くのなら、もっと厄介な存在になる。なら人為的? 誰が――ってそんなことを考えてる余裕はないってば!


 階段は諦めて踵を返す。退路はもうない。階段が塞がっていて、一階への階段に続く通路も塞がっている。


 どうしようか。どうしよう。


 どうしようどうしようと呟きながら、とりあえず走る。ゴルボルドの足が遅いのがせめてもの救いだが、その利も長くは持たないだろう。こっちが体力的に負けるか、袋小路に追い込まれるか。


 せめて魔導器があれば。魔術が使えれば、どうにかできたのに。


 ないものねだりと分かっていたが、それでもそう考えずにはいられない。武器は剣が一本、それだけだ。魔術士である自分では、ゴルボルドと立ち向かうには非力すぎる。ただでさえ、瓦礫がぶつかった利き腕が鈍い痛みを訴えているというのに。


 地下2階のマップを頭に浮かべながら、できるだけ逃げ道の多い方へ走る。階段でのタイムロスのせいか、ゴルボルドとの距離は近づいていた。すでにカティアにかけてもらった魔術も効果を消してしまった。状況は悪くなるばかりだ。


 やばいなあ。


 諦めにも似た感情で、そう呟いてしまう。


 私だってもちろん死にたくない。死にたくないけど、死にそうな予感がする。少なくとも、このままだと死ぬだろう。ただの学生が剣一本で勝てるほど、甘い相手ではない。


 このまま逃げ回っていても、終わりはすぐにやってくる。なにか対策を。なにか選択を。


 最後の希望としては、カティアの存在だ。

 あの子が無事怪我もなく、地上に戻れていたら――ああ、でもダメかもしれない。


 なにしろ、通路は瓦礫の山。5階から上がって来ても、今度は塞がった階段だ。カティアが誰か助けを連れて来たとしても、道がない。運よく魔術士<メイジ>がいればあるいは――。


 ……よし、大丈夫。まだ希望はある。


 自分を奮い立たせるように、言い聞かせる。死にたくないから、カティアを信じることにしよう。運良く魔術士でも見つけて、ここまで連れてきて、通路の瓦礫を吹っ飛ばして、そしてゴルボルドを倒す。私が生きているうちに。


 かなり難しい気がするものの、そこは考えないことにした。


 カティアに頼るしか、生き残る道がなさそうなのは確かだ。それがどんなに低い可能性だったとしても、あの子を信じるしかない。でなければ、剣一本でゴルボルドとの殺し合いに興じることになってしまう。勝てる見込みのない戦いは遠慮したい。


 だから、本当に。


「頼むわよ、カティア――っ!」


 後ろから、獲物を追う獣の足音が近づいている。



 φ



 ああもうなんでアイツはいちいち騒動に巻き込まれるかなあ! いや、いちいちってほど頻繁でもないんだろうけど、僕にとっては1年ぶりくらいの再会だったわけで、こういう風にアイツを助けに走るのは2回目で、それって頻繁――ってほどでもないか。って別にそんなことはどうでもいいんだけどさ!


 カティアに身体能力上昇的な魔術をかけてもらった僕は、迷宮に向かって走っていた。すごい勢いで街並みが流れていく。全速力で走る僕らに奇異の目が集まるが、いちいち気にしてはいられない。


「それで! リナは地下2階にいるんだよな!?」

「そうです! 理由は分かりませんが、まだ下にはおりていませんでした!」


 走りながら、半ば叫ぶようにカティアに聞く。


 リナ――リナリアの愛称みたいなものだけど、呼ぶのは久しぶりだった。昔はリナリナと呼んでみたりしてからかったものだけど。懐かしい呼称が無意識に出るとは、存外僕も焦っているようだった。


 ここまで来る間に大まかな状況は聞いていた。ゴルボルド――ゴルボルドだ。アルベルさんから、確かにいるという話は聞いていた。でも、それはもう終わった話ではなかったのか? 実戦授業の前日に始まりの鐘の副団長という人が倒したとかいう話をお客さんから聞いたのに。


 初めから2体いたってことか? レベル1のどこかに隠れていた? でも見逃すだろうか。いくつものパーティが、ランクAらしい始まりの鐘までもが、ゴルボルドのもう一匹を見つけられなかった? 偶然にしちゃ出来過ぎだろ。


