第3話 人生やさぐれ、心はぐでぐで
「……みんな死ねば……平和になるのに……」
ある日の午前のことだった。
毎日磨きすぎて、もう磨くコップがない。綺麗なものを磨いたって面白くないので、わざとべたべた触ってコップに指紋をつけていると、目の前に座っていた少女がぼそりと呟いた。
まあ、確かに。
みんないなくなれば、そりゃ平和になるだろう。死後の世界とかがなければの話だけど。
地上は平和になりましたが、あの世は騒がしくなりましたとか、本末転倒だ。いやまあ、そこらへんはどうでもいいけどさ。あの世があるとかないとか、死ねばわかるし。
それよりも、「みんな死ねば平和になるのに」とか10歳の少女が言うのはいかがなものだろうか。いや、まあ、そういうキャラっちゃキャラなんだけどさ。せめてこう、もっと明るい感じで……「もう! みんな死んじゃえばいいのに! それで平和になるの!」
いや、ないな。これはない。
最近、自分の頭が何かに毒されているような気がする。しっかりしろ、僕よ。
脳みそに最適化をかけながら、ココアを両手で持って舐めるように飲んでいる少女を見る。まるで、そこだけに雨が降っているようなどんよりとした空気を纏った少女、名をノルトリという。名前を聞くだけに1週間。まともな会話をするのに2週間かかったのは良い思い出だ。
「それで、今日はどうしたの? 普通に学院、やってると思うけど」
「……めんどくさかった……」
「まあ、そんな日もあるよね」
「とても……ここに、来たくなった……」
「それは嬉しいね」
「……みんな、死なないかなあ……」
「さすがに無理じゃないかな。究極魔法でもあれば、ここら一帯は塵になると思うけど」
いちいち普通の感性で対応していると、ノルトリとはやっていけない。こう、ちょっと人生に疲れちゃいましたみたいな感じでいることが重要だ。十10歳の少女がそんな感性ってどうよ? とかは思っちゃいけない。
「……ほんとに…………めんどくさいなあ……」
本当にめんどくさそうに、ノルトリは呟いた。あ、ちょ、やめて。なんか僕までめんどくさくなってくるからやめて。なにこの影響力。人生とかどうでもよくなってしまいそうで怖い。
湧き上がる感情を堪えるようにコップを磨く僕の前で、ノルトリはひどくだるそうにカップを持ち上げた。かなりの猫舌らしいので、ココアは温くしている。それでもノルトリには熱いようで、ふーふーと息を吹きかけてから、ちょっとずつ飲んでいる。
そんなノルトリの小さな頭の上で、ぴょこぴょこと動く2つの三角形があった。そう、猫耳である。……たぶん、猫耳である。少なくとも猫科の耳だと、僕は判断する。
この世界には、ファンタジーなことが盛りだくさんだ。その最も足るもののひとつが、ノルトリのような獣人と呼ばれる人たちだった。一歩外に出れば街を歩いているし、獣耳とか尻尾とかにつっこみをいれる人はいない。それくらいには、この世界では当たり前の存在だった。初めて見たときにはすごいテンションが上がったものだけど。女の子に獣耳とか……なんかこう、心の奥底でなにか新しい感情が生まれた気がした。きゅんとくる感じというか、ときめきにも似た感じというか。まあ、どうでもいいや。
ノルトリの服は学院の制服だった。この街の中心地にある、魔術学院。そう、魔術だ。ちょっとだけ興味があるが、なんか平穏とはかけ離れた世界に連れて行かれそうで怖いので、あまり近寄ってはいない。
ノルトリは、青色というか、雨の色という表現がぴったり合う髪を適当に結んで流しているのだけど、その髪の色が真っ白な制服によく映えていた。
もうちょっとやる気をだして生きた瞳をしていれば、将来がすごく楽しみな女の子だろう。
「それで、学院はどんな感じ?」
聞くと、ノルトリの耳がぴくりと動いた。
だるそうな瞳を僕に向け、にたりと笑う。無駄に迫力のある笑みだった。
「……聞きたい?」
「……いや、やっぱいい」
「……そう」
ウフフフフとノルトリが笑う。いや、あの、いきなりウフフフフとか笑うなよ。普通に怖いぞ。深夜にラジオから流れてきたら発狂するレベルだぞ。ほら、向こうのお客さんだって、びくぅ!ってしてたし。
けれどまあ、これがノルトリっちゃノルトリなので、僕は特につっこみも入れなかった。この店のモットーはお客さんに平穏を味わってもらうことだ。お客さんがお客さんらしくあるのが、一番であるからして。
ひとしきり笑うのに満足したらしいノルトリが、尻尾をゆらゆらとさせながら窓を見る。
