第12話 わんこの宅急便




「自由に動けるって素晴らしい……」


 今日のお品書きを書いた黒板を店先に展開しながら、僕はそんな当たり前のことを深く実感していた。なにしろこの一週間、あまりの筋肉痛にほとんど動けなかったのだ。寝返りをするにもいちいち痛みと戦わなければならないあの辛さは、筆舌に尽くしがたい。


 それでも、ただの筋肉痛ならまだ良かった。本当に恐ろしいのは治りかけだ。魔術疲労による、あの如何ともし難い鈍い痛みと痺れである。正座をして痺れた足を動かすような、言葉にできない「うあ゛ぁァぁ」感は、もう拷問に等しかった。


 今までの鬱憤を晴らすように、高く広がる空へ向けて大きく腕を伸ばす。空はようやく白から青に色を変えつつあった。清々しい朝の始まりといったところだろうか。


 痛みはまだ残っているものの、気にしなければどうということはないレベルだ。


 早朝の澄んだ空気を吸い込みながら、軽く屈伸。ほぼ寝たきりだったので、体中がなまっている。ぱきぽきと関節の鳴る音を聞きながら、僕は大きく息を吐いた。ため息というか、安堵の息である。


「よかった……本当によかった。これで、僕は自由だ……」


 ほろりと涙がこぼれそうだった。


 年中無休に等しい我が喫茶店がいきなり一週間も休んだせいか、何かあったと思ったらしい常連客の方々が、心配して見舞いに来てくれた。


 これだけなら良い話なのだが、忘れちゃならないのは人間性。客の4割はベッドから動けない僕を見物しに来た野次馬根性過多な人間だし、3割は僕をからかいに来た性根捻じ曲がったダメな大人だし、2割は寝込みを襲いに来た阿呆どもだ。やってらんない。


 本当に心配してくれた人が1割って、これどうよ。ユイなんて、筋肉痛なの分かってて僕の上に座るわ、痛がる僕を見てにやにや笑うわ、「女かどうかも怪しいほどのつるぺったんで悪かったわね」とか、根に持ってやがるわ。思わず普段の自分の言動を反省しそうになった。


 やれやれと肩を回していると、男女の4人組が通り過ぎていった。男2人、女2人。学院の黒い制服だから、ハイクラスだ。各々が剣とか杖とか持っているから、迷宮にでも行くのだろう。早朝からご苦労なことである。あれがダブルデートとかだったら呪うことにするけど。


 4人とすれ違うように、大きな籠をもったおばさんが歩いていく。同じように、市場に買出しに行く人や、酒場から宿に戻る人などが、ひとりまたひとりと姿を見せ始めた。


 この街の朝は早い。空が白み始めた頃には市場がもう開かれているし、ああして迷宮に行く人もいるし、学院に向かう人もいる。


 あっちの世界とこっちの世界の違いはなんだと聞かれれば、僕は「活気」と答えるだろう。もちろん、目に見えるほどの明確な違いはない。ただ、根底からして何かが違うのは分かる。例えば、生命力とかやる気とかハングリー精神とか。現代人にはちょっと足りない成分が、この世界の人たちには満ち満ちているように思えた。


 この店の並ぶ通りでも、すでにあちこちから白い湯気が上がっているのが見える。食堂に宿屋に出店に。夜通し光を灯していた酒場は、ようやく店仕舞いをする頃だろうか。


 その場にしゃがんで、ぼーっと景色を眺める。


 見慣れてしまった世界。見慣れてしまった光景。それでも、こうして改めて見つめなおすと、何気ない違和感が首をもたげる。


 見慣れない世界。見慣れない光景。ここは違う世界で、ここにいる僕こそが違和感なような気もする。なんでここにいるんだろうと、そんなことを考える。答えはどこにもないのだろうし、誰も教えてはくれない。だからこそ大きな意味を持つようにも思えるし、何の意味もないようにも思える。結局、適当なところで割り切るしかない問題なんだろう。