 言いようのない不自然さを感じる。まるで誰かが仕組んだかのような――けれど、今はそんなことに構っている場合じゃない。


 手にした白銀の銃を握りしめる。


 小降りの雨が、街を濡らしていた。

 薄暗い空模様に、こっちまで暗い考えに囚われそうになる。

 頬を打つ水滴を煩わしく思いながら、走っていく。


 僕は足の速いほうじゃないだろうし、鍛えてもいない。それでも、この速度にもどかしさを感じていた。隣に目をやれば、息を荒くして必死に走るカティアの姿。金色の髪が雨に濡れ、額に張り付いている。頬は赤く、走り方もどこか危うい。


 基礎体力からして違うのだから、仕方ない。きっと僕のところまで必死に走って来たのだから、仕方ない。でも、仕方ないで片付けられる状況じゃない。


 カティアの探査魔法でリナリアの位置は分かるそうだ。つまり、カティアを置いて行くわけにはいかない。だからカティアの速さに合わせて走っていたけど……そろそろ、彼女も限界のようだった。目に見えて分かるほど、走る速度は落ちている。その息だって、かなり荒い。いつ倒れるか心配になるほどだ。


 嫌だなあ。筋肉痛とか、本当に嫌なのになあ。それでも、それを選ぶしかないんだもんなあ。


「ああ……もう」


 大きく嘆息してから、僕はカティアを左手で抱き上げた。150cmもない身長だ。体重だってもちろん軽い。魔術で筋力が強化されていた僕は、想像よりも楽にそれを成し遂げた。


「きゃっ!? あ、あなたはなにを!」

「いいから黙る。遅いから僕が担いで行く。魔術、僕に重ね掛けして」


 突然のことに暴れそうになったカティアを押さえながら、口早に告げる。


「う……わかりました。ですが重ね掛けは――」

「いいから早く!」


 自分でも限界だと感じていたのか、僕が担いでいくことに対しては抵抗しなかった。


 重ね掛けに対しては、心配してくれているのだろうか。そりゃ僕だってやりたくないけどさ、やらなくて間に合わなかったら後悔してもし切れない。出来る事を「嫌だ」なんて理由でやらずに、もしリナリアが死にでもしたら、僕は自分を殺すしかなくなる。


 身体能力上昇―――つまり、筋力の強化の魔術は、体への負担が大きい。ある程度であれば何の後遺症も残らないが、二重に掛けるとなると、負担は二倍じゃ効かない。一週間くらいは寝たきりで筋肉痛だろうか。けれど今は、どうでもいい。


 僕に引き下がる気がないことを見てとったのか。それとも、そうしなければ間に合わないことを悟ったのか。カティアは僕の耳元で言葉を紡いだ。終わると同時に、体に力が満ちる。地面を蹴れば驚くほどの速度が出た。車とだって競争できそうな速さだ。風の音がうるさいくらいだった。


「きゃっ」


 バランスを崩しそうになったカティアが、僕の首に細い腕を回してしがみ付く。多少の息苦しさを感じながら、僕は走っていく。もうすぐ迷宮が見える。あと少し。あと少しで助けに行くから、しぶとく生き残ってろよ、リナリア。勝手に死ぬなよ―――!



 φ



「もうダメ。死んだわ、私」


 向けた剣の先にいるゴルボルドを見上げて、私は思わず呟いた。


 左手で柄を握りしめながら、後ろに下がる。ずきりと走る右足の痛み。右腕の次は右足だ。今度ばかりは致命的だった。全力で走ることは難しそうだった。


「ったく、斧なんて投げるんじゃないわよ」


 通路が直線だったのが不味かった。距離を開けていたとはいえ、ゴルボルドの視界に入ってしまった。カティアの体ほどの石斧を、後ろから思いっきり投げ付けられたのだ。もちろん、直撃はしていない。


 けれど、真横に着弾した石斧は地面を大きく砕き、その破片に体ごと吹き飛ばされてしまった。目立った怪我が右足だけなのが幸いだ。まあ、見えないだけで、全身のあちこちが痛いんだけど。


 足を引きずりながら、目線はゴルボルドから離さずに後退する。どうしようか。どうしようもないかもしれない。


 腕は痛いし、足も痛いし、体中も痛い。体は砂埃で汚れていて不快だ。おまけに、目の前には豚頭。死ぬには最悪の状況だった。もし死ぬにしても、せめてもう少し綺麗に死にたい。


 もし死んだら、私の体はアイツに食べられるわけよね……?