通りに面した窓からは、行き交う人たちの姿が見える。食材を抱えたおばさん、マントを翻して歩く騎士、大剣を背負った冒険者、子連れのお母さん。それぞれが自分の行く先に、歩いていくのだろう。
この窓から外を歩く人たちを見るたびに、ここが異世界だということを実感する。自分が異端だとは思わない。そこまで、この世界は狭い場所ではない。けれど、不意に不安になることもある。この世界で、自分はどこに行けばいいのだろうか。自分は、この世界で死ぬべきなのだろうか。
調べた限りでは、帰る方法はない。異世界という存在さえ、ただの御伽噺だと思われている。だから、たぶん僕はここで死ぬことになるだろう。こうやって喫茶店をやって、この窓から外を見ながら、そうやって死んでいくのだろう。
平穏が好き、というよりも、僕はただ怖かったのかもしれない。魔術や迷宮に関わって、異世界に馴染んでしまうことが。僕はまだ、自分の世界への未練があるのだと思う。理性でケリをつけたとは思っていても、心のどこかでは帰りたいと思っている。本能とでも呼ぶようなものが、自分が生まれ育った場所に帰りたいと言っている。そう考えると、人間もまた動物だということを理解する。理性ではどうしようもない望郷の念。それは、命あるものに刻まれた原初の感情なのだろう。
ああ、物思いに耽る僕ってカッコイイ……と自惚れていると、ツンツンと袖が引かれた。
顔を向けると、ノルトリがどこか不安げな顔で僕を見ていた。やめろ、中二病の思考に陥っていた僕をそんなに見つめるな。
みたいな感情はまったく顔に出さず、僕は首を傾げた。
「どうかした?」
「…………いや、べつに」
なにかを言おうとして、ちょっと迷って、ノルトリは口を閉じた。
それでも待っていると、ココアの水面をじーと見つめながら、ぽつりと言う。
「ユウは……どこかに、行くの?」
どこか? ああ、世界の果てとかは行ってみたいなあとは思ってた。こう、カッコイイよね、響きが。どちらに行かれるんですか? なあに、ちょっと世界の果てまでですよ、とか言ってみたいね。行ってみたいし、言ってみたい。うまい! 僕うまい!
今のボケを口に出しても、きっとノルトリは「……ふうん」とか言って流すだけなので、僕は普通に答えることにした。
「特にそんな予定はないけど? せいぜいが市場に買い物に行くくらいかなあ。そろそろ材料を買わないといけないし」
僕の言葉に、ノルトリはちらりと僕を見上げた。どこか不安げなのは、なにか理由でもあるのだろうか。
「……ほんとう?」
「うん」
「……ほんとうに、ほんと?」
「もちろん」
「嘘、ついてない……?」
「僕が今までに嘘ついたことがあった?」
聞くと、ノルトリはしっかりと頷いた。珍しく自信に溢れた動きだった。
いや、たしかに僕も自覚はあるけどさ……。
「今回は、ほんとうにほんとだよ。どっか行く予定はないし、どっか行くつもりもない。それにほら、この店には店員がいないからさ。すぐにどっか行こうとかはできないし。休もうにも、いきなり休むとうるさい人がいるんだよね」
リアさんとかリアさんとかリアさんとか。
あとキールとかキールとかキールとか。
ため息まじりに言うと、ノルトリは満足げに頷いた。どうやら信じてくれたらしい。なぜかほっとしているように見えるのが謎だったものの、ノルトリの考えていることはいつも謎なので、放っておくことにした。
「……ユウは、勝手にどこか行っちゃ……ダメ、だからね……」
「……えっと、僕の行動の自由は?」
「ない」
「即答ですか、そうですか」
あれ? なに? なんでそこだけやる気あるの? いつもはだるそうにしてるじゃん。人生どうでもいいよみたいな顔してるじゃん。本当、お兄さんはきみのことがよく分かりません。
でもまあ、嬉しそうにココアを啜るノルトリの姿は貴重なので、悪い気はしなかった。
φ
「……ここは、落ち着くね……」
昼も過ぎた頃。
昼食にサンドイッチを食べ終えたノルトリは、眠そうな声で言った。カウンターでにゃふうと溶けている姿は、日向で眠る猫のようにも見えて癒される。たぶん、この状態のノルトリはマイナスイオンとか出してると思う。
たまにぴくぴくと動く猫耳を触りてーとか思いつつ、僕はコップを磨いていた。
「まあ、ゆったりしてるからね」
僕もそうだし、お客さんもそうだ。店内には、外とは違う時間が流れている。ゆっくりと、ただ安らかに。
外ではいろいろなことが起こっている。人にはそれぞれの人生があって、それぞれに悩みがあって、無慈悲なくらい簡単に過ぎ去ってしまう時間に急かされながら、必死に生きている。でも、せめてうちの店にいるときだけは、めんどくさいことは全部忘れて、ただゆっくりと休んで欲しい。この店は、忙しい世界に旅立っていくための止まり木になるのが調度良い。
