第9話 穏やかに進行する事態3



 カティアは歯噛みした。状況は悪い。自分にできる選択肢は多くない。けれど、それでもどうにかしなければならなかった。


 補助魔術で身体能力を上げているというのに、それでもこの体のなんと軟弱なことか。速く速く速く――。行く場所さえ分からない。頼る人間すらいない。それでも、気だけが急いていた。


 迷宮から人の住まう世界への境界。異界の扉と呼ばれる巨大な門扉を潜り抜け、カティアは左右を見回した。


 門の左右には2人の衛士が立っている。簡素な鎧に貧弱な槍。形ばかりの門番だ。魔物はこの門扉を通れないし、いざとなればこの扉が閉まって完全な封鎖結界が展開される。衛士の仕事は、せいぜいが子供が迷宮に迷い込まないように見張るだけだ。


 当然のように選択肢から除外して、カティアはすぐに駆け出した。


 状況を説明する時間すらも惜しい。自分のような子供が迷宮に来てくれと言っても承諾してくれるほどのお人よしで尚且つ戦闘力のある――せめて、逃げる時間をかせぐことのできる――人間。


 それだけで、選択肢はぐっと狭まってしまう。辺りにいるのは精々が初級ミストだ。熟練者はもっと中心区に近い上等な宿を拠点としているし、迷宮内にいるとすればレベル2よりも下だろう。もしここに居たとしても、この人の群れの中から闇雲に当たっても確率も時間も不確定。リナリアの死の方が早い可能性の方が高い。


 自分たちを助けてくれる人間を見つけ出す。

 その難しさに、カティアはぐっと下唇を噛んだ。


 諦めるな、迎合するな、仮定に囚われるな。やるべきことは嘆き喚くことじゃない。リナリアを救える確率がもっとも高い選択肢を選ぶこと。泣き言は後でいくらでも言える。悔やむならベッドの中でシーツに包まってからにしろ――!


 その場にしゃがみ込み、目を閉じる。耳を塞ぐ。全ての世界が邪魔だった。分担された思考を纏め上げ、今行える最善を探す。空白になった脳の中に情報が並べられ、求める物を探し出す。


 無数の本の知識、祖母からの教え、学院の授業。言葉と情報が激しい奔流となってカティアを襲う。ずきりとした脳の痛みを感じながら、それでもカティアは奔流の中に潜りこんだ。余計な物は捨て、簡潔で単純な情報だけを取り上げる。


 ゴルボルド――近接では人間に分が悪い。魔術等の遠隔攻撃が有効――


 リナリア―――位置の特定は自身の探査魔術で可能―――


 時間はない。余計な問答も躊躇もなしに自分に協力できる人間。最悪でもゴルボルドの意識を反らす程度に遠隔攻撃の手段を持っていれば最良。


 ――そんな都合のいい人間が


 いた。


 情報の展開を打ち切ると、カティアは立ち上がり駆け出す。道端で蹲っていたカティアを心配したのか、声を掛けようとしていた女性を突き飛ばしてしまうが、構ってはいられない。


 脳裏を過ぎったのは先ほどの店にいた少年。リナリアと顔見知りだという、喫茶店の店主。


 あの時、店の壁には白銀の銃が飾ってあった。埃は被っていなかった。つまり、頻繁に掃除か手入れがされているということ。少年が銃を扱えるとは限らない。だが、銃を扱える者があそこに住んでいる可能性はある。少なくとも、カティアの顔よりも大きな銃を振り回せるほどの、実力者が。


 あれがただの飾り――そんな可能性もある。いや、その可能性の方が高い。けれど、カティアはその可能性を無視した。根拠のある理由は存在しない。ただ、リナリアがあの少年を少なからず信頼している――心を、開いている。だったら、何かあるだろう。リナリアが信ずるに至る、何かが。それが少年の実力には直結しないだろうが、きっとリナリアを助ける何かにはなるはずだ。


 カティアはそう信じていた。信じるしかない状況だった。そして、リナリアが信じる人間を信じようと思った。



 φ



「――よっ、と」


 真正面から飛び込んできた角うさぎを、リナリアは身軽に避ける。無防備に晒された胴体にショートソードを振り抜けば、大した抵抗も感じずに角うさぎは真っ二つになった。


「ひぃっ」


 リナリアの後方に控えていたカティアが、目の前で半分になった角うさぎを見て悲鳴を上げる。どちらかといえばこちらの反応が平常であって、リナリアの方が異常なのだ。


 学生であれ大人であれ、迷宮に入ってまず行うのは、生命を絶つという行為をためらうことだった。たとえそれが魔物であろうと、自らがその命を奪うことを割り切るには時間がかかる。割り切れるか、割り切れないか。慣れるか、慣れないか。それが冒険者になれるかどうかの分かれ目でもあった。