 エンジンが温まるように、だんだんと街に活気が満ちていくのを感じる。


 僕はなにをするでもなく、その場にしゃがんで通りを眺める。行く場所、戻る場所。通り過ぎる人にだって、それくらいはあるだろう。こうして留まっているのは僕くらいだろうか。


 なんだかなあ。


 ホームシックっていうやつなのかなあ。


 家とか家族とか、欲しいのかなあ。

 もやもやとしたものが心の中にあって、その中にはたぶん、僕の欲しい答えもあるはずだった。だけど、あると分かっていたとしても、それを見つけることは難しい。自分で自分が分からない。ああ青春の若き日よ、なんてね。


 意味もなく憂鬱に浸っていると、中心区に繋がる方からすごい勢いで走ってくる人影を見つけて、僕は立ち上がった。


 意味もなく憂鬱にはなったけれど、意味もなく店の前にいたわけではない。


 店の食材が切れたので、補充しなければならない。それが届くのを待っていたのだ。普段はその都度、足りない物を買ってくるのだけど、一週間も経つとさすがに量が量だった。とてもじゃないがひとりでは持ちきれない。というわけで、この世界の宅急便こと「お届け屋さん」にお願いしていたのだ。時間通りである。


 砂煙でも巻き上げそうな速度で走っていた人影はみるみるうちに大きくなり、姿が判別できるようになったかと思えば、すぐに目の前に到着。恐ろしい足の速さだった。


「おっはようございますっ!」


 ざざざーっと足でブレーキをかけながら、眩い笑顔と晴れた空みたいな声が通り過ぎていった。ちょっとばかし速すぎたようで、予定地には止まれなかったらしい。


「わっ、たっ、とっ!」


 たたらを踏んで、てへへと頭を掻きながら戻ってくる。


 男子高校生の平均身長よりも小柄な僕の、肩ほどの背。半そでのぶかぶかなシャツに、大きな茶色のハーフパンツと頑丈そうなブーツ。肩の上であっちこっちに跳ねる橙色の髪。頭には大きな犬耳。そして後ろで揺れる尻尾。肩に提げているのは大きなバッグだ。「最速のお届け屋さん」の異名を持つ元気っ子である。


「ちょっと通り過ぎちゃいました。あらためて、おはようございます!」

「おはようシルル。いつも通り晴れてるなあ」

「あ、はい。今日も良い天気ですねっ!」


 いや、天気じゃなくて君がね。こう、晴れ娘みたいな感じ。いや、わざわざ口には出さないけど。時々、僕には君が眩しく見えるよ。純粋すぎて眩しい。思わず溶けそうになる。僕も汚れちゃったなあ。


 遠く空を見つめる僕の前で、シルルが大きなバッグをどさりと地面に置く。


「ちゃんとお届けに来ましたよーっ! コウベンさんとルルさんと、ガランさんにシャーネさん。それとフロー……フロー……フロークバルさん?」

「フロースガルさんね」

「あ、そうでした。フロースバルさんでしたっ!」


 ……2度目の訂正はしない。もう、あれだ。覚えられない人には覚えられないらしいのだ。この人の名前。本人も諦め気味らしいし。「もういいんだ。もういいんだよ」と言って、へへっと笑ったフロースガルさんの背中は、どこか寂しげだった。切なすぎる。


「えっと、どこに出しましょうか?」

「あ、店の中にお願い。僕ひとりじゃ運べないし」

「わかりました!」


 シルルを連れて店の中に入り、カウンターの奥まで進んでいく。8畳くらいの部屋は、まるまる倉庫みたいなものだ。棚には予備の食器や保存食なんかが仕舞われ、部屋の隅には大型の冷蔵庫なんかもある。場所の開けた中央辺りで立ち止まる。