その言葉は祖父のものだった。なんでうちの店名は「止まり木」なの? と聞いたときに、そんな答えが返ってきた。照れくさそうに、でも、誇らしそうに。そんな顔だった。
あの店ほどの安らぎは、この店にはまだない。
僕はまだ若すぎるし、この店だって若すぎる。けれど、そこに流れる時間を少しでも感じてもらえたのなら、これ以上の喜びはなかった。
にやにやとしつつ、僕は聞きなれた歌を口ずさんでいた。止まり木で、何度も流れていた音色。子供の頃から聞いていた歌声。いろんな音楽を聴いていたけれど、僕はこの歌が一番好きだった。じーさんも好きだったし、父さんもそうだったから、これは遺伝なのかもしれない。
ああ、そうだ。この店にもまた音楽を流したらいい。きっとさらに安らぐはずだ。うん、そうだ、そうしよう。ああ、でも、彼女が帰ってきたときのために、新しく楽団の人を雇うなんてことはできないな……。
今後の店の方針を考えながら、口ずさむ。自分の声を聞きながら、窓から外を見る。
平穏だった。本当に平穏だった。
陽光を浴びながらむにゃむにゃと眠そうにするノルトリも、店内でくつろぐお客さんたちも。窓の向こうで慌てて逃げていく男も、それを追う人たちも。スリだ! おいそいつ捕まえろ! とかいう喧騒も、僕には聞こえない。本当に平穏だった。
―――そんなまったり平穏世界を最初に破ったのは、ドアに取り付けたベルの音だった。
カランカランという音が鳴り終わる前に、来店客は声を上げた。
「あ! こんなところにいたな、ノル!」
目を向けると、そこにいるのはノルトリと同じ年頃の少年だった。茶色の髪はツンツンとあちこちに広がっていて、ひどくやんちゃそうに見える。ノルトリと似たような制服を着ているから、学院のクラスメイトだろうか。
少年はたたたっと店内を走ってノルトリに近寄り、無駄に元気一杯の声で話し出す。
「勝手にサボるなよノル! セルウェリア先生がまた心配してたぞ! それに言ったろ? サボるときはおれも誘えって!」
少年の声に起こされたのか、ノルトリは不機嫌そうに目を開けた。そして、「こいつうぜぇ。マジでうぜぇ」とでも言いたげな瞳で少年を見る。
ノルトリの視線には気づかず、少年は頬を赤く染めていた。あー、リアさんとかいたら喜びそう。あの人たぶんショタだし。
猫耳をぺたんとしたまま、ノルトリは少年を見ていた。あの耳からすると、本当にやる気もないし興味もないらしい。
思うにこの少年、ノルトリのことが好きなんだろう。しかしノルトリを初恋の人に選ぶとは、なんと勇気ある少年。がんばれ、僕は応援するぞ。
「ほ、ほら、行こうぜ! おれが一緒にサボってやるよ!」
僕の応援に応えるように、少年はノルトリに手を差し出し、頼れる男の片鱗を見せ付けた。将来は良い男になりそうな気がする。イケメン的な意味で。
しかしノルトリは、差し出された少年の手を見て言った。
「やだ」
「ええっ!?」
すごい。すごいぞノルトリ。そこまでためらいなく言い放つとか、すごすぎるぞ。
けれど、ノルトリは僕が思っていたよりもさらにすごい子だった。
「……子供に、興味ないし……」
「そ、そんな! え、えと、じゃあ、オレが大人になったら!」
ダメージを負った少年が、それでもなんとかすがり付く。
が、がんばれ少年! 恋は辛いものだ!
しかし、僕はすぐに考えを改めることになった。恋は辛いものではない。恋は、非情なものなのだ。というか、
「……それは、それで……暑苦しそうだから、やだ……」
「ええええええっ!?」
ノルトリが、非情な子だった。
すっぱりと少年の言葉を切り捨てると、ノルトリはぴょんとイスから降りた。そのまま僕に向き直り、ぺこりと頭を下げる。
「ごちそうさまでした……」
「あ、うん。これからの予定は?」
「……暇だから……学院に、いく……セルウェリア先生の授業は……いかないと、めんどくさいし……」
心底めんどくさそうに言って、ノルトリは去っていった。その背中には、底の知れない深さがありそうだった。……あそこまでズバズバと物を言うとは。ノルトリ……恐ろしい子っ!
残されたのは、呆然と立ち尽くす茶髪の少年だけだった。
……この子、苦労しそうだなあ。
そんな、ある日のことである。
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