 フゴフゴと鼻を引く付かせているゴルボルドを見る。口からは涎がぼたぼたと垂れていて、興奮したように鳴いている。あの口に、齧られるわけだ。丸ごと、がっつりいかれるわけだ。


「……冗談」


 こちとら花も恥らう乙女だっての。あんたなんかにはもったいないわよ。


 ああもう本当に。どうしようかな。絶対嫌。死ぬのも嫌だけど、アイツに食べられるのはもっと嫌。


 頭の中では必死に解決策を探している。生き残る術を求めている。けれど、答えは見つからない。どうしようもない。満足にすら動けない今の自分に、果たしてどんな選択肢があるのだろう。せいぜい、あいつに殺される前に自分で死ぬとか、そんなことしか思いつかない。


 助けは来ているのか。カティアは誰か連れてきてくれただろうか。


 一歩、また一歩。


 獲物を追い詰めるように近寄ってくるゴルボルド。


 足を引きずって逃げる私。


 残された時間は、あとどのくらいだろうか。


 もし死んだら、カティアは悲しんでくれるかしら。あんまり、気落ちしないで欲しいんだけど。自分のせいでなんて思ってほしくはないのだけど。でも、あの子は気にしちゃうだろうなあ。優しい子だもの。


 ああ、ダメだ。そう思うとますます死ねない。私が死んだせいでカティアが落ち込むとか、やるせないわ。

 自分の命の危機が迫っているというのに、そんなことを考えている自分がいた。少しだけ笑う。


 なるほど、あの子は私の友達のようだ。認めよう。あの子は今日から私の友達。そうしよう。だったら、休日に買い物にでも行かなきゃね。買い食いとか、服とか買ったりするのもいいかもしれない。せっかくお金が貯まったんだから、もう節約もいいだろう。


 ――そこまで考えて、私は不意に泣きたくなった。



 せっかく、お金、貯めたんだけどなあ。買うつもりだったんだけどなあ。アイツに、渡すつもりだったんだけどなあ。


 言いたいことだってあった。やりたいことだってあった。渡したいものだってあった。行きたいところだってあった。懐かしい場所で、懐かしいやつと、なんてことのない毎日を送りたかった。


 そのためだけに、ずっと貯金していたのだ。私自身の区切りをつけるために。私の中で、けじめをつけるために。


 だというのに。

 だというのに、本当――。


「聖エレミーヌさまでしたっけ? ……恨むわよ。こんな時に私を死なせるなんて。本当、恨んでやるんだから」


 ああ、もう、やだなあ。やり残したこと、いっぱいあったのになあ。


 見上げる先で、ゴルボルドの顔が嗤う。それは、弱者を狩る捕食者の笑みだった。


 せめてもの抵抗として、威嚇するように突き出していたショートソードが、ゴルボルドの手に弾き飛ばされた。いくら名剣だろうと、使い手が素人同然ならその価値に意味はない。私の手を離れた剣は、くるくると回りながら宙を飛んで、床に突き刺さる。


 最後の武器すら失った私は、また一歩後ろに下がる。トンと、背中に当たる冷たい感触。壁だった。


 逃げ道すらも失った。


 もう、なにも無さそうだった。


 全身から力が抜けて、ずるずると座り込む。腕が痛くて、足も痛くて、全身だって痛くて。今は、心も痛かった。後悔だけがあった。ずっとずっと溜め込んでいた、言葉だけがあった。伝えたい相手にはもう会えない。たった一言の言葉さえ、もう届かない。心の器から溢れた言葉は形を変えて、私の目からこぼれて出た。滲む視界の中で、ゴルボルドが私に手を伸ばすのが見えた。


 ――ああ、そういえば


 こんなことが、前にもあったな、と。走馬灯のように、思い出す。同じように座り込んだ私がいて、私に迫る魔物がいて、私を守った背中があって。


 ――アイツの背中だと、そう思った。



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