 城壁に囲まれた迷宮都市アルベルタに生まれ育った人間は、大陸に生息する魔物との関わりが少ない。箱庭とも呼ばれる環境で育つが故に、命のやり取りとは親しみがないのだ。


 それはアーリアル魔術学院の生徒にも同じことで、ハイクラスで行われる実戦授業は、命の駆け引きを体験させる意味でもあった。この授業を機会に、学生はふるいにかけられる。冒険者としての適正があるかないか。まずその一点において。


 今までを箱入りのお嬢様として育てられたカティアが怯えるのは当たり前のことだった。母に連れられて大陸を旅していたリナリアの方が特別なのである。


 リナリアは辺りを見回してから、剣の血をはらって鞘に戻した。戦闘のために、マントは既に脱いでいた。

 地面と平行になるように後ろ腰に装備した剣の位置を調整しながら、リナリアがカティアを振り返る。


「どう? ちょっとは慣れた?」


 迷宮の雰囲気に。命のやり取りの世界に。死に逝く命に。含む意味はいろいろだったが、問いかけの言葉はひとつで十分だった。未だに顔を白くしていたカティアだったが、リナリアの顔を見てこくりと頷く。


「あ、当たり前ですわ。わたしを誰だと思ってますの」


 精一杯背伸びをした発言だった。けれど、それでいいのだろうとリナリアは思う。ずっと背伸びをしていれば、気付けばそれが当たり前になる。少し無理をするくらいが調度良い。


「それならもうちょっと先まで行きましょうか。そろそろヘルカンも出てくるだろうし」

「二足歩行のトカゲみたいな奴ですわね。全長が50シームくらいの」

「そう、それよ」


 カティアが知識を披露する。教科書からの受け売りなのだろう。

 カティアの身体能力は高いとは言えない。けれど、それを補って余りある頭脳があった。たとえば記憶力の良さであったり、回転の速さであったりと、挙げられる利点は多い。


 ヘルカンの情報を自慢げに語り出すカティアの声を聞きながら、リナリアは周囲を見回した。明確な形ではないものの、わずかな違和感があった。


(少なすぎる……?)


 普通であれば、すでにヘルカンの一匹も見かけているはずだ。角うさぎだってもっと居ていい。だが、迷宮に入ってから見たのは、さきほどの角うさぎで3匹目だった。既に地下2階まで降りたというのに、いくらなんでも少なすぎる。


 そもそもの個体数が減少したのかとも思うが、迷宮ではいつの間にか魔物が補充されているのが常だった。どういう原理なのかは不明らしいが、いくら魔物を殲滅しても、次の日には何匹かが戻っている。その次の日には倍になり、そのまた次の日にはまた倍。と、一定数の魔物が常に存在するようになっているらしい。


 そのことから考えると、今の状況はレベル1の魔物が一度狩り尽されたことになる。


 だが、それこそが謎だった。


 そんなことが出来るほどの実力者はレベル1に長居しないし、掃討なんていう面倒なことはしないはずだ。規定人数以上での探索はギルドで禁止されている。となると、これはいったいどういうわけだろうか。


 魔導器を弄びながら、そんなことを考える。


 この迷宮に入った回数は多くない。多くない、が……なにか、おかしいと感じる。空気というものが、乱れているように思う。それは魔術を介して精霊と呼ばれる存在と少なからず接している魔術士だからこそ、感じるものなのかもしれない。もうひとりの魔術士であるカティアには、そんな些細な変化を感じる余裕はなさそうだったが。


 相変わらずぺらぺらと話しているカティアを、歩きながら見る。


 なにがどうなってヘルカンから異種族との風習の違いに話が移ったのかは謎だが、今日は早いうちに引き上げた方が良さそうだと、リナリアは判断した。確固とした根拠があるわけではないが、嫌な予感があった。喜ばしいことではないが、リナリアのこの手の予感は外れたことがない。


 来たばかりで得たものは少ないが、迷いはなかった。


 立ち止まり、後ろを歩いていたカティアに振り返る。リナリアの動きに合わせて、カティアの講釈も止まる。不思議そうに首を傾げたカティアに向けて、リナリアが口を開こうとして――悪寒。


 背筋を襲うものに突き動かされるように、リナリアはカティアを思いきり突き飛ばした。カティアの悲鳴を聞きながら、同時に自分も後ろへ飛ぶ。


 見計らったように、カティアとリナリアの中間で唐突に壁が吹き飛んだ。カティアを庇ったがために初動が遅れたリナリアに、瓦礫の破片が襲う。さらに一歩後ろに飛ぶが、破片のひとつが右腕を撃ち、魔導器の杖が吹き飛ばされた。