「んじゃ、ここらへんで。順番とか置く場所は適当でいいから」

「はい!」


 新入生の見本にしたくなるくらいに元気の良い返事だった。若いっていいなあとしんみりする僕はさておき、床に置いたバッグに、シルルが両手を入れる。


「んしょっ」


 という可愛らしい掛け声でバッグから出てきたのは、一抱えもある箱だった。もちろん、バッグに入るはずがないし、出せるはずがない大きさである。


「これはコウベンさんからでー」


 どしん、と重たげな音を立てて、箱が置かれる。


 シルルはまたバッグの中に手を突っ込み、今度は細長い包みを出していく。あ、こういうのテレビのマジックで見たことある~という反応は、ずいぶん前に僕がやった。


「こっちはルルさんでー」


 尻尾をふりふりと揺らしながら、シルルは次々とバッグから荷物を取り出していった。青だぬきロボットの四次元ポケットを彷彿とさせるバッグである。というのか、あのバッグは本当に中の空間が歪んでいるらしく、バッグの中は小部屋ほどの容量をもっているらしいのだ。すごい便利なので僕も是非欲しいのだが、これがべらぼうに高い。このバッグで、たぶん新車が2台買える。……いや、このバッグを向こうの世界に持っていったら、それこそジェット機とか買えるかもしれないけどさ。魔術とかいう不可思議パワーで作られてるし。あれひとつあれば棚とか全部いらないんだけどなあ。


 夢は広がるが、ひとつ持つのにもいろいろと制約と検査とお金と手間と。面倒なことは多いので、たぶん一生縁のないアイテムだろう。


 ちなみに、シルルは「お届け屋さん」の3代目で、おじいさんの代からずっとあのバッグが引き継がれているそうだ。シルルのおじいさんことバシルさん曰く、あのバッグはシルルの嫁入り道具になるそうな。


 ぽんぽんとバッグから荷物を出していたシルルが、上半身をまるごとバッグの中につっこむ。「ふにゅー!」と気の抜ける掛け声で取り出したのは、一抱えもある茶色の袋だ。中身がずっしりと詰まったそれの中身は米である。


 これは店に出すためではなく、僕個人で食べるためのものだ。やはり僕も生粋の日本人。どうしても米が食べたくなる。贅沢を言えば味噌とか醤油も欲しいところだけど、残念ながら未だ見つけていない。死ぬまでにせめてもう一度、とは思っているのだけど。


 ずしっと袋を下ろしたシルルは、犬耳をぴくぴくと動かして、自慢げに笑みを浮かべる。


「これはフロンガルさんからです!」


 フロースガルね。しかし声には出さず、僕はにこにこと笑みを浮かべた。


「ご苦労様。ありがとね」


 小さな頭をぐしぐしと撫でてやると、シルルは目を細めてふにゃんとなる。後ろでは尻尾がぶんぶんと勢いよく振られていて、まさに犬っ子。シルルは撫でられるのが気持ちいいらしいが、撫でる方も気持ちいいのが素晴らしい。犬耳のこりこり感なんかは、ほんともう、至福。一日中ぐりぐりしたくなるくらいである。


「ふにぅー……」

「はふぅー……」


 ふたりしてぽやーんとしていたが、はっと冷静になる。危ない危ない。思わず意識を飛ばしかけてた。


 中毒性があるので、これはほどほどにしておかねばならない行為なのである。でなければ、獣耳を見るとついつい撫でたくなってしまう症候群が発症してしまう。これは非常に恐ろしい病なのだ。主に僕の世間体的な意味で。


 名残惜しさを感じながらも、シルルの頭から手を離す。


 続きを催促するように、シルルの耳がぴくぴくと動く。あ、触りたい。すげえ癒されそう。しかし、触ってはだめなのだ。思わず動きそうになる右手を左手で制す。


 シルルも目を開けて、ねだるように僕を見上げるが、この視線にも負けてはいけない。動きそうになる右手に左手で爪を立てる。っく……静まれ右手よ。


 必死に右手を抑えているとやがてシルルも諦めたようで、犬耳のぴくぴくも右手の疼きも止まる。これでとりあえずはひと安心だ。シルルの物欲しげな瞳はそのままだが、僕も辛いんだ。わかってくれ。


 両者の意見は合致。だけど、それを行うことはできない。悲しいけどこれ、中毒性があるのよね。四六時中頭撫でてるわけにもいかないし。


 互いの思いを確かめ合った僕たちは、静かに頷きあう。また今度。また今度である。


 ふたりで倉庫から出たところで、シルルがなにかを思い出したように手を打ち鳴らした。


「ユウさんユウさん、聞きましたよ。ゴルボルドを生き埋めにしたんですよね? あと、女の子をふたり助けて、おかげでふたりともユウさんにベタ惚れになって、ユウさんは計画通り……! って高笑いしたとか」

「ちょっと待って。いろいろ待って」


 おかしいぞ。後半おかしいぞ。情報操作の跡が垣間見れるぞ。

 あれれー? と目頭を摘みながら、僕は搾り出すようにシルルに訊く。


「その情報源……まさかというか多分というか絶対そうだろうけど――シェーナ?」

「はい!」


 ああ、元気のいい返事がちょっとだけ憎い。またかあのクソ情報屋。僕のことに関してだけあることないこと混ぜやがって。嫌がらせか。悪意しかないのか。お前は現代の腐ったマスコミか。


 シェーナについてはまあ、後々語ろう。そのうちに報復の機会がくるだろうし。基本、やられたことは3倍返しが僕の信条であるからして、そろそろあいつにも分別という言葉を分からせてやらねばなるまい。


 思わず腹の底から笑いがもれる。


 隣でシルルの耳と尻尾がびくぅっと緊張したみたいだが、なにか心配事でもあるのだろうか。なんかこう、飼い主に従順な小型犬の姿がシルルと被る気もするのだが、たぶん気のせいだろう。


 ああ、そうだ。まずはシルルの誤解を解いておかないと。

 ごくごく普通の声で、シルルに話しかける。


「シルル」

「は、はひぃ!」


 ? なんでそこまで緊張しているんだろう。いや、まあいいか。


「それ、誤解なんだ。事故だよ事故。床がたまたま脆くなっててさ。魔術式付与エンチャントされた対魔物用の銃弾のおかげでたまたま、たまたま床が抜けただけなんだ。銃のお陰なんだ。むしろこう、事故なんだ。不慮の事故なんだ。あと、2人の将来有望な女の子の未来は僕には重過ぎるから。もっと良い男でも捕まえるだろうから。全部、誤解だから」


 わかった? と顔を向ければ、シルルの「またまたあ」みたいな顔。

 思わず、「あはは」と笑ってしまう。右手が勝手に動き、シルルの小さな頭を掴み、みしっと。


「きゃんっ!? いた、いたたたた!? ユウさんそれちょっと本気過ぎです! みしみしって悲鳴あげてます! くぅん!?」

「僕、物分かりのいい子の方が、好きなんだよね」

「はい! シルルはたった今からすごく物分かりのいい子になりました! ユウさんの言葉は絶対ですっ! わんっ!」


 最後のひと鳴きはなんなのだろう。了承の証?


 とりあえずは洗脳できたようなので、右手から力を抜く。格好と雰囲気だけだったのでそこまで痛くはなかっただろうけど、気遣う感じで頭を撫で撫で。耳をこりこり。


「にゅふん……」


 途端、シルルの目がとろんと蕩ける。これで完璧だ。情報屋(笑)のシェーナではなく、僕の言葉を信じるはずである。


 くくく……計画通り――おっと、つい本音が。まずいまずい。


 そうして、僕は冷静にシルルを説得して、次のお届け先へと走っていく後ろ姿を見送った。


 ユイといいシェーナといい、本当に僕の周りには変な人間が集まってしまう。本当、なんでだろうか。僕のようなストレスに弱いか細い神経では、正直そんな連中とは付き合いきれない。困ったものである。そんな中、シルルのような純真な子は素晴らしい清涼剤だった。いつまでもあの心を持っていて欲しいものだ。うん。


「さて、と。材料も揃ったし、そろそろ仕事でもするかなあ」


 シェーナの情報を、誇張ありと知っていながら持ちかける性根捻じ曲がった常連客の顔を浮かべると、ちょっとばかし嫌になるけどさ。


 それでもまあ、喫茶ハルシオン。


 今日も開店でございます。




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