「――っ!」


 痛みに顔を顰めながら、リナリアは左手でショートソードを抜き放った。


 左側の壁一面が砕け散って瓦礫と化している。まるで壁の向こうから魔術をぶっ放したような衝撃だ。


 そう考えて、リナリアはすぐにそれを訂正することになった。


「……ちょっと、嘘でしょ……」


 ソレが、壁に開けた大穴を窮屈そうにくぐって出てきたからだ。


 見上げる巨躯。放つ異臭。豚の頭。握られた石斧。凡そこんな浅層にいるはずのない魔物


「なんでゴルボルドが――っ」


 知らず一歩退きながら、リナリアは舌打ちした。想像にすらなかった出来事に対してと同時に、カティアと分断されたことにだった。カティア側は出口へと繋がっていることがせめてもの僥倖だろうか。


 ブゴブゴと鼻を鳴らしながら、ゴルボルドが辺りを伺った。


 砕かれた大小の瓦礫が積み重なった壁となり、おまけにゴルボルドがそこにいる。向こう側には行けそうもない。こちら側に自分とゴルボルド。瓦礫の向こうにカティア。そんな状況になっている。


 まずい。


 焦りがリナリアの脳を埋め尽くそうとするが、そうなれば間違いなく自分の命は終わりだ。焦りを飲み込み、混乱を押さえ込み、現状の事実だけを冷静に見る。


 目の前にはゴルボルド。魔導器は瓦礫の中で、掘り返して回収する余裕はない。カティアと合流するのも無理。あるのはショートソード一本。


(……5階の転移装置まで逃げるのが最良かしら)


 答えは明快だった。というより、それしか選択肢がない。


 じりじりと転進の機会を伺っていたリナリアに、ゴルボルドの濁った目が向けられる。そして、その顔がにたりと歪んだ。


「……ああ、そう。美味しそうなご馳走を見つけたってわけね」


 吐き捨てて、リナリアは走り出した。


 冗談じゃないわよ。こんなところで死んでたまるもんですか――!



 φ



 リナリアに押し飛ばされたカティアは、呆然としていた。尻餅をついた足のすぐ先に、自分の頭ほどの大きさの瓦礫が転がっている。


 リナリアの突然の蛮行に文句を言おうと口を開きかけたカティアだったが、次の瞬間に爆発した壁によって、その言葉を飲み込むしかなくなった。ぱちくりと目を瞬かせていたカティアだったが、瓦礫で塞がれた通路の向こうから響いた咆哮にびくりと肩を震わせる。ようやく脳みそが回転を始め、状況を理解し始める。


「り、リナリアさん!?」


 通路の天井と積み重なった瓦礫の隙間に向けて声を上げる。返事はない。ただ、大きな質量を持った存在が地面を歩く音だけが聞こえた。


「いったいどういうことですのっ!」


 状況が把握できない。レベル1にそこまで巨大な質量を持った魔物はいないはずだ。ましてや、深層と比べて薄いとは言え、石材の壁をここまで砕くなんてありえない。そしてなにより、リナリアの安否はどうなのか。


 少しでも情報を得ようと、カティアは床に転がっていた魔導器を手に取って探査魔術を詠唱する。わずか2小節の詠唱にもどかしさを感じながら魔力を魔導器に注ぐと、杖の先端に取り付けられた魔晶石がそれを現象と化した。


「……よかった。まだ生きてますわね」


 イメージというよりは、あやふやな感覚だった。それでも確かに、向こうへ走っていくリナリアの存在を感じる。そして、それを追うように歩く大きな存在があった。映像は見ることはできない。ただ、感覚でその存在の大きさはわかる。その動きもまた、大まかに。


 体長にすれば3mに近いだろう。リナリアを追う速度から考えれば2足歩行の魔物。レベル1に侵入することが出来て、壁をここまで粉砕できるほどの力を持っているとすれば――


「まさか……ゴルボルド?」


 実戦演習の前日に、アルベルティーナが退治したのではなかったのか? いや、まさか――2体いた?


 カティアの顔から血が引いていく。


 まさか、いや、でも……。


 否定はできない。むしろ、その可能性が高い。そうなれば、リナリアの身が危険だ。魔術を使えるなら多少は安心だが、リナリアは戦うそぶりもなく逃げている。何かしらの理由で、魔術は使えないと仮定するべきだ。相手はR=8。そんな相手に剣一本――もしかすれば、その剣すらないかもしれない。


「ど、どうしたら……」


 辺りを見回しても助けはない。例え都合よく冒険者がいたとしても、この瓦礫をどうにかしないといけない。上れば天井との隙間から向こうに行けそうだが、自分が行ってどうにかなるだろうか。使えるのは補助魔術だけ。相手はR=8の化物。2人まとめて死ぬだけだ。


 そこで、ふと気付く。


(階段に向かってる……?)


 リナリアは最短距離で、階下へと続く階段を目指しているようだった。下に行ってなにを――転移装置か。


 カティアの頭の中から、本の知識が引きずり出される。5階ごとに設置された転移装置は、地上にある主点装置と行き来ができる。なるほど、下まで逃げて地上に戻ろうというわけか。


 さすが学年主席。即座にそれを思いつくなんて。迷宮に親しみのない自分のような人間では、その装置のことを思い出すだけでも時間が必要だったというのに。


 カティアは急いで立ち上がると、踵を返して走り出した。自分の技量では魔術の併用はできない。一度探査魔術を打ち切って、今度は身体能力上昇の魔術を唱える。急激に軽くなった体を感じながら、一気に走っていく。ここにいても自分にできることはなにもない。まずどうするにしても地上に戻る必要がある。


 逸る気持ちを抑えて、一気に通路を駆け抜ける。


 やがて階段を見つけ、ようやく地下1階。まだか――悪態を付きながら、必死に走る。魔物がほとんどいないことが幸いだった。走って、走って、そしてようやく、地上に戻る。魔物が迷宮の外に出ることを封じるため、階段を塞ぐように大きな鉄扉が取り付けられている。鍵を開ける合言葉を唱え、体ごと飛び出すように鉄扉を開ける。


 主点装置の前まで移動して、カティアはそうやく体を休めた。強いとは言えない体が、無理をしたことで悲鳴を上げていた。その声を無視して、カティアはもう一度探査魔術を唱える。


 5階を目指して降下しているはずのリナリアは――まだ、2階にいた。


「……え?」


 そんな、まさか。


 目を見張って確かめるが、やはりまだリナリアは2階にいる。先ほどよりも距離は開いているが、それでもゴルボルドに追われるように、逃げ回っていた。場所を見るに、一度は階段まで行ったはずだ。


 それなのになぜ――違う、考えろ。


 階段の付近まで行って、階段を降りていない。だったら、リナリアは自分の意思で階段を降りなかった。あるいは、降りられない理由があった?


 どちらにしろ、カティアひとりではどうしようもない。今から自分が5階におりたとしても、2階にまでたどり着けるかどうかの方が問題だ。


 助けを呼ばなければ。


 カティアは再び走り出した。



 φ



 じーさんはよく言ったものだった。命を賭ける武器の手入れを怠るな。


 じーさんのことを思い出すと、大抵が銃を手にしている姿だ。続いて、チェスをやっている姿。白髪をオールバックのように上にあげ、髭が渋い良い男。まるでハリウッド映画にでも出てきそうな人だった。個人的に、じーさんを映画にするなら俳優はショーン・コネリーでお願いしたい。


 壁からおろした白銀の銃を磨きながら、僕はぼんやりとそんなことを考えていた。


 長方形の板みたいな銃身だ。ショットガンを短くして、リボルバーの回転式弾倉を取り付けたような銃である。懐に入れるなんてことはもちろんできない。銀色の銃身には精巧な彫刻がされていて、ひとつの芸術品のようにも思える。これが博物館とか美術館に飾ってあっても、違和感ないだろう。


 じーさんがそうしていたように、銃を傾け光に当てる。磨かれた銃身が鏡面のようにきらりと光を反射する。銃は刀と同じくらいに男のロマンである。こうして持っているだけで、にやにやしてしまうのである。かっこいい。


 銃は撃ってこそ。道具は使ってこそ。様式美なめんな。そんな声が聞こえてきそうだけど、この銃に関しては飾っているだけで良かった。じーさんが僕にくれてやると言い残したことは確かだが、やはりこれはじーさんの銃のような気がした。それに、こんな物騒な銃をぶっ放す機会なんてありはしないのだ。たぶん、願わくば、今後一生。


 使われてこそ銃の本懐かもしれないが、そんな場面に出くわすことは遠慮したい。


 銃を撃つ事態ともなれば、平穏からは真反対だろう。僕の大好きな平穏からは程遠い。そんな状況、こっちから願い下げだ。


 だから僕はずっとこの銃を飾ったままにしておきたかったのだけど――


「助けて!」


 人生、そうはいかないようだった。

 扉を蹴破って入ってきた、金髪クルクル少女を見るに。



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